Posts Tagged ‘自由市場’

世を捨て、悟りを求める道ばかりが宗教の道ではない。

世の多くの、迷い、悩み、苦しむ衆生を尻目に己ひとり、悟りを得たとて、何になろう。
そういう思いで、親鸞は比叡山を降りたに相違ない。

日蓮も己が教勢拡大ばかりを望んでいたならば、
在家信者わずか数百名の教団規模の時期に、
鎌倉幕府相手に法難覚悟で国難来襲を叫ぶ必要はなかった。

己ひとり、あるいは自らの教団の利害を超えて、
世のため人のため、神仏の理想実現のために活動するところにこそ、
宗教としての真骨頂があり、
そこに真の公益性があるからこそ、
宗教法人は公益法人として認められていることと思う。

いま、我が国の未曾有の国難に際し、
心ある宗教者ならば、国が間違った方向に進まんとしているならば、
声を励まして叱正するのは当然であろう。
国家の背骨たらんとする気概のある教団ならば、
総力挙げてその阻止に当たるのも当然であろう。

いま、我が国は、本格的な左翼政権の誕生により、
国家社会主義、全体主義の方向へと、舵が切られている。
外交・国防においては、中国・北朝鮮の軍事的脅威に曝されている。

しかし、最大の国難は、
このような、国家が危難のときにあっても、
偸安の夢を貪る人々が多いことだ。

憂国の士が多数いるときには、例え万一、国が滅びることがあったとしても、
それらの人々が草莽崛起し、再び故国を独立に導くことができよう。

しかし、現状はどうか。
志高き、草莽の志士が、どれだけいることか。
いや、無数の志士が、無告のまま、まだ眠っていることを信じたい。
彼らは目覚めれば必ずや、あの明治維新のときのように、
大車輪の活躍をするに違いない。

最大の国難の原因は、我が国の国たみが、
自国への誇りと、自らの使命感を見失っているところにあると思う。

この国を、どうしたいのか。
どのような国家を理想とするのか。
そしてそのような国の建設に向けて、
国民一人ひとりは、何をなすべきなのか。
こうしたことは、本来、国家のリーダーが、そのビジョンを示し、
広く国民に呼びかけなければいならない。

しかし、いま、我が国の政治的リーダーたちは、
バラマキの甘言ばかりを国民に告げ、
国民の多くは、どの政党が、われわれに多く与えてくれるか、
面倒を見てくれる政府にしてくれるか、
そうしたことに、殆どの関心があるかのようにも見える。
それはおそらく、マスメディアの誘導にもよるのであろう。

心ある国民は、告げられていない、
無告であるがゆえに、迷い、惑っているに違いない。

我が国の政治家は、悲しいことに、
かつて、J・F・ケネディが語った、
「国家があなたがたに何をしてくれるかを問うなかれ。
あなた方が国家のために何ができるかを問いたまえ」
(“Ask not what your country can do for you;
ask what you can do for your country.”)
というような言葉は、落選が怖くてとても言えまい。

この国は、リーダーも国民も、気概を失ってしまったと言わざるを得ない。

こうした気概、それに象徴されるような精神性、倫理観、サムライ精神、
その根源なる宗教そのものを軽視し、無視し、軽蔑してきたところに根源的な原因があると思う。

私は、特定の宗教の教義を国民に押し付けようという意図はない。
むしろ、宗教も“自由市場”の下に晒して、宗教同士が切磋琢磨することにより、
様々な良き宗教が栄え、悪しき宗教が淘汰されていくことが望ましいと考える。

こうした善なる宗教的価値観、宗教的精神を背景にした勢力だからこそ、
左翼思想、唯物論・無神論、全体主義に対する明確な防波堤となりうるのだ。

民主主義の時代はまた、宗教が繁栄する時代でもある。
こう書くと、奇異な感じを抱く方が多いかも知れない。
しかし、マックス・ウェーバーも、同じような考えを持っていた。

宗教の原理と、民主主義の原理とは、相容れないものではない。
多くの人々の賛同・共感が得られなければ、宗教は広がるものではない。
この意味で、宗教は、民主主義的な原理をその内に含んでいるものである。

また、民主主義は繁栄主義である、とも言われる。
個人個人がその才能や能力を最大限に開花させることにより、
百花繚乱、花開くがごとく、世の中は繁栄する。

正しき宗教もまた、個性を殺し、人々を抑圧するものではなく、
各人の個性や才能を最大限に開花させ、
神の栄光を地上に顕現することこそ、人間の使命であるとするものである。
こうした考えの下で、プロテスタンティズムも推し進められたはずである。

したがって、宗教と民主主義とは、決して相反するものではなく、
むしろ繁栄主義としての民主主義を促進し、
全体主義的抑圧から人々を護り、自由を護り、
新しく自由を創設するものこそ、
真の宗教であると信ずる。

わたくしは、全体主義、唯物論・無神論、国家社会主義に対して、
断固としてプロテストすることをここに誓うものである。
増税に反対する真意も、ここにある。
これは単に財政赤字の問題だけではないのである。
増税に向かうということは、必ず大きな政府となり、
国民を抑圧する方向へ向かうからである。
このことを警告しているのである。

繰り返し、言う。
宗教的信条に従って、宗教者あるいは宗教団体が政治参加することは、
全く間違ったことではないし、
むしろ、この国難の時代には世を糾す、という意味では、
どうしても必要であると信じるものである。


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幸福実現党は、昨年の衆院選に続き、今年の参院選でも議席を獲得することができませんでした。
しかし、あきらめることなく、歩みを止めることなく、立党の志を忘れず、前進し続けてまいります。

惨敗、という厳粛な事実に目をそむけるわけでもなく、
しかし、それにこだわることなく。

考えてみれば、私たちは、現代の「常識」と思われることに、ことごとく逆らうかのごとき考えを持ち、活動をしています。

「宗教政党」であること。

地方議員を持たず、いきなり国政選にチャレンジしていること。

政策が「過激」に見えること。

などなど。

しかしつまるところ、「政教分離」(宗教が政治に関与してはならないかのように誤解されている)があたりまえのような状況のなかにあって、あえて「宗教政党」を名乗っていること。

これに尽きるのかもしれません。

しかしながら、如何に不利であろうと、これはわが党の「党是」ともいえるものであり、これを変更することはもちろん、薄めるようなこともするべきではないと考えます。

減税、小さな政府や、集団的自衛権、憲法9条改正を謳っている点など、政策的には、いわゆる「保守」に分類される、どの保守政党よりも、「保守」的であると思います。

しかしながら、いわゆる「保守」政党と根本的に異なる点は、まさにその精神性にあります。

宗教的精神こそが、国家のバックボーンに必要であり、唯物論・無神論および、それに基づくところの社会主義・共産主義は明らかに間違いであることを闡明している点です。

なぜあえて、この世において不利であること明らかな「宗教政党」を名乗っているのか。
それは真実であり、必要なことでもあるからであると信じております。

世界を見渡せば、イスラム教国は言うまでもなく、欧米諸国も、キリスト教的精神をバックボーンに持っております。
宗教をバックボーンに持たない国など、共産主義国家・社会主義国家・そして日本以外にはありません(日本にもかつてはありましたが、いまは骨抜きにされています)。
この意味でも、「日本は(最も成功した)社会主義国家だ」という評は当たっていると言えます。

しかし、宗教性を持たず、経済的にのみ繁栄する国家は、「エコノミックアニマル」と揶揄され、尊敬されえません。

その意味で、「宗教政党」を掲げる理由は、反社会主義・反共産主義・反唯物論・反無神論を闡明していると言ってよいでしょう。
唯物論・無神論、そしてその思想に基づく国家体制、あるいは社会主義・共産主義体制がどれほど人類を不幸にしてきたことか。
それは、この世における不幸に止まらず、あの世においても、大変な混乱と迷妄、闘争を引き起こしている、という点を、宗教の立場から明らかにしておきたいと思います。

私たちは、無神論者・唯物論者の言論その他の自由は保障されているにもかかわらず、信仰者のそれは必ずしも十分保障されていない現状を、決して容認することはできません。

人として生まれて信仰心なきことは、動物と変わらない、何より恥ずべきことであるということを明らかにしたいと思います。

もちろん、ここで言う「宗教」とは、幸福の科学の教義ですべてを染め上げよう、という趣旨ではありません。

それぞれの良心に従って、自由に宗教を選んでいただけばよいのです。

宗教においても、民主主義の原理は働くのであり、より多くの支持を得た宗教が大をなしてゆくのはごく当然のことです。

宗教もまた、自由市場に任せたらよいと思います。

国政選において2連敗したわが党ですが、
いまの選挙戦のシステム、あるいは枠組み自体にアンチテーゼを投げかけていると言っていいでしょう。

つまり、組織票をベースにして、それにマスコミが誘導する「世論」に浮動票がのっかるというかたちであり、
これは「一人ひとりが、良心に基づいて、候補者、あるいは政党の、政策や人物をじっくり見て、投票している」というかたちには必ずしもなっていないと思います。

あえていえば、真の民主主義として正しく機能していない、ということです。

だから、この枠組み自体を、変えようとする挑戦でもあります。

ここに、私たちの選挙戦の困難の2つ目があります。
つまり、「集票」活動というより、「啓蒙」活動とならざるを得ないと言えます。

しかし、真の民主主義政治を日本において実現するためには、こうした啓蒙活動はどうしても必要であり、この世の利権とは直接縁がない、宗教政党こそ、その責務を負うべき立場にあると信じます。

1つ目に、市民権を得ていない、「宗教」を看板に掲げて戦うことの困難さ。

2つ目に、いまの選挙戦の枠組み自体を変えようとする戦いであることの困難さ。

さらに付け加えるならば、世界全体が左傾化してゆく流れの中で、敢えて、「自由」の大切さを説く困難さがあると思います。

いわゆる「福祉国家」と呼ばれる国のあり方は、人に優しいようでありながら、実はそうではありません。

(国家)社会主義へと流れてゆくこの流れは、「自由の死」に向かう方向であり、それは結局のところ、国民全体を不幸にする流れであります。

このことは、いくら繰り返し訴えても十分ということはありません。

ことほど左様に、この国の国民(あるいは世界中の人々がそうかもしれませんが)、あえて厳しい言葉でいえば、「洗脳」されていると言って過言ではありません。

この点については、また筆硯を新たにして述べてまいりたいと思います。

ともあれ、今回の敗戦は、幸福実現党が大をなしていく一里塚であり、これによって怯んだり後退したりすることはあり得ないことを宣言しておきたいと思います。

われらは、最初から横綱を目指しております。
いわば、せいぜい「幕下付け出し」でデビューしたばかりの力士が、言ってることは横綱顔負け、といった状況でしょうか。

しかし、相撲を取ってみれば、実際は横綱にかなわないのであり、そういう意味で、敗戦は仕方がないでしょう。

しかし、横綱を目指すものは、最初から志が違います。
ただ「勝てばいい」とばかりに、姑息な技は使いません。
堂々と、ただ押し、突き、寄り、という王道を歩むのみです。


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