26
March
リスクはつきもの。
人生に、あるいは文明生活に、リスクはつきものです。
例えば、原発事故においては、放射線リスクを恐れるあまり、熱中症リスクや、凍死リスク、避難生活の長期化によるストレス死リスクは、ほとんど無視されていますね。
実際に被害者が出ているにもかかわらず。
人類が火を使い始めて以降、文明の進歩に伴い、リスクは強大になりつつあります。
しかし、それはある意味で、人類の宿命ではないでしょうか。
人類の大多数が、原始時代へと昔帰りして行くことを望んでいない以上、
(「原始時代に返れ」みたいなことを主張する人の多くは、自分自身はその文明の恩恵を多大に享受していることが多かったりします。これはある意味”お坊ちゃん左翼”とよく似た心情なのかもしれませんね)
文明を享受しようと決意する以上、リスクをいかにコントロールするか、あるいはマネジメントするかということが大事であリ、ここから逃れることはできません。
あるいは、リスクは文明を享受するための対価と言って言いかもしれません。
そして、様々な危機はありましたが、人類はその叡智で、何とか乗り切って来ましたし、今後も乗り切って行くことを望みます。
そして、人類が傲慢になったり、倫理的に、あるいは、人道的に、間違った道を選ばないようにするために、人智を超えた叡智者の存在を認める、正しい宗教の存在が、どうしても必要だと思うのです。
原始帰りしたところで、つまり、火を使う以前の生活に戻ったところで、結局は、野獣に教われる、あるいは飢え死にする、あるいは、現代医学でならば簡単に治ってしまうような病気でも死に至るかもしれない、というリスクはつきまといます。
「最大のリスクは、リスクを背負うことから逃げること」。