カイザルの手から神のものを取り戻せ―次期衆院選に向けて
あっという間に11月が終わり、12月に入りました。
ただでさえ忙しい師走に、今年は総選挙のためにますます忙しい方が多いことと思います。
ご多分に漏れず、私も多忙な日々を送っております。
もっとも、今回は立候補を見送ったため、選対の一員として、街宣をしたり、また北陸信越ブロック比例代表の立候補予定者の事務所手続きをしたり、制作物や広報関係の事務をしたり、運動員の手配をしたりといった、主として裏方の仕事で忙しいのです。
今回、候補者を支える側に立ってみて改めて実感できたことは、前回候補者として立たせていただいた時には、目に見えない、気づかないところで本当に多くの人々の、多くのお力添え、ご協力があってこそ、あの選挙戦を戦い抜くことができたのだな、ということです。そう思うと、あらためて感謝の思いが湧いてきました。
そして、もう一つ感じたことは、諸手続きの煩わしさ、既成政党とのハンディの大きさです。詳しくはもうしませんが、新規参入を困難にして、既得権益を守ろうとするかのような規制だらけです。
それはさておき、前回の民主党大勝利の陰には、大手マスコミの「民主党への政権交代」が既定路線としてあり、その方向に世論が誘導された面があります。
そこには、日本人の、「みんながそうするからそうする」「みんなと違うことはしない」というメンタリティも大きく影響しているかと思います。
しかし、人として生まれたからには、他の人の言いなりになるのではなく、主体的に価値判断し、主体的に生きていくべきではないでしょうか?そうでなければ、その人生は、鎖につながれた家畜のような生き様と言えるのではないでしょうか?
そして、そのような国民が大多数となるならば、日本の未来はない、と思うのです。
今までは、そのような日本型ムラ社会の中で、皆が平等に、平和に暮らせて、よかったのかもしれません。まだまだ日本人のメンタリティとして、そのような発想が強いのかもしれませんが、世界はそのような一国平和主義、一国繁栄主義を許してくれるような状況ではなくなっています。
3年前、「みんなが『政権交代』と言っているから」と言って、民主党を選択した結果、このような国難を迎えてしまったではないですか。
このように、私たちは、「みんながそうしているから」当然、と思っている常識を、いったん疑ってみなければいけない時代に入っていると思います。
みんなが同じことを考える、というのは、ある意味で恐ろしいことです。それは、全体主義が完成した姿ではないでしょうか?
こうした状態から抜け出すには、勇気が要ります。その勇気とは、外なる価値基準にしたがおうとする誘惑を拒絶し、自らの内なる価値基準にしたがおうと決意する勇気です。
たとえば多くの人が「常識」と思っていることを思いつくままに挙げてみると、
- 原発は危険だ。脱原発・反原発は当然だ。
- 政府の財政赤字や今後の社会保障を考えると消費税増税はやむを得ない。
- 憲法9条で戦争を放棄しているおかげで、戦争に巻き込まれることはない。
- 日本は過去の戦争で、大変悪いことをした、罪深い民族だ(例.南京大虐殺、韓国の植民地支配、従軍慰安婦等)。
などなど、きりがないので、これくらいでやめておきますが。
幸福実現党の政策の正当性、有効性は、多くの識者が(ほとんどの方はそのように明言はしませんが)認めているところであります。それは、自民党や民主党などでも、わが党の政策を黙ってパクって(という言葉自体あまり好きではありませんが)おられることからも分かるところでありましょう。
しかしながら、まだまだ「宗教政党」であることに対しての偏見は強いように感じます。「政策はよいけれども、実際の政治を任せられるかどうか?」という見方を、まだまだ多くの方々がされているのではないかと思われます。
それに対しては、私たちが実績を積み上げていくしかありません。
私たちが打ち破るべき「常識」と考えているものに、
- 宗教が政治にかかわるべきではない。宗教と政治は分離すべきだ。
というものがあります。
しかし、これは本当に正しい「常識」でしょうか?
別の見方をすれば、イエス・キリストが「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」(マタイによる福音書)と言ったために、宗教的権威と世俗的権力が分けられ、それがために、宗教的権威が、世俗権力がやること、例えば戦争などに対して歯止めがかけられなくなった面があるとも言えます。これが、キリスト教国である欧米列強が植民地支配を正当化してきた原因の一つでもありましょう。
その意味で、私たちの活動は「カイザルの手から神のものを取り戻す」運動でもあります。
私たちの住む世界は、目に見える世界だけではありません。
目に見えない世界から、様々な働きかけが、この地上世界に臨んでおります。
その、目に見えない世界の中で、最も権威ある世界、人類のすべての幸福を願って止まない存在であるところの神仏のいます世界から見て、価値なきものに、この地上で勝利を収めさせてはならないのです。
私たちの活動は、お仕着せの価値観、私たちを縛っている鎖や手かせ足かせを解き放ち、本来の姿を現すこと、それは、私たち一人ひとりが、本来持っている素晴らしい輝き(仏性とも神性とも呼ばれるもの)を、この地上世界に解き放つ運動に他なりません。
これは、従来の「宗教」の範疇を超えた活動でありますし、宗教でもなく、政治でもなく、経済でもなく、教育でもなく、科学でもなく、それら一切のものではなく、一切のものであり、一切の地上的な定義を許さないものであるのです。
したがって、小さな、従来の枠組みにおける「政教分離」等にあてはまるわけもありません。
これを称して「ユートピア価値革命」と読んでいるわけです。
わが党が「幸福維新」「幸福実現革命」と呼んでいることは、本質的に同じことを意味していると私は考えます。
国民の皆さまが、押し付けられた価値観に唯々諾々と従うことなく、真に主体的に判断されることを願って止みません。
それが、一人ひとりの真なる幸福へとつながっていくことを確信しております。
真なる自由こそが、真なる幸福へとつながります。
幸福実現党は、真なる自由、そして自由からの繁栄のために、永遠に戦い続けます。