宗教と政治ー「宗教政党」「宗教立国」について
宗教が政治に関わることは、政教分離規定に反している、悪しきものだという誤解はさすがに少数派になってきたようです。
「法の下の平等」に照らせば、宗教者が政治参加できないということは、差別以外の何物でもありません。
政治の方が、特定の宗教を弾圧したりすることがないようにするための規定だということが、広く理解されてきたように思われます。まあ当たり前のことですが。
日本には、宗教、とりわけ「新興」宗教に対するアレルギーが非常に強いようにも感じられます。その関連で、「宗教政党」「宗教立国」に対する誤解や偏見も強くあるようですが、宗教政党自体は、世界的に珍しいものでも奇異なものでもございません(例.ドイツのキリスト教民主同盟)。
幸福実現党は、与党と連立を組んでいる某宗教政党(と彼ら自身は言っていないように思いましたが)とその母体が、宗教全体のイメージを貶めているようにも思われますので、そのアンチテーゼでもあります。
また、「宗教立国」も、日本を唯物論国家にしないという強い意思表示であり、アメリカはじめ欧米の民主主義国家は、基本、キリスト教に基づいて国を建てている、「キリスト教立国」でありますし、イスラム教国は言うまでもなく「イスラム教立国」です。日本も、国家神道の時代がしばらくありましたが、聖徳太子の時代頃から、神道と仏教とが融合した「仏教立国」と言えます。
このように、国家の背骨には宗教的な思想があって国を建てることを、「宗教立国」と呼んでおり、これもまた唯物論国家を除けば世界標準と言えましょう。
世界の政治思想もまた、それ自体単体で生まれた思想ではなく、欧米の政治思想を見ても、日本においてもイスラム圏においても、宗教的思想と不可分です。
このように見てくれば、我が国においては、「宗教」それ自体、本来人間にとって必要不可欠なものであるにも関わらず、誤解と偏見に染まっていると思われます。
それは、もちろん私たち宗教者自身にも責任があります。だからこそ、そうした誤解を解いて、宗教は人間存在をより向上させ、幸福にするために必要なものなのだということを知っていただくために、そして実際にそれを実証していくために、政治、宗教、教育、経済、芸能文化、などなど様々な活動を展開しているのです。
さらに付け加えれば、幸福実現党は「極右」的な言われ方もされますが、人々の人権を護るという意味では、左派以上に強い意志を持っております。
チベットやウイグルの人権弾圧、香港や台湾の自由と民主主義の危機に対して、これらを護るという強い意思をいち早く表明し、国連等で訴えるという行動しているのは幸福実現党です。
これも、人権の根拠は、人間が神仏によって創られた、神仏の子であり、すべての人はみな、神の下に平等であるという普遍的な宗教的真理に由来すると考えているからであり、この点からも、宗教政党が存在しうる意味があると思います。
「宗教同士が戦争をするから、宗教などない方がよい」という意見もあります。
しかし、だからと言って宗教を否定すれば、行き着く先は、旧ソ連や北朝鮮、中国などの唯物論国家と同じ結末になります。
唯物論からは、人権を尊重する思想も、人を思いやる心も、生まれようが無いのです。
そして、宗教の違いを超えて、地球を一つにする宗教思想が必要なのです。
その理由の詳細は省きますが、日本はその思想の発信地となりうるのです。
イスラム教文明とキリスト教(およびユダヤ教徒の合体文明)との激突を仲裁するのは、どう考えても日本しかありません。
その意味で、日本は、アジア、ひいては世界のリーダーとなる覚悟と自覚が必要な時期に来ていると思います。
私たちが発信している思想やそれに基づく政策は、今は、「独特な世界観」と感じられるかもしれませんが、これがやがて地球の「普遍的な世界観」と思われるようになることと思います。
その日まで、精進を続けてまいります。