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宗教が政治にかかわることはよくない、というのは、多分にデマゴギーであると思います。
先の大戦においては、国家神道が他宗を(同じ日本神道系である教派神道―大本教など―さえも)排撃してしまったこと、当時の政治的指導者のミスジャッジや軍部の暴走があったことなどが主たる原因であって、全てを十把一絡げに、「宗教」のせいにするのは、冤罪というものではないだろうか。実際、戦争に反対した宗派もありました(それ故に迫害要因になったのですが)。
もし、宗教が政治にかかわることをすべて悪とみなすならば、聖徳太子も聖武天皇も、すべて悪人となってしまいます。
よく言われることだが、アメリカでは大統領就任式で、聖書に手を置いて宣誓します。
これを単なるポーズ、儀式上のことだけと捉えるのは、唯物論に依拠する共産主義国家を除けば、日本だけではないでしょうか。
唯物論国家を除けば、宗教心があることはごく普通のことであり、ましてや政治家など、指導的立場にある人が無宗教であるというのは、基本的に信用されないということを意味します。
宗教が政治に関与することが悪いのではなく、政治が宗教、あるいは宗教的権威を利用(悪用)することが悪い結果を生むことがあるということでしょう。
先の大戦における、軍部の暴走のように。
現代の政治家たちの中にも、信仰心があるように見せながら、その実、その教団の信者の票だけが目当てのことも多いのではないでしょうか。その証拠に、複数の団体に所属している国会議員も多いと聞きます(宗教的寛容性のゆえに、複数の団体に所属している、あるいは、真理を多角的に探究したいために、そうしている、というなら理解はできますが)。
このように、信仰心なく、宗教を利用だけしようとしている政治家が、国を誤った方向に導こうとしているならば、もし神仏がいらっしゃるならば、そのような事態をいつまでも看過されているとは思えません。
時には、厳しき愛を示すことがあるのではないでしょうか。
たとえば親が、非行に走ろうとしているわが子供を、厳しく叱り、正しい道に導こうとするように。
多くの国民の身に不幸が及び、塗炭の苦しみを味わうことが見えているならば、何らかの警告を示すことも、当然ありうるでしょう。
それが、昨年の、3・11東日本大震災であったり、その後の台風であったり、今年の豪雪であったり。
こうした現象は、過去にもあったことであり、現在も起きており、これからも起きうるでしょう。
間もなく建国記念の日を迎えますが、いまや、唯物論国家並みに、いやそれ以下に信仰心が落ち込んだ日本の姿を見れば、幾千年にわたり日本を護り、育んでこられた神々は、さぞやお嘆きになることだろうと思われます。
このような信仰心を失った日本の国民の姿を見られて、何らかの警告を発されることと思います。
心ある日本国民の皆さま、ぜひ、その警告に気付き、耳を傾けていただきたいものだと切に願います。
願わくは、日本が平和で、繁栄し、世界をも平和と繁栄に導かんことを。
そのために、基本として、どうしても必要なのが、信仰心です。




昭和21年にPHP研究所を創設して以来、会長はその活動を進める過程で、この世の中に真の繁栄・平和・幸福を実現していくには、お互い人間の本質を正しく究め、それに則してものごとを考えていくことこそ肝要であることに思い至った。
これまで人類が、常に繁栄・平和・幸福を求めながら、幾たびとなく争いを繰り返し、あるいは苦悩にあえぎ、貧困に陥りつつ、今日に至っているのは、結局お互いが人間の本質を的確に把握していないからではないかと考えたのである。
そこで、会長は、PHP研究の基本の課題の1つとして、人間とはどういうものかの解明、つまり新しい人間観の確立を掲げ、20年以上にわたって衆知を集めつつ検討、研究を重ねてきたが、昭和47年8月、そうした衆知の所産ともいうべき成果を「人間を考える-新しい人間観の提唱」として発刊した。
宇宙における生成発展の理法に始まり、万物の王者ともいうべき人間の天命の偉大さとその自覚実践の意義、さらに衆知を生かすことの大切さを説くこの書は、万国博を境に急速な転換を迫られて、混迷の度を加える世にあって、読者に感銘を与えた。なお、同書は、昭和50年2月、「真の人間道を求めて」を収録し、「人間を考える」として再刊された。
松下幸之助の生涯:141. 「人間を考える」を発刊 1972年(昭和47年) | 会社情報 | パナソニック企業情報 | Panasonic
30数年前、高校時代、高校の図書館で偶然見つけた書籍です。
中学時代、「ノストラダムスの予言」が流行ったこともあってか、私は、かなりネガティブな人生観・世界観を持っていたように思います。
石油も、当時はあと30年ぐらいで枯渇すると言われていたように思いますし、自動車の排ガス規制も厳しくなっていた時代です。
戦争を繰り返している人類、動植物など、他の生命を奪わねば生きていけない存在。
ノストラダムスの終末予言は信じる気がしませんでしたが、人類はいつか滅亡するのではないだろうか、という漠然とした不安がいつも付きまとっていたように思います。
そんな時代に出会ったのが、本書です。
ある意味で、自分自身の人間観がひっくり返されました。
「宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である。
人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間は、たえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の繁栄を生み出すことができるのである。
かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である。
この天命が与えられているために、人間は万物の王者となり、その支配者となる。…」
私が抱いていた、ネガティブな人間観・世界観とは真逆の、力強い、積極的で、しかも責任感に満ちた人間観が提唱されていました。
人間を神の子・仏の子とみる幸福の科学の教えとも一致するものであり、私が幸福の科学と出会う端緒となった人間観であったとも言えます。
世界は、サブプライム・ローンの破たん、リーマン・ショック、ギリシャ危機など、打ち続く経済不況、テロや紛争、革命も頻発し、大変な闇が近づいているかのように見えます。
日本においては、東日本大震災、その津波による福島原発の事故。
世界も、日本も、暗い世相です。
改めて、PHP文庫となって再刊されている同書を読み返してみました。
終末を予感させるようないまの時世だからこそ、改めて必要な人間観だと思いました。
震災を「天罰」と受け止め、滅びへの予兆と考える必要はまったくないと思います。
人間を超えた存在を認めるという意味で「天罰」もありえると捉えるのは構わないと思いますが、そうした天意は、あくまでも「警告」と受け止めたいものです。
ときには、厳しい父親が、過ちを犯そうとしている子を敢えて叱って教導するようなものでしょうか。
しかし、人類がこのまま滅びに至ることは、決して天意ではないでしょう。
生成発展している宇宙のなかにおいて、人間は万物の王者として、困難を乗り越えて、真の繁栄を生み出す天命を果たすべきだと思います。
王者であるということは、傲慢であっていいということを意味しません。
むしろ、王者であるが故の責任、ノブレス・オブリッジを果たすことを求められているのだと思います。
被災された皆様方には、大変お気の毒に思います。
打ちひしがれた人々を勇気づけ、希望を抱いていただくためにも、いたずらに悲観的な情報を流すのではなく、このような力強く積極的な人間観に基づいて、この不幸をバネとして、さらなる繁栄を実現していこうという力強い意志ではないでしょうか。
いかなる災厄が訪れようとも、それは決してこの世の終わりではありません。
必ず、それをバネとして、以前にも増した繁栄を実現すること、それこそが、真の王者たる人間に課せられた天命であることを信じて止みません。




本日は、幸福の科学金沢南支部にて、幸福実現党創立者である、大川隆法幸福の科学グループ創始者兼総裁による「『危機に立つ日本』講義」を拝聴させていただきました(全国に衛星中継)。
財政赤字の問題、不況の問題、外交の問題、まさに昨年、幸福実現党が警告を発した国難が、現実のものとなっています。
これらを解決するための、様々な示唆にあふれる内容でした。
私たちは、今夏の参院選の勝利を目指しておりますが、単に議席を得たいと言うだけではなく、10年~30年、いや、国家百年の大計に立ち、責任を以って日本と地球の未来を拓くという志と気概を持っております。
その実現のために、力を尽くし、訴えてまいりたいと思います。
本書のあとがきには、こう書かれています。
「国師・大川隆法、何者をも恐れることなく、『危機に立つ日本』を警告する。心ある者よ、真実の叫びというものは、実に実に強いものなのだ。真実は死なない。真実は絶対に死なない。
この世に希望というものがある限り、そして永遠なる真理が続く限り、勇者とは、ただ一人にても吼え続けるものなのだ。」
私の最も感動した言葉の一つです。
日本をすばらしい国にしたいと願っておられる方にぜひ、ご一読をお勧めいたします。
また、大川隆法総裁の最新刊『世界紛争の真実―ミカエルVS.ムハンマド』も発刊になりました。
これは、大川総裁を通して、ミカエルとムハンマドが降ろした霊言を収録したものです。
俄かには信じがたいと言われる方も多いかと思いますが、ぜひ、ご一読いただきたい内容です。
世界はいま、キリスト教文明とイスラム教文明とが激突していますが、その真相に迫ることで、解決へと一歩近づくことができます。
反目している2つの世界宗教を融和させ、この地球を、愛と美と調和の星に変えていくことも、幸福の科学および、幸福実現党の使命であると考えます。
その道は遠く険しいとはいえ、一歩一歩、歩んでまいりたいと思います。




こんにちは!みやもとさとしです。
石川県は、一昨日あたりから大雪です!
そして、私は昨日も今日もほとんど雪かきに明け暮れています。
国難と重なって頻発する、各地での地震、そして豪雪。
これらは、地上の人々に対する神々の警告である。
などといったら、「そんな馬鹿な。そんなことは迷信に過ぎない」と嘲笑う人が多いかも知れない。
しかし、昔信じられていたことが、いくら科学文明が進んだからと言って、一概に否定されるものでもない。
人間存在を超えた超越的存在、神仏への尊崇の念、礼節が失われたところに、現代社会の混乱の原因がある。
国家の背骨には、しっかりとした宗教的精神が必要である。
背骨なき、クラゲのような国家とならぬように、宗教立国をめざす。
それが、幸福実現党が宗教政党を標榜する所以であり、ここから逃げることはできないと私は考える。
正々堂々と、信仰の大切さを訴えていきたい。
以上、前置きですが、私の幼いころの想い出話を一つ。
雪深い山村の生まれゆえ、雪にまつわる思い出は数限りないのですが、
今日ふと、雪かきをしながら思い出したのは、
小学校3年生ぐらいの時のこと。
私はトタンぶきの納屋の屋根に登って、屋根雪を落としていた。
とつぜん、屋根雪が滑り落ち、私も一緒に滑り落ちた。
とっさに私は左手を伸ばして屋根の端につかまろうとした。
ところが屋根はトタンだったため、軍手をしていたが、軍手もろとも指を切ってしまった。
幸い屋根雪の下になって圧死することはなかったが、左手中指の切り口から白いものが見えた。
私はあわてて母を呼んだ。父は仕事でいなかったように思う。
母は、私を抱えて、当時まだ私の住む集落(阿手)にあった診療所に運んでくれた。
そこで縫ってもらったが、それ以来、中指の第1関節は曲がらなくなった。
小学3年生とはいえ、結構体は大きな方だったから、母が私を抱きかかえて走るのはかなり大変だったと思うが、よく走ってくれました。
もし母も誰もいなかったら、出血多量で死んでいたかもしれない。
そう思うと、母に感謝せずにはいられない。
まあ、面と向かっては照れくさくてあまり言えないので、ここで言っとこう。
「かあちゃん、ありがとう」。
ブログも見るわけはないので、この声は聞こえないだろうが。



