Posts Tagged ‘政治参加の自由’

民主主義も人間が考え出したシステムである以上、完璧ではありません。
「大勢の人々の“民意”は正しい」という前提で成り立つものでしょうが、「常に正しい」とは限らないのも真理です。
右に揺れ左に揺れ、時に間違った選択をすることもあるけれども、長い目で見たら民意はそんなに間違わない、という、ある意味、”性善説”に立っているとも言えます。
「最善ではないけれども、最悪を防ぐためのシステム」と言われることもあります。

しかし、それでも民主主義を支持すべきである理由の一つは、自分たちの選択が誤りだったとわかったら、あるいはより良い選択肢が現れた場合には、また(選挙を通して)政府を作り変えていくことができる、ということです。
このように、いくらでも政府を作り変えていくことができる、ある意味での永久革命が可能である、ということが、民主主義の最大の利点でありましょう。

しかし、「権利の上に眠るものは保護されない」というのも真理であって、この権利を行使しなければ、すなわち、政治に無関心で、政治参加の自由を行使しようとしない人たちが大勢の場合、既得権益を得ている少数の人たち(必ずしも悪意があって、とは限りませんが)だけが永遠に自分たちに都合のいい政策を実現させようとするわけです。
そうすると、悪くすれば悪徳政治家とそれによって利益を得る人たちにとって都合の良い政治が延々と行われる、そうでなくてもイノベーションが起きづらい、停滞した社会になるでありましょう。

政治になかなか希望が持てなかったり、政治家を信用できなかったり、政治は難しいと思ったり、ということでますます政治不信になったり無関心になったりする人も多いと思いますが、そうすると世の中はますます悪くなっていきます。少なくとも無関心な人々にとっては不利益な政治が行われ続けることになりかねません。

正直に、誠実に、真摯に、正々堂々と正義を貫き、正しいと信ずる政策を訴える、というのも政治家の務めでありましょうけれども、国民の側も、努力して政治に関心を持つようにしたいものです。

(宗教についてもそうですが)政治に対する先入観を一旦取り去って、白紙の目で、政治を見ていただきたいものです。


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今朝は、金沢市東長江交差点で辻立ちをさせていただきました。
ここでの辻立ちは、今年の夏の参院選以来です。

自由主義陣営のリーダーであったはずのアメリカでさえ、オバマ大統領就任以降、左傾化しています。
日本も、民主党政権だけでなく、自民党に再び政権交代されてからもなんとなく国家社会主義へと向かっているように見えます。

自由から繁栄が生まれます。自由の死を恐れるべし。

重税国家は、国家社会主義へと向かい、私有財産は奪われ、自由は死にます。
自民党の某厚労大臣が「消費税を上げないという選択肢はない」などとドヤ顔で言う時代です。
際限もない増税を許しては行けません。

また、核を持つ社会主義国家の侵略に備えなければ、自由は守れません。
アメリカの大統領が「世界の警察官なんて、やーめた」と明言する時代です。
同盟は当然必要ですが、自主防衛を真剣に考えなければなりません。

こうした議論を、政治家任せ、官僚任せ、マスコミ任せにせず、国民が主体的に議論に参加できるような風土をつくっていかなければなりません。
真の「政治参加の自由 」がいまこそ、求められています。

日本が自由の大国となり、世界のリーダーとなって、世界平和と繁栄に貢献することを強く願います。

金沢市東長江交差点にて

金沢市東長江交差点にて

下記をクリックすると、動画をご覧いただけます。

↓ ↓ ↓

金沢市東長江交差点にて辻立ち。


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菅首相は4日、年頭記者会見で、民主党の小沢元代表の国会招致問題で、小沢氏が実際に強制起訴になった場合、「出処進退を明らかにし、裁判に専念すべき」と述べ、議員辞職も含め、自ら進退を判断すべきとの考えを表明した。

FNNニュース: 菅首相、小沢元代表が…

小沢氏の政策や政治手法は毀誉褒貶あり、功罪半ばする。
我々も彼の持つ政治的力量は評価しつつも、全体主義的な傾向や、本来保守本流であったはずの彼が長い野党暮らしの末に身に付けた左翼的な傾向、かつての媚中的な外交姿勢、農家の戸別所得補償などについては批判してきたし、これからも是々非々で非難すべきはするだろう。

しかし、行政の長たる首相が、「強制起訴になった場合、議員辞職」云々の発言に関しては、結論からいえば、民主主義の死に繋がるのではないか。

近代民主主義は絶対主義の所産である。つまり、伝統主義の束縛から自由であり、法的な手続きさえ経れば、財産権、生命権などの諸権利も、自由に奪うことができる、放っておけばまさしく暴力装置たりえる。
かくも絶対なる権力を暴走させないために、三権を分立させるなどして、お互いに牽制させ、バランスをとらせる。

面倒くさいようだが、これは民主主義を維持するために必要なコストだ。

ここで注意すべきは、小沢氏はまだ起訴されてもいないということだ。
日本人は、起訴された段階で、否、逮捕された段階で、あたかも犯罪者のように扱われる傾向があるように感じるが、起訴されても裁判が終わるまでは、犯罪者は存在しない。つまり、刑事被告人は無罪である。

たとえ「誰がどうみても、やつが真犯人に違いない」と思えても、である。

また、日本人は、遠山の金さんや大岡越前のように、容疑者がお白洲の上に引き出されてお上(お奉行)のお裁きを受ける、というイメージが強いせいか、裁判において刑事被告人が裁かれるかのように思いがちであるが、刑事裁判において裁かれるのは、被告ではなく、検察である。
裁判所こそ、行政権力から国民の権利を守る防波堤だからである。

言うまでもなく、検察は行政官僚であり、裁判官は司法官僚である。
行政官僚である検事が、実際上、有罪か無罪かを決めるようなことがあれば、民主主義は死を迎える。

また、行政権力の最高権力者である菅首相が、このような発言をすることは、検察にプレッシャー(この場合は、強制起訴は当然、というような)を与えることになると同時に、裁判において予断を与えることになりはしないか。

これが三権分立を前提とする近代民主主義の根幹を揺さぶることになる。

近代民主主義諸国においては、マスコミも知識人・文化人も裁判に予断を与えることを怖れ、発言を控える。予断が入ると裁判官の真理に影響を与えて公正な裁判ができなくなるからである。

日本では起訴される以前からマスコミも知識人も大騒ぎである。

小沢氏が悪人であるか善人であるかを論じているのではない。好き嫌いを論じているのでももちろん、ない。

日本が民主主義を守る意志があるか否かを問うているのだ。

それは、民主主義の手続き(この場合は、民主主義裁判の手続き)を遵守できるかどうかにかかっている。

なぜこんな面倒臭いことをするのかといえば、裁判において、一人の無辜の民も、刑に処せられることのないようにするためである。

近代民主主義は、膨大なコスト(時間、お金、その他)がかかる。
膨大なコストがかかっても、それでも、独裁制や、貴族制よりもよいというコンセンサスがあるから支持されているのだろう。

もとより、完全無欠なシステムではない。だから、様々な矛盾点や不合理な点が発生する。
しかし、それでも、最悪を防ぐためには、いまのところ、民主主義というシステムがよいとされているのだということを、正しく認識する必要があるのではないか。

民主主義の素晴らしさは、何といっても、国民が政治に参加できるということである。
自らの力で、自らの国を、素晴らしい国へと変えていく事業に参画できるということである。
それが、たとえスプーン一杯の貢献であっても、その国が理想国家に近づけば近づくほど、人々は「この国に生まれてきてよかった」と、生まれ甲斐、生き甲斐を感じることができるのではないだろうか。

さらに付け加えるならば、自由主義のよいところは、そうした政治参加の自由や、信教の自由、言論・出版・表現の自由などの諸自由、諸権利が守られるという点である。

自由と民主主義、その基となるところの信仰、そしてその成果としてもたらされる繁栄、この繁栄を空前のものとしたところに、日本のゴールデン・エイジが出現するだろう。

民主主義の危機、幾多の国難を乗り越え、日本を理想の国となし、ゴールデン・エイジを到来させるために、今年も精進してまいります。


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世を捨て、悟りを求める道ばかりが宗教の道ではない。

世の多くの、迷い、悩み、苦しむ衆生を尻目に己ひとり、悟りを得たとて、何になろう。
そういう思いで、親鸞は比叡山を降りたに相違ない。

日蓮も己が教勢拡大ばかりを望んでいたならば、
在家信者わずか数百名の教団規模の時期に、
鎌倉幕府相手に法難覚悟で国難来襲を叫ぶ必要はなかった。

己ひとり、あるいは自らの教団の利害を超えて、
世のため人のため、神仏の理想実現のために活動するところにこそ、
宗教としての真骨頂があり、
そこに真の公益性があるからこそ、
宗教法人は公益法人として認められていることと思う。

いま、我が国の未曾有の国難に際し、
心ある宗教者ならば、国が間違った方向に進まんとしているならば、
声を励まして叱正するのは当然であろう。
国家の背骨たらんとする気概のある教団ならば、
総力挙げてその阻止に当たるのも当然であろう。

いま、我が国は、本格的な左翼政権の誕生により、
国家社会主義、全体主義の方向へと、舵が切られている。
外交・国防においては、中国・北朝鮮の軍事的脅威に曝されている。

しかし、最大の国難は、
このような、国家が危難のときにあっても、
偸安の夢を貪る人々が多いことだ。

憂国の士が多数いるときには、例え万一、国が滅びることがあったとしても、
それらの人々が草莽崛起し、再び故国を独立に導くことができよう。

しかし、現状はどうか。
志高き、草莽の志士が、どれだけいることか。
いや、無数の志士が、無告のまま、まだ眠っていることを信じたい。
彼らは目覚めれば必ずや、あの明治維新のときのように、
大車輪の活躍をするに違いない。

最大の国難の原因は、我が国の国たみが、
自国への誇りと、自らの使命感を見失っているところにあると思う。

この国を、どうしたいのか。
どのような国家を理想とするのか。
そしてそのような国の建設に向けて、
国民一人ひとりは、何をなすべきなのか。
こうしたことは、本来、国家のリーダーが、そのビジョンを示し、
広く国民に呼びかけなければいならない。

しかし、いま、我が国の政治的リーダーたちは、
バラマキの甘言ばかりを国民に告げ、
国民の多くは、どの政党が、われわれに多く与えてくれるか、
面倒を見てくれる政府にしてくれるか、
そうしたことに、殆どの関心があるかのようにも見える。
それはおそらく、マスメディアの誘導にもよるのであろう。

心ある国民は、告げられていない、
無告であるがゆえに、迷い、惑っているに違いない。

我が国の政治家は、悲しいことに、
かつて、J・F・ケネディが語った、
「国家があなたがたに何をしてくれるかを問うなかれ。
あなた方が国家のために何ができるかを問いたまえ」
(“Ask not what your country can do for you;
ask what you can do for your country.”)
というような言葉は、落選が怖くてとても言えまい。

この国は、リーダーも国民も、気概を失ってしまったと言わざるを得ない。

こうした気概、それに象徴されるような精神性、倫理観、サムライ精神、
その根源なる宗教そのものを軽視し、無視し、軽蔑してきたところに根源的な原因があると思う。

私は、特定の宗教の教義を国民に押し付けようという意図はない。
むしろ、宗教も“自由市場”の下に晒して、宗教同士が切磋琢磨することにより、
様々な良き宗教が栄え、悪しき宗教が淘汰されていくことが望ましいと考える。

こうした善なる宗教的価値観、宗教的精神を背景にした勢力だからこそ、
左翼思想、唯物論・無神論、全体主義に対する明確な防波堤となりうるのだ。

民主主義の時代はまた、宗教が繁栄する時代でもある。
こう書くと、奇異な感じを抱く方が多いかも知れない。
しかし、マックス・ウェーバーも、同じような考えを持っていた。

宗教の原理と、民主主義の原理とは、相容れないものではない。
多くの人々の賛同・共感が得られなければ、宗教は広がるものではない。
この意味で、宗教は、民主主義的な原理をその内に含んでいるものである。

また、民主主義は繁栄主義である、とも言われる。
個人個人がその才能や能力を最大限に開花させることにより、
百花繚乱、花開くがごとく、世の中は繁栄する。

正しき宗教もまた、個性を殺し、人々を抑圧するものではなく、
各人の個性や才能を最大限に開花させ、
神の栄光を地上に顕現することこそ、人間の使命であるとするものである。
こうした考えの下で、プロテスタンティズムも推し進められたはずである。

したがって、宗教と民主主義とは、決して相反するものではなく、
むしろ繁栄主義としての民主主義を促進し、
全体主義的抑圧から人々を護り、自由を護り、
新しく自由を創設するものこそ、
真の宗教であると信ずる。

わたくしは、全体主義、唯物論・無神論、国家社会主義に対して、
断固としてプロテストすることをここに誓うものである。
増税に反対する真意も、ここにある。
これは単に財政赤字の問題だけではないのである。
増税に向かうということは、必ず大きな政府となり、
国民を抑圧する方向へ向かうからである。
このことを警告しているのである。

繰り返し、言う。
宗教的信条に従って、宗教者あるいは宗教団体が政治参加することは、
全く間違ったことではないし、
むしろ、この国難の時代には世を糾す、という意味では、
どうしても必要であると信じるものである。


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今の日本は、民主主義国家といいながら、国民の主権が侵されています。

政治的発言、政治参加の自由が、実際はかなり制限されています。

今、国政選に立候補しようと思っても、実質的に自民党か民主党の二大政党からでなければ、かなりむずかしくなっています。

政治的な意見を言おうと思っても、なかなかそのような公開の場がありません。

いつの間にか決まったことが一方的に発表されて、それを押し付けられるだけ。

消費税を12%も上げるなんて、国民の誰れが賛成したんでしょうか?

民主主義の深刻な危機です。国民が主権者であり、わが国のオーナーなのです。

主権者の権利が侵されています。

こんな時に増税するんですか?

赤字を垂れ流し、こんなに不況を大きくしておきながら、そのツケを国民に押し付けてくる。

ミサイルに狙われているというのに、真剣に国防体制を構築しようともしない。国民を守る責任も勇気も気概も放棄しています。

昔だったら一揆ですよ。

一向一揆は単なる権力者に対する反乱ではありません。

無能な、庶民を苦しめる領主を追い出して、農民や商工業者、国人といわれた武士階級まで含めて自分たちで話し合い、民主的に加賀の地を運営して行ったのです。

あの戦国時代に、100年続く民主政体を実現したのです。

奇跡のようなお話ですが、私たちの祖先は、それを実現したのです。

わが国の民主主義の原型がここにあるように思います。

私たちが目指す「平成一向一揆」は、民衆の、民衆による、民衆のための、民主的革命です。

市民革命による「自由の創設」です。

世の中をよくしていきたいと思ったら、だれもが、どんどん自由に意見を言える、公的空間を創設することが必要です。

「お上」意識で、自分たちが主人公のように思っている官僚や、既成の二大政党の政治家に任せておいていい時期ではありません。

自分たちは優秀だと思っているかもしれませんが、彼らには経営能力もないし、先を見る目もありません。

国民の皆様の方が優秀で、勤勉で、たくさんの付加価値を生み出して、ここまでわが国を繁栄させてきたのです。

是非、現代の「富樫政親」を追い出し、「平成一向一揆」、民衆の力により、真の民主主義と、自由の創設を実現してまいりたいと思います。


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