Posts Tagged ‘宗教政党’

久しぶりに加賀市で辻立ちを致しました。

消費増税に負けずに、景気回復・経済成長を目指しましょう。

最大の国難・国防の危機に備えるためにも、憲法改正・集団的自衛権の行使容認は喫緊の課題です。その元にあるのは、自虐史観。それを覆せないでいる根本原因は、「河野談話」です。安倍首相には、「河野談話」「村山談話」の白紙撤回を強く求めたい。

そして、宗教政党の意義。
日本では宗教が裏側に押し込められていますが、宗教を否定したら、最終的には唯物論・無神論国家と変わらなくなってしまいます。

日本こそが、無神論・唯物論国家による世界帝国の野望を打ち砕き、アジアと世界の平和の守護神となるべきです。

img_2120-e3838fe38299e383bce382b7e38299e383a7e383b3-2

下記をクリックすると、動画をご覧いただけます。
↓ ↓ ↓
加賀市上河崎町での辻立ち(2012.10.21)


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

マルクスは、宗教はアヘンだといった。
これほど、偏見に満ちた言葉はない。
そして、これほど、世界に害悪を流した思想はない。
彼の流した思想によって、どれだけ多くの人々が苦しみ、
そして今も苦しんでいることか。

自らを唯物論者だと名告る人は、
自らが唯物論という名の宗教を信じていることを表明しているに過ぎない。

あの世があることを信じず、神も仏も霊も信じない生き方が、
なぜそんなに良いことだと思うのだろうか。
それは、誰も幸福にしない生き方だと、なぜ、気づかないのだろうか。
おそらくは、それを考え出すと言い知れぬ不安な気持ちに陥るから、
考えないでおこうというのが多くの人々の考えではないだろうか。

悲しいことに、現代の、多くの宗教家たちも、
あの世があることを確信をもって言えないでいる。

しかし、宗教心を失ったことから、日本人の堕落が始まったのではないだろうか。
自分を超えたる尊い存在を信じることがなければ、人は謙虚さを失い、傲慢となる。

信仰心なく、あの世の存在を信じることなく、
ただこの世での栄達を求め、この世での生存を求め、
この世での生き易さのみを求める人生など、
獣と変わらない生き方だと思わないだろうか。

そう、人間と動物とを分ける、最大のものの一つが、
信仰心があるかないかということなのだ。
ゆえに、人間には、信仰の本能がある、と言われる。

信仰の尊さを忘れて久しい多くの日本人に、
そして、本来、優れて霊性の高い日本人に、
そのことを想い起こしていただくために、
宗教政党・幸福実現党の存在意義はあるのだと思う。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

 一昨日、名古屋市内で、マスコミの偏向報道の是正を要求するデモが開催され、①選挙などでの特定政党への偏向報道、②大震災後の福島第1原発報道による風評被害(報道被害)、③大震災後に救援活動を行っている自衛隊や米軍についての報道の少なさなどの是正を訴えました。

 私たちは宗教政党でありますが、「宗教」という偏見を取り除き、既成の常識や価値観にとらわれることなく、「誰が正しいか」ではなく、「何が正しいか」の観点から私たちの提言の是非を判断をしていただきたいものだと強く願います。

 さて、今、日本は左翼貧乏神思想に基づく政権によって、国家の衰退、もしくは解体へと向かおうとしています。
 左翼貧乏神思想の最悪なるもののひとつが、「唯物論・無神論」です。
 神・仏を信じる人々よりも、人知を超えた崇高なるものを信じない、不信心な「似非」知識人や学者、言論人が尊敬されるような世の中は、断じて間違っていると声を大にしていいたいのです。
 ここに、「宗教政党」が存在する意義があると思うのです。

 左翼貧乏神思想の、最悪なる点の2つ目は、積極的に国家を発展・繁栄させる気概も智慧もないことです。換言すれば、経営マインド、企業家精神、健全な資本主義の精神の欠如です。
 したがって、重い税を課し、それを再配分することによって権力の拡大を図ることばかりを考えます。
 「福祉国家」といえば聞こえはいいけれども、国民は重い負担に耐え、自由を失い、国家から「あてがい扶持」をもらうように、生きがいも誇りも失って生きていかなくてはならない社会になります。
 誰かが「価値」を創造し、富を生まなければ、国全体が貧しくなっていくしかないのです。
 左翼貧乏神思想に侵された人々は、どうしてもこのことが理解できないようです。

 そして、今日、一番申し上げたいことですが、左翼貧乏神思想の最悪な点の3つ目に、「自虐史観」が上げられます。

「ローマは偉大であるがゆえに人々から愛されたのではない。人々から愛されたがゆえにローマは偉大になったのだ」(G.K.チェスタートン)

 日本人が、自分自身のアイデンティティーについても、国家についても、誇りと自信が持てなくて、どうして生きがいを持って幸福に生きることができるでしょうか。 どうして発展・繁栄することができるでしょうか。
 「自虐史観」は、国民・国家にとって、ごく当たり前のことである「愛国心」でさえ、さも悪いことのように扱います。
 そして、国民の生命・安全・財産を守るための「国防」を論ずること自体をも、タブーとしてしまいます。
 これほど国民にとって不幸であり、かつ恐ろしいことはありません。

 国師・大川隆法幸福の科学グループ総裁は、次のように説かれています。

ローマ市民がローマを愛していなければ、偉大なるローマはできなかったでしょう。偉大なるローマができたのは、ローマ市民がローマを誇りとし、愛した結果だったのです。
したがって、東京の人びとが東京を愛したならば、東京はよくなり、恐怖の事態も起きなくなります。
また、日本の国民が「日本をよくしていこう」と思えば、日本はよくなっていきます。逆に、「日本は悪くなっていく」と思えば、そうなっていくでしょう。
地球レベルでも同じです。地球市民が「この地球という星はもうだめだ。こんな星は滅びたほうがよい」と思えば、地球は悪い方向にいくでしょうし、地球がよくなる方向に向けて大勢が努力すれば、地球はよい方向にいくでしょう。(大川隆法『幸福の革命』)

 私たち人間は、いつかは死に行く身です。
 あの世を信じる人にも、信じない人にも、死は平等に訪れます。

 人間として生まれた以上、この世に生きたという証を、後世に残したいものだと誰しも思うのではないでしょうか。
 それは、この世的に見て必ずしも有名な人であるとか、出世したとか、才能を開花し成功したとか、大金持ちになったとかである必要はないと思うのです。
 平凡であっても、逆境であっても、才能に恵まれていなくても、その人なりの人生を、精一杯生きたということが、生き方そのものが、後れて来る青年たちの魂の揺さぶることができるのではないかと思うのです。

 自虐史観は結局、その根源は、「偶然に生まれて、偶然に死んでいく」という唯物論的な歴史観から生じているように思います。

 無神論・唯物論の行き着くことろは、結局は、「自分さえ良ければいい」「今さえ良ければいい」という生き方になります。

 そうではなく、人は皆、神の子・仏の子であるがゆえに尊いのであり、神の子・仏の子としてこの世で何らかの仕事をすることを計画して生まれてきているのだ、という人生観を持ってこそ、この世を積極的に良くして行こう、自分自身も向上していこうという意欲が湧いてくるのではないでしょうか。

 過去の先人たち、私たちの祖先が数千年にわたり営々と築き上げてきた日本文明を、決してこのまま終わらせてはならない。
 私たちは、先人たちが営々と築いてきた日本文明を土台として、これから日本が世界のリーダーとしての使命を果たす べき時に来ていると信じます。

 世界を見渡しても、西欧型文明はその発展の限界に至り、イスラム文明圏は長らく停滞を来たしています。 そして、ユダヤ・キリスト教文明と、イスラム教文明とは、文明の衝突の様相を呈しています。

 混迷する世界を調整し、平和に導く新しい勢力が必要です。
 その潜在力を有するのは世界を見渡しても、 日本しかないと思うのです。

 つまり、新たなる地球時代において、時代は日本を要請しているのです。

 そのときにあたり、日本と、日本人が、誇り高き、気概を持つ国家とならねば、世界を救う力とはなりません。

 私たちは、そのような崇高な責務を負うことを躊躇しません。
 それでこそ、この時代、この日本に生まれ甲斐があったといえるのではないでしょうか。

 このような崇高な責務を果たすためには、まずもって、「自虐史観」の一掃が、急務であると思います。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

東日本大震災での犠牲者の追悼や被災者の支援に、多くの僧侶らも奔走している。「宗教者の果たすべき役割とは何か」「祈りで人は救えるのか」。死者行方不明者2万6千人超という現実に、宗教者も悩み、苦しむ毎日が続く。28日は「四十九日」。寺には葬儀の読経を求める人たちがいまも訪れている。

【東日本大震災】「祈りで人は救えるのか…」宗教者も悩み、苦しむ毎日続く+(1/2ページ) – MSN産経ニュース

「祈りで人は救えるのか…」
宗教家としては、これに対して、明確に答えなければならないでしょう。

まず、宗教としては当然のことながら、「あの世がある」ということが前提となります。
不幸なことに、不慮の災害で亡くなった方々が、迷うことなく、あの世の天国へと還るためには、死後の世界への導きを与えなければなりません。
それが、「引導を渡す」ということの本当の意味です。
ですから、引導を渡せる人は、それなりの宗教修行をした人である必要があります。
したがって、あの世の世界を信じていない人は論外として(それは宗教家とは言えないでしょう)、あの世があるかどうか半信半疑の人であっては、引導を渡せないのは当然のことです。

一部には、仏教を「唯物論」と見る向きもありますが、皮相な解釈あるいは曲解すればそのように見えなくもないものもありますが(例.「無我の思想」の唯物論的解釈=死ねば何もかもなくなる)、釈尊が「三世(過去世・現世・来世)の因果」を説かれたり、「神々との対話」「悪魔との対話」、次第説法などを説かれているのを見れば、あの世がなければ成り立たない教えであることが明確です。
(ちなみに「神々との対話」「悪魔との対話」の現代版(現代的証明)として、大川隆法総裁は、数々の神々とも言われる高級諸霊や守護霊、悪魔との対話を行い、「霊言現象」として収録、各支部や精舎等でDVDにて上映、書籍として出版もしています)

未曽有の大災害で亡くなった多数の方々に対しては、「鎮魂」こそが、宗教家としてなすべき最大の責務でしょう。

この世を去った魂たちに対しては、「祈り」によってあの世の真理を伝えることができます。

人間は、もともと天国から地上に生まれ変わってきます。
その目的は、地上で様々な経験を積み、魂の糧となして、一層の成長を期すためです。
そしてこの地上を理想郷に近づけるために、努力することが地上生活の意味であり使命です。
この地上での死は、決して終わりではありません。
運拙く、人生修行を全うすることなくこの世を去ったとしても、それですべてが終わりではありません。
あの世で幸福に暮らすことはできますし、また地上に生まれ変わってくることもできます。

こうした、正しい真理を、祈りを通して、亡くなった方々に伝え、安らぎを与えること、すなわち「鎮魂」が宗教者の使命です。

もちろん、宗教者として事後的な「鎮魂」だけでなく、事前に死後の世界について「啓蒙」しておくことも大切な仕事でしょう。
また、すべての人々が幸福に生きる理想世界の未来のビジョンを示していくことも大切でしょう。

しかし、実際に現実社会での「救済」、この世でも魂修行を全うさせるための環境づくりは、政治の大きな仕事であると思います。

地震や津波などの自然災害もそうですが、「他国侵逼(しんぴつ)難」(他国との戦争や侵略の危機)にも備え、防災・防衛体制をしっかりと整え、すべての国民が幸福に暮らし、それぞれの魂修行を全うできる国家(仏国土)を建設すること、最大幸福社会を目指す未来ビジョンを示すこと、それが宗教政党・幸福実現党の使命でもあると考えます。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

自民党税制調査会(野田毅会長)は9日の総会で、平成23年度税制改正の基本方針を正式決定した。消費税については夏の参院選マニフェスト(政権公約)に引き続き社会保障の財源として「当面10%への引き上げ」と明記。法人税に関しては企業の海外流出防止のため現行の約40%から20%台への大幅引き下げを盛り込んだ。

自民税調基本方針「消費税10%」正式決定 – MSN産経ニュース

単純に税率上げれば税収が上がると思っているところに根本的な誤りがあると思うが、それはしばらく措く。

自民党も「大きな政府」志向。民主党は言うまでもなく本格的左翼政権。

もはや日本には、政権を担える保守政党が存在しなくなった。

「保守」とは「責任」と言い換えてもよい。

「左翼」は「無責任」と断じてよい。

この国を、社会主義国家にするおつもりですか?と問いたい。

それは、亡国への道なのだ。

「自由」と「民主主義」を守るために、幸福実現党は、「真正保守」として名乗りをあげよう。

「自由」と「民主主義」の根拠は、人間の本質が、神の子、仏の子であるということに由来する。

宗教と民主主義とは決して矛盾するものではなく、かかる宗教観に基づけばむしろ、宗教的バックボーンこそ、民主主義を担保するものとなる。無神論・唯物論国家でどのような政治が行なわれているかを見れば、思い半ばに過ぎるだろう。

だからこそ、私たちは高らかに、宗教政党であることを宣言する。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

毎年この時節になると、閣僚の靖国神社参拝の問題が取り沙汰される。
靖国神社とは別の、国立追悼施設を設立すべきだとの意見もある。

様々な人々が、様々な観点から、様々な意見を述べているが、わたしは、供養とか慰霊、あるいは鎮魂といった本来の意義が十分理解されていないところに本質的な問題があるのではないかと思う。

毎年、終戦記念日でもある8月15日、日本人の多くは、墓参りに行く習慣がある。
お盆には墓参りをする、という風習が広く日本人に受け入れられているために、全国で交通渋滞が発生することになる。

墓参りの本来の目的は、「供養・慰霊・鎮魂」である(ここでは三者を同義語として使う)。
勿論、お盆に帰省して両親や親戚、友人たちと会う、という目的もあるが(むしろ現代では、こちらのほうがメインになっているかもしれないが)、第一義的には、「供養・慰霊・鎮魂」が目的である。

「供養・慰霊・鎮魂」ということが成り立つためには、当然、死後の世界やあの世の存在を認めなければならない。
あの世に還った霊に対して、迷っている場合には迷いの世界から光の世界へと上っていけるよう、救いの念を投げかけ、すでに天国に還っている霊に対しては、さらに高い世界へと上っていけるよう感謝・祝福の念を送る、といったことが必要なのである。
そしてこれは、宗教によって作法に違いはあるが、当然ながら、それなりの宗教修行を積んだ導師でなければ不可能な行為である。
つまり、一定の法力・霊力がなければ、死後の魂を救済することはできないのだ。
(勿論、遺された近親者や縁ある人々の感謝・尊敬などの念が浮力となることはありうるが)

お盆のお墓参りに僧侶を呼んで読経してもらうのは、本来、そういう理由による。
したがって、もし僧侶にして、死後の世界を信じていないにもかかわらず(そのようなことはあってならないことだが)、お経を読誦することによって供養と称して布施を受けるとするならば、それは詐欺に近いといってよい。

つまり、「供養・慰霊・鎮魂」という行為は、きわめて宗教的な行為であり、それを実効あらしめるためには、宗教的に専門的な知識と能力が必要であるということである。
したがって、宗教性のない慰霊施設、などというものはありえず、それは生きている人々の自己満足に過ぎないことになる。

こうして見ると、この問題の背景には、あの世や霊、神仏の存在を認める立場と、そうしたものを認めない、唯物論勢力との戦いがあることが見えてくる。

また、神道的には、神社を建てるなどして亡くなった方を神として祀ることにより慰霊・鎮魂する、という方法はよくとられることである(例.明治神宮、東郷神社、松陰神社など)。
靖国神社もまた、英霊・戦没者を祀る、慰霊・鎮魂のための宗教的施設である。

したがって、靖国神社に参拝する本来の目的は、宗教的指導者の導師のもと、慰霊・鎮魂する、という極めて宗教的な行為をなすにある。

こう見てみると、(宗教家ではない)政治家が靖国神社に参拝することをとやかく言うこと自体がナンセンスであると言えよう。
目的は、戦没者の供養・慰霊・鎮魂である。それを、神道的作法に則って行なうというだけの話である。

閣僚が神道的儀礼に則って慰霊・鎮魂することは、政教分離に反するのではないかという意見が出るであろう。
しかし、これによって、特定の宗教を保護したり、国民に特定の信仰を強要することにはならない。
アメリカ大統領は就任式のとき、聖書に手を置いて宣誓する。
これが政教分離に反する、などとは誰が言うだろうか?

他の宗教勢力がもし非難するならば、自らの教義に則って、もっとすばらしいと信ずる慰霊・鎮魂の施設を作ればよい。多様な選択肢の中から選べるようにし、あとは自由市場に任せればよい。

また、国家のために命を投げ出した英霊、戦没者を供養するという崇高なる儀式・行為に対して、外交圧力をかける国は、それ以上の供養の仕方をわが国に教えたい、ということであろうか。
これを、内政干渉と言わずして何と言おうか。
他国、特に唯物論を国是とする国に、とやかく言われる筋合いは絶対にない。

あの世を信じない、霊も神仏も信じない、そのような唯物論・共産主義国家に供養や慰霊について論ずる資格も能力もあるはずがない。

我が国は、文明国の一つとして、信教の自由が認められている。

旧ソ連邦、北朝鮮、中華人民共和国。
唯物論・共産主義体制の圧政下、何百万、何千万の人々が粛清されたことか。
多くの国民が自由を奪われ、いまも、迫害・弾圧のなかにある。

「神も仏も信じない」ということが、これほど悲惨な国家を生むという証拠である。
このような思想のもとでは、決して基本的人権を尊重するという考えは生まれない。
基本的人権の基には、人間は神の子、仏の子であるという思想が必要である、ということである。

先の大戦が終わってから65年を迎えた。
この65年間、我が国は平和と繁栄を謳歌してきたわけであるが、その一方で、かなり左翼的な思潮に、換言すれば、唯物論・無神論に圧されてきた。
それは、いわゆる保守や右派と言われる論者の中にも浸入していると見られるし、残念ながら、宗教界の思潮の中にも流れ入ってきている。
(死後の世界をない、とする宗教家が残念ながらいるということだ。これは宗教にとって自殺を意味すると思うが、本稿の主旨ではないので別の機会に論じたい)
この点は、残念ながら、戦後の左翼的教育による洗脳が見事に成功した結果と言わなければならない。

その思想の意味するところは、結局、この世における生存を至高のものとする考え方であろう。
このような思想からは、自らを犠牲にしてでも崇高な責務を果たす、などという価値観は生まれてこない。
しかし、歴史は、そうした自らの身は顧みず理想を成し遂げようとする有名・無名の勇者によって紡がれてきた。

私自身は、幸福の科学の信者として、また、宗教政党・幸福実現党の党員として、死後の世界も、あの世の霊も、神仏の実在も、明確に信じている。
また、宗教法人・幸福の科学の僧職者として、宗教的な職務にも就いている者である。

そうした、自らの宗教的良心に基づいて、先の大戦においてはもちろん、二千数百年前、いやおそらくはもっとはるかなる以前から、この日の本の国を理想の国にせんと励み、身命を賭せられた無数の有名・無名の英霊に対して、心からの感謝と尊崇の念を捧げるものである。

さらに、そうした方々の努力に報いるためにも、唯物論・無神論勢力を断じて打ち破り、日本を宗教立国、すなわち信仰を背骨とした国家となし、日本という国を、世界の憧れとなるような、理想の国とするために、全力を捧げたいと思う。
日本が世界のリーダー国家となって、最高の繁栄と平和を示し、宗教的寛容の精神を以って世界から紛争をなくし、平和と繁栄へと導く。
そうした崇高な使命を果たせる国にしていきたいと思う。

これが私の、終戦記念日に、神仏、そして英霊に捧げる誓いである。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

幸福実現党は、昨年の衆院選に続き、今年の参院選でも議席を獲得することができませんでした。
しかし、あきらめることなく、歩みを止めることなく、立党の志を忘れず、前進し続けてまいります。

惨敗、という厳粛な事実に目をそむけるわけでもなく、
しかし、それにこだわることなく。

考えてみれば、私たちは、現代の「常識」と思われることに、ことごとく逆らうかのごとき考えを持ち、活動をしています。

「宗教政党」であること。

地方議員を持たず、いきなり国政選にチャレンジしていること。

政策が「過激」に見えること。

などなど。

しかしつまるところ、「政教分離」(宗教が政治に関与してはならないかのように誤解されている)があたりまえのような状況のなかにあって、あえて「宗教政党」を名乗っていること。

これに尽きるのかもしれません。

しかしながら、如何に不利であろうと、これはわが党の「党是」ともいえるものであり、これを変更することはもちろん、薄めるようなこともするべきではないと考えます。

減税、小さな政府や、集団的自衛権、憲法9条改正を謳っている点など、政策的には、いわゆる「保守」に分類される、どの保守政党よりも、「保守」的であると思います。

しかしながら、いわゆる「保守」政党と根本的に異なる点は、まさにその精神性にあります。

宗教的精神こそが、国家のバックボーンに必要であり、唯物論・無神論および、それに基づくところの社会主義・共産主義は明らかに間違いであることを闡明している点です。

なぜあえて、この世において不利であること明らかな「宗教政党」を名乗っているのか。
それは真実であり、必要なことでもあるからであると信じております。

世界を見渡せば、イスラム教国は言うまでもなく、欧米諸国も、キリスト教的精神をバックボーンに持っております。
宗教をバックボーンに持たない国など、共産主義国家・社会主義国家・そして日本以外にはありません(日本にもかつてはありましたが、いまは骨抜きにされています)。
この意味でも、「日本は(最も成功した)社会主義国家だ」という評は当たっていると言えます。

しかし、宗教性を持たず、経済的にのみ繁栄する国家は、「エコノミックアニマル」と揶揄され、尊敬されえません。

その意味で、「宗教政党」を掲げる理由は、反社会主義・反共産主義・反唯物論・反無神論を闡明していると言ってよいでしょう。
唯物論・無神論、そしてその思想に基づく国家体制、あるいは社会主義・共産主義体制がどれほど人類を不幸にしてきたことか。
それは、この世における不幸に止まらず、あの世においても、大変な混乱と迷妄、闘争を引き起こしている、という点を、宗教の立場から明らかにしておきたいと思います。

私たちは、無神論者・唯物論者の言論その他の自由は保障されているにもかかわらず、信仰者のそれは必ずしも十分保障されていない現状を、決して容認することはできません。

人として生まれて信仰心なきことは、動物と変わらない、何より恥ずべきことであるということを明らかにしたいと思います。

もちろん、ここで言う「宗教」とは、幸福の科学の教義ですべてを染め上げよう、という趣旨ではありません。

それぞれの良心に従って、自由に宗教を選んでいただけばよいのです。

宗教においても、民主主義の原理は働くのであり、より多くの支持を得た宗教が大をなしてゆくのはごく当然のことです。

宗教もまた、自由市場に任せたらよいと思います。

国政選において2連敗したわが党ですが、
いまの選挙戦のシステム、あるいは枠組み自体にアンチテーゼを投げかけていると言っていいでしょう。

つまり、組織票をベースにして、それにマスコミが誘導する「世論」に浮動票がのっかるというかたちであり、
これは「一人ひとりが、良心に基づいて、候補者、あるいは政党の、政策や人物をじっくり見て、投票している」というかたちには必ずしもなっていないと思います。

あえていえば、真の民主主義として正しく機能していない、ということです。

だから、この枠組み自体を、変えようとする挑戦でもあります。

ここに、私たちの選挙戦の困難の2つ目があります。
つまり、「集票」活動というより、「啓蒙」活動とならざるを得ないと言えます。

しかし、真の民主主義政治を日本において実現するためには、こうした啓蒙活動はどうしても必要であり、この世の利権とは直接縁がない、宗教政党こそ、その責務を負うべき立場にあると信じます。

1つ目に、市民権を得ていない、「宗教」を看板に掲げて戦うことの困難さ。

2つ目に、いまの選挙戦の枠組み自体を変えようとする戦いであることの困難さ。

さらに付け加えるならば、世界全体が左傾化してゆく流れの中で、敢えて、「自由」の大切さを説く困難さがあると思います。

いわゆる「福祉国家」と呼ばれる国のあり方は、人に優しいようでありながら、実はそうではありません。

(国家)社会主義へと流れてゆくこの流れは、「自由の死」に向かう方向であり、それは結局のところ、国民全体を不幸にする流れであります。

このことは、いくら繰り返し訴えても十分ということはありません。

ことほど左様に、この国の国民(あるいは世界中の人々がそうかもしれませんが)、あえて厳しい言葉でいえば、「洗脳」されていると言って過言ではありません。

この点については、また筆硯を新たにして述べてまいりたいと思います。

ともあれ、今回の敗戦は、幸福実現党が大をなしていく一里塚であり、これによって怯んだり後退したりすることはあり得ないことを宣言しておきたいと思います。

われらは、最初から横綱を目指しております。
いわば、せいぜい「幕下付け出し」でデビューしたばかりの力士が、言ってることは横綱顔負け、といった状況でしょうか。

しかし、相撲を取ってみれば、実際は横綱にかなわないのであり、そういう意味で、敗戦は仕方がないでしょう。

しかし、横綱を目指すものは、最初から志が違います。
ただ「勝てばいい」とばかりに、姑息な技は使いません。
堂々と、ただ押し、突き、寄り、という王道を歩むのみです。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

幸福実現党は、運動員に若い人が多い、というお声をよくお聴きします。

もちろん、母体である幸福の科学の会員でもある若者が多いのですが、

それ以外にも、若い人は比較的宗教に偏見を持つ人が少ないのか、

宗教政党である幸福実現党を応援して下さる若者が結構いらっしゃいます。

わたしたちは、素人と見られがちですが、それは選挙活動などの、活動の仕方において十分な経験を積んでいないからという点が大きいと思われます。

少なくとも政策においては、世界最先端をゆくものと自負しております。

誰も予想していなかったような未来を見通す先見性と、

しがらみに縛られず、高らかに理想を掲げることができるのが幸福実現党の強みです。

若い人たちは、その未来志向と、理想の部分に純粋に感応するのではないかと思います。

昨日(9日)、幸福の科学北陸正心館にて、北陸の青年のみなさんと交流する機会がありました。

若い皆さま方と、理想に燃え、理想的な世界を建設せんと熱く語り合う時間を持たせていただきました。

今後、青年の方々と、勉強会をしてゆくことになりました。

来る、16日(日)、ふたたび幸福の科学金沢北支部にて、北陸青年有志の皆さまと語らいます。

いま、未曾有の国難のときです。

明治維新の時のように、若者が決起するときがやってきました。

わたしも去る2月に50歳を迎えましたが、気概は青年のつもりで、

この国を救うためにこの身を捧げたいと思います。

北陸青年の皆さまと(後列左端は、北陸本部三浦本部長)

北陸青年の皆さまと(後列左端は、北陸本部三浦本部長)

北陸青年の皆さまと(2)

北陸青年の皆さまと(2)

北陸青年の皆さまと(3)

北陸青年の皆さまと(3)

北陸正心館(羽咋市)

北陸正心館(羽咋市)


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

こんにちは。みやもとさとしです。

先般、鳩山首相は両者を取り違えて(混同して?)答弁をされたようだが、そのことを突っ込む趣旨ではない。

朝令暮改は、朝出した命令が、夕方にはもう改める、という意味で、方針などが絶えず変わって定まらないという、かつては悪い意味として習った記憶がある。

しかし、現代では、朝令暮改は当たり前、朝令昼改、朝令朝改も辞さず、という経営者もいらっしゃる。タイムベース・マネジメントという言葉通り、そうでなければ激変するビジネス環境に対応できないであろう。

経済界のみならず、世界は激動・激変の時代を迎えている。政治の世界においても、時々刻々変化する内政、国際情勢の変化に対応して、機敏に判断、決断することが要請される。

幸福実現党が、参議院の廃止を訴える理由の一つも、ここにある。「タイムベース・マネジメント」は政治の世界にも必要である。衆議院のカーボンコピーと言わるように、衆議院と同じことを参議院で繰り返すならば、二度手間であり、時間の浪費、経費の浪費は甚だしい。

もちろん、慎重に審議すべき案件もあろう。だがそれは、単に同じことを繰り返すだけなら不要であり、党利党略に利用されるようなら有害である。それならむしろ、国民に信を問うという意味で、国民投票をするという方法もあるのではないか。

いずれにしても、これらのことを実現するためにも、幸福実現党の主張が通せるだけの勢力を、両院において獲得する必要がある。参議院廃止を謳いながら、参議院選に立候補する所以である。

さらに、無節操に前言を翻す、ということならば朝令暮改は有害であるが、民主主義の前提に立って考えるならば、いろいろ意見を聞いたり、議論をして、最初に言っていたことよりもよいことだという判断されるならば、前言を翻すのは一向に構わない。その意味での朝令暮改はありだということだ。これは、過ちを改むるに憚ることなかれ、という方が妥当かもしれない。

さて、もう一方の朝三暮四、これは現代においても悪い意味に使われる。

栃の実を、朝3つ、夕方4つやると言われて、少ないと怒ったサルに対し、朝4つ、昼3つにする、と言ったらサルは喜んだという話から、目先のことにとらわれて、実際は同じであることに気づかないことのたとえとして使われる。うまく言いくるめてだますこと、ころころ変わって定まらないことのたとえでもつかわれる。

もちろん、この国の主権者である国民は、猿のように愚かではない。ただ、うまく言いくるめられると気づかないこともある。

子ども手当、高校授業料無償化、農家の戸別所得補償、これなどは、大増税でもしなければやっていけない、結局子孫につけを回す制度だということが、子供でも分かるという点において、大変わかりやすい「朝三暮四」の例だが、永住外国人への地方参政権付与法案、人権擁護法案などは、ちょっと耳に聞こえがいい気がするので、よーく内容を見てみないと、とんでもない亡国(売国)法案だということが、わかりづらい。

「命を大切にしたい」「コンクリートから人へ」など、大変耳に聞こえがよいフレーズが首相の口からは語られる。

もちろん、私たちは宗教政党であるから、命を大切にしたいという願いは、人後に落ちるものではないと自負している。しかし、それはただ座して得られるものではないことも知っているつもりだ。また、命乞いをして生き延びることを以って潔しともしない。

国民の命を、そして子もたちの命とその未来を守るためには、まずもって、他国の侵略を許さないという、毅然とした、強い決意が必要である。そしてそれを具体化する防衛力を含めた強制力(行使するかしないかは別として)も。

言うまでもなく東アジアの情勢は、北朝鮮、そしてその背後の中国と、全体主義、共産主義国家体制を持つ、前者は先軍政治で300万もの民が飢餓で苦しんでいるのを顧みもしない。後者はチベット、ウイグルなど、それこそ人権ということばさえほんとうにあるのかと疑われるような国家である。

そうした国が虎視眈々と日本という豊かな国を狙っている現状では、国防の強化こそ、最大の争点であろうと思う。

普天間基地移設問題は、アメリカにたいしても、日本国民にたいしても、なかんずく沖縄県民にたいしても、そして社民党にたいしても、それぞれにいい顔をしようとした結果、それぞれに不信感を抱かせてしまい、朝三暮四を地で行く結果になってしまったようだ。

このうえは、みんなにいい顔をしようという自己保身的な思いは捨てて、ほんとうに命を大切にしたいと思っているのなら、グアム移転などという、自ら進んで身を滅ぼすような(中国が高笑いするような)愚劣な策はやめて、一刻も早く辺野古への移転を回答すべきであり、それ以外の解決策はいまのところ、ない。

もっとも、鳩山首相が、日本人の命を犠牲にしてでも、守りたいのは北朝鮮や中国人民の命だというのなら、以って瞑すべきだが。

最後に付記するならば、基地が好きだとか嫌いだとか、戦争はすべきでないとか、情緒や感情に流されることなく、冷静に地政学的にみるならば、沖縄は、東アジアをフルカバーできる、戦略的要衝に位置している。ゆえに、日本全土を守るために、沖縄に基地は絶対必要である。さらにその防衛を、日本だけで完璧にやろうとする(そうなれば当然日本は自衛隊を軍隊と認め再軍備しなければならない)のでなければ、米軍が家族も含め沖縄に駐留してくれるならば、経済的負担も少ないし(むしろ雇用は確保される)、アメリカは沖縄、そして日本の防衛にコミットせざるを得なくなる。すなわち、アメリカとの同盟強化は、日本を守るために、きわめて重要だということである。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

こんにちは。みやもとさとしです。

小沢軍団600人による朝貢外交、副主席が天皇陛下と特例会見、日米同盟が切られそうな状況、加えて社会主義的な経済政策によって惹き起こされようとしている構造不況・・・この3ヶ月であっという間に幸福実現党が警告してきたとおりの国難が顕在化してきた。

このままでは、日本は中国の属国になるだろう。

これらの一連の動きについては、私たちの仲間が、いろんなところでいろんな機会に発言しているのだが、多分、ご当人たちは、気がつかないか、無視するか、良かれと思ってやっているか、あるいは意図的に日本を破壊しようとしてやっているか、いずれかだと思われる。

なんとも度し難い。

私たちは、「国難はまだ終わっていない!」と叫んでいるが、国民の側も、そもそも、国難なんていつ始まったの?という人がほとんどかも知れない。

だが、知って欲しい。

私たちは、国難が迫っているから、立党したのであり、国難への警鐘を鳴らすために、無茶を承知で衆院選に打って出たのであり、国難を乗り越えるために、衆院選でただの一つも議席が取れなくてもその後、活動を続けているのである。

全体主義的社会主義国家へとこの国が変貌してゆくなどということは、にわかには信じがたいことではあろう。

しかし、今さら言うまでもないが、民主主義が、社会主義や全体主義、あるいは独裁制へと転落していくのは、それほどむずかしいことではない。

ワイマール憲法下で民主主義的な手続きによってナチスが政権をとったという歴史を例に上げれば十分であろう。

私たちが当然のごとく享受している、自由、そして民主主義というものは、守ろうと決意し、ある時は命を賭けて、守るべく努力をしなければ、守れないのだ。

民主主義を担保するものは、ひとつは、良識ある国民の存在である。

良識ある国民を創る重要な要素のひとつは、教育の力であろう。

しかし、「ゆとり教育」や「高校授業料の無償化」(によって教育の質が下がる可能性があるという意味において)という、愚民化政策によって、衆愚制へと堕していきそうである。

民主主義を成り立たせるためのもう一つの要点は、良質のマスメディアの存在である。

国民に良識があって正しい判断力を持っているとしても、間違った情報しか与えられないとしたら、正しい判断などできるはずがない。

そして今やマスメディアはその機能を果たしているとは言えないことは明らかである。

夏の衆院選で私たちがあれほど警鐘を鳴らしたにもかかわらず、マスコミはほとんど無視した。

報道管制を敷き、公平な報道をせず、民主党への政権交代の流れを止めることはなかった。

こうした亡国マスコミは、万死に値する。

こうして、マスメディアの情報操作によって不幸を選択してしまった日本国民であるが、まだチャンスはある。

もちろん、そのために幸福実現党は戦っているのだ。

私たちは、宗教政党である。

国難の今こそ、それを高らかに言いたい。

良識が失われようとしている時代、宗教こそが、良識の基である。

道徳的規律のもとにあるものは、宗教的真理である。

さらに、宗教は、人間の生命はこの世限りではないと説く。永遠の生命を説く。

命を賭けても、守るべき価値観、真理というものはあるのだ。

唯物論的思考に染まり、この世の生存だけを尊いとする考え方からは、正義、愛、勇気、自由、信仰などの価値を、命を賭けて守るなど、バカバカしいと思うだろう。

しかしそれは、極めて卑怯な考え方ではないか。

(もちろん、私は、決してこの世の生命を軽視してよいと言っているのではない。せっかくこの世に生を受けた以上、その人生を完全燃焼すべきであると考える)

ヒトラーの暴政に、最後まで抵抗し、戦い抜いたのは、キリスト教会だった。

私たちは、国家社会主義の波から国民を守る、防波堤でありたい。

宗教政党だからこそ、それができる。

幸福実現党はまた、宗教に対する差別、偏見、不公平から宗教者を守る盾でもある。

なんども繰り返すが、「政教分離規定」とは、宗教が政治に口を出してはいけないとする規定ではない。

政治が、宗教を弾圧してはならないという規定である。

未だに耳にする、「宗教は政治に口出しするな」という、歴史を知らない、また世界の常識を知らない不毛な議論は、もう終わりにしなければいけない。

宗教が政治的発言ができないとするならば、これは明らかな差別である。

政治参加の自由は、何びとに対しても保障されなければならない。

(人を害したり混乱に陥れたりするような宗教を除けば)特定の宗教を信じているということによって、不当な扱いをされることがないように、幸福実現党は、あらゆる正しい宗教者の盾ともなるであろう。

宗教こそが、人々を、圧政から守る最後の砦である。

さらに言えば、正しい宗教が発展するとき、その国は最高度に発展する。

私たちはそれをこれから実証しようとしている。

この国の未来は、幸福実現党にお任せあれ!


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 
Search
アーカイブ
サイト内検索
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 
QuickLinks:
Blog
コンタクト


Site Resources:
RSS Feeds
Privacy Policy
幸福実現党:
公式ページ
お問い合わせ先:
お問合せフォーム
Conversatio: 辻立ちマップ

同時に党員も募集しています。