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誰かが幸せになると、誰かが不幸せになる、っていう世の中は、いいと思いますか?
みんなが幸福になる、っていうのはなかなか難しいことだけど、やっぱりそれを目指さなければいけないと思う。
「最大多数の最大幸福」と言うと古くさく聞こえるかも知れないけれど、やはりこれを目標に、政治は努力すべきだと思う。
かつて「最小不幸社会」を掲げた首相がいたけれど、幸福の総量がもし一定ならばそれもやむを得ないかも知れないけれど、そんな社会は寂しい。
だんだんだんだん現代から近代、江戸時代、平安時代、…縄文時代…と逆流していくような…。
縄文時代を懐かしむのもいいけれど、
たまにはジョーモニアンの生活を体験するのもいいけれど、
それはあくまで趣味であり、一生そんな生活をしようと志すのはやはり特殊な人でしかない。
現代文明は進歩した。
文明の恩恵があればこそ、デング熱なども対策がとれる。
だけどこれが最高のものではないことも事実。
地震や津波を防ぐことも、予知することすらまだまだままならない。
もっともっと科学の進歩を目指しつつ、唯物論的に「この世だけの幸福」「自己中心的な幸福」「刹那的な幸福」にならないよう、
神仏の御心を忖度する、宗教思想も進歩を目指さなければならない。
科学のここ2千年、3千年の進歩に比べ、宗教・哲学は、釈尊、イエス・キリスト、孔子、ソクラテスなどの時代から進歩しているとはいえない。
この跛行性が現代社会の様々な歪みを引き起こしている淵源ともいえる。
だから、宗教も、偏見の目で見たり、“訓詁学”に止まったりすることなく、更なる進歩を目指し、未知なるものを探究し続けるという科学的精神が必要と思うのです。




世界的に著名な理論物理学者であるスティーブン・ホーキング博士は、英ガーディアン紙のインタビューに応じ、「天国はない、死後の世界は作り話である」と述べた。科学者と信仰者の間隙が改めて露わとなる見解が示されることとなった。
ホーキング博士「天国はない、作り話である」-科学者と信仰者の間隙 – キリスト教インターネット新聞クリスチャントゥデイ
ホーキング博士のかつての偉大な業績には賞賛を惜しまない。
しかしこの発言の裏には、唯物論・無神論を広めようとする悪意さえ感じる。
あえて善意に解釈すれば、研究するうちに唯物論の袋小路に入ってしまったと同情を禁じえない。
かつては「神というアイデアは宇宙に対する科学理解と必ずしも相いれないものではない」としていたが、「もし宇宙人がいたとしたら、白人に滅ぼされたインディアンのようになるから、宇宙人の存在は信じたくない」という発言は、正直な心情としては理解できなくはないが、一流の科学者としての立場からの論理的な発言ではない。
信じたかろうが信じたくなかろうが、存在するものは存在し、存在しないものは存在しない。それを探究するのが、科学的態度だと思うのだが。
「宇宙の創造に神は必要ない」と発言したあたりから、どうも怪しい感じがしていた。
いかに高名な宇宙物理科学者といえども、事実は事実、真実は真実。
釈尊もキリストもムハンマドも、明確に神仏や霊界の存在を説いていた。
それら聖人たちの言説を否定し去るだけの科学的知見をお持ちなのか。
真理を知らないことを無明・無知・迷いという。
如何にこの世的な学問に通暁していようとも無神論・唯物論者よりも、単純に、素朴に神を信じて生きている一般市民のほうが、人間として尊いのだ。
「アインシュタインの再来」とも評されるが、その精神性はまったく違う。
アインシュタインも、そしてニュートンも明確に神を信じていた。
かつてアインシュタインは「自分の研究など、神から流れ出る真理の大河に、スプーン一杯の水を注ぐほどでしかないと痛感した」と述べた。その謙虚さに学ぶべきだろう。
いまさら唯物論・無神論が世界に広がらないことを祈る。



