徳なき指導者は去れ!
こんにちは!
みやもとさとしです。
内閣不信任案、本ブログを書いている現時点ではまだ予断を許しませんが、
菅首相は「震災復興の目途がつけば辞任する」と
辞任を引き換えに内閣不信任案可決を避ける考えのようです。
辞任は既に遅きに失しております。
そもそも首相になるべき人ではなかったのですが、
ともかくも菅首相が退陣することが、
国難回避、震災復興の第一歩です。
なぜなら、現政権のあり方、菅首相の考え方を、
神仏はよしとされていないからです。
それゆえ、今回の地震も、天の警告として顕れているのです。
古来より日本、東洋では、為政者が徳を失った時、
天変地異や他国からの侵略を受けるような国難に遭うとされていました。
徳ある人には、人知を超えたものに対する尊崇の念があることが必要条件です。
人は、人間を超えた崇高なる存在を認めるからこそ、
謙虚になり、正直に、真摯に生きることができるのです。
そうであってこそ、
無私にして、国たみのために尽くそうという思いが出てくるのです。
こうしたことは、戦後の唯物論・無神論教育の中で
宗教的価値が蔑ろにされてきたので、
現代に生きる人々にとっては
ちょっと受け入れがたい考え方に見えるかもしれません。
しかし、唯物論・無神論、
そして宗教を社会からも生活からも政治からも排除する考え方の方が
歴史的に見れば、また世界的に見ても、
異常で非常識な価値観なのです。
よく言われるように、アメリカの大統領も、
就任式には聖書に手を置いて宣誓します。
「多数決の専制」を防ぐために、宗教こそが民主主義を守る砦である」
といったのは、19世紀の政治思想家・トクヴィルです。
ヘーゲルも「国家は宗教を土台とする」と述べています。
現代日本の政治の混迷は、
まさに、日本人、特に日本のリーダーが、
宗教心を失ったことに起因していると言ってよいでしょう。
もはや、宗教心なく、徳なき政治家は、日本には不要です。
それが、皇祖・皇宗の神、天照大神の御心でもあると信じます。
「宗教心なく、徳なきリーダーは、去れ!」
と強く訴えたいと思います。
今朝の辻立ちは、
白山市鶴来の安養寺交差点にて。