信仰は大事です
日本人はもともと宗教的な民族です。
もともと惟神(かんながら)の道と言われるように、天照大神に象徴される太陽神信仰を中心に、森羅万象に神を感じる民族でした。
やがて仏教を輸入し、聖徳太子の時代に、仏教立国を成し遂げました。
その後も日本神道と仏教とが融合した形で、日本文明は発展を遂げました。
聖武天皇・光明皇后の頃の、奈良の大仏建立の大事業は、世界史的に見ても、仏教の最高峰の時代と言えるのではないでしょうか。
日本神道の神官の長である天皇陛下も、仏教に帰依された方が大勢おられます。
その後、キリスト教も入り、秀吉の時代〜江戸時代には弾圧された歴史もありますが、これはキリスト教国が帝国主義と一体となって世界を植民地化してきたことも背景にあります。現代では普通にクリスマスを祝い、ハローウインを祝い、結婚式をキリスト教式でやることは珍しくありません。
イスラム教はそれほど勢力を伸ばしてはいませんが、イスラム教を悪魔の教えと思っている日本人はほとんどいないでしょう。
こんなに宗教的寛容な民族は世界に他にございません。
そして、戦後、宗教的なるものは封印され、裏側に押し込められた感がありますが、その底流にはやはり、信仰心や、敬神の心がずっと流れていたと思われます。
お盆にはご先祖のお墓参りに帰省し、お正月は神社仏閣に初詣に行き、前述の通りクリスマスを祝いハローウインを祝い、結婚式はキリスト教式で、葬式は仏式で、というのはごく一般的な姿ではないでしょうか。
これは別に節操がないというわけではなく、やはり、宗教的寛容としか言いようがないと思うのです。
そして、この精神こそが、世界から宗教紛争をなくす精神だと思うのです。
だから、日本の果たすべき役割は大きい。
決して、決して、日本を唯物論国家にしてはならない。
だから、自由・民主と合わせて、信仰が大事だと言っているのです。
だから、宗教が政治に関わっていくことは、この世を唯物論化していかないためにとても大事だと思うのです。
唯物論は絶対に真実ではありません。明らかに間違っています。
言論の自由といっても、間違いを広めていい自由はないはずです。
いくら科学的知見を駆使しても、あの世がないなんてことを証明できないのです。同じく、仏神が存在しないことを証明することもできないのです。
科学こそが、万能でないことを謙虚に認めるべきです。
ニュートンは、こう語りました。
私は海辺で遊んでいる少年のようである。
ときおり、
普通のものよりもなめらかな小石や
かわいい貝殻を見つけて
夢中になっている。
真理の大海は、
すべてが未発見のまま、
目の前に広がっているというのに。
この謙虚さこそが、真の科学的精神ではないでしょうか。
今日は、金沢市高柳西交差点にて辻立ちをさせて頂きました。
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