Posts Tagged ‘慰霊’

昨年末の安倍首相の靖国神社参拝を巡って、賛成・反対様々な意見が出ています。

中国・韓国は予想通りの批判というか、非難というか、そういった反応ですが、意外にもアメリカも大使館から「失望した」というかなり厳しいコメントがありました。

本来、主権国家であるわが国の首相がどこに参拝しようが自由であり、他国が内政干渉してとやかく言う筋合いのものではありません。「日本は主権国家ではないのか」と言いたくもなりますが(半分はそうでないのかも知れません)、国際政治は複雑です。そう簡単に行かない、いろんな事情が入り組んでいるように思われます。

合衆国大統領がアーリントン墓地に慰霊に訪れても、誰も文句を言いません。
「アーリントン墓地は宗教色がない墓地だ」という意見もあります。
しかし、「宗教色のない墓地」などというのは詭弁です。
あのお墓を見ればどう見ても、 仏教式ではなく、イスラム教式でもなく、キリスト教式のお墓です。
それに、宗教なくして、霊を祀ることなどできるはずがありません。
「慰霊」とは、どのような方法であれ、純粋な宗教行為であり、「宗教性のない慰霊施設」など、論理矛盾もいいところなのです。

アメリカから見れば、A級戦犯も祀られている靖国神社に首相が参拝することは、先の大戦において、「連合国」vs.「枢軸国」を「民主主義国家」vs.「ファシズム国家」と見做して敗戦国を裁いた手前、その後の国際秩序を壊す行為にもとられかねない、というところでしょうか。

しかし私は、サンフランシスコ講和条約以降続いて来たこの国際秩序の根幹をなすロジックを見直す時期に来ていると思います。

つまり、先の大戦は、「民主主義国家」vs.「ファシズム国家」の戦いではなかった、少なくとも、大東亜戦争においては、一方的な日本の侵略戦争などではなく、自衛のために止むなく立ち上がった戦いであり、日米の覇権戦争 であり、さらに言えば、欧米列強の帝国主義によるアジア・アフリカの植民地支配からの解放であり、白人優位説に基づく人種差別撤廃までも掲げて戦った、日本神道の神々の意志を受けて戦った、まさしく「聖戦」であった、と。

これもまた「常識」をひっくり返すことになると思います。

きょうは、野々市市新庄2丁目交差点で、辻立ちをさせていただきました。
雪が降って、寒い日となりました。
これから本格的な雪の日が多いようです。皆さま、くれぐれも雪道のスリップなどにお気をつけ下さい。

野々市市新庄にて

野々市市新庄にて

下記をクリックすると、動画をご覧いただけます。

↓ ↓ ↓

◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

本日8時、幸福実現党役員と参院選候補者の皆さま36名と、靖国神社に昇殿参拝させていただきました。
諸事情で当日上京できず、地元の護国神社に参拝された方々も多数おられます。
昇殿参拝する機会が与えられましたことに深く感謝致します。

集合時間の7時30分よりかなり早く、7時前に大鳥居に到着しました。
7時前でもかなり気温が高く、また参拝者も既に多数おられました。
8月15日の参拝は初めてなのですが、今年は特別なのでしょうか?警察官が大変多く、ものものしい雰囲気でした。

昇殿参拝そのものは、ごく短い時間でしたが、英霊の方々に、哀悼の誠を捧げさせていただきました。

その後、遊就館を見学した後、赤坂のユートピア活動推進館で開催された、第1回終戦の日「英霊への慰霊と感謝の集い」に参加致しました。
これは、宗教政党ならではの行事であり、釈党首の挨拶と、「大川談話(私案)」の奉納、祈願式などがありました。

私の母方の祖父も、支那事変で戦死しております。
大東亜戦争で亡くなった約300万人の英霊の皆さまの尊い犠牲の上に今の平和と繁栄があることを改めて実感しました。自由の素晴らしさも!
英霊に対する感謝とともに、自虐史観の払拭、そして日本の誇りを取り戻すことを改めて強く誓わせていただきました。

本来、こうした英霊の慰霊のためには、国家のトップである総理大臣が参拝すべきであり、さらに言えば、日本神道の祭司長であられる天皇陛下がご親拝されるべきであると思いますが、現状では残念ながらそれは期待できません。
安倍総理は本心では参拝したかったのでしょうが、代理人によって玉串料を奉納し、参拝しなかったことを英霊にお詫びしてほしいと伝えたそうですが、安倍総理なりの、精一杯の誠を捧げられたのでしょう。

安倍総理におかれましては、秋の例大祭には、是非、「いかなる脅かしにも屈せず」参拝されますよう祈念致します。
日本の誇りを取り戻すために。

なお、それまでの政権維持のポイントを一つだけあげさせていただくならば、消費税の増税は、絶対にしないことです。
これをやりますと、アベノミクスは確実に終わり、日本経済は再び長い停滞の中に入ってしまい、国民の怨嗟の声に堪えられなくなるでしょう。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

毎年この時節になると、閣僚の靖国神社参拝の問題が取り沙汰される。
靖国神社とは別の、国立追悼施設を設立すべきだとの意見もある。

様々な人々が、様々な観点から、様々な意見を述べているが、わたしは、供養とか慰霊、あるいは鎮魂といった本来の意義が十分理解されていないところに本質的な問題があるのではないかと思う。

毎年、終戦記念日でもある8月15日、日本人の多くは、墓参りに行く習慣がある。
お盆には墓参りをする、という風習が広く日本人に受け入れられているために、全国で交通渋滞が発生することになる。

墓参りの本来の目的は、「供養・慰霊・鎮魂」である(ここでは三者を同義語として使う)。
勿論、お盆に帰省して両親や親戚、友人たちと会う、という目的もあるが(むしろ現代では、こちらのほうがメインになっているかもしれないが)、第一義的には、「供養・慰霊・鎮魂」が目的である。

「供養・慰霊・鎮魂」ということが成り立つためには、当然、死後の世界やあの世の存在を認めなければならない。
あの世に還った霊に対して、迷っている場合には迷いの世界から光の世界へと上っていけるよう、救いの念を投げかけ、すでに天国に還っている霊に対しては、さらに高い世界へと上っていけるよう感謝・祝福の念を送る、といったことが必要なのである。
そしてこれは、宗教によって作法に違いはあるが、当然ながら、それなりの宗教修行を積んだ導師でなければ不可能な行為である。
つまり、一定の法力・霊力がなければ、死後の魂を救済することはできないのだ。
(勿論、遺された近親者や縁ある人々の感謝・尊敬などの念が浮力となることはありうるが)

お盆のお墓参りに僧侶を呼んで読経してもらうのは、本来、そういう理由による。
したがって、もし僧侶にして、死後の世界を信じていないにもかかわらず(そのようなことはあってならないことだが)、お経を読誦することによって供養と称して布施を受けるとするならば、それは詐欺に近いといってよい。

つまり、「供養・慰霊・鎮魂」という行為は、きわめて宗教的な行為であり、それを実効あらしめるためには、宗教的に専門的な知識と能力が必要であるということである。
したがって、宗教性のない慰霊施設、などというものはありえず、それは生きている人々の自己満足に過ぎないことになる。

こうして見ると、この問題の背景には、あの世や霊、神仏の存在を認める立場と、そうしたものを認めない、唯物論勢力との戦いがあることが見えてくる。

また、神道的には、神社を建てるなどして亡くなった方を神として祀ることにより慰霊・鎮魂する、という方法はよくとられることである(例.明治神宮、東郷神社、松陰神社など)。
靖国神社もまた、英霊・戦没者を祀る、慰霊・鎮魂のための宗教的施設である。

したがって、靖国神社に参拝する本来の目的は、宗教的指導者の導師のもと、慰霊・鎮魂する、という極めて宗教的な行為をなすにある。

こう見てみると、(宗教家ではない)政治家が靖国神社に参拝することをとやかく言うこと自体がナンセンスであると言えよう。
目的は、戦没者の供養・慰霊・鎮魂である。それを、神道的作法に則って行なうというだけの話である。

閣僚が神道的儀礼に則って慰霊・鎮魂することは、政教分離に反するのではないかという意見が出るであろう。
しかし、これによって、特定の宗教を保護したり、国民に特定の信仰を強要することにはならない。
アメリカ大統領は就任式のとき、聖書に手を置いて宣誓する。
これが政教分離に反する、などとは誰が言うだろうか?

他の宗教勢力がもし非難するならば、自らの教義に則って、もっとすばらしいと信ずる慰霊・鎮魂の施設を作ればよい。多様な選択肢の中から選べるようにし、あとは自由市場に任せればよい。

また、国家のために命を投げ出した英霊、戦没者を供養するという崇高なる儀式・行為に対して、外交圧力をかける国は、それ以上の供養の仕方をわが国に教えたい、ということであろうか。
これを、内政干渉と言わずして何と言おうか。
他国、特に唯物論を国是とする国に、とやかく言われる筋合いは絶対にない。

あの世を信じない、霊も神仏も信じない、そのような唯物論・共産主義国家に供養や慰霊について論ずる資格も能力もあるはずがない。

我が国は、文明国の一つとして、信教の自由が認められている。

旧ソ連邦、北朝鮮、中華人民共和国。
唯物論・共産主義体制の圧政下、何百万、何千万の人々が粛清されたことか。
多くの国民が自由を奪われ、いまも、迫害・弾圧のなかにある。

「神も仏も信じない」ということが、これほど悲惨な国家を生むという証拠である。
このような思想のもとでは、決して基本的人権を尊重するという考えは生まれない。
基本的人権の基には、人間は神の子、仏の子であるという思想が必要である、ということである。

先の大戦が終わってから65年を迎えた。
この65年間、我が国は平和と繁栄を謳歌してきたわけであるが、その一方で、かなり左翼的な思潮に、換言すれば、唯物論・無神論に圧されてきた。
それは、いわゆる保守や右派と言われる論者の中にも浸入していると見られるし、残念ながら、宗教界の思潮の中にも流れ入ってきている。
(死後の世界をない、とする宗教家が残念ながらいるということだ。これは宗教にとって自殺を意味すると思うが、本稿の主旨ではないので別の機会に論じたい)
この点は、残念ながら、戦後の左翼的教育による洗脳が見事に成功した結果と言わなければならない。

その思想の意味するところは、結局、この世における生存を至高のものとする考え方であろう。
このような思想からは、自らを犠牲にしてでも崇高な責務を果たす、などという価値観は生まれてこない。
しかし、歴史は、そうした自らの身は顧みず理想を成し遂げようとする有名・無名の勇者によって紡がれてきた。

私自身は、幸福の科学の信者として、また、宗教政党・幸福実現党の党員として、死後の世界も、あの世の霊も、神仏の実在も、明確に信じている。
また、宗教法人・幸福の科学の僧職者として、宗教的な職務にも就いている者である。

そうした、自らの宗教的良心に基づいて、先の大戦においてはもちろん、二千数百年前、いやおそらくはもっとはるかなる以前から、この日の本の国を理想の国にせんと励み、身命を賭せられた無数の有名・無名の英霊に対して、心からの感謝と尊崇の念を捧げるものである。

さらに、そうした方々の努力に報いるためにも、唯物論・無神論勢力を断じて打ち破り、日本を宗教立国、すなわち信仰を背骨とした国家となし、日本という国を、世界の憧れとなるような、理想の国とするために、全力を捧げたいと思う。
日本が世界のリーダー国家となって、最高の繁栄と平和を示し、宗教的寛容の精神を以って世界から紛争をなくし、平和と繁栄へと導く。
そうした崇高な使命を果たせる国にしていきたいと思う。

これが私の、終戦記念日に、神仏、そして英霊に捧げる誓いである。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 
Search
アーカイブ
サイト内検索
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 
QuickLinks:
Blog
コンタクト


Site Resources:
RSS Feeds
Privacy Policy
幸福実現党:
公式ページ
お問い合わせ先:
お問合せフォーム
Conversatio: 辻立ちマップ

同時に党員も募集しています。