06
March
危急存亡のとき
阪田雅裕元内閣法制局長官は6日、日本記者クラブで記者会見し、内閣法制局の役割について「(法令解釈の)理屈をしっかり立てて言えるかがレゾンデートル(存在意義)だ。そこが失われたら『政府の使い走り』ということだ」と指摘した。安倍晋三首相が意欲を示す集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更を、小松一郎法制局長官が容易に認めるのをけん制した発言とみられる。
この人はきっと、わが国がいま未曾有の国防の危機に立っており、国家の存亡が掛っていると言うことを理解していない(できない)に違いない。
それにしても、「使い走り」だとか、「番犬」(某共産党議員)だとかいう言葉は、言う人の品位を疑います。
内閣法制局は、内閣に置かれているのだから、そのトップは内閣総理大臣のはずです。
例えば社長の意向を汲んで仕事をする部長を、「使い走り」とか「番犬」と言うでしょうかね?
国民の生命・安全・財産を守り、国家主権を守るために必要ならば、憲法の解釈を変更するぐらいのことは当然ではないですか。
それらを守ることよりも、従来の憲法解釈を変えないで守ることの方が大事だとは、到底思えないのですが。
従来の解釈では立ち行かない状況が生起した場合、解釈を変更することよって対処しようと判断する、その最高責任者は、言うまでもなく総理大臣です。
その解釈が間違っている、と糾弾するのは、内閣法制局の仕事ではなく、国民(が次の選挙で落とす)であり、司法(最高裁)の仕事だと思うのですが。
日本は、三権分立の国のはずです。
ああ、憲法(の解釈)守って、国滅ぶ、なんてことがあってはなりません。