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09 May

公明山口代表、集団的自衛権行使は「一線を越える」 – こんな時代遅れなことを言っているようでは、政権与党の資格はない。

公明党の山口那津男代表は3日、都内で街頭演説し、安倍晋三政権が集団的自衛権の行使容認に動いていることについて「明らかに一線を越える考え方だ。行使は認めないという政府のこれまでの考え方は今も妥当だ」と述べ、従来の政府見解を安倍政権も続けるよう牽制(けんせい)した。

公明山口代表、集団的自衛権行使は「一線を越える」 – MSN産経ニュース

「権利はあるが、行使はできない」などと言う言葉遊びは、もうやめましょう。
「権利はあるが、行使できない」と言うならば、結局、権利がないに等しい。

権利は「ある(から、当然、行使できる)」か、「ない(から、行使できない)」のどちからでしかない。

そして、主権国家である以上、集団的自衛権は、当然、ある。ある以上、行使もできる。
行使できるとしたところで、日本が突然侵略国家になることなど、日本が突然ハイパーインフレになることがあり得ないのと同様、ありえない。
つまらない自虐史観、贖罪史観など、さっさと捨て去ろう。

集団的自衛権を行使できることを闡明すれば、当然、日本単独よりも、同盟関係にあるアメリカはもちろん、台湾、韓国、フィリピン、ベトナム等とも共同して、中国や北朝鮮の軍事的脅威を掣肘でき、はるかに抑止効果が高い。

中・朝による「他国侵逼難」(日蓮『立正安国論』)ともいえる状況に到っているにもかかわらず、「長年の政府の考え方」でよし、とする公明党山口代表には、国民の生命・安全を守ろうとする責任感が感じられない。
政権与党の資格はない。

また、政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」も、「秋に安全保障法制の新提言をまとめ、集団的自衛権の行使を容認する方針」とは、いかにも遅い。
北朝鮮はいつミサイルを撃つか予測不能なのだ。さっさと容認しよう。