04
February
人生と神の栄光について
生きてゆくということは、何かを捨てるということでもある。 おとなになるということは、子供時代の考え方や行動を捨てるということでもある。 何かを得るために、何かを捨てるということだ。 捨てるという言葉が穏当ではないならば、なにがしかの対価、代償を払うということだ。 受験で合格したり、スポーツで優勝したりするためには、友人と遊びたい時間を捨てて、努力する。 富を得るためには、労働(労働でなくても、投資…
生きてゆくということは、何かを捨てるということでもある。 おとなになるということは、子供時代の考え方や行動を捨てるということでもある。 何かを得るために、何かを捨てるということだ。 捨てるという言葉が穏当ではないならば、なにがしかの対価、代償を払うということだ。 受験で合格したり、スポーツで優勝したりするためには、友人と遊びたい時間を捨てて、努力する。 富を得るためには、労働(労働でなくても、投資…
世を捨て、悟りを求める道ばかりが宗教の道ではない。 世の多くの、迷い、悩み、苦しむ衆生を尻目に己ひとり、悟りを得たとて、何になろう。 そういう思いで、親鸞は比叡山を降りたに相違ない。 日蓮も己が教勢拡大ばかりを望んでいたならば、 在家信者わずか数百名の教団規模の時期に、 鎌倉幕府相手に法難覚悟で国難来襲を叫ぶ必要はなかった。 己ひとり、あるいは自らの教団の利害を超えて、 世のため人のため、神仏の理…