私の政策
01 June

利益、税金、自由と繁栄について

ほとんどの政党は、増税路線である。国家財政は赤字であり、増税不可避、という論調である。
増税しない、と言っている政党も、「不況期のいま」は増税には反対であり、社会保障費などは必ずもっと必要になるので、景気が回復した暁には、増税を、という意見が多いように思われる。

これに対して、幸福実現党は、はっきりと、「減税路線」を謳っている。
昨年は「消費税廃止」を訴えて衆院選に臨んだが、さすがにこれだけ税収が減ると、今すぐ消費税ゼロとは言えなくなった。
しかし、段階的に減らしていき、いずれはゼロにしていきたいと考えている。

消費税だけではない。所得税、法人税、その他、税金はなるべく安い方がよい。
また、相続税、贈与税などもなくした方がよい。
こうした税制は私有財産を否定する流れに進んでいくからだ。

さらに言えば、生前、松下幸之助翁が説かれたように、無税国家にチャレンジしたい。

国家が一つの経営体として利益を生み、それを国民に還元する仕組みを考えればよい。

そのためには、「利益」=「悪」という発想を持っているならば、これを改めなくてはならない。
そしてその奥にあるのは、持てる者、富める者への嫉妬心であると思われる。

たとえば、ことしの3月、共産党の志位委員長が、鳩山首相に企業の「内部留保」の還元を求め、首相は「内部留保」への課税を検討したい、と述べたことがあった。

首相も、左翼陣営も、そしてなぜか一部経営者層も、あたかも企業、特に大企業が巨額な内部留保を積み立てていることを、悪とみなすかのようである。それは例えば「ため込み」とか「金余り」とかという表現にも表れているように感じる。

よく法人税減税と不況によって法人税収が減少し続けている、ということが指摘されるが、それは不況によって利益が減り、法人税収が減った、あるいは赤字で法人税が納められない、ということが主たる原因ではないだろうか。

税率が高いため、一生懸命節税に走り、税金を納めたくないがために、あえて赤字にする、という企業もあると聞く。

利益は、ドラッカー流で言うなら、「発展のためのコスト」である。
鳩山首相自身、母上から庶民からみれば信じられないような多額の「子ども手当」を貰えたのは、母上が所有されている大企業が利益を上げているからである。

内部留保にまで課税する、という発想は、人の懐に手を突っ込んで巻き上げる、という図に見え、全く正当性がないものに思える。

もしそのように国家あるいは地方公共団体が企業からさらに税金を取り上げるというなら、企業がそれを投資して利益を上げる以上に、国や地方公共団体は利益をあげられるということを証明すべきだろう。

それができないなら、民間の企業家に任せて、もっと利益をたくさん上げ、その結果、たくさん税金を納めてもらう方がよい。
それが筋というものだろう。
できる限り規制を緩和し、あるいは新規参入の障壁を低くし、彼らに、企業活動の自由を約束してやれば、使命感を持って一生懸命富を創出するだろう。

成功者が祝福される社会、利益を生み出す企業家(それは結局雇用をも生み出すことになる)が現代の英雄として称賛される社会にしていくことが大切だと考える。

豊かな人に嫉妬しても、嫉妬した人が豊かになることはない。
お金持ちから収奪してお金持ちを貧乏にしても、貧乏な人が豊かになることはない。

「自由か平等か、どちらかを選べ」と言われたら、迷わず「自由」を選ぶべきである。
「自由」のなかには、「チャンスの平等」が含まれている。
「平等」を選んだならば、最終的にいきつくところは、(一部特権階級を除いた)「貧しさの平等」でしかない。それは共産党国家が証明していることである。