私の政策
12 January

塾に頼らず十分な学力が得られる公教育を

こんにちは。みやもとさとしです。

以下、北國新聞(2010年1月10日)より引用。
「家庭の支えで好成績に」
教育シンポ 上位の秋田、福井が秘訣
「日本一の教育力を問う」と題するシンポジウムが9日、東京都千代田区の日本教育大学院大学で開かれ、
文部科学省の全国学力テストと全国体力テストで好成績を収めている秋田県と福井県の教区長らが
「地域や家庭が学校を支えており、子供が落ちついて学習に取り組む環境づくりが学力にも好影響を与えている」との見解を示した。
基調講演で秋田大の阿部昇教授は
「秋田市を除き県内には塾がほとんどない。秋田は通塾率が全国で下から2、3番目と低く、学力は授業でつけるという当たり前のことができる」と分析。
パネルディスカッションでは福井県の広部正紘教育長が「国語、算数は毎日宿題を出し、国語の音読は必ず家族の前で読むように指導している」
と、家庭学習の重要性を強調した。
↑引用以上

「学力は授業でつけるという当たり前のこと」(阿部教授)が、当たり前になっていない現実がある。

私は塾の存在を否定しているわけではない。
塾はより高い付加価値を追求し、高度な学力を身につけたいと願う人のためにあるべきだと思う。
だから、学校と塾は共存共栄できるし、そうすべきであると思う。

しかし、「学力は授業でつける」ということが、公教育の本来の意味であり、
学力は授業では付けられないから、どうぞ塾へ行ってください、ということでは本末転倒である。
むしろ、学校で十分な学力を身に付けられないので、塾はもっと高度なことをやりたいのに学校の補習のようなことをやらざるを得ないということがあるのではないか。

高校の授業料も無償化することによって、ますます学力が下がり、その分を塾で補わなければならなくなるとすれば、却って負担は増す。塾の経費、子供たちのストレスという二重の負担が。

教師の皆さまには、日本の未来を担う子供たちを守り育てるということに自信と誇り、使命感をもって教育活動に臨み、
「学力は授業でつける」という当たり前のことを、しっかりとやっていただきたいものだ。