Posts Tagged ‘鎮魂’

東日本大震災での犠牲者の追悼や被災者の支援に、多くの僧侶らも奔走している。「宗教者の果たすべき役割とは何か」「祈りで人は救えるのか」。死者行方不明者2万6千人超という現実に、宗教者も悩み、苦しむ毎日が続く。28日は「四十九日」。寺には葬儀の読経を求める人たちがいまも訪れている。

【東日本大震災】「祈りで人は救えるのか…」宗教者も悩み、苦しむ毎日続く+(1/2ページ) – MSN産経ニュース

「祈りで人は救えるのか…」
宗教家としては、これに対して、明確に答えなければならないでしょう。

まず、宗教としては当然のことながら、「あの世がある」ということが前提となります。
不幸なことに、不慮の災害で亡くなった方々が、迷うことなく、あの世の天国へと還るためには、死後の世界への導きを与えなければなりません。
それが、「引導を渡す」ということの本当の意味です。
ですから、引導を渡せる人は、それなりの宗教修行をした人である必要があります。
したがって、あの世の世界を信じていない人は論外として(それは宗教家とは言えないでしょう)、あの世があるかどうか半信半疑の人であっては、引導を渡せないのは当然のことです。

一部には、仏教を「唯物論」と見る向きもありますが、皮相な解釈あるいは曲解すればそのように見えなくもないものもありますが(例.「無我の思想」の唯物論的解釈=死ねば何もかもなくなる)、釈尊が「三世(過去世・現世・来世)の因果」を説かれたり、「神々との対話」「悪魔との対話」、次第説法などを説かれているのを見れば、あの世がなければ成り立たない教えであることが明確です。
(ちなみに「神々との対話」「悪魔との対話」の現代版(現代的証明)として、大川隆法総裁は、数々の神々とも言われる高級諸霊や守護霊、悪魔との対話を行い、「霊言現象」として収録、各支部や精舎等でDVDにて上映、書籍として出版もしています)

未曽有の大災害で亡くなった多数の方々に対しては、「鎮魂」こそが、宗教家としてなすべき最大の責務でしょう。

この世を去った魂たちに対しては、「祈り」によってあの世の真理を伝えることができます。

人間は、もともと天国から地上に生まれ変わってきます。
その目的は、地上で様々な経験を積み、魂の糧となして、一層の成長を期すためです。
そしてこの地上を理想郷に近づけるために、努力することが地上生活の意味であり使命です。
この地上での死は、決して終わりではありません。
運拙く、人生修行を全うすることなくこの世を去ったとしても、それですべてが終わりではありません。
あの世で幸福に暮らすことはできますし、また地上に生まれ変わってくることもできます。

こうした、正しい真理を、祈りを通して、亡くなった方々に伝え、安らぎを与えること、すなわち「鎮魂」が宗教者の使命です。

もちろん、宗教者として事後的な「鎮魂」だけでなく、事前に死後の世界について「啓蒙」しておくことも大切な仕事でしょう。
また、すべての人々が幸福に生きる理想世界の未来のビジョンを示していくことも大切でしょう。

しかし、実際に現実社会での「救済」、この世でも魂修行を全うさせるための環境づくりは、政治の大きな仕事であると思います。

地震や津波などの自然災害もそうですが、「他国侵逼(しんぴつ)難」(他国との戦争や侵略の危機)にも備え、防災・防衛体制をしっかりと整え、すべての国民が幸福に暮らし、それぞれの魂修行を全うできる国家(仏国土)を建設すること、最大幸福社会を目指す未来ビジョンを示すこと、それが宗教政党・幸福実現党の使命でもあると考えます。


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毎年この時節になると、閣僚の靖国神社参拝の問題が取り沙汰される。
靖国神社とは別の、国立追悼施設を設立すべきだとの意見もある。

様々な人々が、様々な観点から、様々な意見を述べているが、わたしは、供養とか慰霊、あるいは鎮魂といった本来の意義が十分理解されていないところに本質的な問題があるのではないかと思う。

毎年、終戦記念日でもある8月15日、日本人の多くは、墓参りに行く習慣がある。
お盆には墓参りをする、という風習が広く日本人に受け入れられているために、全国で交通渋滞が発生することになる。

墓参りの本来の目的は、「供養・慰霊・鎮魂」である(ここでは三者を同義語として使う)。
勿論、お盆に帰省して両親や親戚、友人たちと会う、という目的もあるが(むしろ現代では、こちらのほうがメインになっているかもしれないが)、第一義的には、「供養・慰霊・鎮魂」が目的である。

「供養・慰霊・鎮魂」ということが成り立つためには、当然、死後の世界やあの世の存在を認めなければならない。
あの世に還った霊に対して、迷っている場合には迷いの世界から光の世界へと上っていけるよう、救いの念を投げかけ、すでに天国に還っている霊に対しては、さらに高い世界へと上っていけるよう感謝・祝福の念を送る、といったことが必要なのである。
そしてこれは、宗教によって作法に違いはあるが、当然ながら、それなりの宗教修行を積んだ導師でなければ不可能な行為である。
つまり、一定の法力・霊力がなければ、死後の魂を救済することはできないのだ。
(勿論、遺された近親者や縁ある人々の感謝・尊敬などの念が浮力となることはありうるが)

お盆のお墓参りに僧侶を呼んで読経してもらうのは、本来、そういう理由による。
したがって、もし僧侶にして、死後の世界を信じていないにもかかわらず(そのようなことはあってならないことだが)、お経を読誦することによって供養と称して布施を受けるとするならば、それは詐欺に近いといってよい。

つまり、「供養・慰霊・鎮魂」という行為は、きわめて宗教的な行為であり、それを実効あらしめるためには、宗教的に専門的な知識と能力が必要であるということである。
したがって、宗教性のない慰霊施設、などというものはありえず、それは生きている人々の自己満足に過ぎないことになる。

こうして見ると、この問題の背景には、あの世や霊、神仏の存在を認める立場と、そうしたものを認めない、唯物論勢力との戦いがあることが見えてくる。

また、神道的には、神社を建てるなどして亡くなった方を神として祀ることにより慰霊・鎮魂する、という方法はよくとられることである(例.明治神宮、東郷神社、松陰神社など)。
靖国神社もまた、英霊・戦没者を祀る、慰霊・鎮魂のための宗教的施設である。

したがって、靖国神社に参拝する本来の目的は、宗教的指導者の導師のもと、慰霊・鎮魂する、という極めて宗教的な行為をなすにある。

こう見てみると、(宗教家ではない)政治家が靖国神社に参拝することをとやかく言うこと自体がナンセンスであると言えよう。
目的は、戦没者の供養・慰霊・鎮魂である。それを、神道的作法に則って行なうというだけの話である。

閣僚が神道的儀礼に則って慰霊・鎮魂することは、政教分離に反するのではないかという意見が出るであろう。
しかし、これによって、特定の宗教を保護したり、国民に特定の信仰を強要することにはならない。
アメリカ大統領は就任式のとき、聖書に手を置いて宣誓する。
これが政教分離に反する、などとは誰が言うだろうか?

他の宗教勢力がもし非難するならば、自らの教義に則って、もっとすばらしいと信ずる慰霊・鎮魂の施設を作ればよい。多様な選択肢の中から選べるようにし、あとは自由市場に任せればよい。

また、国家のために命を投げ出した英霊、戦没者を供養するという崇高なる儀式・行為に対して、外交圧力をかける国は、それ以上の供養の仕方をわが国に教えたい、ということであろうか。
これを、内政干渉と言わずして何と言おうか。
他国、特に唯物論を国是とする国に、とやかく言われる筋合いは絶対にない。

あの世を信じない、霊も神仏も信じない、そのような唯物論・共産主義国家に供養や慰霊について論ずる資格も能力もあるはずがない。

我が国は、文明国の一つとして、信教の自由が認められている。

旧ソ連邦、北朝鮮、中華人民共和国。
唯物論・共産主義体制の圧政下、何百万、何千万の人々が粛清されたことか。
多くの国民が自由を奪われ、いまも、迫害・弾圧のなかにある。

「神も仏も信じない」ということが、これほど悲惨な国家を生むという証拠である。
このような思想のもとでは、決して基本的人権を尊重するという考えは生まれない。
基本的人権の基には、人間は神の子、仏の子であるという思想が必要である、ということである。

先の大戦が終わってから65年を迎えた。
この65年間、我が国は平和と繁栄を謳歌してきたわけであるが、その一方で、かなり左翼的な思潮に、換言すれば、唯物論・無神論に圧されてきた。
それは、いわゆる保守や右派と言われる論者の中にも浸入していると見られるし、残念ながら、宗教界の思潮の中にも流れ入ってきている。
(死後の世界をない、とする宗教家が残念ながらいるということだ。これは宗教にとって自殺を意味すると思うが、本稿の主旨ではないので別の機会に論じたい)
この点は、残念ながら、戦後の左翼的教育による洗脳が見事に成功した結果と言わなければならない。

その思想の意味するところは、結局、この世における生存を至高のものとする考え方であろう。
このような思想からは、自らを犠牲にしてでも崇高な責務を果たす、などという価値観は生まれてこない。
しかし、歴史は、そうした自らの身は顧みず理想を成し遂げようとする有名・無名の勇者によって紡がれてきた。

私自身は、幸福の科学の信者として、また、宗教政党・幸福実現党の党員として、死後の世界も、あの世の霊も、神仏の実在も、明確に信じている。
また、宗教法人・幸福の科学の僧職者として、宗教的な職務にも就いている者である。

そうした、自らの宗教的良心に基づいて、先の大戦においてはもちろん、二千数百年前、いやおそらくはもっとはるかなる以前から、この日の本の国を理想の国にせんと励み、身命を賭せられた無数の有名・無名の英霊に対して、心からの感謝と尊崇の念を捧げるものである。

さらに、そうした方々の努力に報いるためにも、唯物論・無神論勢力を断じて打ち破り、日本を宗教立国、すなわち信仰を背骨とした国家となし、日本という国を、世界の憧れとなるような、理想の国とするために、全力を捧げたいと思う。
日本が世界のリーダー国家となって、最高の繁栄と平和を示し、宗教的寛容の精神を以って世界から紛争をなくし、平和と繁栄へと導く。
そうした崇高な使命を果たせる国にしていきたいと思う。

これが私の、終戦記念日に、神仏、そして英霊に捧げる誓いである。


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