「歴史認識の大逆転」というクォンタム・リープ(量子的飛躍)
「米議会での安倍首相演説を受けて」という幸福実現党の党声明が発表されました。http://info.hr-party.jp/files/2015/04/OQApzFf9.pdf
米議会での安倍首相演説を受けて(党声明)
2015.04.30
幸福実現党
安倍晋三首相が日本の首相として初の米上下両院合同会議での演説を行い、日米の戦後の和解をアピールするとともに、アジア太平洋地域の平和と繁栄に向けた日米両国の役割を謳いあげました。前日に開催された日米首脳会談では、安全保障分野での連携強化やTPP交渉の進展が確認されたところですが、軍事・経済両面で台頭する中国の抑止に向け、今回の訪米が、日米間の紐帯の強さを示すものとなったことを喜ぶものです。
先般のバンドン会議での演説に引き続き、今回の演説内容も、安倍首相が今夏発出する戦後70年談話の先触れをなすものとして内外から注視されていましたが、様々な圧力があるなか、村山談話で用いられた「植民地支配と侵略」などの表現や、慰安婦問題への言及は避け、未来志向のメッセージ発信がなされたことを歓迎いたします。
しかしながら、先の大戦をめぐって、安倍首相が「痛切な反省」を表明し、歴代首相の歴史認識を継承する考えを示したことは、わが党として看過できません。もとより、「先の大戦で日本は侵略行為を繰り広げた犯罪国家である」とする東京裁判史観は、日本弱体化を企図する戦勝国側が流布した歴史観にすぎません。先の大戦を日本の侵略戦争とする見方はあまりに一方的であり、公正な歴史認識に立脚し、「欧米列強の植民地支配から有色人種を解放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権の行使としてなされたもの」と捉えるべきです。
米国側には、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下による民間人の大量虐殺を正当化するために「日本悪玉論」を流布する必要があったとみられますが、戦後の良好な日米関係を踏まえ、米国にも歴史認識について公正な態度を求め、反省を促すべきであるというのが、わが党の考えです。安倍首相には、誤った歴史観に基づく河野・村山両談話を白紙撤回するとともに、新談話において、正しい歴史観に立脚した日本の姿勢を内外に堂々と示すよう求めるものです。
安倍首相は演説で、「日本はいま、クォンタム・リープ(量子的飛躍)のさなかにある」として、いかなる分野においても改革を進める決意を語りましたが、首相の悲願であり、わが国にとって最大の構造改革である憲法改正を断行するには、自虐史観の見直しを避けては通れません。戦後70年の本年、歴史認識をめぐる日本の名誉を回復するとともに、アジア太平洋地域はもとより、世界の平和と繁栄に貢献できる国家へと日本を飛躍させるべく、幸福実現党は新しい国造りに邁進する所存です。
オバマ大統領、腰が引けたりといえども、アメリカはいまだに世界最強国です。
また、さまざまな批判はあれども、自由と民主主義という価値観は共有しえます。
ゆえにアメリカと共同して、自由・繁栄・平和を守るという選択肢は現時点では最善のものと言えます。
原理原則でいえば、最強国との同盟こそが、基本中の基本であり、国家安寧の基です。
日米安保がもし万一、破棄されるようなことがあれば、日本は、かつての日英同盟解消同様、最大の危機を迎えることになりましょう。
アメリカに対しては、よき友人として、是々非々の態度で、正義を貫くべきでしょう。
そして、二度の原爆投下、東京大空襲などにより数十万の民間人を死に至らしめたこと、東京裁判史観に基づく抜きがたい自虐史観を日本人に刷り込んだことなどは、真の友人として、アメリカに反省を求めるべきでしょう。
しかし、それは決して相手を責めたり、どこかの国のように千年恨むと言ってみたりするべきものでなく、悔い改めて、より積極的・建設的に世界の繁栄と平和を構築するために、いっそう協力し合うことをお互いに誓い合うべきものが望ましいと思います。
たとえ、世界中の国々が、自国の国益最優先で、腹黒い国々ばかりだったとしても、アメリカは、中国や北朝鮮などとははるかに信用も信頼もできる国です。
人権だとか、平等だとかを声高に叫ぶ人々は、たとえば、集団的自衛権の行使容認や憲法9条改正の話が出れば、「海外で戦争ができる国になる」とか、「若者を戦場に送り出すのか」などと金切り声を上げますが(それ自体、論理の飛躍であることがわからないのか、そうでなければ扇動のためにわざと言っているのか、どちらかだと思いますが)、日本人の代わりにアメリカの若者が海外で血を流す可能性に関しては沈黙しています。
自らが血を流すことを厭いながらも、米軍基地に反対してみたり、有事の際には片務的に守ってもらうことばかりを望んでいたりするならば、同盟国としては愛想を尽かされるのではないでしょうか。
現行日本国憲法の前文にあるように、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を確保しようと決意した」などというのは、きわめて他者依存の、消極的な平和主義であり、他国の恣意により「専制と隷従、圧迫と偏狭」を強いられてもどうにもならない、隷属的な平和主義です。
日本は、その経済力、教育レベル、道徳性、技術力、(そして本当は政治力も)等、トータルで見たら、紛れもない世界の大国の一つです。
大国ならば大国としての責任、義務、応分の負担といったものが当然発生すると思うのです。
安倍首相が言う「積極的平和主義」とは、大国たる日本が、大国としての力を以って、主体的・積極的に、自国はもとより、世界の平和の構築に貢献することをいうのだと解します。
それは誠に正しいことであって、それを実現するためには、日本がかつて侵略国家だったという冤罪を雪ぎ、またそう教え込まれてきた自虐史観を一掃することがどうしても必要だと思います。
この歴史認識の大逆転は、まさに「大逆転」「クォンタム・リープ」と表現しなければならないほどの大事業です。
しかし、日本が世界のリーダーとなっていくためにはどうしても突破しなければならない壁でもあります。
この壁を突破するために、この困難な道を共に歩む同志が、日々に増え続けますように念じつつ、微力ながらも努力精進だけは続けてまいりたいと思います。