活動報告, 私の意見
23 February

「この国を守り抜け」・国難突破運動―自虐史観から脱却し、愛国心を育む教育を

今日も素晴らしい好天に恵まれました。
澄み切った青空に、白き峰々が連なる白山連峰。穏やかな海。また、夕日が最高でした。
つくづく、日本という国は美しい国だと思います。

憲法改正に反対する人、あるいは集団的自衛権の行使に反対する人たちは、ほとんどすべて、戦前から先の大戦にかけて、日本は非常に悪いことをした侵略国家である、したがって、侵略をしないといっていても、武力をもてば必ずまた侵略への道を歩み始める。だから、憲法9条によって戦争を放棄するということを謳っておくことで、その歯止めになる、と考えているように思います。
日本という国を、愛していないことはないのでしょうが、親の愛情が欲しくて、わざと親に反発している子供のように見えなくもありません。
それが子供であれば、まだ可愛げがあると思ってみることができますが、国家の存亡にかかわってくるとなれば、黙って見過ごすことはできなくなります。

何も夜郎自大になる必要はありませんが、
国家観が、極めて自虐的というか、自己卑下的であるように思います。
これは決して公平な見方とは言えないのではないでしょうか。
また、このような国家観のもとで育ったならば、どうして自国に対して自信や誇りが持てるようになるでしょうか。

先の大戦は、すべてが自衛のための戦争だったとは思いませんが、かと言って、すべてが侵略戦争だったとも思えません。
侵略的な面も一部にはあったとは思いますが、当時、やはりシーレーンが抑えられ、石油が入ってこない状態が作られたりしていたので、かなりの部分、自衛という面があったと思います。
そして、大義としてはアジア諸国の植民地支配からの解放ということがあったはずです。
そしてその大義自体は、日本が戦争に負けたとはいえ、その目的は果たすことができたといえます。

我が国の平和は、そしてこの繁栄は、私たちの先祖や、先人たちが、血と汗と涙を流した、尊い努力の積み重ねによって、得られたものだということを忘れてはならないと思います。
戦後65年、日本は平和と繁栄を享受した結果、平和とか繁栄とかは努力していられるものではなく、ごく当然に、自然にそこにあるものと思ってしまい、国家としての気概や日本国民としての誇りや愛国心を失ってしまったといえます。
これが平和の代償だとしたら、あまりにも高くついた代償だったと思います。

自分が生まれ育った国を愛することは、本来、ごく自然な感情であり、これが国を発展させる原動力です。
その意味では、国難を生み出している根源的な原因は、自虐史観に基づく教育にあるといえます。

私たちは、今、目の前にある、侵略や植民地化の危機という国難に対しては、「憲法9条適用除外」という武器で戦っていかなければなりませんが、根源的な原因を解消しなければ、国難は姿を変え、何度でも立ち現われてくるでしょう。
その意味では、自虐史観からの脱却をメインテーマとした教育改革も成し遂げていかなければならない、最重要課題の一つと思います。
まさに「国家百年の大計」といえるでしょう。

そういうことを、訴えさせていただきました。

川北町より、白山を望む
川北町より、白山を望む

野々市町御経塚交差点にて
野々市町御経塚交差点にて