Posts Tagged ‘宗教立国’

8月14日に発表されました安倍談話。
ある調査によれば、「評価できる」が過半数を超え(52.44%)、「まあ評価できる」(15.56%)を合わせると、7割に迫る(68%)勢いです(ダイヤモンド・オンライン 2015.8.17)。

安倍首相としては相当頑張ったつもりでしょう。安保法制なども見据えて、内外の諸勢力にも配慮し、現実と妥協しながら、何とか守るべきものは守り、通すべきものは通そうとしたのでしょう。涙ぐましい努力をされた跡が感じられます。苦心惨憺されたことには、敬意を表します。

しかし、私たちは、「安倍談話」の撤回を求めます。
それは、結論として、論理破綻した、支離滅裂で悩乱した談話だからであり、結果として、日本を悪しき侵略国家とする「東京裁判史観」を淵源とするところの「自虐史観」を、一掃するどころか、日本はかつて「国際秩序への挑戦者」だったと位置づけることにより、ますます悪者と認定するような内容であったからです。英霊を冒涜する「土下座談話」だったからです。

現実に、政権を運営している以上、政治の連続性というものも大事である、いきなり「ちゃぶ台返し」のようにこれまで継承してきた歴史認識を変えるわけにはいかないのだ、現実的には極めて知恵ある文言で乗り切ったのではないか、と言われるかもしれません。

しかし、それではいけないのです。
世界は、正義を求めています。いや、全人類の幸福と繁栄を願う地球の神と、その眷属たる神々は、地球的正義を打ち立てようとしているのです。
現実に妥協し、迎合してはいけないのです。
政治にも正義が希求されれいるのです。「正しき政治」が、実現されねばならないのです。
配慮すべきは、神々の声と、英霊の声と、少数ではあるが、神の声を忖度し、正論を訴える国民の声なのです。
これを、多数派の様々な声のみに配慮したことをもって、釈党首は「ポピュリズム、ここに極まれり」と言ったと思うのです。

実際国政に議席を持っていない、野党にもなっていない、「政治団体」が、無責任にも何を言うか、という声が聞こえてきそうです。
しかし、そんなことは関係がありません。
大事なことは、この国を、これからどうしていくのか、ということであり、その志であり気概です。
現状に満足し、現在得ている権益を守ることに血道を上げている既成の政治家や政党に、この日本を任せていていいのか。
それではいけない、そうはさせない、という気概を私は持っています。
「政治参加の自由」、それは、日本国民が等しく有している権利であり、私はそれを最大限に行使するのみです。

ここに至って、私たちは、私たちの使命をもう一段深く、自覚するに至りました。

いま、「この国を変えよ」という天からの使命が降ったのは、政権与党となっている大政党にではなく、沈み行く船のような党にでもなく、コバンザメのように与党にくっついている党にでもなく、そして誰もいなくなった政党その他の政党にでもなく、幸福実現党に、です。

保守層のほとんどが支持している「安倍談話」の撤回を求めるなど、幸福実現党は極端なことを言っているウルトラ右翼に見えるかもしれませんが、そうではありません。
私たちが追究しているのは、「左翼と右翼の真ん中」という意味での中道ではなく、仏教的な、「正しさ」という意味での「中道」なのです。それは、究極的には、神仏の目から見た正しさということに行き着きます。
神仏の目から見たら、「安倍談話」は撤回を求めるのが中道、すなわち正しさなのだと私は思います。

私たちは、極端なことを言うことによって、結果として安倍内閣が進めようとしていることの側面支援をしているなどという見え方もあるかもしれません。
しかし、それは正しい見方ではないと思うのです。

「何が正しいか」を追究した結果、そうするのが正しいからそう訴えているのです。
「安倍談話」は撤回するのが正しいから、そう主張しているのです。
現行日本国憲法は、改正するのが正しいから、改正すべきと言っているのです。
同様に、大東亜戦争は、日本の正当なる自衛権の行使と、アジア諸国の植民地支配からの解放と人種差別政策の撤廃を目的とした、日本神道の神々の熱き思いの一部を体現した聖戦であったと見るのが正しいから、そうだと言っているのです。

ここを妥協してはいけないし、恐れてもいけないと思うのです。

幸福実現党は、宗教政党です。
地上にある自分たちの恣意で作ったものではなく、神仏の意思により作られたのです。
そこには当然、神仏のご指導やご加護が働いています。
神仏が私たちの味方ならば、何を恐れることがありましょうか?
正々堂々、正論を訴えて、例えすぐには理解やご支援がいただけないとしても、誠実さは実に良い仕事をするものです。
ごまかさずに、正直に、誠実に、真実は真実、真実は死なないと訴え続けるところに、活路は開けてくると思います。

「安倍談話」により、自虐史観の一掃も、憲法改正も、もはや安倍内閣では不可能になったといってよいでしょう。
もはや、私たちしかおりません。
そして、私たちが国会に行って、国政を動かさなければ、この国はどうにもなりません。
「乃公出でずんば、蒼生を如何にせん」。傲慢に聞こえるかもしれませんが、それだけの気概と、自覚と、深い責任感を持って、努力精進して参りたいと思います。

15日には、幸福実現党役員の皆様や同志の方々とともに、靖国神社に昇殿参拝させていただきました(3年目になります)。

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そして、今朝は、白山市安養寺北交差点にて、朝の辻立ちをさせていただきました。

後半、雨が降ってずぶ濡れになりました(笑)

後半、雨が降ってずぶ濡れになりました(笑)

最近の動画です。
↓  ↓  ↓
2015年8月17日 白山市安養寺北交差点
2015年8月13日 野々市市新庄2丁目
2015年 8月11日 白山市徳丸交差点


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安倍晋三首相が14日に閣議決定する戦後70年の談話(安倍談話)で、戦後50年の村山談話や戦後60年の小泉談話に盛り込まれたアジア諸国への「おわび」の文言を入れる方向で調整していることがわかった。政権幹部が10日、明らかにした。

戦後70年談話「おわび」に言及へ 安倍政権幹部が明言:朝日新聞デジタル

安倍政権は、安保法制や普天間基地の辺野古移設問題など、山積している問題を、野党やマスコミの追及をかわし、少しでもスムースに進めたい、という「名を捨てて実を取る」作戦なのかもしれない。
しかし、この「戦後70年」という節目に、由々しき罪悪感と、自虐史観を、英霊とそのご遺族、国民に押し付け、遺し続けられるのかと思うと、将来に禍根を残す、という点では「村山談話」より悪いかもしれない。

政府として反省すべきは、英霊とそのご遺族に対して、「由々しき罪悪感」と、その後の国民に対して「いわれなき自虐史観」を押し付けたことであり、おわびすべきは、戦後の唯物論的風潮の中で、本来最も尊いものである神仏を尊ぶ心、信仰心や宗教を、裏側の世界の押し込め、信仰を持つことが何か後ろめたいことであるかのような空気を助長してきたことである。

さらに言えば、先の大戦は、「民主主義国家」=連合国 vs. 「全体主義国家」=枢軸国の戦いであり、民主主義国家である連合国側が正義であり、勝利した、という史観に基づき戦後体制が構築されている。しかし、その後の旧ソ連邦と中華人民共和国で行われた侵略と粛清、弾圧などを見れば、共産主義国家こそが全体主義国家であったことが明らかである。
中国とソ連を味方に引き入れ、日本を悪者にして徹底的に叩いたことが結果として、共産主義国家の伸張を助長したと言える。アメリカの見立てが相当甘かったことを意味している。
このことは、いかに同盟国であり、友好国であったとしても、毅然としてアメリカに反省を求めるべきである。
一時期、嫌われたり無視されたり圧力がかけられたりすることがあったとしても、恐れるには当たらない。
日本は、決して「悪魔の国」などではなく、正直さと誠実さに溢れた、素晴らしい国であった。
何しろ、あの大悪魔・スターリンでさえ認めるほど、日本は、律儀に(健気に、といったほうがいいかもしれない)国際法や条約を守り、人種差別をせず、同盟国であったはずのドイツが迫害しているユダヤ人でさえ助けた国である[注.スターリンは霊言で、「日本はドイツを最後まで裏切らんかったからな。だから、ドイツ国民は、いまだに日本に対して、尊敬の念を持っとるんだよ。
日本だけなんだよ、ドイツを裏切らなかったのは。みんな、裏切り合いだからな。」と語っている。(大川隆法『赤い皇帝 スターリンの霊言』)]。

「宗教立国」を標榜する私たちとしては、「自虐史観」を一掃し、日本の誇りを取り戻すために、それにふさわしい談話を出されることを、安倍総理に強く求めていきたい。
「因果の理法」(原因−結果の法則)は昧(くら)ませないものである。正直さや誠実さは必ず天に通じるものであり、またそうした世界にしていかなければならない。

昨日は、金沢市東長江で朝のご挨拶をさせていただきました。

金沢市東長江交差点にて

金沢市東長江交差点にて

下記をクリックすると、動画をご覧になれます。
↓  ↓  ↓
2015年8月10日 金沢市東長江交差点


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憲法学者が「違憲だ」と言ったから、安保法制やめなきゃいけないなら、国会なんかいらないですよね。

憲法学者の多数決で違憲か否かが決まって、その結果、国が滅んだら誰が責任を取るのでしょうか?

憲法学者が違憲だというそのロジックで行くなら、そもそも自衛隊の存在自体が違憲です。
違憲だから自衛隊を廃止しますか?それとも自衛隊を必要と考えるならば、その存在を「違憲」としている憲法の方が間違っているのではないですか?
間違った憲法ならば、速やかに変えた方が良いでしょう。

少なくとも現行の日本国憲法自体は、人間が作ったものでしょう。
どんなに「憲法遵守」を叫んだところで、完璧なものであるはずもない。
「立憲主義」は大切だとは思いますが、憲法学者が言うのは、「憲法至上主義」であって、憲法が金科玉条、不磨の大典になってしまっています。
まさに、どなたかの著書のタイトルではないが、「憲法守って国滅ぶ」となっては本末転倒ではありませんか。
対談相手がいないからといって、変節してしまうのはいかがなものでしょうか?

戦争にさえならなければ、中国に支配されてもいいじゃないか、と考える人もいます。
小さな島の一つぐらいで揉めるのはよろしくない。刺激しないように、小さな島ぐらい、あげてもいいじゃないか、と考える人もいます。
個人の資質として、気前のいいのは美点かもしれませんが、国家主権に関しては、個人と同じようにはいきません。
1ミリたりとも譲ったら、そのあとズルズルとサラミソーセージのように小刻みに奪われていくかもしれません。
そうなったときに誰が責任を取るのでしょうか?

言うべきことは言わなければなりません。
間違いでも押し通せば通り、正義が通らない世の中は良くありません。
日本が本当に間違っているならともかく、そうではないのですから。

憲法9条を守れと言ったり、安保法制を戦争法案と言ったり、米軍基地出て行けと言ったりする人の中には、安倍首相を独裁者呼ばわりする人もいます。
彼らは、自分たちは安全なところに身をおいて、言いたい放題言っているだけのように見えてしかたありません。
安倍首相が本当に独裁者だったら、彼らは言論の自由は与えられないでしょうね。
地上から消えているかもしれません。少なくとも公の場には出てこられないでしょうね。
国家を滅ぼしたり、国を売ったりするような人にも言論の自由がある日本はなんと素晴らしいのでしょうか。

安倍首相が独裁者ならば、リンカンもケネディも独裁者でしょう。
戦争責任者であるリンカンはもちろん、ケネディ大統領は、キューバ危機の際に海上封鎖するかどうかなんて、いちいち議会に諮ったりはしない。
国家の危急存亡のときにはそんなものです。

反対している皆様には、国家危急存亡のときなのだという認識が決定的に欠けているのではないでしょうか。

もうそろそろ、日本国民は目覚めなければなりません。
「自虐史観」という変な薬を飲まされ、眠らされていた状態から、高貴なる国に住まう誇り高き民として、目覚めなければなりません。
神々により守られ、導かれてきたまさしく「神国・日本」の国たみとして、本当の意味で世界平和と繁栄を実現するリーダーとして目覚めなければなりません。
中国であれその他の国であれ、日本を貶め、日本を侵略し、日本の国たみを辱める正当性はどこにもありません。
日本のみならず、いかなる国であれ、不当な侵略主義により、他国を侵略・植民地化させてはならない。
そのための平和と正義の守護神となることを誓おうではありませんか。

昨日は、金沢市東長江交差点にて辻立ちをさせて頂きました。
↓  ↓  ↓
2015年6月15日 金沢市東長江交差点(1/3)
2015年6月15日 金沢市東長江交差点(2/3)
2015年6月15日 金沢市東長江交差点(3/3)


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共産党一党独裁・全体主義国家・中華人民共和国の覇権のもとで、アジアは幸福にはならない。
「中華帝国主義」は絶対に許さないという決意のもので、幸福実現党は立党したのだ。
史実に基づかない根拠なき、過てる「河野・村山談話」すら白紙撤回できない与党にその覚悟はあるのか。
中国の暴圧を断固はね除ける覚悟があるのか。

戦後もう70年。
終戦の年に生まれた方も、もう70歳。終戦時二十歳だった方はもう90歳になる。
残された時間はあまりない。
自虐史観を押し付けられ、永遠に犯罪国家の烙印を押されたまま沈んでいくのか。それともそんなものを一掃し、雄々しく復活するのか。

歴史認識を大逆転させるときは今。
日本は真実の自信と誇りを持って、アジアの盟主となり、世界のリーダーとなって、世界平和と繁栄を牽引する、希望の国とならねばならない。

私たちは、「この国に生まれて生きて魂修行ができて、本当に良かった」と思っていだだけて、あの世に帰っても幸福な世界に帰っていただけるような国づくりを目指す。

今日は、小松市の支援者様方にて集いに参加したのち、加賀市の支援者様にご挨拶。
そのまま加賀市内で辻立ちをいたしました。

加賀市上河崎にて辻立ち。

加賀市上河崎にて辻立ち。

爽やかな青空と濃い山の緑が美しい。

爽やかな青空と濃い山の緑が美しい。

今日は本当に素晴らしいお天気でした。
素晴らしい皆様との出会いに感謝。
そしてこうした平和な日々が、永遠に続きますようにと祈らずにはいられませんでした。

2015年6月4日 加賀市上河崎町

最近の動画です。
↓ ↓ ↓
2015年5月26日 野々市市新庄2丁目交差点
2015年5月26日 白山市徳丸交差点
2015年6月1日 野々市市新庄2丁目①
2015年6月1日 野々市市新庄2丁目②


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戦後70年。戦争が終わった年に生まれた方も、もう70歳。
長寿社会では70歳ぐらいでは高齢者とは言わないのかもしれませんんが。

白山麓の「限界集落」で一人暮らしの母も、昭和10年生まれ。今年の誕生日にはめでたく80歳を迎えます。
我が集落では母は、「ねえさん」と呼ばれてますよ。

閑話休題、戦後70年。そろそろ戦後レジームは終わりにしましょう。
イノベーションしない骨董品のまま21世紀に突入してはや15年です。もう持ちません。

今までよく持ったものだと思います。
「平和勢力」もそれなりに意義があっただろうと思います。

でも、もはや「国家存亡の危機」なのです。
危機を煽るつもりはありませんが、世界は、冷戦後の「パクス・アメリカーナ」が崩壊寸前、中華人民共和国は虎視眈々とアジア・アフリカ・オセアニアの覇権を狙っている、という状況にもかかわらずいままで同様安穏としていては「 平和ボケ」と言われても仕方がありません。

「戦後レジーム」の象徴が、GHQから”下賜”された憲法ですから、半主権国家から、真正主権国家へと脱皮するためには、どうしても憲法の改正は必要と思われます。

特に9条は、なんとか解釈で乗り切ってはきましたが、それにも限度があります。
日米安全保障条約があるとはいえ、アメリカのコミットメントももはや心もとない状況ではあります。

戦後の”日本教”においては、憲法9条と並んで「人命最優先」が教義の一つのようではありますが、あえて言いましょう、
「命に代えても、守らなければならないものがある」と。
「命以上に大事なものがあるのだ」と。
「ゆえに、ある人々は、自らの身命をその命以上に尊いもののために擲ってきたのだ 」と。

それは、自らの「家族」であったり、家族や民族が住しているところの「国家」であったり、あるいは「自由」とか「民主主義」とか、そうした目に見えない崇高な価値であったり、さらに言えば、神仏の理想であったりするのです。

これは、命を軽んじる思想では決してありません。
むしろ、神仏からいただいた命であるからこそ、自他ともにその命を慈しみ、大切にしなければならないのであり、
その命を輝かせることを妨げるものに対しては、断固として戦うことによって、人類は、”万物の霊長”と言われる気高さを保ってきたと言えましょう。

新しい時代の憲法は、人間を超えた叡智者であるところの神仏の意を体したものであるべきであり、それが日本の神代の昔からの国柄にも沿うものだと思うのです。

憲法改正までの道のりは長いですが、「時間がない」というのも事実です。
残された時間、1日も早く憲法改正に踏み込めるよう、努力を重ねてまいります。

下記は最近の辻立ちの様子です。
クリックすると、動画をご覧いただけます。

↓ ↓ ↓

2015年2月17日 野々市市新庄2丁目交差点での辻立ち

2015年2月20日 金沢市東長江交差点での辻立ち


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幸福実現党は、小選挙区こそ立候補者を立てていませんが、全国11ある比例ブロックにそれぞれ候補者を擁立し、国政選に挑みます。

しかし、あろうことか、今朝(12/2)の北國新聞には、全国の比例代表名簿の欄には、我が幸福実現党が載っていない。
他の9党はちゃんと載っているにも関わらず。
わが党は小選挙区との重複立候補もできないし、
この紙面を素直に見ると、幸福実現党からは誰も立候補していないと思ってしまうでしょう。
これでは最初からハンディキャップ戦ではないか!
比例では「生活の党」より「社民党」より「新党改革」より多く、「共産党」と同じ42名が立候補しているのですよ!
不公平であるというに止まらず、国民の選択の幅を狭くしています。

国民の選択の幅を広げるという意味では、各党の政策も公平に紹介するのが筋だと思うが、1面には「8党首討論会」の記事があり、こちらは幸福実現党に加えて、先の9党から「新党改革」も除かれている。
しかも、ご丁寧に「日本記者クラブの参加基準を満たしていない新党改革は出席しなかった」と記されている。
日本記者クラブの参加基準とやらがいかなる権威あるご立派なものかは存じあげませんが、おそらく参加基準を満たしていないのはわが党も同様と思います。
なのに、幸福実現党とわざわざ記さないということは、あからさまに無視しているということですよね?

これはおそらく北國新聞の罪ではなく、全国の地方紙に配信しているナントカ通信社の所業と思われますが。

このように新規参入を拒む体質こそが、日本の発展を妨げている主因の一つであると思うのです。

新しいものが興る時には、それ相応の抵抗があります。そのスケールが大きければ大きいほど、抵抗も大きいでしょう。
ゴータマ・ブッダ・釈尊が興した教えも、イエス・キリストが興した教えも、 ムハンマドが興した教えも、しかり。
彼らも最初は新興宗教でした。
某新聞のコラムには、呉清源さんの死去に触れて、新興宗教に「深入り」したことを「人生の『定石」を踏み外しかけた」とわざわざ取り上げている。
十把一絡げに「新興宗教」とレッテルを貼って欲しくないものです。
その宗教が、良い宗教であるか、悪い宗教であるかは、その果実を見ればわかります。
日本中に、そして世界各地に実りつつある幸福の果実を、どうかご覧ください。

さはさりながら選挙戦。
厳しい戦いは続きます。
「比例は幸福へ」。
この一言が、あなたの心に火を灯します。
その一票が、あなたを幸福に誘います。

どうか、有権者の皆様におかれましては、自らの権利を放棄することなく、投票に行かれますことを。
どうか、一人一人が、自らの心の内に問うて、白紙の目で見て、正しき選択をなされますことを。
この国が、神仏の御心にかなった 、理想国家となりますように。

私も微力ながら全力を尽くしたいと思います。


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「霊言は、科学的合理性が立証できない」など、不見識極まりない。
「天なる父」の声を聴き、語ったイエスの教えに基づくキリスト教系の大学も、「神々との対話」「悪魔との対話」をなした釈尊の教えに基づく仏教系大学も、学問として認められず、大学も不可なのか。
たかだか100年余りの自然科学的な手法でもって、現文明に限ってみても数千年の昔から滔々と流れ来たる宗教的真理を、証明できないから正当ではない、などというのは、30センチ物差しで太平洋の広さを測ろうとして、「この物差しで測れないから、太平洋はない」と言っているに等しい。

また、献本を「認可の強要を意図する」とは、全く不当な「信教の自由」の侵害だ。

「信教の自由」とは、それが認められてはいても、それを表明することができず、ただ心の中で信じているだけならば、その自由もわざわざ保証するまでもないだろう。
したがって、「信教の自由」は必ず「信仰告白の自由」をともない、さらに、自らが素晴らしい、尊いと思う教えを、他の人々にも伝え、伝道するという「伝道の自由」 をもともなうものである。
否、信仰告白そのものが、伝道行為であると言ってよい。
経験したことのある人ならばわかるが、「信仰告白」という、自らの信仰を表明する、というたったそれだけのことですら、現代日本という唯物論的な環境の中では、大変勇気のいることである。
ましてや、献本という、書籍(経典)を贈る伝道行為は、そこに説かれている教えと、その教えを奉じている自分自身の人格が対比されるのである。
そして、相手によっては激しい批判の言葉が返ってくることもある。
その後の、ご近所や、学校や、職場などでの人間関係にまで大きな影響を及ぼしてくることがある。
(平たく言えば、お互いに気まずくなったり、白い目で見られたり、無視されたり、いじめられたり、など様々なことが起こりうる)

どれだけの緊張感と、不安感と、恐怖に近い感情とがないまぜになった状態であるか、想像がつくだろうか。
伝道とは、それを乗り越えてなされる、全人格を賭けた真剣勝負である。
自分自身が非難され否定されるだけならまだしも、自分が最も尊敬し、帰依し、拠り所としている方が 、またその方の教えが、批判されたり非難されたりすることは、自らの身が切り刻まれる以上の苦しみ・悲しみ・悔しさを味わうこともある。

世が世なら、迫害され、殺されることもあるのが伝道だ。
これほどのプレッシャーに耐えながら、伝道し、献本することが、どうして「強要」などになりえようか?
そのような、ある意味で命がけの真摯な行為であるところの伝道(献本)を、「不正行為」などと言う。
これこそが、伝道権を否定する不当な圧迫であり、「信教の自由」の侵害に他ならない。

それでも、神の栄光を賭けて、地球の未来を賭けて、人類の幸福を願って、 伝道するのである。
それほど、伝道とは尊い行為なのだ。
「伝道は絶対の善」とも言われるのは、そのためだ。

神仏は、人々の幸福を願ってやまない存在である。
民主主義とは、人々が神仏に成り代わる、ということではないだろう。
通常、神仏の心がわからぬから、人々が寄り合って英知を集め、より神仏に近い考えを選び取ろうと努力することではないのか。
そこに、真の民主主義が生まれてくるのではないか。

今回の幸福の科学大学の設置申請「不認可」をめぐる一連の問題で明らかになりつつあることは、政界も、教育界も、腐臭を放っている、ということである。
浅学菲才を顧みず、 政界浄化と、教育界浄化にこの身を捧ぐことを、改めて誓った次第です。

神仏の心から遠く離れた国民とその国に、未来があろうはずもない。
「宗教立国・日本」の実現を高らかに掲げ 、努力精進してまいります。


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集団的自衛権—。その行使を容認するか否かを論じることができるようになったこと自体が、今までの日本の政治風景から見れば、時代が変わって来ていることを象徴してはいます。しか行使容認への道は、しばしば「再び戦争のできる国にするのか」と批判されます。
あえて言いますが、「戦争も辞せず」という覚悟がなければいざという時に国を守れるものではありません。
最初から「戦争は致しません」と自ら手足を縛って、「言論で戦う」と言っても「平和を愛する諸国民」とはとても思えないような輩を相手に、言論などという高貴な武器は通用しないでしょう。それはあたかも、サバンナを丸腰で歩いていてライオンに出会って、「私を食べないでくれ」と説得するようなものです。

自由、独立を守るためには、どの国だって、血を流すことを厭わないものです。いや十二分に厭いはするが、のたうち回るような懊悩を経て、あえて青年の血を流さなければならないかもしれない決断をしなければならないこともあるのが、真の責任あるリーダーの姿でしょう。
この世の命を至上と考え、それを守ることのみに汲々とする姿は、ある面で、人間の、と言うよりも動物の本性でありましょうが、人間はそれを超えた高貴なる存在であります。
この世の命のみが至上なのではありません。この世の命を超えて、守るべき崇高なものがあるのです。
この世の命至上主義とでも言うべきものは、ある意味で、唯物主義と変わらず、行き着くところは「自分さえよければいい」という自己中心主義の極致でしかない、ということは、13億か14億かの人口を抱える、隣りの巨大な唯物論国家を見れば、思い半ばに過ぎましょう。

偉大な先人たちは、自らの身命を擲って、この世の命以上に崇高で守るべきものがあることを身を以て示されました。
イエス・キリストしかり。またその弟子たちも。時代を下って、ジャンヌ・ダルク、ヤン・フスもそうであったでしょう。
日本においては、明治維新前夜の吉田松陰先生をはじめとする、数多の志士たち。
名もなく散っていった草莽の志士たち。
大東亜戦争(どこかのメディアでは、プレスコードでこの用語は使ってはいけないそうです)で散華した三百万英霊。
目には見えないけれど、この世の命をも超えた、価値あるもの。
愛、慈悲、智慧、真理、自由、勇気、正義、献身、などなど。
これらを守るために、人はあるときには、自らの命を投げ出すこともあるのです。

やみくもに戦争を欲しているわけでは決してありません。また、戦争を賛美するつもりもありません。
戦争はあるとき起きるものであり、避けることができない場合もあり、そういう場合も想定して備えをするのは例えば国家のリーダーならば当然のことでしょう。
「戦争にいいも悪いもない。戦争はすべて悪い。だから日本は(日本だけでも)戦争はすべきではない」と言う方もいるでしょう。
もし「戦争にいいも悪いもない」のが真理ならば、先の大戦で、負けた日本のみが悪者にされるいわれはなく、勝った連合国側も悪い。
そして、東京大空襲で無辜の民を焼き払い、広島・長崎と2発も原爆を落とした罪は、人類史上最大の虐殺、最悪の「人道上の罪」の一つとして断罪されるべきでしょう。

悪なる戦いと、正義の戦いは、確かにあります。
少なくとも、国民が自由を奪われ、粛清や弾圧を受けるような未来が待ち受けているならば、そうならないように断固として戦うべきだと思うのです。
戦いには勇気が必要です。
あえて言えば、勇気なき国民は滅びるしかないのです。

またある人は言う。「時の政権によって、自由に憲法の解釈が変えられるようでは、立憲主義に悖る。憲法改正こそ筋ではないか」と。
確かに、憲法改正こそ王道でしょう。しかし、それだと何年かかるのですか?目の前に迫る有事に対処できるのですか?
法律(憲法)を守って、国民の命を守れないというならば、それは本末転倒でしょう。
結局、集団的自衛権の行使容認を認めたくないがための言い訳、時間稼ぎにしか思えません。

さらに言いますが、「立憲主義」がさも世界の「常識」のように言われますが、それは果たして真理でしょうか?
「立憲主義」は全能の神のごときものなのでしょうか?
憲法と言い法律と言い、人間が作ったものです。
わけても現行日本国憲法は、GHQ主導で1週間ほどで作られ、「下賜」されたものです。
法の根源にあるものは、神仏の法であるべきですが、近現代の(法)哲学の流れは、そうしたものを否定する方向で流れて来ていると言えましょう。
しかし、人間の作った法が、神仏の法を超えてよいとは、どうしても思えないのです。

人間心、あるいは人間の頭を超えた崇高な理念を語るには、神仏から話を始めなければ無理でしょう。
神仏の存在を、そしてその愛や慈悲を、信じることが、どうしてそれほど難しいのでしょうか。いや、難しくなったのでしょうか。
かつての日本人はそうではなかったはずです。
英霊たちは「靖国で会おう」と言って散って行ったのです。単なる言葉だけの、慰めで言っていたとは思えないのです。
私の幼い頃はまだ、年配の人たちは、神社の前を通る時、一礼して通り過ぎたものでした。
お盆やお彼岸に、お墓参りするのは、決して儀礼としてのみの行為ではなかったはずです。今でも心から故人を偲んで冥福を祈って手を合わせる姿を見るのはそれほど困難なことではありません。

神仏を信じる行為は、決して恥ずべき行為ではありません。
信仰を持っているということは、唯物論国家を除けば、世界の、極めてスタンダードな姿です。
「日本の誇りを取り戻す」とは、「日本人の信仰心を取り戻す」と言うことでもあります。なぜなら、人間としての誇りの根本は、神の子、仏の子として、神仏と同じ性質を宿しているということに行き着くからです。

そしていつの時代も、時代を動かすものは、神の愛であり、神の愛を具現化せんとする使命を帯びた一群の人々であります。
私も、全能の神の愛を具現化する者のひとりでありたいと熱望するものです。

写真は、5月20日野々市市御経塚交差点での辻立ちの様子です。
野々市市御経塚交差点にて

野々市市御経塚交差点にて

下記をクリックすると、動画をご覧いただけます。

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2014 05 20 野々市市御経塚での辻立ち(前半)
2014 05 20 野々市市御経塚での辻立ち(後半)


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この世界が、「神も仏も信じない」という世界になってよいものであろうか。
「神も仏も信じない。宗教はアヘンだ」という思想に基づいてつくられた国家が、どのようになっているか。
中華人民共和国が、チベットやウイグル、内モンゴル自治区でやっているような弾圧、虐殺、民族浄化。
あるいは、国家全体が、収容所列島とかしているかのような北朝鮮の姿を見たとき、思い半ばにすぎるでありましょう。
それは、この文明が進んだと言われる21世紀に、現実にあり得るのかと目を疑うばかりの惨状が展開しているのであり、まさしくこの世の地獄であり、そういうことをしている人々の行為は、悪魔の所業と言うべきでしょう。
「神を信じない」という思想が行き着くところは、結局、このような結末になることを示しています。

他方、神を信じる人々の間であっても、キリスト教対イスラム教の戦いが過去もあり現在もあり、ユダヤ教とイスラム教も激突し、また、同じ宗教内でも宗派の違いによる対立あり。「宗教があるから、戦争が起きるのだ」という論理は一見正当なようにも見えます。
それは皮相浅薄な見方にすぎないのですが、それを論じることは暫く措くとして、では、地上から宗教が亡くなったら、どのような世界が展開するか。
前述のような地獄図絵が展開しないと誰が保証できましょうか。

人間の本性として、神仏を信じる心は、しぜんに備わっていると言ってよいでしょう。
それが証拠に、 ソビエト連邦崩壊後は、ロシア正教が復活してきましたし、あの共産主義国家中国であっても、キリスト教が広がりを見せています(それを恐れたのか、当局は、信者さんのお布施でまさに建たんとしていた教会を、無惨にも「建築法違反」の廉で破壊したのでした)。

唯物論というのは、たかだかここ200年ばかりに流行った思想であって、決して普遍的な思想ではありません。はっきり言って間違いです。
また、「政教分離」というのも、普遍的な原理でもなんでもありません。
戦後日本は、あまりにも「宗教=悪」という刷り込み=洗脳がなされて来ているようです。

しかし、日本人は、心の奥底では、神仏を信じているのだと思います。
信仰心が底流に流れているが故に、ほとんどの日本人は、初詣に神社仏閣に参拝し、 お盆にお墓参りに行き、神前やキリスト教会、ある人はお寺で、結婚式を挙げます。さらには、クリスチャンでなくても、クリスマスを祝います。お葬式は仏式がメインかと思いますが、神式、キリスト教式もあります(最近は、僧侶などに頼まない葬式の仕方がはやろうとしているようですが、本来、引導を渡す=死後の世界への導きを与えるのが僧侶の仕事であり、それなりの修行を積んだ聖職者にして初めて可能となる極めて専門性の高い仕事なのです)。
神仏、あるいは目に見えない世界から私たちを見ている存在がある、ということを信じる心が底流に流れているからこそ、あの東日本大震災の際も(阪神淡路大震災のときもそうでした)、決して暴動も略奪も起こさず、静かに耐え、復興に努めることができるのだと思います。その姿に、私たちも感動し、世界も賞賛したのでした。

それを、戦後の誤った教育やマスコミなどの洗脳により、裏側に押し込められ、何やらうさんくさいもの、後ろめたいもの、恥ずかしいもの、弱いもののすること、といったような刷り込みがなされて来ました。
信仰ある人々が、それを表立っていうことを恥ずかしいと思うような、そんな操作が功を奏して来たのです。

しかし、人間が本来持っている性質、仏性あるいは神性から生ずる神仏を求める心を誰が止められましょうか?

私たちは、今こそ、「神のものを、カイザルの手から取り戻すとき」と考えます。

地上の人々の幸福を願って止まない存在、神仏が、人類が不幸の闇に沈もうとしているのを、黙って見ているはずがないのです。
神仏は、その代理人を地上に送り込み、その栄光を、地上に実現せんとしておられるのです。
神仏が人々の幸福を願っておられるならば、それは民主主義の理想と相反するものではなく、むしろ一致するものであるはずです。
単なるポピュリズムではなく、利権屋などでもなく、むろん、独裁者などではなく、全人類を幸福にしたいと願う神仏の意を対した政治家(それを哲人政治家と言っても、宗教政治家と言ってもいいと思いますが) の登場が俟たれます。

切実に思うことは、宗教心を失い、魂を共産主義国に売るようなことがあれば、チベットで展開している地獄図絵は、明日の我が身かも知れない、ということです。
神仏の栄光をこの地上に実現すること、すなわちすべての人類が幸福に人生修行を遂げられる、愛の星・地球をつくるために、不肖私も、浅学菲才の身を顧みず「宗教政治家」を目指して、努力精進してまいりたいと願います。

本日(9日)夕方、野々市市新庄2丁目交差点にて、辻立ちを致しました。

野々市市新庄2丁目交差点にて

野々市市新庄2丁目交差点にて

下記をクリックすると、動画をご覧いただけます。

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2014 05 09 野々市市新庄2丁目交差点辻立ち

5/3白山市徳丸交差点での辻立ち動画です。

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いささか唐突ですが、塩野七生氏からの孫引きですが、カエサルは「ガリア戦記」のなかで、ガリアとゲルマンの風俗の違いを論じています(塩野七生著「ローマ人の物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前[下]」、新潮文庫)。

当時のガリアは、一部はローマに抵抗している部族もいるが、かなりの部族はローマの覇権を認め、ローマ化、すなわち文明化しつつありました。それでもごく一部の、祭司階級と、軍事を受け持つ騎士階級に支配され、平民階級は何ごとも自らの意志ではやれず、集会の出席の権利もなく、それでいて重税を課せられる、ほとんど奴隷と同程度だったようです。

一方、ゲルマン人は、狩猟と戦闘に明け暮れ、農耕には、ごくわずかしか関心を示さない。狩猟のために移動し、定住しないからですが、土地を私有しない。生活基盤は家族になく、親族以上の規模の共同体におかれる。
彼らの理由によれば、定住は、戦いよりも農耕に熱心になり、私有地を認めれば、貧富の差を生じることになる。持てる者と持たざる者とが生まれるということですが、その最大の弊害は、金銭への執着と社会不安であるといいます。これらを認めなければ、平民階級も不満を感じず、平穏に暮らせる、つまり、反乱も起きまいということでしょう。

未開の時代であろうと、現代であろうと、共産制社会とは、結局のところ、こういう社会であろうと思います。

貧しさの下の平等―。平等である(ことを装う)ためには、貧しくなければならない(あるいは貧しさを装わなくてはならない)のです。
そして、全くの平等など存在せず、ごく一握りの支配者階級に支配され、被支配者層の自由は抑圧されます。

私は、平等だが皆が貧しい社会より、格差はあっても、豊かな時代の方が望ましいと思います。豊かさを求めれば、格差が生まれます。それは、2千年前のゲルマン民族も知っていたことでしょう(もちろん、ローマ人も)。ローマ人とゲルマン人の差は、したがって、格差はあっても文明の恩恵を受ける方を選択したか、それを拒んだかの差ではないかと思います。

世界で、電力の供給を受けていない人口は何と14億人だそうです。中国の全人口と同じくらい(地球人口の5人に1人)の人々が電気のない暮らしをしているのです。普通に電気のある生活、というのは、決して当然ではないのですね。
豊かさは享受したいが、格差は嫌だ、というのは駄々をこねる子供のような理屈ではないでしょうか。

より良い選択は、格差を否定して豊かな人を引きずりおろすことではなく、さらに文明を進歩させ、豊かな人を増やしていくことだろうと思います。
20数年前、ショルダーバッグ大の「携帯電話」や自動車電話を持っていた人は、ごく少数の富裕層でした。しかし今や、中学生でも携帯電話を持っています。さらに高機能・多機能化したスマートフォンにまで進化しています。
私たちは、百年前の王侯貴族よりも、格段に豊かです。多くの場合は、そうした豊かさのなかでのどちらが多いか少ないかを論っていると言ってよく、電気も通じていない地域の人々から見たら、贅沢な悩みに見えることでしょう。

どれだけ文明が進化し、社会全体が豊かになっても、自分より富める人への嫉妬は、永久になくならないかもしれません。しかし、それは、裏を返せば、実は自分もそのようになりたいという心の現れでもあります。
しかしそれは社会や国家の責任ではなく、個々人の心のコントロールの問題です。正しい方向は、豊かな人に嫉妬し、引きずりおろすことをよしとするのではなく、自分もそのように豊かになりたいと思い、努力するべきであり、国家としては、そういう方向に善導するべきでしょう。
ここに、正しい宗教が介在する必要性が生まれてきます。

人生は、この世限りではありません。この世の人生を終えても、来世(霊界)での人生が待っており、霊界で一定期間(通常2~3百年)の生活を終えると、またこの世に生まれ変わってきます(転生輪廻)。
この世限りの人生ならば、努力したことが必ずしも報われるとは限りませんが、転生輪廻の法則を受け入れるならば、因果の理法(原因結果の法則)はくらますことはできず、努力は必ず報われます。これが、仏教の基本的な考え方です。

こうしてみると、国家経営においても、宗教的精神(仏教的精神)は必要だろうと思います。
千四百年前に「仏教立国」を成し遂げた、聖徳太子の慧眼、恐るべし。

十四に曰はく、群卿百寮、嫉(そね)み妬(ねた)むこと有る無(なか)れ。我既に人を嫉めば、人亦我を嫉む。嫉妬(しつと)の患、其の極りを知らず。所以(ゆゑ)に智己れに勝(まさ)れば、則ち悦ばず。才己れに優(まさ)れば、則ち嫉妬(ねた)む。是を以て五百(いほとせ)にして乃ち賢(さかしびと)に遇はしむれども、千載(ちとせ)にして以て一聖を待つこと難し。其れ聖賢を得ざれば、何を以てか国を治めむ。(十七条憲法)


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