再び「集団的自衛権」について
集団的自衛権は、国連加盟国ならば、どの国にも認められている権利です。 権利だから行使しない、という選択肢もありますが、そうするとすべて、個別的自衛権で対処しなくてはならなくなりますから、国民の負担はもっと重くなります。 経済的負担だけではなく、それこそ「徴兵制」「国民皆兵制」等を敷く必要が出てくるかもしれません。 武装そのものが「悪」だという考えもあるかもしれません。しかし、非武装によって国民が蹂…
集団的自衛権は、国連加盟国ならば、どの国にも認められている権利です。 権利だから行使しない、という選択肢もありますが、そうするとすべて、個別的自衛権で対処しなくてはならなくなりますから、国民の負担はもっと重くなります。 経済的負担だけではなく、それこそ「徴兵制」「国民皆兵制」等を敷く必要が出てくるかもしれません。 武装そのものが「悪」だという考えもあるかもしれません。しかし、非武装によって国民が蹂…
選挙は、告示前までが勝負です。 中野留美子さんは、他の、どの候補者よりも、頑張った。努力しました。 それは、天の知るところです。 だれに恥じることもない、堂々たる勝利です。 小矢部市民の皆さまの幸福を、真に実現できる素晴らしい市議として、市政でのご活躍を、心から祈念致します。
長いタイトルのデモですが、大事なことです。 私も微力な一兵卒として、一昨日のデモに参加させていただきました。 「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」も、未だに信じている方が大勢いらっしゃることと思います。 そして、殆どが心優しい日本人の皆さまであるならば、率直に、潔く謝罪することは尊いことだという価値観をお持ちだと思います。 しかし、大事なことは、そんな価値観など、単なるお人好しに過ぎない、と考えている人…
「鬼手仏心」という言葉があります。 集団的自衛権の行使を容認することは「国民が戦争に巻き込まれる!」という恐れを抱かせる鬼かヒトラーかというような怖いことのようにも見えます。しかし結果として国民を守ることになるなら、それは仏の心のごとき慈悲であると言えます。 これとは逆に、「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉もあります。 一見優しく、耳に聞こえのいいことであっても、堕落へとつながる場合も…
ようやく、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されましたね。 一つの記念すべき日とはなりました。 幸福実現党からもプレスリリースが発表されました。→http://info.hr-party.jp/press-release/2014/3171/ 私ももちろん、賛成して来た立場なので、まずは良かったと思います。 それにつけても、集団的自衛権の行使容認を巡っての騒動は、日本においては、憲法の改正が困難であ…
集団的自衛権の行使容認は、今までの政府見解を変えることになるので、憲法を改正することなく、時の政権の都合で恣意的に変えられることになる。それは、民主主義に反する、あるいは立憲主義に反するからよろしくない、という意見があります。 一方で、憲法改正は王道かも知れないが、それには長い道のりが必要で、いまは急を要する国防の危機的状況であるから、国民の生命・財産・安全を守るためには、取り急ぎ、解釈を変更して…
「集団的自衛権」とは、「集団的侵略権」などではありません。 憲法以前に、国際的に認められている権利です。 目くじら立てて反対する理由など、ありません。 「集団的自衛権は、あるけど使えません」などという不可解な解釈が何十年もまかり通って来たこと自体が異常です。 これ、英語で訳すとき、どうしてるんでしょう? 憲法の解釈なんて、それ以前に、憲法自体も、永遠不滅の普遍の真理などでは全くありません。 軽んじ…
幸福実現党は、宗教政党です。しかも、いわゆる「新興宗教」を支持母体として。 この一事を持って、わが国では大変なハンディキャップを背負って戦わなくてはなりません。 (この日本は確か唯物論国家ではないはずなのですが。また、どんな世界的な大宗教であっても、はじめは新興宗教であったはずですが) しかしそれでもなお、宗教政党である、ということを背負って戦う意義、大義はどこにあるのでしょうか。 それについて考…
日本の国防は、アジアの平和の上に成り立ちます。 アジアが戦乱の中にあって、日本だけが平和であるということが、交通の便が悪かった時代はいざ知らず、これだけ文明が発達した現代において成り立つでしょうか? 仮に成り立ったとしても、そういう日本が、アジア、あるいは世界からどのように見えるでしょうか? 実質世界第2位の経済大国でありながら、アジア情勢に何らコミットせず、責任を負おうともせず、“一国平和主義”…
集団的自衛権—。その行使を容認するか否かを論じることができるようになったこと自体が、今までの日本の政治風景から見れば、時代が変わって来ていることを象徴してはいます。しか行使容認への道は、しばしば「再び戦争のできる国にするのか」と批判されます。 あえて言いますが、「戦争も辞せず」という覚悟がなければいざという時に国を守れるものではありません。 最初から「戦争は致しません」と自ら手足を縛って、「言論で…