私の意見, 私の政策
09 August

宗教立国の真意

日本は古来より八百万の神々が在します「神国」、神の国でありました。
聖徳太子の時代、仏教を導入し、神道と融合し、世界に類を見ない素晴らしい文明を築いて来ました。
「宗教的寛容の精神」-これこそが、世界に誇るべき日本の素晴らしい精神性です。

戦後72年、経済的には繁栄して来た日本ですが、反面、失われた美点も数多くあります。

その一つが、神仏を敬う心、信仰心です。
現代日本において、「宗教」とか「信仰」とかいうと一笑に付されるような風潮が長く続いておりますが、それこそが、戦後日本の「負の遺産」と言えます。

もし、宗教や信仰などというものを認めないことを国是とするというならば、それはもはや唯物論国家であり(現在はかなりこれに近い状況と思われます)、中国や北朝鮮と本質的に変わらないということになります。
そうであるならば、中国や北朝鮮に支配されるような事態になっても仕方がない、ということになりかねません。

しかし、日本は先に述べた通り、本来極めて宗教性の高い国柄であり(天皇制が2千数百年間脈々と続いていること自体がその証明でもありましょう)、加えて「宗教的寛容の精神」を以って、世界の宗教に起因する紛争やテロを仲裁し融和させることができる可能性を持つほとんど唯一の国であると思うのです。

そういう意味で、日本は世界の希望の国であります。
諸宗教を融合し、融和させ、世界平和を実現するためにも、日本は世界のリーダーとならねばなりません。
そのような国が滅んだり衰退したりするようなことがあってはなりません。

世界に対してそのような責任を負う立場にあるならば衰退や滅亡ではなくむしろ「繁栄」することによって影響力を強くしていかなければなりません。

そのためにも、この国は守り抜かなければなりません。

宗教を悪と見るような風潮は断固として覆し、かつて仏教立国を成し遂げた聖徳太子以来の大改革を成し遂げること、それが「宗教立国」の真意であると思うのです。

今朝(8月9日)は、野々市市新庄にて辻立ちを致しました。
下記をクリックすると動画をご覧いただけます。
↓ ↓ ↓
20170809 野々市市新庄2丁目交差点にて