宗教の可能性。
現今、宗教の置かれている立場は、極めてネガティヴです。
特に、新興宗教においては。
キリスト教文明とイスラム教文明の激突、イスラム国の問題、頻発するテロ、こうした世界を見る限り、宗教などない方が良いという考えが出てきても不思議ではありません。
しかし、だからと言って、宗教がこの地上からなくなったらどうなるのでしょうか?
唯物論に基づく人造国家がどのような悲惨な末路を辿るか。
旧ソ連、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国などの壮大な文明実験により明らかにされました。
「神も仏もあるもんか」という考え方の行き着くところは、結局のところ、「自分さえ良ければいい」という自己中心主義か、「今さえ良ければいい」という刹那主義、ほとんどの場合その両者ではないでしょうか。
その結果、「地上の楽園」と思いきや、「地上の地獄」が展開しております。
さらに自国内のみならず、近隣諸国、全世界をも巻き込んで地獄を広げようとしているかのように見えます。
素朴に、原点に帰って、「神仏が見ている。」という素朴ながら信仰の原点といってもいい視点を持てば、正直で、誠実な生き方ができます。
願わくは、正直で、誠実で、努力する人が報われ成功し、幸福になっていけますように。
そのような社会を実現したいものだと思います。
そのためにこそ、宗教は大切なものであり、また、必要なものでもあります。
宗教的には人々の心のケア、心の成長を図ると同時に、
政治的に、この世の仕組みそのものを変え、ユートピア、理想郷に近づけていく。
この努力の中に、宗教と政治が融合したあるべき姿が現れてくるのではないでしょうか。
現代の「常識」とはかけ離れているように見えるかもしれませんが、今こそ宗教の可能性に注目し、信頼し、未来を託すべきではないかと思います。
我々はその負託に答えられるだけの宗教政党でありたいと願い、日々努力精進してまいります。
今朝は、白山市徳丸交差点にて街頭演説をいたしました。
以下は、演説抜粋です。