私の意見, 私の政策
09 December

勇気あれ、日本!―世界のリーダーを目指して

今朝は、金沢市東長江交差点にて、辻立ちをさせていただきました。

霜が降りた、寒い朝でしたが、昇る太陽がまぶしく輝き、すがすがしいさわやかな青空でした。

12月9日金沢市東長江交差点にて
12月9日金沢市東長江交差点にて

日本は、これから少子高齢化が進み、経済成長は止まり、衰退していくのでしょうか?
「衰退はごめんだけれど、何とか現状維持はしたい」というのが多くの方々の願いでしょうか?
もしそうだとするならば、残念ながら「現状維持は即衰退」 であり、坂道を転げ落ちるしかないでしょう。

必要なのは高い理想であり、高い目標であり、高い志です。

世界を見渡した時、宗教対立、人口爆発、食糧危機、エネルギー危機、軍事的な危機、民族弾圧、テロなど、様々な危機に直面しています。
日本は「一国平和主義」「一国繁栄主義」では済まされません。もう江戸時代ではありません。
「鎖国」しようにも、世界はそれを許さないでしょう。

ならば、世界のリーダーとなって、積極的に世界平和と繁栄をけん引しましょう。

少なくとも高度経済成長を遂げていたころまでの、かつての日本人には、もっと気概があったように感じます。
日本人の多くが小成に甘んじるようになっているとするならば、その根っこには相当深く、「自虐史観」が浸み込んでいるように思われてなりません。

それは、戦争に負けて自信を失ったというのみならず、太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦を境に、「日本はアジア諸国を侵略した」「軍国主義国家であった」「自由も民主主義もない全体主義的な国家であって、それらは戦後にもたらされたものである」等といった誤った歴史観に基づき、何とも言えない罪悪感、贖罪感が刷り込まれ、加えて神仏を否定するような唯物論教育が学校教育やマスコミ等においてもなされ、その結果、それ以前の歴史までもが全否定されるような流れが出来上がりつつあることが最大の原因であると思われます。
「古事記」等に述べられている神話のみならず、聖徳太子などの偉人の実在までも否定するような歴史学者が存在するような現状であります。

しかし、日本人が「自虐史観」に打ち沈んでいるなかで、台湾、インド、インドネシア、マレーシア、フィリピンなどのアジア・アフリカ諸国のリーダーたち、また先日亡くなった、ネルソン・マンデラ氏も、すでに第1次世界大戦後に、国際連盟の会議において、「人種差別撤廃」を主張した日本を、また、敗れはしたものの、アジア・アフリカ諸国を欧米列強の植民地支配から解放した大東亜戦争の意義を、高く評価しています。

いったいどちらが、本当の正しい歴史認識のなのでしょうか?
アジア・アフリカのリーダーたちのほうが、日本を正しく見ているのではないでしょうか。

「謙譲の美徳」が行き過ぎて自虐的になりすぎると、本来の力が発揮できませんし、本来果たすべき役割も果たせません。

威張ってそっくり返る必要は全くありませんが、自国の歴史について、公平に見ることは必要でしょう。
(仏教的には、八正道の「正見」(しょうけん=正しく見る)に当たるといってよいでしょう)

アジア・アフリカ諸国、イスラム諸国さえ、日本を尊敬し、日本に親しみを感じ、日本に期待している国々がたくさんある事実を見ると、やはり、世界のリーダーとして、応分の責任と貢献を果たすべき時に来ていると思います。

世界平和に貢献するには、言論の力で平和裏に平和を実現することが最上ですが、言論の力を担保するものとして、やはり、応分の武力は必要です。
武力を持ったからといって、すぐ悪用すると考えるのは、論理が飛躍しすぎです。
それでいけば、包丁だって、危なくて簡単に売り買いできません。

少なくとも、自由と民主主義がきちんと担保されている国であるならば、独裁的で、国民を抑圧しており、自由がなく、軍事優先の国に比べ、すぐに武力に訴えるというようなことにはならず、はるかに安全であるといえます。

70年前に、空母部隊を率いて、最強国アメリカと覇権を争ったのが私たちの父祖です。
その気概を、取り戻そうではありませんか(当然ながらアメリカと再び戦争しよう、というのではありません)。

かつて我が国はアジアの協和と繁栄を大義として、アジアの盟主を自任しましたが、今度は、世界の平和と繁栄を大義として、勇気をもって、世界のリーダーを目指そうではありませんか。

それが、先の大戦で尊い犠牲となった先人たちに報いる至上の道だと確信します。

下記をクリックすると、今朝の辻立ちの動画をご覧いただけます。

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2013-12-09 金沢市東長江交差点にて