「村消滅」について
皆さまこんばんは。
早いもので1月ももう半ばを過ぎました。
去年は大雪でしたが、今年は今のところ雪はほとんどなく、雪かきの心配もなく、その点では有難いと思います。
白山麓の豪雪地帯と言われるところで生まれ育った者としては、雪のない冬は有難い半面、雪が降らないとスキー場も営業できないので、降ってほしいという気持ちもありました。
でもあまりに降りすぎると、今度は除雪が追いつかず道路が通行止めになったりします。
ちょうどいい具合にはなかなか降ってくれないもので、とかく世の中は、自分の思い通りにはならないものだと幼な心に思ったものです。
そんな故郷の阿手町も、私の母も含め、次々と施設に入ったり、町へ出たりして、実際住んでおられるのは2世帯だけ、という、もう限界集落を超えて、廃村寸前のところまで来てしまいました。
小学生の頃から、過疎については問題意識を持っていましたが、結局、今まで何もできないままでいます。
しかし、都市部がどんなに栄えても、どんどん田舎の村が消滅してしまっては、日本にとっていいことはない、と思うのです。
私は、「平成の大合併」に対しては懐疑的です。
白山市も、白山麓から日本海沿岸の地域まで、とても広い市となりましたが、それが良かったのかどうか、疑問がないわけではありません。
かつて白山麓5ヶ村と鶴来町がそれぞれスキー場があったのですが、白山市になって、今ではセイモアと一里野の2つだけになりました。
もちろん財政の問題もあるわけですが、中央から地方に税金をばら撒くだけでは、その場しのぎの効果しかなく(そんな効果さえもないかもしれませんが)決して良くならないと思います。
地方の繁栄も、自助努力を基とし、その努力が報われるようにしなければならないと思います。
地方創生に限ったことではありませんが、官があまり口出しするのではなく、民の自由な発想と、自助努力に任せるようにするべきだと思います。
小さくとも自立できる町や村にするべきだと思います。
例えば、「鳥越村の復活」とか。
もちろん、そんな簡単なことではありませんが。
少なくとも重い税金を払って、何もかも面倒を見てもらうような社会よりも、税金を安くして、自由に、いろんなことにチャレンジできる方が良いと思います。
以下は、1月8日から18日にかけての街頭演説(一部)です。