雪の想い出(1)
こんにちは!みやもとさとしです。
石川県は、一昨日あたりから大雪です!
そして、私は昨日も今日もほとんど雪かきに明け暮れています。
国難と重なって頻発する、各地での地震、そして豪雪。
これらは、地上の人々に対する神々の警告である。
などといったら、「そんな馬鹿な。そんなことは迷信に過ぎない」と嘲笑う人が多いかも知れない。
しかし、昔信じられていたことが、いくら科学文明が進んだからと言って、一概に否定されるものでもない。
人間存在を超えた超越的存在、神仏への尊崇の念、礼節が失われたところに、現代社会の混乱の原因がある。
国家の背骨には、しっかりとした宗教的精神が必要である。
背骨なき、クラゲのような国家とならぬように、宗教立国をめざす。
それが、幸福実現党が宗教政党を標榜する所以であり、ここから逃げることはできないと私は考える。
正々堂々と、信仰の大切さを訴えていきたい。
以上、前置きですが、私の幼いころの想い出話を一つ。
雪深い山村の生まれゆえ、雪にまつわる思い出は数限りないのですが、
今日ふと、雪かきをしながら思い出したのは、
小学校3年生ぐらいの時のこと。
私はトタンぶきの納屋の屋根に登って、屋根雪を落としていた。
とつぜん、屋根雪が滑り落ち、私も一緒に滑り落ちた。
とっさに私は左手を伸ばして屋根の端につかまろうとした。
ところが屋根はトタンだったため、軍手をしていたが、軍手もろとも指を切ってしまった。
幸い屋根雪の下になって圧死することはなかったが、左手中指の切り口から白いものが見えた。
私はあわてて母を呼んだ。父は仕事でいなかったように思う。
母は、私を抱えて、当時まだ私の住む集落(阿手)にあった診療所に運んでくれた。
そこで縫ってもらったが、それ以来、中指の第1関節は曲がらなくなった。
小学3年生とはいえ、結構体は大きな方だったから、母が私を抱きかかえて走るのはかなり大変だったと思うが、よく走ってくれました。
もし母も誰もいなかったら、出血多量で死んでいたかもしれない。
そう思うと、母に感謝せずにはいられない。
まあ、面と向かっては照れくさくてあまり言えないので、ここで言っとこう。
「かあちゃん、ありがとう」。
ブログも見るわけはないので、この声は聞こえないだろうが。