‘私の政策’
どれほど待っても、
幸福は来ない。
基地さえなくなれば、
平和になると思ったか。
米軍さえ去れば、
豊かになると思ったか。
日本からも独立すれば、
自由になると思ったか。
米軍が去ったあと、
やってきたのは、人民解放軍だった。
米軍や日本の悪口を言う必要がなくなった代わりに、
言論の自由も喪ってしまった。
―こんな姿が、近未来に待ち受けているのなら、
私たちは戦わなければならない。
こんな世界にしないために、
言うべきことを言い、
なすべきことをなさねばならない。
この美しい沖縄を護るために。
この美しい日本を護るために。
この美しい愛の星・地球を守るために。
5月10日~11日の各メディアは、「国の借金959兆円、国民一人当たり約752万円」、などと報じています。
「政府の借金」を「国民の借金」とすり替える欺瞞は、巧妙な世論誘導、洗脳であることを、再三再四指摘していますが、ここでは1つだけ言っておきたいと思います。
即ち、「国家が財政赤字になる理由は、国家がやっている仕事が、国民を富まさないからである」ということです。
むしろ、貧乏になる方向で仕事をしているからです。
教育政策、農業政策など、単なるバラマキでは、新たに国富を増やすことができません。
「それは、自民党政権時代からだ」と民主党政権は反論するかもしれません。
確かにその通りですが、もしも、そんなことを言い訳にするならば、政権交代などせず、万年野党でいるべきでした。
それを解決する策がないのならば、政権党とも、責任政党とも言えません。
「それを解決するために、『社会保障と税の一体改革』を謳っているのだ」と再反論するかもしれませんが、これも再三指摘したように、社会保障が所得の再配分であるという原理原則から見て、それを所得と関係のない消費税で賄おうということ自体、論理破綻していますし、やがて一人の現役世代が、一人の高齢者を支える「肩車世代」となれば、単純に言って消費税率50%にしなければやっていけなくなりますから、ますます負担は増え、「将来世代に負担を先送りしない」という論理も嘘であること明らかです。
「社会保障と税の一体改革」というと聞こえはいいように聞こえますが、残念ながら、社会保障は富を減らすことにはなっても、新たに富を創造することにはなりません。結果、財政赤字はさらに増え、国民の負担はさらに重くなります。
「弱者に優しく」すること自体は結構ですが、みんなが弱者になったら、救える人がいなくなります。
社会保障を充実させる方法は、増税などではなく、国富を増大させること、すなわち経済成長です。
財政赤字も、GDPが2倍になれば、解決可能です(もっとも、無駄な支出やバラマキも2倍になれば解決しませんが)。
さらに言えば、大国・日本として、世界の中での責任を果たすためにも、経済成長、国富増大は何としても必要です。
世の中の役に立つ仕事をして、すなわち、国民に喜ばれ、感謝されるような仕事をして、富まないわけがないのです。
これは一個人、企業は勿論ですが、国家経営においてもあてはまることです。
日本のGDPを、2倍、3倍にするぐらいの気概と構想を持ちたいものです。
宗教法人課税は、宗教弾圧である
宗教は、非営利活動であり、そもそも課税すべき対象となる、個人に分配する「利益」がない。
また、宗教が行う活動は、公益活動であり、それを保護するために、公益法人等は非課税である。
さらに決定的なことは、課税による公権力の介入は、信教の自由を侵害する。これは、憲法違反である。
ザッツ・オール。
「宗教法人課税」などという恥ずかしいことをして、世界に恥をさらすようなことをしてはならない。
論理をすり替えるな
「東日本大震災で国民が苦しんでいる。国家は財政赤字だ。国民みんなが負担に耐えようとしている。だから宗教もその負担を負うべきではないか」という意見もある。
それは筋違いというものではないか。
もちろん、震災復興に非協力なわけでもなく、財政赤字に無関心なわけでもない。
東日本大震災には、ボランティア、救援物資、義捐金など、人的・物的に支援しているし、宗教として最も大切な「魂の救済・鎮魂」に全力を挙げている。また、幸福実現党として、大規模な復興構想や、そのための財源も復興国債で、などという提言をしている。
財政赤字に関しては、国家の経営がへたくそなだけだ。そしてその負担を一方的に国民に押し付けているに過ぎない。
これに関しても、まず経済成長を目指し、しかる後に税収増を図るべきであるとし、そのための具体的な提言もしている。
問題は、国家経営のまずさの責任を増税という形で国民に押し付けるやりかたにある。論理をすり替えてはいけない。
「ないから取る」というのは、よく言って子供の駄々。「あるところから取る。文句あるか」というのは、強盗の論理である。
いや、強盗のほうが、自分たちは悪いことをしているという罪の自覚がある分、まだ救いがある。課税を目論む政府や、それを煽るマスコミなどは、おそらく正義と思っているから始末が悪い。
「嫉妬心 」は最も醜い感情
「バブル宗教」と揶揄する向き、「金儲け宗教」と誤解する向きもあるが、宗教法人を含む非営利組織には個人への分配目的ではないが利益に相当するものがあり、それは必要である。ドラッカー的に言えば、「組織を維持し、発展させるためのコスト」「将来のためのコスト」である。
涙ぐましい経営努力と、信者の皆さまの献身によって、それを生み出しているのである。
いわゆる“利益 ”=悪という見方は、こうした努力や工夫の部分を無視している。
おそらくこうした見方は、自覚しがたいことではあろうが、嫉妬心の発露である。
そして、嫉妬心は、この世で最も醜い感情の一つである。
“穢れ”とは何か
宗教法人課税を主張する人の根本的な考え方には何があるか。
それは、聖なるものを認めない心、人智を超えた力を信じない心、神仏を信じない心である。
宗教法人に課税するということは、この聖なる部分に、公権力、すなわち世俗権力の監視の目が入るということである。
これでは、世俗権力のほうが、聖なるものよりも上に立つことになる。
これを即ち、“穢(けが)れ”と呼ぶのである。
「政教分離」の真義と「信教の自由」の決定的重要性
「政教分離」とは、日本で誤解されているような「宗教が政治に口出ししてはならない」という規定ではなく、その逆に、「政治が宗教に介入してはならない」という規定である。
「宗教法人課税」は、正しい意味での「政教分離」規定に反するものであり、聖なるものへの世俗権力の介入を意味するものであり、したがって、宗教弾圧の道につながるものである。
「信教の自由」というと、「信じない自由もある」という天の邪鬼な反論に遭うこともある。
そういう自由も認めよう。しかし、その自由がメジャーになるべきではない。
「選挙権はあるけれど、投票しない自由もある」「(集団的)自衛権はあるけれど行使しない自由もある」という意見と同じく、いずれもナンセンスだろう。
むしろ、「信じることができない」というのは、哀しく、憐れなことである
信教の自由が奪われるとどうなるか。
チベットや、東トルキスタンの人々のように、弾圧され、迫害され、無理矢理棄教を迫られ、“民族浄化”されることもありうる。
誇大妄想と笑うことなかれ。隣国で現実に起きているノン・フィクションである。
聖なるものを否定する国家はこうなる、という事例である。
ファイナル・ジャッジメント―日本人よ、聖なるものに目覚めよ
日本人は、聖なるものと俗なるものとの区別がつかぬほど落魄れてしまったのか。
それほどに霊性を失ってしまったのか。
いや、一時的にそう見えるに過ぎないと信じたい。
戦後のわずか70年弱の間の唯物論的思潮によって、真実の自己を見失っているに過ぎない。
日本文明3千年の歴史から見れば、ほんのうたた寝している間に過ぎない。
間もなく、そのまどろみから、真実の目覚めのときを迎えるだろう。
これを“ファイナル・ジャッジメント”のときと呼ぼう。
参考:The Liberty web 「宗教法人課税を考える」 http://www.the-liberty.com/topics/taxation/
連休が明け、野田政権が最重要課題と位置付ける「社会保障と税の一体改革関連法案」が審議入りしました。
この国の中央に巣食い、どっかりと腰を据えている貧乏神。
世界はいま、大恐慌へと向かおうとしているというのに。
日本には、大国として、それを救いうる力があるというのに。
自国のことのみに汲々とし、世界に対して責任を果たそうとしない姿は、極めて自己中心的です。
これには、いわゆる「自虐史観」も強く影響しているように思われます。
自己卑下が骨がらみとなっており、大国としての自信が持てないのではないでしょうか。
幸福の科学グループ・大川隆法総裁は、その著書『繁栄思考』のあとがきに、次のように指摘しています。
世界の経済は、不振を通り越して、不況、そして、大恐慌目前である。日本は経済的に鎖国して、『一国安泰主義』を目指しているかのようだ。
しかし、この国の中央には、どっかりと貧乏神が腰をすえている。そして通貨の供給を絞り、緊縮財政を敷き、増税デフレ政策に向かっている。
繁栄の神を信じることのできない、「バック・トゥー・ザ・敗戦後」カルチャーである。国民を貧乏にすると、政治家や役人の権力が増すように感じるのだろう。
「時は金なり。」「金は時なり。」である。経済発展のスピードを上げることだ。「円高」は、もっと「円を刷れ」という天の啓示だ。デフレ時代に、インフレ・ファイターはいらないのだ。大切なのは、ヒットやホームランを打つ人を評価するカルチャーだ。
二〇一二年 一月十七日
国師 大川隆法
貧乏神をタタキ出し、繁栄の神を信じ、繁栄の神に近づきたいものです。
大川隆法総裁著『神理文明の流転』(幸福の科学出版、1992年)に、「未来への聖戦」という章が載せられています。
この章は、1990年12月、大阪での講演会がもとになっています。
以下、その一部を引用します。
それぞれの民族、国家に長い歴史があり、彼らの考え方があります。その考え方に基づけば、どのような行動をとるのか、どのようなことが彼らにとって正義と見られているのか、ということを知らねばなりません。そこに複数の正義がぶつかることもあります。
そのときに私たちが見抜いてゆかねばならないことは、次なる時代において正義と見なされるほうを選択してゆかねばならなくなる、ということなのです。
その時点では、どちらに賭けるべきかわからないけれども、時間の流れのなかで、どちらの選択を採ったほうが、結局より多くの人びとの幸福につながったかというところに、すべてが収斂してゆくことになります。
この考え方からいきますと、これから日本という国が果たさねばならない使命というものは、かなり重いものになってきます。その重さはいかほどでしょうか。
世界の百数十ヵ国の国の大部分が、今後、戦争、あるいは飢饉、天変地異によって飢えてゆくことになりますが、こうした飢えた国家は、放置しておくと必ず共食いを始めるのです。これが各地で起きる戦乱です。これからは、隣の国を奪うぐらいは平気でするようになってきます。
それは国家レベルの話であるために、なかなか信じ難いことでしょうが、一歩、国家から離れて、企業の世界を見てみると、今のアメリカなどで起きている企業の買収、M&Aというのは、結局、国家を乗っ取ることと同じなのです。
これは手っ取り早い経済なのです。乗っ取ってしまうのです。会社ごともらって、自分の会社に入れてしまうわけですから、これは国を併合してゆくのとまったく同じ論理なのです。かつてのその会社の歴史や文化というようなものは関係がないのです。トータルで利益が出れば、会社を買収して併合してしまうわけですから、これは国の併合とまったく同じ論理なのです。
では、経済論理としては通用していて、国のレベルではなぜ行なわれないのでしょうか。それは、国が大きな軍事力を伴っているために、リスクが大きすぎることもあって行動としては鈍っているだけなのです。
しかし、諸国民が飢えるような状況が出てきますと、これから、このようなことは日常茶飯事になってくる可能性があります。国家の分断、奪取、このようなことが行なわれてゆきます。
前述のソ連でもそうです。今度は独立しようとする小さな共和国などが、さまざまな利害を持った国から狙われるようになり、ソ連から取ろうとする動きが出てきます。他の新しい勢力によって、豊かなところが狙われるおそれが出てきます。
そのときに現われてくるものは何でしょうか。それは世界の混沌であります。このような段階の時期においては、強力なリーダーが出てこない限り、世界をまとめることはできないのです。
多くの人びとは平和平和と言いますが、それは何もしたくないという「厭戦」というだけの平和では済まないのです。そういう状態になってきたときには、それでは済まないのです。その平和の理念を具体化する行動を取らない限り、実際に平和を愛することにはなってゆかないのです。
したがって今、日本に必要とされることは、世界百数十ヵ国が飢えたときに、これを食べさせていけるかどうかという考えがひとつあります。経済大国の日本が、彼らを援助し、育て、守ってゆくことができるかどうか、これは非常に大事なことです。飢えれば、人は殺し合いを始めます。戦争を始めます。
しかし、日本の経済の現状を見て、いかがでしょうか。あのアフリカが、中東が、中国が、ソ連が飢えたときに、日本はこれらの国々を支えられるでしょうか。
一方のパートナーであるアメリカは今、国家衰退の危機にあります。経済的にはすでに、完全に下降線に入っています。そしてこれは、もしブッシュ政権がこの中東において間違いを犯した場合には、アメリカという国家は、この十年ぐらいで完全にスーパーパワーから一列強国に陥ります。判断を間違ったら必ずそうなります。
そして、世界のGNPの二十五パーセントを持っているアメリカの経済も、衰退を余儀なくされていきます。他の国を救える国がなくなるのです。そのときにどうするのかということです。
日本の経済は、今、GNPで世界の十五、六パーセントぐらいですが、私は、二十一世紀のはじめに、だいたい世界の三十パーセントから四十パーセント近くにまで近づいていくと思います。おそらく四十パーセントくらいがピークです。
そのときに、はたして世界を支えるだけの全世界経済構想をつくることができるか否かです。もし全世界が食べてゆけなくなれば、あり余る武力でもって、あちこちで侵略が起きます。これがひとつです。
22年前の講演の内容ですが、見事にその後の20数年、一部はその予言が成就しており、またそれ以外の部分も、十分可能性ある近未来として見て取れます。
- 複数の正義がぶつかっている→現実に、ユダヤ・キリスト教合体文明と、イスラム教文明の激突が起きている。あるいは、共産主義文明と自由主義文明の衝突。
したがって、次なる時代において正義と見なされる方を選択してゆかなければない。
それは、神仏の理想を体現する(「宗教」という言葉に抵抗があるならば、百歩譲って)「高い精神性」に裏打ちされた上で、自由と民主主義的な価値観は維持されるべきだろうと考える。
これを、我らは「宗教立国」と呼ぶ。 - 世界百数十カ国の大部分が、今後、戦争、飢饉、天変地異によって飢えてゆく。飢えた国家は、放置しておくと必ず共食いを始める。国家を乗っ取ることは、企業のM&Aと同じこと。→イラクによるクェート侵攻を端緒として、一部では起きつつある。13億人を超える超巨大国家・中国が飢えるようなこと(食料の飢えだけでなく、エネルギーの“飢え”によっても起こりうる)があると、まさしく国家の分断、奪取などが起こりうる。既に資源を持つ国を取り込んだり、主権を侵害したり、シーレンを抑えるという行動をとりつつある。
- 「平和」とは、ただ平和を唱えればよいというわけではなく、その理念を具体化する行動をとらない限り、それを愛することにはなっていかない。→2010年の尖閣沖の中国漁船衝突事件ひとつを例に挙げれば十分だろう。もはや「戦争を放棄する」と宣言すれば戦争に巻き込まれることはない、などということは誰も信じないことは、良識ある人であるならば、誰でも認めるところだ。
- パートナーであるアメリカが国家衰退の危機(経済的には既に完全に下降線、というのも事実。ブッシュ(講演当時は父ブッシュを指す)政権が中東において間違いを犯したかどうかは、90年からの10余年、まがりなりにもスーパーパワーの座を維持してきたことを見れば、決定的な間違いは犯さなかったと言えるかもしれないが、このブッシュをオバマに置き換えれば、この10年で、アメリカが一列強に陥る危険は十分ある。
- 世界の平和と安定に貢献することを日本のミッションとするならば、まず、経済力の側面からは、これからの日本に必要とされることは自明である。世界百数十カ国が飢えたときに、経済大国として、支えることである。すでにギリシャの財政危機を救い、EU発世界恐慌を止めるぐらいの経済力を日本は持つ。さらに、日本のGDP(22年前はGNPと言ったが)を世界の40%近くにまで持っていく覚悟がいる。その前提として、世界を支えるだけの、全世界経済構想をもっていなければならないのは当然のことである。それは、現政府にはないが、幸福実現党の掲げる政策の中には、実は入っているのである。
以上、日本が世界平和に貢献するというミッションを、主として経済的側面から見てきましたが、それはある意味で(現状の、長期デフレ不況・増税路線・経済成長戦略なし、の三重苦状態ではこれとて決して容易ではないのだが)、次のより本質的な課題克服に比べればはるかに容易と言えます。
それが即ち、多様なる価値観、多様なる正義を、包摂・統合する、全地球的に共通する価値観を樹立する、という壮大なテーマです。
多様なる人々が、多様なるままにお互いを理解し、永遠の神に向かって向上していける思想を打ち出すこと。
そしてそれができるところは、全世界に幸福の科学以外に絶対にないと信じるものであります。
まだまだ世間一般では、幸福の科学は新興宗教の一つであり、その教勢拡大のために、政治や学園事業に手を出しているように思っている人がいるかもしれません。
しかし、立宗した翌年の5月、1987年の第2回講演会「幸福の原理」等で大川総裁が明言している通り、我々は一宗一派を興すために活動しているわけではないのです。
世界の人々が、真に自由と繁栄を享受できるような、平和な愛の星・地球の建設を目指しているものです。
そのような、地球規模での文明を創っているのだという事実が、やがて年を経るとともに明らかにされてゆくことでしょう。
3年前の4月30日、
幸福の科学グループ・大川隆法創始者兼総裁の「幸福実現党宣言」により、
私たちは本格的に政治活動に参入することとなった。
そして、5月23日の幸福実現党立党。
2009年、あの暑く、熱い夏を駆け抜けた記憶は、
一生の、否、幾転生を貫く勲章となるだろう。
しかし、あれはまだほんの、
“始まりの始まり”に過ぎなかった。
日本は、そして世界は、幸福実現党の
(と言うよりは、国師にして世界教師・大川隆法総裁の)
訴えたとおりに展開しつつあるわけだが、
国難未だ去らず、
世界は混沌のさ中にある。
そして、今年、
映画「ファイナル・ジャッジメント」公開を1か月後に控えているが、
しかし、まだまだ“ファイナル”などではない。
真理の戦いは始まったばかりである。
この国の政治に一本、精神的主柱を立てたい。
これが私のかねてからの願いである。
精神的主柱がなければ、国家は漂流し、
無告の民は、不幸のどん底へと突き落とされる。
この国の国民の未来を照らす光となりたい。
暗黒の夜に、不安におののいている世界の人々への、
灯台の光となりたい。
国を豊かにし、邪悪なるものに負けない、
不滅の正義をうち立てたい。
人々を真なる幸福の実現へと導いていきたい。
この国に生まれ、この時代に生まれてよかったと、
人々が心の底から喜べるような世界を創りたい。
ユートピア創りの戦いは、まだ始まったばかりである。
しかし、この戦いに終わりはない。
果てしない未来へ、はるかなる無限遠点を目指して、
私たちの戦いは続いていくだろう。
(「幸福実現党の目指すもの」/大川隆法著『幸福維新』より)
あの時、人柱になろうと決意した、
初心を忘れず、努力していきたい。
今日は初夏のようなさわやかな日です。
近未来予言映画「ファイナル・ジャッジメント」が6月から公開されますが、
この映画の公開に先立ち、この1か月を「国防強化月間」と勝手に銘打ち(笑)、
各地でお訴えさせていただきます。
想えば3年前の北朝鮮ミサイル危機に際し、
正面から堂々と国防を訴え、憲法改正を訴えた政党は、幸福実現党のみでした。
決して、日本列島を飛び越えて太平洋に落ちたから、あるいは今回の事件で言えば、1分ぐらい飛翔して落ちたから、と言って、笑って済まされるような問題でも、黙って看過できるような問題でもありません。歳月と共に忘却の彼方に流し去っていい問題でもありません。
あのような国に、このような傍若無人な振る舞いを許してしまうのは、ハッキリ言って日本がなめられているからです。
例えばアメリカ合衆国が隣にあったら、北朝鮮はそんなことは決してしないはずです。
北朝鮮ですら、核を持てばあのような強気な態度に出るのです。
ましてや、共産党独裁・軍事大国、中国はどうでしょうか。
虎視眈々とアジア、アフリカ、西太平洋に覇権を広げようとしています。そして、堂々と、尖閣諸島は自国の領土だと主張し続けています。
敢えて言いますが、抑止力となる「武力」を持たなければ、また、持っていても行使できなければ、戦いを抑止することはできないのです。
ミサイルが日本列島のどこかに打ち込まれ、被害が出てから(すなわち日本人の数千~数万人、あるいはそれ以上の方々が亡くなってからでなければ)反撃できない、もしくは今の体制ではそのような事態に陥ってさえ反撃できない可能性さえあります。
ということは、このことを侵略的意図を持った国が知っていれば(当然知っています)、脅すだけで、労せずに占領することが可能ということです。
こんなバカなことがありますか?
自分の国を自分で守る意志も責任感も気概もなければ、アメリカはいくら同盟国と言っても、自国の青年たちの血を流してまで日本を守ろうなどと思うでしょうか?
たとえ守ってくれるとしても、自分たちは血を流すこともなく、すべてお任せ、というなら、まことに情けないことだと思います。
国防を他国に丸投げしておいて、自国の平和と繁栄だけを求めるならば、それは全く自己中心的な態度であり、世界から軽蔑されてしまいます。
アジアや、イスラム圏の諸国は、日本を信頼し、日本に期待を抱いております。
彼らの期待に応え、世界の中でリーダーシップをとって、世界の平和と繁栄に貢献できる国家を目指すべきだと思います。
日本は国家の気概と誇り、本来のサムライ精神を取り戻さなければなりません。

今朝は、野々市市イオン野々市前にて辻立ちをさせていただきました。
ご支援、ご声援をくださった皆様、本当にありがとうございました。
23日発売の週刊ポストが「完全解剖 日本の宗教 カネと実力 タブーに斬り込む!」という17ページにわたる大特集を展開している。「宗教にお金が集まり、大きな施設を持っている」という表面的な見方しかしていない上に、そもそも事実誤認や誤解に基づく記述が多い。
事実誤認や誤解の多い無理筋の議論 週刊ポストが宗教課税を主張 | ザ・リバティweb - 幸福の科学出版 | 幸福の科学・幸福実現党
いつも大変勉強になるザ・リバティwebのDaily News Clipだが、今日は特に、重要論点満載。
まず、標記の記事。
石村教授の「宗教活動はそもそも課税の対象にならないから、そこから取らないことをもって特権とは言えません。」というこの一言が、すべてでしょう。
本誌が言う「宗教がなぜ非課税であるかは、根本的には、文字通り、宗教が『聖域』であるからだ。宗教は神仏の導きを受けながら、共に人間の魂を救う仕事をしている。そこに徴税権力や警察権力が入り込むことは世俗の穢れを持ち込み、神仏の活動を邪魔することになる」ということが理解できなくなっているということは、日本がいつの間にか、唯物論国家になってしまっていると言えるのではないでしょうか?
「政教分離」規定についても、まことにその通り、議論の余地はありません。
目に見えない尊いものを信ずることができずに、ただ多数決で物事を決することをもって民主主義とするなら、それは誤った民主主義であり、衆愚政に堕すか、ギロチン型大量処刑民主主義となってしまうのではないでしょうか。
信仰が、民主主義に高貴さを与えるものと考えます。
ますます「宗教立国」の実現が急がれます。
唐突なタイトルに見えるかもしれませんが、
過去、本ブログで何度か触れているテーマです。
本質的なテーマであり、これを外したら、本党の存在意義はないと言っていいテーマです。
立党の直接的な理由は、現実的な危機として、隣国の軍事的脅威がその最大のものの一つではあったわけですが、
精神的なる柱を打ち立てなければ、単なる唯物論・無神論国家に堕してしまいます。
ゆえに、日本と、世界の精神的支柱となるべく、真正の宗教政党として立党したと理解しています。
夜郎自大で言っているわけではなく、幸福実現党の活動いかんに、日本と世界の未来がかかっていると考えます。
現代人にとっては、奇妙に聞こえるテーマかも知れませんが、
聖徳太子は、その十七条の憲法で、
「二に曰く、篤く三宝を敬え。三宝とは、仏・法・僧なり。…」と述べておられます。
堂々の「仏教立国」宣言です。
それ以前から、政(マツリゴト)のベースには、日本神道を中心とする宗教がありました。
宗教が政治と密接に係わるのは、世界においても、宗教をアヘンと見なす唯物論国家を除けば同じような事情です。
水平的で浅薄な「政教分離」論に乗せられてはならないと思います。
いま、日本は国難であると言われますが、その本質は、次の2つの危機に基づきます。
・信仰心を失った指導者による、国内は内部崩壊の危機。
・信仰心を否定する唯物論大国による侵略の危機。
こうした時代認識の下、「政治と宗教の大統合」を成し遂げ、日本と世界の希望の未来を拓いていく。
これが私たちの志です。
これは、聖徳太子以来の大改革です。
2009年、そのための”人柱”になる覚悟で衆院選に立候補させていただきました。
いまもその覚悟に変わりはありません。
今年の4月は、史上有名な豪華客船Titanic(タイタニック)号が沈没(1912年4月14日)して100年目に当たります。
その14年前、すなわち1898年に、 Morgan Robertson(モーガン・ロバートソン)という作家が書いた「Futility」(「無益」の意)という小説の中に、タイタニック号の沈没を予言したかのような物語があるそうです。
その豪華客船の名は、「Titan(タイタン)」号。タイタニック号と同じく、絶対に沈まない船と言われ、同じく大西洋を処女航海中、氷山に衝突して沈んだ。沈んだのは、同じく4月。全長は、タイタン号が800フィートなのに対し、タイタニック号は882.5フィート、乗客乗員は、タイタン号が3,000人、タイタニック号が2,200人。救命ボートは24艘、タイタニック号は20艘。どちらも乗員数に対してボートの数は全く不足していた…などなど、偶然とは思えないような共通点があります。
(まあ、この小説は、実際にタイタニック号が沈んだ後、細部を事実に合わせて改訂して出版したとも言われていますが)。
しかし、よくわかりませんが、”Futility”という小説は、出版からタイタニック号が処女航海に出かけるまでにさほど売れていなかったのかもしれません。
歴史に“イフ”は禁物だとよく言われますが、もし、”Futility”が、売れに売れていて、タイタン号とタイタニック号の共通点に多くの人々が気づいて、「これは予言的小説だ」と理解し、タイタン号のような悲劇を現実にも起こすまいと気を付けていたら、タイタニック号の悲劇は防げたかもしれませんね。
この6月公開の映画「ファイナル・ジャッジメント」は、架空の唯物論国家であり軍事独裁国家「オウラン人民共和国」に占領され、かの国の極東省になってしまう、という近未来の予言映画です。

http://www.the-liberty.com/fj/
http://www.youtube.com/v/vBzrmWWI-ec
(「オウラン人民共和国」は架空の国家ではありますが、どの国がモデルになっているかは、いまさら言うまでもないでしょう)
国を守るという決意も覚悟も気概もなければ、どれほどたやすく軍事的に占領されてしまうか、また、信教の自由、思想の自由、言論の自由、政治的自由、経済的自由が奪われたならば、どのような悲惨な世の中になるか、ということを実感していただけることと思います。
もし、「タイタニック号が沈むなんて、ありえない!」と思って船旅を満喫していた上流階級の紳士淑女のように、「日本が占領されるなんて、ありえない!」と殆どの日本人がこのまま安逸を貪っていたとしたら、日本もまたタイタニック号と同じような運命になるかもしれません。
もちろん、私たちは、この予言が成就すればよいと思っているわけでは決してなく、運命論的に、必ずこうなる、と言っているのもありません。
私たちは、努力によって運命は変えていける、という立場を取ります。「このままであれば、こうなりますよ」と警告しているにすぎません。
そして、この危機を、何とか未然に防ぎたいと、活動をしております。
くだんのタイタニック号の悲劇から23年後の4月、同じく北大西洋を横断する船がありました。
その船で見張りをしていた、ウイリアム・リーブスという若い船員は、ちょうどタイタニック号が沈んだ海域に差し掛かった時、胸騒ぎを感じ、警報を鳴らしました。
緊急停止した船のまさにその目の前に、巨大な氷山がありました。リーブスのおかげで船は巨大氷山に衝突する直前に停止することができました。
その幸運な船の名は「Titanian(タイタニアン)号」。
私たちは、日本がタイタニック号の悲劇に陥るのではなく、幸運な船「タイタニアン」となるよう、若き船員・ウイリアム・リーブスでありたいと思います。
悲劇を未然に防ぎ、希望の灯を点すものでありたいと願っています。
「知らなかった!」と言われることがないよう、多くの人々に、全国民に、映画「ファイナル・ジャッジメント」をお知らせしてまいりたいと思います。
そして、来たる5月3日、幸福実現党も協賛参加する「沖縄返還40周年記念『5.3 憲法を変えて日本とアジアの自由を守る!国民集会&デモ』」(日比谷公園大音楽堂にて)に、多くの同志の皆さまと共に、参加したいと思います。

「自分の国は自分で守る」。およそ主権国家であるならば、ごくごく当然のことが、我が国では先の敗戦以来、長い年月、タブー視されてきました。
もはやマインド・コントロールを解き、目覚めなければなりません。
国民の皆さまに、広く国防の意識を持っていただくために、地元・石川の街頭でも訴え続けてまいりたいと思います。





