reblog: FNNニュース: 中国・大規模反日デモ…
また仙谷官房長官は、記者会見で、日本国内で反中デモが行われたことに関し、「あまり過敏に反応するのは、いかがかと思う」と述べ、国民に対して冷静な反応を求めるとともに、10月下旬のASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会議の場で調整している日中首脳会談の開催への反日デモの影響については、「ほとんどないとみている」と述べた。 FNNニュース: 中国・大規模反日デモ… 官房長官の発…
また仙谷官房長官は、記者会見で、日本国内で反中デモが行われたことに関し、「あまり過敏に反応するのは、いかがかと思う」と述べ、国民に対して冷静な反応を求めるとともに、10月下旬のASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会議の場で調整している日中首脳会談の開催への反日デモの影響については、「ほとんどないとみている」と述べた。 FNNニュース: 中国・大規模反日デモ… 官房長官の発…
民主党の輿石東参院議員会長は14日の記者会見で、ノーベル平和賞受賞が決まった中国の民主活動家で服役中の劉暁波氏の釈放を求めるかどうかを問われ「俺が釈放しろったって(中国政府は)釈放しないよ。そういうムダなコメントは答えない」と述べて、劉氏の釈放について発言するのは無意味だとの考えを示した。 民主・輿石氏、ノーベル賞の劉氏釈放要求「私が言っても無駄」 – MSN産経ニュース …
「彼(リシュリュー枢機卿*)はかつて、次のように言ったことがある。『人間の魂は不滅のものであり、その魂の救済は来世にある』『国家は不滅のものではない。したがって国家を救済する時は、現在か、あるいはもう永久に来ないかどちらかなのである』。言い換えれば、国家というものは、正しいことをしたからといって現世でも来世でも報われるわけではない。つまり、国家は、必要なことをするだけの力を持つことによって救われる…
菅首相は、「本当にほっとしています。(高橋氏が)帰られたらお話を、経緯を聞くことは必要と思っています。これからの戦略的互恵関係を深めていくと。(日中関係の)いろんなことがまた元通りに戻っていくんじゃないかと、こう思っています」と述べた。 FNNニュース: 政治一覧 高橋さんのご帰還をお喜び申し上げるとともに、心身ともに大変な苦難をしのがれたこと、心よりお見舞い申し上げます。 解放され…
蓮舫行政刷新担当相は8日朝の記者会見で、国会内でファッション雑誌の写真撮影に応じたことについて、「率直におわびする」と陳謝した。 蓮舫行政刷新相は「撮影場所について、不適切であるとか、あるいはご懸念を抱かせてしまったとしたら、それはわたしのまったく本意ではないので、それは率直におわびを申し上げます」と述べるとともに、「国民に政治への関心を持ってもらうために雑誌の取材に応えることは大切だと思っており…
幸福実現党は、10月1日(金)の役員会にて、来月行われる沖縄県知事選に金城タツロー氏を候補者として擁立することを決定し、本日、沖縄県政記者クラブにて出馬会見を行いました。金城氏擁立の主旨は、以下の通りです。 先般の尖閣諸島領海内での中国漁船衝突事件に見られるように、沖縄は中国の直接的な軍事的脅威にさらされています。沖縄県民の生命と安全、領土を守るべく、日米同盟を早急に強化し、沖縄防衛を…
1泊3日の強行軍でブリュッセルを訪れた菅直人首相は、帰国直前でようやく懸案の日中首脳会談実現にこぎつけ、一応の面目を保った。しかし、温家宝首相は沖縄・尖閣諸島を自国の領土と主張し、本質的な議論が深まったわけではない。むしろ主権にかかわる問題を棚上げした上での戦略的互恵関係の推進は、尖閣諸島の領有権や衝突事件を起こした漁船の中国人船長釈放で「中国の圧力に屈した日本」との印象だけを残すことにもなりそう…
菅内閣の支持率が48.5%と内閣改造後半月で15ポイント余り急落し、尖閣諸島沖の漁船衝突事件への対応を適切だと「思わない」人が7割を超えたことが、FNNの緊急世論調査でわかった。 9月30日に、全国の有権者1,000人から回答を得た電話調査によると、菅内閣の支持率は48.5%と、内閣改造直後の前回調査から15.7ポイント減り、参院選直前の水準近くまで下落した。 「支持しない」は、13.5ポイント増…
小室 直樹氏(こむろ・なおき=評論家、東京工業大特任教授)4日午前1時3分、心不全のため東京都文京区の病院で死去、77歳。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。 東京生まれで、小学から高校まで福島県会津若松市で育った。京大卒業後、社会学、政治学などを学び、多彩な分野で評論活動を続けた。06年から東京工業大世界文明センターで特任教授を務めた。 著書に「ソビエト帝国の崩壊」「アメリカの逆襲」など。 (2…
古代中国の国体について 中国が統一国家となったのは、秦帝国以降である。 それまでは、いくつかの国が分立していた。 夏→殷(商)→周と王朝が続いたが、これらの王朝は、諸侯を統べる盟主であり、中国全体が統一国家だったわけではない。 周末~春秋・戦国時代を経て、秦の始皇帝により、統一国家が誕生したわけだが、諸侯が王を名乗り始めたのは、戦国時代からである。 つまり、緩やかな連邦制であったと言ってよい。 そ…