私の意見, 私の政策
25 May

時代を動かすものは

集団的自衛権—。その行使を容認するか否かを論じることができるようになったこと自体が、今までの日本の政治風景から見れば、時代が変わって来ていることを象徴してはいます。しか行使容認への道は、しばしば「再び戦争のできる国にするのか」と批判されます。
あえて言いますが、「戦争も辞せず」という覚悟がなければいざという時に国を守れるものではありません。
最初から「戦争は致しません」と自ら手足を縛って、「言論で戦う」と言っても「平和を愛する諸国民」とはとても思えないような輩を相手に、言論などという高貴な武器は通用しないでしょう。それはあたかも、サバンナを丸腰で歩いていてライオンに出会って、「私を食べないでくれ」と説得するようなものです。

自由、独立を守るためには、どの国だって、血を流すことを厭わないものです。いや十二分に厭いはするが、のたうち回るような懊悩を経て、あえて青年の血を流さなければならないかもしれない決断をしなければならないこともあるのが、真の責任あるリーダーの姿でしょう。
この世の命を至上と考え、それを守ることのみに汲々とする姿は、ある面で、人間の、と言うよりも動物の本性でありましょうが、人間はそれを超えた高貴なる存在であります。
この世の命のみが至上なのではありません。この世の命を超えて、守るべき崇高なものがあるのです。
この世の命至上主義とでも言うべきものは、ある意味で、唯物主義と変わらず、行き着くところは「自分さえよければいい」という自己中心主義の極致でしかない、ということは、13億か14億かの人口を抱える、隣りの巨大な唯物論国家を見れば、思い半ばに過ぎましょう。

偉大な先人たちは、自らの身命を擲って、この世の命以上に崇高で守るべきものがあることを身を以て示されました。
イエス・キリストしかり。またその弟子たちも。時代を下って、ジャンヌ・ダルク、ヤン・フスもそうであったでしょう。
日本においては、明治維新前夜の吉田松陰先生をはじめとする、数多の志士たち。
名もなく散っていった草莽の志士たち。
大東亜戦争(どこかのメディアでは、プレスコードでこの用語は使ってはいけないそうです)で散華した三百万英霊。
目には見えないけれど、この世の命をも超えた、価値あるもの。
愛、慈悲、智慧、真理、自由、勇気、正義、献身、などなど。
これらを守るために、人はあるときには、自らの命を投げ出すこともあるのです。

やみくもに戦争を欲しているわけでは決してありません。また、戦争を賛美するつもりもありません。
戦争はあるとき起きるものであり、避けることができない場合もあり、そういう場合も想定して備えをするのは例えば国家のリーダーならば当然のことでしょう。
「戦争にいいも悪いもない。戦争はすべて悪い。だから日本は(日本だけでも)戦争はすべきではない」と言う方もいるでしょう。
もし「戦争にいいも悪いもない」のが真理ならば、先の大戦で、負けた日本のみが悪者にされるいわれはなく、勝った連合国側も悪い。
そして、東京大空襲で無辜の民を焼き払い、広島・長崎と2発も原爆を落とした罪は、人類史上最大の虐殺、最悪の「人道上の罪」の一つとして断罪されるべきでしょう。

悪なる戦いと、正義の戦いは、確かにあります。
少なくとも、国民が自由を奪われ、粛清や弾圧を受けるような未来が待ち受けているならば、そうならないように断固として戦うべきだと思うのです。
戦いには勇気が必要です。
あえて言えば、勇気なき国民は滅びるしかないのです。

またある人は言う。「時の政権によって、自由に憲法の解釈が変えられるようでは、立憲主義に悖る。憲法改正こそ筋ではないか」と。
確かに、憲法改正こそ王道でしょう。しかし、それだと何年かかるのですか?目の前に迫る有事に対処できるのですか?
法律(憲法)を守って、国民の命を守れないというならば、それは本末転倒でしょう。
結局、集団的自衛権の行使容認を認めたくないがための言い訳、時間稼ぎにしか思えません。

さらに言いますが、「立憲主義」がさも世界の「常識」のように言われますが、それは果たして真理でしょうか?
「立憲主義」は全能の神のごときものなのでしょうか?
憲法と言い法律と言い、人間が作ったものです。
わけても現行日本国憲法は、GHQ主導で1週間ほどで作られ、「下賜」されたものです。
法の根源にあるものは、神仏の法であるべきですが、近現代の(法)哲学の流れは、そうしたものを否定する方向で流れて来ていると言えましょう。
しかし、人間の作った法が、神仏の法を超えてよいとは、どうしても思えないのです。

人間心、あるいは人間の頭を超えた崇高な理念を語るには、神仏から話を始めなければ無理でしょう。
神仏の存在を、そしてその愛や慈悲を、信じることが、どうしてそれほど難しいのでしょうか。いや、難しくなったのでしょうか。
かつての日本人はそうではなかったはずです。
英霊たちは「靖国で会おう」と言って散って行ったのです。単なる言葉だけの、慰めで言っていたとは思えないのです。
私の幼い頃はまだ、年配の人たちは、神社の前を通る時、一礼して通り過ぎたものでした。
お盆やお彼岸に、お墓参りするのは、決して儀礼としてのみの行為ではなかったはずです。今でも心から故人を偲んで冥福を祈って手を合わせる姿を見るのはそれほど困難なことではありません。

神仏を信じる行為は、決して恥ずべき行為ではありません。
信仰を持っているということは、唯物論国家を除けば、世界の、極めてスタンダードな姿です。
「日本の誇りを取り戻す」とは、「日本人の信仰心を取り戻す」と言うことでもあります。なぜなら、人間としての誇りの根本は、神の子、仏の子として、神仏と同じ性質を宿しているということに行き着くからです。

そしていつの時代も、時代を動かすものは、神の愛であり、神の愛を具現化せんとする使命を帯びた一群の人々であります。
私も、全能の神の愛を具現化する者のひとりでありたいと熱望するものです。

写真は、5月20日野々市市御経塚交差点での辻立ちの様子です。
野々市市御経塚交差点にて
野々市市御経塚交差点にて

下記をクリックすると、動画をご覧いただけます。

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2014 05 20 野々市市御経塚での辻立ち(前半)
2014 05 20 野々市市御経塚での辻立ち(後半)