愛国心・英雄
数年前、「300(スリーハンドレッド)」という映画(私は見ていないのですが)で有名になりました、ペルシャ帝国対ギリシャの戦い。
紀元前5世紀の「ペルシャ戦役」を描いた作品ですが、数十万のペルシャ軍に対して、スパルタはわずか300人の兵士だけでギリシャ中部の山地にある、テルモピュレーを死守すべく、戦いました。
結果、全員が玉砕したのですが、ギリシャの自由と独立を守るために戦い続けた戦士たちを讃えて、「異国の人々よ、ラダケイモン(スパルタ)の人々に伝えよ。祖国への愛に殉じた我らは皆、この地に眠ることを」と刻んだ記念碑が立てられました。
太平洋戦争(大東亜戦争)において(1944年)、南のある小さな島で、日本人1万2千人が玉砕した際、アメリカの提督は、このスパルタの故事を踏まえ、同様の記念碑を立て、玉砕した日本兵を讃えました。
また、太平洋戦争末期の1945年、沖縄戦において、特攻機が戦艦ミズーリの甲板に突入しました。ミズーリの艦長は、飛行士の栄誉を称え、乗組員の反対を押し切り、アメリカ海軍式の水葬で葬送しました。
敵将も敬意を払うほどの、日本兵の愛国心、勇敢さ。
そしてそれを正当に「英雄」として評価するアメリカのリーダー。
その血は、両国の国民に、脈々と流れていると信じたい。
愛国心に満ち、勇敢で、礼儀正しく、自己犠牲の精神に満ちた、まさしくサムライ精神。
日本だけでなく、世界には、そのように誇り高く、勇気ある人々が数多くいます(欧米では騎士道精神というのかも知れませんが)。
武士も騎士も、元々はそう身分は高くなかったのかも知れませんし、品位や品格もそれほどでもなかったのかも知れません。
しかし、歴史のなかで重要な役割を果たしていく中で、「ノブレス・オブリッジ(高貴なる義務)」が芽生え、それが武士や騎士の共通精神となっていったのではないでしょうか。
私たちの祖先には、神代の時代まで遡るまでもなく、ほんの70年ほど前に、誇るべき、勇気ある人々が多数いたのです。
日本人は、もうそろそろ「自虐史観」の呪縛から離れ、自信と誇りを取り戻すべきときに来ています。
同様に、アメリカも、「民主主義対ファシズムの戦い」と定義して、敗れた日本を断罪してきた「歴史認識」を、転換すべきときに来ていると思います。
彼らがそれを認めることは、自らの「原爆投下」の正当性を否定することになるので、なかなか受け入れがたいかも知れませんが、上記の米軍の提督や艦長のように、フェアな精神にあふれた人たちが多数いると信じたいと思います。
今日は、小松市内で辻立ちをさせていただきました。
寒い日でしたが、青空が広がり、白山もくっきり見える、美しい一日でした。
こうした美しい景色も、日本が誇るべきものの一つであると思います。