「安倍談話」は、神々の意思を無視した由々しき談話となるのか。
安倍晋三首相が14日に閣議決定する戦後70年の談話(安倍談話)で、戦後50年の村山談話や戦後60年の小泉談話に盛り込まれたアジア諸国への「おわび」の文言を入れる方向で調整していることがわかった。政権幹部が10日、明らかにした。
戦後70年談話「おわび」に言及へ 安倍政権幹部が明言:朝日新聞デジタル
安倍政権は、安保法制や普天間基地の辺野古移設問題など、山積している問題を、野党やマスコミの追及をかわし、少しでもスムースに進めたい、という「名を捨てて実を取る」作戦なのかもしれない。
しかし、この「戦後70年」という節目に、由々しき罪悪感と、自虐史観を、英霊とそのご遺族、国民に押し付け、遺し続けられるのかと思うと、将来に禍根を残す、という点では「村山談話」より悪いかもしれない。
政府として反省すべきは、英霊とそのご遺族に対して、「由々しき罪悪感」と、その後の国民に対して「いわれなき自虐史観」を押し付けたことであり、おわびすべきは、戦後の唯物論的風潮の中で、本来最も尊いものである神仏を尊ぶ心、信仰心や宗教を、裏側の世界の押し込め、信仰を持つことが何か後ろめたいことであるかのような空気を助長してきたことである。
さらに言えば、先の大戦は、「民主主義国家」=連合国 vs. 「全体主義国家」=枢軸国の戦いであり、民主主義国家である連合国側が正義であり、勝利した、という史観に基づき戦後体制が構築されている。しかし、その後の旧ソ連邦と中華人民共和国で行われた侵略と粛清、弾圧などを見れば、共産主義国家こそが全体主義国家であったことが明らかである。
中国とソ連を味方に引き入れ、日本を悪者にして徹底的に叩いたことが結果として、共産主義国家の伸張を助長したと言える。アメリカの見立てが相当甘かったことを意味している。
このことは、いかに同盟国であり、友好国であったとしても、毅然としてアメリカに反省を求めるべきである。
一時期、嫌われたり無視されたり圧力がかけられたりすることがあったとしても、恐れるには当たらない。
日本は、決して「悪魔の国」などではなく、正直さと誠実さに溢れた、素晴らしい国であった。
何しろ、あの大悪魔・スターリンでさえ認めるほど、日本は、律儀に(健気に、といったほうがいいかもしれない)国際法や条約を守り、人種差別をせず、同盟国であったはずのドイツが迫害しているユダヤ人でさえ助けた国である[注.スターリンは霊言で、「日本はドイツを最後まで裏切らんかったからな。だから、ドイツ国民は、いまだに日本に対して、尊敬の念を持っとるんだよ。
日本だけなんだよ、ドイツを裏切らなかったのは。みんな、裏切り合いだからな。」と語っている。(大川隆法『赤い皇帝 スターリンの霊言』)]。
「宗教立国」を標榜する私たちとしては、「自虐史観」を一掃し、日本の誇りを取り戻すために、それにふさわしい談話を出されることを、安倍総理に強く求めていきたい。
「因果の理法」(原因−結果の法則)は昧(くら)ませないものである。正直さや誠実さは必ず天に通じるものであり、またそうした世界にしていかなければならない。
昨日は、金沢市東長江で朝のご挨拶をさせていただきました。
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2015年8月10日 金沢市東長江交差点