脱・茹でガエル
きょう(17日)は、久しぶりの白山市での辻立ちでした。
冬至が近いこの頃は、夕方5時から話し始めても話している途中で周囲が暗くなってきます。
「政治」というと、自分たちの生活や人生と余り関係がないと思っておられる方も多いのではないでしょうか。
税金や、補助金や年金や、景気が良くなるかどうか(これは政治よりも経済問題と思う方が多いのでは)と言った問題は、身近に感じるかもしれませんが、
例えば、「国防」というとどうでしょうか。
「防空識別圏」などという言葉も、初めて聞いた人が多いのではないでしょうか。
「尖閣諸島や竹島は、日本固有の領土である」 と言っても、理屈ではその通りであっても、日々の生活には直接関係ないように見えます。
「従軍慰安婦の強制連行」などという捏造に過ぎないことも、それをネタに賠償を請求されたり、「慰安婦の像」などを世界各地に建てられたり、という話を聞くと、腹が立ちます。
腹は立つけれども、それで毎日の生活がどう変わるというものでもない。
結局、私たちは、「茹でガエル」のたとえでよく言われるように、環境が激変する訳でもなく、緩やかに変化していく(ように見える)ものに対しては、あまり危機感を抱かない ようにできているようです。
いきなり核ミサイルが唸りを上げて飛んできて、どこかに落ちるようなことが起きれば、熱せられたフライパンから飛び出すカエルのように機敏に動くのでしょうが、それでは遅すぎます。
国民全体が「茹でガエル状態にある」といったら失礼にあたるかもしれませんが、あえてそう言いましょう。
他ならぬ私自身が、そのひとりであるかも知れません。
本当にそうだと思ったら、 もっと激しく、吉田松陰先生のごとく、高杉晋作先生のごとく、坂本龍馬先生のごとく、熱血火の如く、獅子吼し、行動しなければいけないのかも知れません。
人間はカエル以上の存在だと信じたいですね。
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