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July
宗教と政治について(4)
世を捨て、悟りを求める道ばかりが宗教の道ではない。 世の多くの、迷い、悩み、苦しむ衆生を尻目に己ひとり、悟りを得たとて、何になろう。 そういう思いで、親鸞は比叡山を降りたに相違ない。 日蓮も己が教勢拡大ばかりを望んでいたならば、 在家信者わずか数百名の教団規模の時期に、 鎌倉幕府相手に法難覚悟で国難来襲を叫ぶ必要はなかった。 己ひとり、あるいは自らの教団の利害を超えて、 世のため人のため、神仏の理…
世を捨て、悟りを求める道ばかりが宗教の道ではない。 世の多くの、迷い、悩み、苦しむ衆生を尻目に己ひとり、悟りを得たとて、何になろう。 そういう思いで、親鸞は比叡山を降りたに相違ない。 日蓮も己が教勢拡大ばかりを望んでいたならば、 在家信者わずか数百名の教団規模の時期に、 鎌倉幕府相手に法難覚悟で国難来襲を叫ぶ必要はなかった。 己ひとり、あるいは自らの教団の利害を超えて、 世のため人のため、神仏の理…
正義! 現在ほど、正義とは何であるかを追究することが大切な時代はない、と私は思います。 この国の人々は、「何が好きで何が嫌いか。」で判断する傾向があるように思います。 たとえば、 「戦争は嫌い。だから、戦争をするのはよくない」 わが子を戦場に送りだすことは、親であるならば、正直にいえば誰もが嫌だと思うこどでしょう。 人を殺すことも、殺されることも、いやだ。 それが、良心のある人々の自然な感情でしょ…