私の意見
02 January

2018年・明けましておめでとうございます

2018年が明けました。元旦は過ぎ、もう2日になった深夜にこれを書いています。

旧年中は多くの皆さまに大変お世話になりました。4度目の国政選、衆院選としては2度目の挑戦となる選挙も出させていただき、痛烈に努力不足、徳力のなさを感じた年でありました。また、多くの皆さまのご厚情も深く味わわせていただきました。

感謝を学んだ一年でありました。

これまでも様々なことがありました。

これからも様々なことがあるでしょう。

間違いなく言えることは、ここ数十年の時代、人類は大きな転換点に立っているということ。

今年、幸福の科学グループは創立以来32年、幸福実現党は立党9年となります。

私たちは、この人類史上稀有なる転換点に、人類がよりよき選択をすることを願って活動を展開してきました。

このことの真意は、同時代人にはなかなか理解されないことかもしれません。

同時代人に理解されないことの難しさは、吉田松陰先生然り、イエス・キリスト然り、ソクラテス然り。

私の友人たちに接していても、あるいは親族に接していても、そのことは痛切に感じます。それは友人なるが故の、身内なるが故の、厳しさなのかもしれません。もとよりそうした偉人の方々と比べるべくもありません。自らの説得力の弱さ、徳のなさではあります。

「何が正しいか」の判断は、きわめて難しいものがあります。

たとえば、アメリカ合衆国が北朝鮮を軍事攻撃する可能性は高いと思うのですが、このことが現実に起きた場合、その是非をめぐって、世論は沸騰するでありましょう。いわんや日本が直接被害を被る事態となっては。

しかし、確かに言えることは、戦争を嫌うあまり、軍事攻撃を躊躇することがあれば、そしてその状態が今後も続いて行くようであれば、唯一のスーパーパワーの地位をかろうじて保っているアメリカの威信は失墜し(つまり、誰も言うことを聞かなくなる)、やがて北朝鮮は、アメリカ大陸に届く核弾頭を積んだ大陸弾道ミサイルを完成させるであろうということです。そうなったら、もはやチェックメイトです。北朝鮮の核暴走は止められなくなり、アメリカが日本を守ってくれるという幻想は脆くも崩れ去るでありましょう。これは、いわゆる「吉田ドクトリン」―日本は、国防は最小限にしてアメリカを番犬代わりに使い、経済繁栄のみに専念すればよいという考え―の崩壊を意味するものでもあります。

一番よいシナリオは、アメリカの軍事攻撃も辞さない、という本気さに屈して、金正恩が政権を投げ出し、平和裡に北朝鮮が民主化することですが、なかなかそうはいかないでしょう。

となると、アメリカが北朝鮮を軍事攻撃し、完膚なきまで叩きのめす(すなわち短時日で圧勝する)ことによって金正恩体制が崩壊し、北朝鮮が民主化する、というシナリオが次善となります。ベトナム戦争のように泥沼化することは避けなければならないことは言うまでもありません。

単純に、戦争は悪で、(ただ争わないだけの)平和が善とは言い切れないところがあります。

戦争を忌避するあまり、より大きな悪を招来することもあることは、ナチスドイツのヨーロッパ各地への侵攻しかり、歴史上幾つも事例があります。

これは人類にとって厳しい選択ではありますが、より大きな真・愛・善の実現のために、必要なことでもあります。

信仰者としては、「人類を導き、見守っている神は、何を正義とされるか」ということを探究しつつ、活動することが必要でしょう。

77億人にならんとする地球人類は生き延び、さらに繁栄することが許されているのか、それとも過去何度も繰り返し起きていたように、文明の衰退・滅亡という現実を目の当たりにすることになるのか。

神は、それを人類自らが選び取って行く、「人類の選択」に委ねられたのだと思います。

願わくは、前者となることを願いつつ、今年もいっそう強く活動を推し進めたいと決意いたします。

新年からやや暗い、怖い話のように思われたかもしれませんが、苦難困難は、ただ苦しみのためにあるのではなく、それを乗り越える過程で得られる智慧と、乗り越えたあとに訪れる達成感、たとえ乗り越えられなかったとしても、真実一路に努力したことは、永遠の生命の中で、努力は決して裏切らないということを実感する充実感、こうしたものが得がたい幸福となるのだと信じます。

浅学菲才の身ではありますが、熱意だけは誰にも負けないと言いきれるようになりたいと願っております。

「全員幸福」の理想を目指して、日々、これ決戦。「一日一生」の心を大切に、精進いたします。

今年一年、皆様のご多幸とご発展を心より祈念いたします。