ふるさとにも春の足音。
雪も、かなり消え、ふるさとにもようやく春が近づいてきました。
3月18日と、4月1日、実家のある白山市阿手町(旧鳥越村字阿手)に、少しの間だけですが、帰ってきました。
どちらも、まだ寒い日でした。
わたしはいま、同じ白山市日御子町に住んでいますが、いざ帰るとなると、なかなか実際以上に距離感があります。
「限界集落」という言い方は好きではありませんが、わが阿手町も、ごたぶんにもれず、わずか10軒ばかりの家が残るだけの限界集落になっています。
しかし、わたしはあきらめる必要はないと思っています。
かつて、鉱山があった当時には、この集落には100軒以上の家が立ち並んでいましたし、大日川ダムが建設されていたころは、お店も3件あり、まだかなりにぎわっていた記憶があります。
仕事があったからです。つまり、産業を興すこと。地域の特性を生かした産業は、創意工夫すればきっと生み出すことができます。
あと、情報は、現代では、インターネットなどの普及により、かなり便利になってきましたが、人の移動や物流など、現実にモノが移動するインフラも必要です。
産業を興すことと、自家用車だけではなく、公共交通機関の整備がセットで必要です。
これは、能登も白山麓も同じ事情だと思いますが、
例えば、金沢市内の職場に通えて、片町や香林坊でお酒を飲んでも帰ってこれる交通機関があれば、田舎で広い家に住めるメリットはかなり大きいのではないでしょうか?
では、どんな産業があるでしょうか?
もちろん、観光もあります。精密機械もいいと思います。ITもいい。思い切って、宇宙産業もいいかもしれません。
例えば、航空・防衛産業を小松市、IT産業を白山市、宇宙産業を能登、といったふうに産業を興し、石川県全体を、未来産業地帯にするとか。
あと、それぞれの産業が、他の産業と有機的に結びついて、非常に高い波及効果を生むように、それらをコーディネイトする人が必要です。
これは、決して夢物語でもなく、そういう気概と覚悟と熱意を把持し、努力していくことで実現可能であると思います。
実家近くにある、神社。幼いころは、境内で夏休みのラジオ体操や缶けり、変則ソフトボールなどをして遊んだものです。
峠の道から、大日スキー場を望む。