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23 March

Finding faith amid disaster

The Rev. Tesshu Shaku, chief priest of Nyoraiji Temple, a Jodo Shinshu (True Pure Land sect of Buddhism) temple in Ikeda City, Japan

Buddhism is called a religion with no god. So we don’t think God caused this, according to the Buddhist way of thinking. We think of the law of cause and effect, searching for a cause. It is the same approach as science. The cause of this earthquake is the friction between the North American plate and the Pacific plate.

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仏教は無神論とは驚きです。
このご住職は、この世を超えたあの世(霊界)があることは信じているのでしょうか。
もし信じていないのならば、宗教としては自殺でしょう。それで死者を慰める葬儀や法事などをしているのならば、詐欺罪に当たるのではないでしょうか(もっとも、それは遺族の慰めのためにやっているのだと強弁するかもしれませんが)。

それともあの世は信じるが、神や仏は信じないというなら、あの世に還られた仏陀・釈尊やイエス・キリストは、どこで何をしているとお考えなのでしょうか。
これまた宗教、ないし仏教としては自殺行為でしょう。

仏教僧侶で無神論やあの世はないと説く方は意外と多いようです。
宗教家、仏教の僧侶が無神論を説くなどということは、日本の戦後の宗教を軽んずる態度、唯物論の蔓延はここに極まれり、という感があります。

”原因結果の法則”(the laws of cause and effect)を重視する立場をとるといい、科学と同じアプローチをとる(the same approach as science)といい、今回の地震の原因を単に北アメリカのプレートと太平洋プレートとの摩擦(The cause of this earthquake is the friction between the North American plate and the Pacific plate)だとするならば、唯物論的な科学と変わらりません。

神仏や霊界、心の世界も含めての”原因結果の法則”に依れば(これこそが真に科学的アプローチだと思うのですが)、地震のもととなったプレートの摩擦だとして、そのプレートを動かした主体があるはずです。
その主体こそが神仏の意志であり、神仏にそうした判断をさせるのが、地上の人間たちの過てる想念の集合と考えられます。

その責任の大半は、為政者、国家のリーダーにあります。
為政者の過った考え方、判断によって、天変地異や外冦などの国難が招来されるということは古来より言われていることではありますが、現代では迷信のように考えられています。
しかし、これこそが、戦後、宗教排除してきた考えの極致ではないでしょうか。

仏教にしてもキリスト教にしてもあるいは日本神道にしても2000年以上続いています。
単なる迷信が、そんなに続くものでしょうか?

少なくとも人知を超えた大災害を通して、人は謙虚になり、人間を超えた超越的存在に対して心を開くようになります。

被災された方々の苦しみ・悲しみは察するに余りあり、心からお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興を祈念するものでありますが、改めて宗教、あるいは宗教政党の意義を訴えておきたいと思います。

宗教としては、物質的な復興の手助けだけでなく、精神的な側面からも復興をサポートすることができます。

死は永遠の別れではありません。
この世は魂の学校であり、この世での修行を終えた魂はまた本来の住処である霊界へと還っていきます。
また、この世で経験したことは万に一つの無駄もありません。すべて魂の糧とすることができます。

葬儀や法事は、決して生者への慰めのためにだけ行うものではなく、亡くなった霊をあの世へと渡らせ、さらには極楽浄土へと昇らせる導きのために行うものであることを改めて確認させていただきたいと思います。