与える愛への目覚め―革命には愛が必要
私もかつては利己主義的に生きておりました。
決して自分さえよければいいとは思っておりませんでしたが、それでもしかし自分のことがかなり優先しておりました。
今振り返ってみれば、両親は非常に献身的な人たちでした。
高校時代、一晩で数十センチから1メートルも雪が降ることもざらにあるような山の村におりましたので、週末に実家に帰って下宿に戻る月曜日の早朝、6時半発の一番バスに乗らなければならない私がまだ起きてこないうちに、バス停までの道を雪かきして道をつけてくれるような父でした。母は誰よりも早く起きて、食事の用意をし、私の弁当も作って持たせてくれました。
それなりに感謝はしていたつもりですが、どちらかといえば親が子に尽くすのを当然のようにも思い、ほかのこと(主に経済面)で満たされないことばかりに思いが行き、不平不満を心に思うような、情けない息子でした。
そんな私が、幸福の科学に出会い、大川隆法総裁に出会い、その教えに出会ってから、与える愛の大切さに目覚めました。いままで私がしてきたことのほとんどは、「奪う愛」だったのだと気づかされました。そして、与える愛の大切さ、とりわけ献身の美しさを、両親は後ろ姿で示してくれていたのだと気づき、両親への感謝が深まりました。
父母だけではありません。祖父母、おじやおば、兄弟、いとこ、親族や近所の人々、職場の上司・同僚・後輩、学校の恩師、友人たち、地元・鳥越の方々、人生の途上で出会った数多の人々に、どれだけ与えられているのかということを知りました。
「奪う愛」をやめて、「与える愛」に生きたならば、こんなにも心穏やかに、すがすがしく生きられるものなのかと実感いたしました。
それでもこの世で生きている限り、これらと逆のことも心の中に去来することもあるのは事実です。特に、政治活動ともなれば意見が対立する人と接する機会も多いので心揺れ、心乱れることも数多くあります。励まし応援してくれる方もいらっしゃる一方で、激しい批判、非難を受けることもあります。
しかし、真理を知っているということは実にありがたいことです。
過ちに気づいたならば直ちに反省し、修正することができるのですから。また、心無い批判さえも、自分の至らなさを教えてくれる師だと思い、そこから学びを得ることもできます。
「真理は汝を自由にせん」というのは本当のことでした。
幼い子供が父母の愛を求めるのが当然のように、自己愛からスタートするのは仕方のないことでしょうが、人として、やがて成長し、多少なりとも社会にお返ししていこうと思うことが大切なのではないでしょうか。
さらに他者への愛に目覚め、さらに進んで社会への愛、国家への愛、世界への愛と、与える対象が広がってゆくのはすばらしいことではないでしょうか。
それは、自分ひとりだけの人生を生きるよりも、何倍も、何十倍も、何百倍も、人によっては何十万倍もの人生を生きることになるのではないでしょうか。
こうして、地球を理想郷、ユートピアにしていこうというのが幸福の科学グループの活動だと思うのです。その政治部門として、幸福実現党があります。
愛というのは、決して抽象的な、心の中の思いだけでなく、この地上においては、実行し、行動し、具体化することが常に求められると思うのです。
幸福実現党はまさしく政治的アプローチによって、国民、人類への愛を具体化していく部門であるといえましょう。
幸福の科学が目指すゴールが、「全人類の幸福」であるように、幸福実現党の目指すものも、「最大多数の最大幸福」を超えて、「全員幸福」なのです。
この永遠の理想に向けて、前進、前進、前進してまいりたいと思います。
561days left until June 30, 2019.