Posts Tagged ‘パシフィズム’

言うまでもなく、尖閣諸島は日本固有の領土である。
中国漁船の領海侵犯、中国側の恫喝とも思える態度、対する日本政府の対応を見ていて、ナチスドイツのスデーテンラント掠取を想起した。

1938年、オーストリアを併合したヒトラーは、チェコスロバキアの領土であったスデーテンラントの割譲を要求、ヨーロッパ全土に澎湃たるパシフィズムのなか、ミュンヘン会談においてイギリス、フランス、イタリアの列強は、戦争を忌避するあまりその要求を受け入れた。
ヨーロッパが戦争に巻き込まれることなく、平和が守られたと喜んだのも束の間、翌年、チェコスロバキアはドイツに併合された。
そしてその年の9月、ドイツはポーランド侵攻、第2次世界大戦へと突入していった。

尖閣諸島をスデーテンラントになぞらえれば、日本の運命はかつてのチェコスロバキアと同じ運命となってもおかしくない。

ここで注意すべきは、当時、領土の割譲は列強同士の会議により決定され、当事者であるチェコスロバキアは、ひと言の発言権もなかったということである。
当時のパワーポリティクスのなかでは、列強の意志のみが、正義、とまではいわないまでも、秩序維持の条件であったからだ。

もちろん、現代の日本は、当時のチェコスロバキアのような立場にはないし、現代において、世界は当事者の意見は無視して列強の意志のみで決まっていくわけではない。
日本は自らの意志によって、自らの進むべき方途を選択できる立場にある。
日米安全保障条約により、軍事的にはアメリカにかなりの部分依存しているとはいえ、我が国は独立国であり、その経済規模からいっても大国といってよい。

にもかかわらず、尖閣諸島は日本の固有の領土である、ということを闡明しない態度は、自らその立場とその権利を放棄していると受け取られても仕方がないではないか。
このブログでも何度か言ってきたことであるが、「権利の上に眠るものは保護されない」のだ。

日本的に、みなまで言わなくてもわかってくれるだろう、という態度では済まされない。
言うべきことは言い、主張すべきことは主張すべきであるし、意思決定すべきことは断固として意思決定しなければならない。

明らかに中国側は、事実上日本の首相を決める、民主党代表選のこの時期を狙ってこうした騒動を起こしているように見える。
そして、日本側の反応を見ようとしているのだ。
日本がさほど騒がなければ、悠々と、なしくずしに実効支配するだろう。
そして、日本がそれほど騒がないと知ったらそれに味をしめ、次々と島を獲り、沖縄本島、九州、そして本州へと攻め上ってくることは、国防上十分想定しておかなければならないことだろう。

本来、こうした領土・領海の侵犯に関する問題はわが国の国論が沸騰するような大事件であり、一政党の代表選などよりはるかに優先順位が高いはずである。
この点、政府・与党の対応は非常に遅く、弱腰でもある。民主党代表選においても、あえて触れないように見える。マスメディアの取り上げ方も不十分である。日本という国が滅びてから反省しても遅すぎるのだ。

日本政府、および、日本国民は、はっきりと、「尖閣諸島は、日本固有の領土である」ということ、そして、この事実を守りぬくという決意を、表明する必要がある。

日本は周囲を海に囲まれ、さほど外冦に遭うことがなかった。
そのこと自体は国防上の長所ではあったが、それで守られていたがゆえに、危機感を抱きにくいという面がある。
強みと弱みは表裏一体である。

いま、わたしたち日本人は、明確に危機感を持つ必要がある。
国家存亡の危機の淵に、本当に立たされているのだ。

かつて長州が無謀にも米英仏蘭の4カ国連合艦隊と戦い、当然のことながらボロ負けしたあと、講和会議において全権大使・高杉晋作は、彦島の租借を、敗者の側でありながら毅然とした態度で、断固として拒絶した。
尖閣諸島の問題について、日本は戦争をして負けたわけではない。
中国側に譲歩すべき理由は何もない。
しかし、万一、譲歩してしまった場合は、租借などではなく、永久に割譲してしまうことになる。のみならず、中国の植民地、あるいは属国化し、日本という国そのものが消えてなくなる危険性をはらんでいるのだ。

どうか、この国家存亡の危機に、一人でも多くの日本人が気付き、目覚めていただきたいと心から願います。
そして、「尖閣諸島は、日本固有の領土であり、他国に割譲するなどということは断じてあり得ない。また、我が国固有の領土を侵略するような行為は、断じて許さない」ということを、明確に、メッセージとして発信する必要があります。

わたしは微力ながら、幸福実現党に集う数多の草莽の志士たちと共に、祖国の平和と安全を守るために、全力を尽くすことを誓います。


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私たちは、我が国、日本の希望あふれる未来を願っています。
若者は夢を持ち、高齢者も生き甲斐を感じて生きてゆけるような、希望の未来を創造したいと願っています。

そのために必要な、最重要事の一つは、「自虐史観」の打破であると思います。

私たちは、昨年の立党以来、日本は未曾有の“国難”に際していると訴えてまいりました。
その“国難”の最たるものに3つあると訴えてまいりました。

その第一は、経済的不況です。
このまま社会主義的政策が続くならば、日本の経済力は、ナイアガラの瀑布を落ちるがごとく転落していくという警鐘を鳴らしました。
それは、政策のミスリードがもたらしていることは言うまでもありませんが、より本質的な原因として、ひとつには、やはり「自虐史観」があると思います。
日本人には、日本が今以上豊かになることに対する、なんとなく後ろめたい気持ちがあると思います。
たとえば、バブル崩壊直前に、日本の一人当たりGDPが、アメリカを抜き、世界一になった直後にバブルが崩壊したことの中にも、当時、日本人が潜在的にそれ以上の繁栄を恐れていたことが見て取れます。

私は、日本は、今以上に繁栄すべきであるし、その潜在力も有していると信じております。
それが実は「格差社会」に象徴されるような諸問題を根本的に解決する方法でもあると思います(これについては本旨と外れますので改めて論じたいと思います)。
したがって、日本が今以上繁栄することについての正統性が必要であり、その前提として日本を必要以上に貶めている「自虐史観」を何としても払拭する必要があると考えます。

二つ目の国難、それは言うまでもなく国防の危機です。
すでに繰り返し訴えてきている通り、中国、北朝鮮の軍事的脅威に対して、毅然たる態度をとれる国家になる必要があり、それを担保するだけの防衛力を把持することは、主権国家として当然のことです。
しかし残念ながら、この当然のことが、国政選の場において、殆どタブー視され、まともに争点になることがなかったのが戦後の歴史です。
そこにあるのは、「日本は先の大戦において、侵略戦争をした。極悪非道な行為をした。日本が再び軍事力を持ったならば、また同じような『いつか来た道』を歩むに違いない」というような論調です。
これこそまさに、「自虐史観」を象徴しています。
先の戦争において、侵略的な面が全くなかったとは言い切れませんが、自衛の面もかなり大きかった。そのことは、戦後、日本を武装解除してGHQの統治下においたマッカーサー自身も、その後の朝鮮戦争に際して認めたことです。

また、大東亜戦争の大義の一つとして、「欧米列強の植民地下に置かれたアジア諸国の解放」があったはずです。
日本は戦争に負けはしましたが、実際アジア諸国は独立を果たし、その戦争目的は果たすことができました。
戦争は悲惨です。
しかし、その悲惨な世界の現出を抑止するための軍事力は、平和の担保としてどうしても必要です。
第1次世界大戦後、澎湃たるパシフィズムのなか、ヨーロッパ列強が戦争を忌避するあまり、どれだけの侵略をナチス・ドイツに許してしまったか、思い半ばに過ぎるのではないでしょうか。
我が国が国防を論じることをタブー視する風潮の背景にも、「自虐史観」の毒水が流れていることは明らかです。

国難の3つ目として、「教育の崩壊」を訴えてまいりました。
戦後なされてきた誤った教育、これこそが、「自虐史観」の本丸です。
「自虐史観」は主として左翼的な教育観を持つ組織に属する人々によってなされてきました。
左翼思想のもとにあるのは、唯物論・無神論です。
戦後の教育のなかで、どれほど宗教が蔑ろにされてきたか。
宗教的価値観を源として、道徳や倫理というものが生まれました。
かつて、少なくとも先の戦争が終わるまでは、「神様仏様が見ている」あるいは「ご先祖様が見ている」「いい行ないをすれば天国に還り、悪いことをすれば地獄に堕ちる」と当たり前のように大人が子供に教え、それが、悪を犯すことの抑止力になっていました。
唯物論・無神論の風潮の中で、神や仏を否定し、霊を否定する考え方が、現代の道徳的荒廃の大きな原因となっていることは疑いありません。

神仏やあの世を認めない考えのもとでは、突き詰めていけば、どうしても、自己チューな考え方や、今さえよければいい、という刹那的な考え方にならざるをえません。
もちろん、唯物論者の中にも、道徳的に高潔な人物もいらっしゃるとは思いますが、どうしてもこの世での生存のみを尊しと見る考え方にならざるをえません。
そこには、例えば、自らの身を顧みず、国家や国民、人類のためにその身を捧げるということの尊さを説得力を持って伝えることはできないと思うのです。
人格的な高潔さを言うならば、私は、唯物論者にして釈尊やイエス・キリスト以上の人格者である、という方を、寡聞にして知りません。

したがって、私は、我が国が、経済的な側面のみならず、宗教的・政治的・文化的にも繁栄し、世界のリーダー国家となっていくためにも、やはり「自虐史観」の一掃が急務であると思います。

日本が世界のリーダー国家になる、ということは、大国となった日本が、応分の責務を果たすということでもあります。
日本は、自分自身の身の丈が、その国土の広さに比し、巨大(強大でもあります)になったという自覚が十分ではないと思われます。
これもまた自虐史観のなせる業かも知れませんが。

世界はいま、闇に沈もうとしています。
世界を闇から救うには、光が必要です。
その光ある国とは、財政赤字、貿易赤字の双子の赤字で呻吟するアメリカではありません。
EUの破綻が徐々に明らかになりつつあるヨーロッパでもありません。
最後の無神論国家、強大な全体主義国家体制を持つ中国でもありません。
日本こそが、光の中心となって、世界を照らすべき使命があると信じます。
日本こそが、世界の希望なのです。
このことを自覚するためには、まず、「自虐史観」こそ、一掃しなければなりません。

国民が自国に対して、自信と誇りを持てないことほど不幸なことはありません。
例え戦いに敗れても、祖国に対する自信と誇りさえ失わなければ、必ず失地回復をすることができます。
逆にどれだけ経済的に繁栄したとしても、自国に対して自信と誇りを持てないとしたら、それは、奴隷に等しい国民であると思います。

「自虐史観」の毒はそれほど恐ろしいのです。
そして、「自虐史観」の根っこにあるのは、唯物論・無神論です。
「自虐史観」、そして無神論・唯物論を打破し、世界から尊敬されるリーダー国家として、世界を平和と繁栄に導く、その偉大なる事業に参加することこそ、日本人としての本懐ではないでしょうか。

今日も加賀市内で辻立ちを終え、帰る途中、美しい夕日を見ることができました。
世界中の人々が、平和な気持ちで、このような美しい夕日を眺めることができる日々が来ることを祈ります。

加賀市ジャスコ前にて、辻立ちを終えて

加賀市ジャスコ前にて、辻立ちを終えて


とても感動的な、美しい夕日でした(写メのため、あまりうまく映っていません)

とても感動的な、美しい夕日でした(写メのため、あまりうまく映っていません)


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