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私にとっての、政治の原点についてのお話です。
2009年、幸福実現党の立党が、私の、本格的な政治活動のスタートと言えます。
しかし、政治そのものには、ずっと関心がありました。
幼い頃から、政治の力というものを、現実に実感するような環境に育ったということがその理由の一つでしょう。
と言っても、政治家の家に育ったわけでも、親戚に政治家がいたわけでもありません。
旧鳥越村というところは、白山麓5ヶ村の1つであり、過疎の村でした。
その中で、私の故郷の阿手町は、古くは鉱山(銅山)で栄えたところですが、戦後、昭和40年代は大日川ダムの建設があり、 また、大日スキー場の建設があり、という、他の集落では見られないようなことがたくさんありました。
幼い私は、大人の仕事に首を突っ込むわけにはいきませんからそう詳しくはわからないながらも、それらは いずれも政治と密接に関係したものであり、否が応でも政治の力について実感しないで入られませんでした。
とりわけ、大日スキー場の建設は、衝撃的でした。
スキー場ができた当時(昭和45年)、鳥越村の人口は3千数百人だったと思いますが、 阿手地区はわずか20件ばかりの集落です。そんな寒村に、日曜日ともなれば、村の全人口の2倍近い人々が訪れたのです。
当時、幼心に、過疎の村をなんとかしたい(なんともできるわけもなかったのですが)、という気持ちを持っていました。
(当時、鳥越村立阿手小学校は全校生徒5名で、運動会も開催できなくなっていたのでした)
「政治の力はすごい!」。当時、小学校5年生だった私の実感でした。
こんなところが、私の政治との関わりの原体験なような気がします。
こんな私が、その後、どういう経過を経て、政治活動に参画するようになったか、これから綴っていきたいと思います。
13日、久しぶりになってしまいましたが、金沢市東長江町交差点で辻立ちをいたしました。

金沢市東長江町交差点にて
下記をクリックすると動画をご覧になれます。
↓ ↓ ↓
2015年11月13日 金沢市東長江交差点




今日、30歳若い友人と話していて、少年の頃、いつも「明日は今日よりよくなる」と思って生きていた自分を思い出しました。
「とっとこハム太郎」のロコちゃんのセリフでもあるようですが、このことを思い出して、とっても若返った気がしました。
よし、これからは、これで行こう!と思って帰宅しました。
冷静に考えてみると、「明日が今日よりよくなる」なんて、根拠はありません。
しかし、「明日が今日より悪くなる」というのも同じくらい根拠はありません。
ならば、「よくなる」と考えた方が得ではないでしょうか。
実際、少年の頃からそう思って生きてきたおかげでしょうか、私はずいぶん幸福な人生、強運な人生を送らせていただいていると思います。
もちろん、「明日は今日よりよりよくなる」と信じたところで、何もしなければ幸運はやってこないでしょうから、やはり努力はしなければいけません。
努力できること自体が、幸福なことでもあります。
「よくなる」と信じて、かつ努力しても、結果は思わしくない場合も多々あります。
しかしそれでも、「悪くなる」と信じて努力して悪くなるよりも、「よくなる」と信じた分幸福ですし、「悪くなる」と信じて、何も努力しなかった場合よりははるかに幸福だと思うのです。
というわけで、プロの政治家を志している私は、自分の未来も、日本の未来も、地球の未来も、「明日は今日より素晴らしい!」と信じて、そういう未来を創るために、努力精進していきたいものだなと思った次第です。
書いているうちに日をまたいでしまいました。
昨日は、加賀市にお邪魔して、支援者の皆様にご挨拶をさせていただきました。
さわやかな秋晴れの下、初冠雪の白山の姿、たわわな実を実らせている柿の木、ミカンの木まで発見して深まりゆく秋を実感いたしました。
そして、温かな人の心も。
こうした愛する人々のために、この命を捧げたいと思います。
今日は久しぶりのブログ復活で、ライトな感じて綴ってみました。

柴山潟から白山を望む

これはミカンです。こんなところ(加賀市伊切町)でミカンが取れるなんて、新鮮な感動でした。

たわわな柿。こんな柿が随所に見られました。

13日、小松市〜白山市の山岳地帯挨拶回りの途中、鳥越城で見かけたウリ坊。




自民党の元参議院議員で、“参議院のドン”と言われた、村上正邦さんの著書、『だから政治家は嫌われる』(小学館)を面白く読ませていただきました。
ご自身や、他の著名な政治家の方々の数々のエピソードが書かれており、政治を志すものとして、大変参考になりました。
特に、タイプは異なるのですが、田中角栄元総理や中曽根康弘元総理の政治家としての姿勢に感動しました。
政界の諸相も勉強になりましたが、それより何より、この中で紹介されている、皇后陛下の御言葉に大変感動致しました。
今上天皇の御即位10周年の式典で、X JAPANのYOSHIKIさんがピアノを演奏したのですが、演奏が終わったあと、皇后陛下がYOSHIKIに、「きょうはキーが重かったですね」と仰ったそうです。
周りの人たちは意味が分からず、後で村上さんがYOSHIKIに聞いたところでは、両陛下の前で演奏することになったと聞いたYOSHIKIのお母さんは、「ニューヨークからピアノをもってくるわけにはいかないでしょう、そんな晴れ舞台で演奏するなら、私がピアノをプレゼントしましょう」ということで、当日、YOSHIKIさんはお母様からプレゼントされたピアノ(グランドピアノですよ!当然と言えば当然ですが。剛毅なお母様ですね!)を弾いた。
当日、初めて弾いたピアノで、しかも雨だったので湿気が多かった。
それで皇后陛下の「キーが重かったですね』という御言葉になるわけですね(大意。うろ覚えなのでデティールはちょっと違うかも知れません)。
ピアノなど、私は全くの素人ですが、「キーが重い」なんて見抜けた人が、何万人もの聴衆がいて、どれだけいたのでしょうかね?
とても非凡なことだと思います。
こんな方が、皇后陛下でいらっしゃるということに、日本人として誇りを感じてしまいました。
尊い皇室の未来を祈って止みません。
ちなみに私もYouTubeで聴いてみました。感動的な曲でしたが、当然、「キーが重い」なんて、全然分かりませんでした。
生で聴いてもきっと分からないと思いますが(笑)。




政治の世界では、消費税増税法案に対して、あれだけ大きな摩擦が生じているのに、見積もりに対しては上方修正された税収増分の取り扱いは、意外なほど議論にならない。いくつかの最近の事例を見てほしい。
税収の使い方に異議あり! 税収増は復興増税の減額に回すべき ――熊野英生・第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト |経済分析の哲人が斬る!市場トピックの深層|ダイヤモンド・オンライン
民主党の小沢元代表らの離党・新党結成の動きで、消費税増税法案そのものの是非よりも、「政局」へとマスコミの関心は移ったようだ。
もとより、殆どのマスコミは政府や財務官僚のお先棒を担いで、「増税ありき」(自分たちは軽減税率を求めつつ)で突き進んでいるので、もう消費税増税は確定したものとして、より面白い(つまり売れる)「政局」へと国民の関心を向けようとしているかに見える。
民主・自民・公民の与野党の政治家、官僚、そしてマスコミが三位一体で増税・亡国路線を推し進めているわけだが、4日のDIAMOND Onlineに「税収の使い方に異議あり!税収増は復興増税の減額に回すべき――熊野英生・第一生命政経経済研究所経済調査部 主席エコノミスト」という興味深い論考が載っている。
論点を要約すると、以下の通りだ。
- 2011年度決算では、当初の予算見積りより約8000億円税収が多かった。これを歳出拡大に使うのではなく、復興増税の減額に用いるべき。単年度で使い切るという考え方は、財政規律の面でも不健全だ。
- 今回の決算の税収増8026億円に、国債費の不用額や日銀納付金の上積み分を加えると、1兆2301億円、さらに、第4次補正予算に流用された税収上振れ分と国債不用分(2兆5345億円)を合わせると、3兆7646億円となり、復興増税(11.2兆円)の1/3分は増税しなくてよくなる。
- 復興増税のうち最大のものは所得税増税であるが、2011年度決算の1.2兆円を増税分の肩代わりをさせれば所得税増税の1/5を減らすことができ、10年間の増税計画を8年に圧縮できる。さらに、今後とも税収見積りとの差を増税圧縮に用いれば、復興増税の規模はもっと小さくできる。
- 税金を使うのも、国債を使うのも、本来、取扱いに差はないはずだが、税金の方が使いやすいというのは、確保された税収は自由に使えると考えがちになる「見えない」歳出圧力が存在するから。野田政権は、そうした「見えない」歳出圧力に目を光らせるべきであり、増税が国会で通れば既定路線として顧みられないようではいけない。
私は、熊野氏の、上記の意見にほぼ同意する。「筆者は、あらゆる増税に反対する立場を採らない。社会保障財源として消費税率を引き上げることには賛成する。野田首相の方針を支持する考え方だ」という点は除いてだが。
この点は、氏が、いみじくも続けて、「しかしながら、2011年度第四次補正予算の扱いを見ると、本当に適切な財政管理ができているのかどうかに関しては、もっと慎重な議論が必要だと考える。たとえ消費税率を引き上げても、次々に新しい歳出計画が『社会保障の充実』をテーマにして提案されれば、消費税率は10%では止まらない」と述べている、まさにその部分が問題であると思うのだ(下線は引用者、以下同様)。
そう、社会保障財源として消費税を引き上げる、というロジックで攻められるならば、このまま少子・高齢化が進めば、消費税率は10%では止まらず、20%、30%、50%と上がっていかざるを得ないだろう。
そうでなくても、日本人は、もう十分税金(および年金などの社会保障費)を支払っている。
ゆえに、社会保障財源として消費税率を上げること(のみならず、あらゆる増税)に反対する。
「本来、無差別のはずである両者(引用者注:税収と国債を指す)の取り扱いが変わってくるのは、確保された税収は自由に使えると考えがちになる「見えない」歳出圧力が存在するからである」と筆者が述べている、これこそが、財務官僚が増税に血道を上げる最大の理由だろう。
国民が納めた税金を、自分たちの金と勘違いしている。そして当然、自分たちの裁量でそれを配分できるとなれば、それが自分たちの権力拡大を意味する。
そして、自分たちの権力を増したいがために、増税に邁進する。
かくて、この国は、財務官僚、および彼らに操縦された、政治家とマスコミが三位一体となって、国家社会主義へと驀進することになる。
奇しくも、本論考の最後に、「世論調査」なる欄があり、「質問1 増税の前に、まだ議論すべきことが残っていると思う?」という質問がある。「思う」「思わない」「どちらとも言えない」を選んで、「投票する」をクリックすれば投票できる仕組みだが、結果を見てみると、「思う」が「思わない」(1.82%)、「どちらとも言えない」(1.04%)を圧倒的に引き離し、97.14%だった(私が見た時点)。
国民の過半数が増税に反対(増税不可避と考えている人も、少なくともデフレ不況の今は勘弁してくれ、という人が大半なのだと思う)している、という各種調査結果もある。
これらの「民意」をどう見るのか。
官僚・政治家・マスコミの三者のうち、官僚とマスコミは選挙で選ばれていない。政治家はもちろん選挙で選ばれてはいるが、衆院で過半数を占めている民主党の議員は、3年前「増税しない」と言って政権交代を遂げた人々である。つまり、民主党が「消費税増税」を掲げた瞬間、民意に反していることになる。
このように、民意を反映しないで国家の意思決定がなされている。もはや日本の民主主義は瀕死の状態、風前の灯である。
そして、そのように誘導した彼らの罪は極めて重く、その代償は極めて大きいと言わなければならない。
マスコミは、実際は、第4権力から実際上の第1権力になったと言われて久しいが、実は官僚(特に財務官僚)こそが、この国の影の第1権力なのだろう。勝栄二郎財務事務次官が「影の総理」と言われるゆえんである。
こうした国家社会主義化の流れに対して、民主主義の灯を守るために、私たちは防波堤たらんという気概を持っている。




菅直人首相(民主党代表)は14日、内閣改造と党役員人事を断行する。首相は13日夜、枝野幸男幹事長代理を首相官邸に呼び、官房長官への就任を要請、枝野氏も受諾した。参院で問責決議を受けた仙谷由人官房長官は党代表代行で処遇。13日にたちあがれ日本を離党した与謝野馨元財務相は経済財政担当相で起用し、海江田万里経済財政担当相は経済産業相、大畠章宏経済産業相は国土l交通相にそれぞれ横滑りする。鉢呂吉雄国対委員長の後任には安住淳防衛副大臣を起用する。
きょう内閣改造 与謝野氏は経済財政担当相 海江田経産相 国対委員長に安住氏で調整 官房長官は枝野氏 1/2ページ – MSN産経ニュース
1点目は、「立ち上がれ日本」を離党してあえて入閣することの政治家としての信念について。
ご本人は、「残された政治生命の全てを日本の将来にささげたい。できることがあれば政権を手伝いたい」と語ったとのことだが、平沼氏とともに共同代表として、反民主を旗印に立ち上がったのではなかったか。それを支持した国民に対してきっちりと説明する義務があると思うが、十分に説明されているとは思えない。
どうしても、目先の入閣に飛びついてしまったように見える。そこに、政治家としての信念や気概、勇気を感じることはできない。
2点目に、経済財政担当相としての力量について。
氏は、自民党時代から消費税増税による財政再建を謳う”貧乏神”路線だった。
この点が、菅首相の考えと一致しているのだろうが、この方向に進めるならば、消費税増税、デフレの深刻化からさらなる不況へと進み、結局、税収も減ることだろう。
経済成長による税収増を「幻想」と考える経済財政担当相のもとでは、日本経済はますます縮小していくのではないだろうか。
与謝野氏自身の選択、および菅首相の与謝野氏起用は、石原都知事の与謝野氏に対する「ばかじゃないかね。政治家の資質の問題。これで彼は終わりだと思う。そんなに世間は甘い物じゃない。なんで沈みかかっている船に乗るのかね」という発言に象徴される。
自らが沈みかかっている船に乗るのみならず、日本という船の沈没をさらに進める方向になるのではないかと危惧する。
必要なのは、この国を発展させる、世界に誇れる国家とするという気概を持った政治家であり、理想を貫く信念を持った政治家であり、発展のための勇気をもって断行する政治家である。




10代の頃、私は政治家になりたいと思った。
世間知らずの少年の目には、世の中はいろんな矛盾や不条理で満ちているように見えた。
政治家となって、世の中を変えていきたいと思った。
しかし、どうやったら政治家になれるのか、皆目わからなかった。
政治家の家庭に育ったわけでもなく、地縁も血縁も資金もなかった。
それは妄想に近かったかも知れない。
縁あって大川隆法総裁の教えに出会い、幸福の科学に奉職し、宗教家として世直し運動にかかわってきた。
一人ひとりの心を救い、幸福にしていく仕事は大変尊く価値ある仕事だった。
しかし、様々な内憂外患を目の当たりにし、この国のあり方をよりダイナミックに変えていくには、政治的な力が必要だということも痛感した。
宗教的な感化力と、徳とを備えた政治家(たとえて言えば、聖徳太子)が理想像の一つだった。
いま、幸福実現党の始動に際し、30年以上前からの念いが実現しようとしていることに気づいた。
「念いは、実現する!」志を持ち、強く念い続ければ必ず実現するという真理を、いま、実感している。
49歳の挑戦だ。徳ある政治家となるまでには、まだまだ道は遠いけれど。
私が国政への参加に挑戦することが、志と才能があるにもかかわらず、いろんな事情で政治家になれずにいる若者への勇気と希望になることを願う。
政治家に限らない。夢を抱いているが、どうやって実現していいかまだ分からずにいる若者にも言いたい。
若者よ!あきらめるな!志を高く持て!理想を把持し続けよ!現実に負けるな!
あなたの描いた夢は、あなたの天命に沿ったものならば、形を変え、姿を変え、必ず実現する。



