戦後70年、そろそろ憲法を改正しよう
戦後70年。戦争が終わった年に生まれた方も、もう70歳。
長寿社会では70歳ぐらいでは高齢者とは言わないのかもしれませんんが。
白山麓の「限界集落」で一人暮らしの母も、昭和10年生まれ。今年の誕生日にはめでたく80歳を迎えます。
我が集落では母は、「ねえさん」と呼ばれてますよ。
閑話休題、戦後70年。そろそろ戦後レジームは終わりにしましょう。
イノベーションしない骨董品のまま21世紀に突入してはや15年です。もう持ちません。
今までよく持ったものだと思います。
「平和勢力」もそれなりに意義があっただろうと思います。
でも、もはや「国家存亡の危機」なのです。
危機を煽るつもりはありませんが、世界は、冷戦後の「パクス・アメリカーナ」が崩壊寸前、中華人民共和国は虎視眈々とアジア・アフリカ・オセアニアの覇権を狙っている、という状況にもかかわらずいままで同様安穏としていては「 平和ボケ」と言われても仕方がありません。
「戦後レジーム」の象徴が、GHQから”下賜”された憲法ですから、半主権国家から、真正主権国家へと脱皮するためには、どうしても憲法の改正は必要と思われます。
特に9条は、なんとか解釈で乗り切ってはきましたが、それにも限度があります。
日米安全保障条約があるとはいえ、アメリカのコミットメントももはや心もとない状況ではあります。
戦後の”日本教”においては、憲法9条と並んで「人命最優先」が教義の一つのようではありますが、あえて言いましょう、
「命に代えても、守らなければならないものがある」と。
「命以上に大事なものがあるのだ」と。
「ゆえに、ある人々は、自らの身命をその命以上に尊いもののために擲ってきたのだ 」と。
それは、自らの「家族」であったり、家族や民族が住しているところの「国家」であったり、あるいは「自由」とか「民主主義」とか、そうした目に見えない崇高な価値であったり、さらに言えば、神仏の理想であったりするのです。
これは、命を軽んじる思想では決してありません。
むしろ、神仏からいただいた命であるからこそ、自他ともにその命を慈しみ、大切にしなければならないのであり、
その命を輝かせることを妨げるものに対しては、断固として戦うことによって、人類は、”万物の霊長”と言われる気高さを保ってきたと言えましょう。
新しい時代の憲法は、人間を超えた叡智者であるところの神仏の意を体したものであるべきであり、それが日本の神代の昔からの国柄にも沿うものだと思うのです。
憲法改正までの道のりは長いですが、「時間がない」というのも事実です。
残された時間、1日も早く憲法改正に踏み込めるよう、努力を重ねてまいります。
下記は最近の辻立ちの様子です。
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