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03 March

バーミヤンの仏像再建に思う―Will one of two destroyed Buddha statues be reconstructed?

(CNN) — The giant Buddhas of Bamiyan, once painted in bright colors, remained silent sentinels as they reacquired the hues of the sandstone cliffs from which they were carved.

Will one of two destroyed Buddha statues be reconstructed? – CNN.com

小さい方だけとはいえ、再建される可能性があるとは、喜ばしいことだ。

「宗教があるから、世界で戦争や紛争が起きるのだ」と唯物論者たちは言う。

しかし、それは宗教による。また、その宗教を信じる信者たちの教義の理解にもよる。

仏教は、心の平安とこの世の平和を説く。
また「不妄語」「不殺生」の戒律を厳格に守りすぎた故に、釈迦族は滅ぼされたし、
11世紀から12世紀にかけて、インドにイスラム教が入ってきたとき、事実上壊滅状態になったとも言われる。

また、イスラム教徒も、本来、「イスラム」とは「平和」を意味するように、自分たちは平和を愛しているというだろう。
ただ、自分たちの平和を妨げるものに対しては、断固として戦うという論理だと思う。

こうしてみると、宗教があるから争いが起きるのではなく、お互いの理解と宗教的寛容さがないから争いになると考えるべきだろう。

逆に、宗教がない世界はどうなるかというと、
それは、現代の北朝鮮や中国、かつてのソ連邦のような世界を想像してみればよい。

宗教的寛容性においては世界で類を見ない日本が、世界の宗教を融合する立場を鮮明にすれば、世界平和に大きく貢献できるだろう。

その意味でも、バーミヤンの仏像再建には、日本の技術力の総力を挙げて協力すべきだと思う。

日本は、単に経済的な繁栄や科学技術の高さのみを誇っているのではなく、宗教的文化を重んじる、文化的成熟度の高い国であるということを、世界中にアピールできる機会になると思う。

日本こそが、宗教的寛容の精神に基づいて、世界平和に貢献できる立場に立ちうるといえる。

そのためにも、日本は、唯物論を国是とするのではなく、宗教的バックボーンをしっかりと持つ国であるという意味で、「宗教立国」を国是とすべきであると考える。
(ここでいう「宗教立国」とは、特定の宗教ではなく、信教の自由に基づいて、宗教間の自由競争、切磋琢磨によって確立された(国民の多くに支持された)精神性をバックボーンとする、という意味であり、かつての武士道精神に代わるものとも言える)