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映画「幸せのちから」の1シーン。
主よ
どうぞ山を動かさないで
山に登る力をお授け下さい。
-グライド記念教会で、聖歌隊が歌う。
「自由列車のすることは山を登ること。
人は山に立ち向かうもの。
高くそびえる山もあれば、深く暗い山もある。
グライドの者は山を知っている。
歌おう」
という牧師の説教に続いて、上記のゴスペルが歌われる。
十数年前の映画だが、アメリカには信仰と、そして自助努力の精神が残っている。
ホームレスを救うのは政府ではなく、教会だ。
そしてこの教会と、この歌は、信仰心と自助努力は矛盾しないことを示している。
人間には信仰の本能があるのだ。これが、人間と動物とを分ける最たるものだ。
神仏もあの世も否定する唯物論・無神論、そしてそれを土台とした共産主義は決して人類を幸福にしない。ばかりか、不幸を拡大再生産する。
ゆえに、私たちは、
「マルクスの共産党宣言を永遠に葬り去る」
ということを党是として掲げた。
前掲の映画の別のシーンで、主人公の五歳の息子が言う。
「ある日 男が溺れていました。
船が来て“助けようか?”
“いや 神を信じてる”
また別の船が来て
“助けようか?”
“いや 神がお救いくださる”
彼は溺れ 天国へ
“神よ なぜ救わない”
“船を2隻 遣わしたぞ”」
神の御業は、超常現象のように立ち現れてくるばかりでなく多くの場合、“人の手を介して”現れる。
そう、“神の御業”を為すは、私たち自身である。ゆえに、信仰と自助努力は矛盾するものではなく、信仰と自助論こそが未来を拓くのだ。
さらに言えば、キリスト教とイスラム教の激突を超克する新しい宗教思想が世界には必要だ。
その思想が、いま日本で説かれている。
日本発・世界宗教となって、世界の人々を救う。
我々がなすべきは、新しい、正しい進行に基づく「宗教立国」。
かつて聖徳太子がなされた「仏教立国」の進化形とも言える。
その姿を、間もなく皆様も、目の当たりにされることでしょう。
11日朝、白山市徳丸交差点にて辻立ちを致しました。
詳しくは動画をご笑覧いただければ幸いです。
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早いものでもう師走。今日は3日です。
令和元年もあと一月足らず。
私たちは、2020年から日本のゴールデン・エイジ(黄金時代)が到来すると考えております。
もちろん、日本一国だけの繁栄を意味しているわけではございません。
日本が繁栄するのはもちろんのこと、その繁栄をもって世界のリーダー的役割を果たし、世界平和と世界の繁栄を牽引することを目指すものです。
その繁栄とは、かつての「エコノミック・アニマル」的なだけの繁栄ではありません。
高い精神性を持って、他の国々に対して指導的立場に立ち、ノブレス・オブリッジ(高貴なる義務)を果たすことを目指します。
そのためには、「世界正義とは何か」ということを明確に発信できなければなりません。
例えば、激しい人権弾圧をやっている国があったり、近隣諸国に軍事的脅威を与えている国があれば、世界正義に悖るということをはっきりと糾弾し、叱らなければなりません。
経済的利益に「忖度」して、いうべきことを言えないならば、「アニマル」と揶揄されても仕方がありません。
政治の世界、国際政治の世界においても、「正義とは何か」が探究されなければなりません。
我が国は、現代的な意味で「武士道精神」を復興させるべき時、あるいは再び「宗教立国」を実現するときに来ているかもしれません。
今朝の辻立ちの動画です。
昨日の辻立ちの動画です。




気がつけば、前回のブログから2ヶ月近く間が空いておりました。
これからもっとまめに投稿しようと思います。
今朝、大川隆法総裁著『理想国家日本の条件』を久しぶりに繙いて。
サブタイトルに-宗教立国のすすめ-とあって驚いた。
本書は1994年の刊行。今から25年前。幸福実現党立党に先立つこと15年。
本書のタイトルとなった第2章「理想国家日本の条件」は、1992年2月2日の講演。
このときすでに、「宗教立国」という概念が説かれていたのだ。何度も読んでいるはずなのに、忘れていた。
本章では、
- これからの世界情勢-世界を覆う暗雲
ソ連邦解体により、冷戦後平和と安定の時代が来るというムードに対して警告を発している点。中国、朝鮮半島、東欧、中東に言及。 - その他、小選挙区制の弊害、ボーダーレス・エコノミー、ボーダーレス・ワールド(現代風に言えば「グローバリズム」か)や崩壊していった共産主義体制の国際レベルでの復活(豊かな国は貧しい国に機械的に配分しなければならないという考えが、世界正義として続いていくこと-ピケティ的な考えがもてはやされる、ブレグジットに見られるようなEUの苦悩を見るにつけても、思い半ばに過ぎよう)への警鐘等。
などか指摘されている。
主の慧眼畏るべし。
今朝、白山市徳丸交差点にて朝のご挨拶&街頭演説をさせていただきました。
街頭演説はできるだけまめにアップしております。
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https://www.youtube.com/user/MiyamotosatoshiChl/videos




今日は小松市内での集いの後、加賀市へ移動、加賀市加賀温泉東口交差点にて辻立ちを致しました。
ぐっと涼しくなり、爽やかな風が吹く夕方でした。
いち宗教政治家として拙いながらこの身を晒して声を上げ
宗教家は「信仰心って大事ですよ」と伝えるのが仕事です
科学的証明はできないけれど神も仏もあの世もあります。
2千年にわたって億の単位の人々が尊崇してきた人類史上
逆に、宗教をアヘンとみなす思想に基づいて作られた国で
宗教の復権のときは今。




よく言われることですが、アメリカ大統領は、聖書に手を置いて宣誓をします。
もともとアメリカは、英国国教会の迫害からメイフラワー号に乗って逃れてきたピューリタン(ピルグリム・ファーザーズ)以降、プロテスタント(WASP)が中心となった(ユダヤ教徒とも関係が深い)、キリスト教国家でもあります。
太平洋戦争後、日本軍の強さを恐れたGHQが、軍部も解体したが、その強さの根源は宗教にありと看破し、「神道指令」を発し、宗教(特にターゲットとされたのは国家神道)と政治との分離を図りました。
今日、日本において、宗教が日陰者的な扱いをされるのは、多分にこのGHQの政策が効いていると思われます。
しかし、これは(唯物論国家を除けば)世界の常識ではありません。
まさに、「日本の常識は、世界の非常識」というべきものです。
本来、宗教家は「聖職者」と言われる通り、最も尊敬される職業の一つです。
例えば鎌倉時代、日蓮聖人は、辻々に立って、説法をされました。そして、蒙古が攻めてくること(「他国侵逼難」)を予知し、それを民衆に訴えました(それゆえに世を惑わす者と看做され、時の政権に迫害されましたが)。
宗教家であっても、政治的な事柄であっても、人々のために必要なこと、言わねばならぬことは言うのが本当の宗教家ではないでしょうか。
現代もまさしく、北朝鮮、中国の脅威が迫っています。「他国侵逼難」そのものです。中国国内では、ウイグル始め、人権弾圧で苦しむ人民が数多います。北朝鮮に至っては、2千数百万の国民のほとんどが奴隷状態に近いといってよいでしょう。
このような状況に、宗教家が声を挙げずして誰があげるのでしょうか。
「愛してるから、黙ってられない。」-そう思って、現代の宗教政治家たちは、辻々に立って声を挙げております。
宗教こそが、人権の最後の防波堤となりうるのです。
宗教を知らずして、世界の紛争を解決することはできないのです。
ただこの世的な利害の調整だけでは調整しきれないのです。
今後、宗教政党の必要性が、益々高まってくることでしょう。
その負託に応え得る政党へと、成長して参りたいと思います。
今日は、金沢市大河端町南交差点にて、辻立ちを致しました。
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宗教が政治に関わることは、政教分離規定に反している、悪しきものだという誤解はさすがに少数派になってきたようです。
「法の下の平等」に照らせば、宗教者が政治参加できないということは、差別以外の何物でもありません。
政治の方が、特定の宗教を弾圧したりすることがないようにするための規定だということが、広く理解されてきたように思われます。まあ当たり前のことですが。
日本には、宗教、とりわけ「新興」宗教に対するアレルギーが非常に強いようにも感じられます。その関連で、「宗教政党」「宗教立国」に対する誤解や偏見も強くあるようですが、宗教政党自体は、世界的に珍しいものでも奇異なものでもございません(例.ドイツのキリスト教民主同盟)。
幸福実現党は、与党と連立を組んでいる某宗教政党(と彼ら自身は言っていないように思いましたが)とその母体が、宗教全体のイメージを貶めているようにも思われますので、そのアンチテーゼでもあります。
また、「宗教立国」も、日本を唯物論国家にしないという強い意思表示であり、アメリカはじめ欧米の民主主義国家は、基本、キリスト教に基づいて国を建てている、「キリスト教立国」でありますし、イスラム教国は言うまでもなく「イスラム教立国」です。日本も、国家神道の時代がしばらくありましたが、聖徳太子の時代頃から、神道と仏教とが融合した「仏教立国」と言えます。
このように、国家の背骨には宗教的な思想があって国を建てることを、「宗教立国」と呼んでおり、これもまた唯物論国家を除けば世界標準と言えましょう。
世界の政治思想もまた、それ自体単体で生まれた思想ではなく、欧米の政治思想を見ても、日本においてもイスラム圏においても、宗教的思想と不可分です。
このように見てくれば、我が国においては、「宗教」それ自体、本来人間にとって必要不可欠なものであるにも関わらず、誤解と偏見に染まっていると思われます。
それは、もちろん私たち宗教者自身にも責任があります。だからこそ、そうした誤解を解いて、宗教は人間存在をより向上させ、幸福にするために必要なものなのだということを知っていただくために、そして実際にそれを実証していくために、政治、宗教、教育、経済、芸能文化、などなど様々な活動を展開しているのです。
さらに付け加えれば、幸福実現党は「極右」的な言われ方もされますが、人々の人権を護るという意味では、左派以上に強い意志を持っております。
チベットやウイグルの人権弾圧、香港や台湾の自由と民主主義の危機に対して、これらを護るという強い意思をいち早く表明し、国連等で訴えるという行動しているのは幸福実現党です。
これも、人権の根拠は、人間が神仏によって創られた、神仏の子であり、すべての人はみな、神の下に平等であるという普遍的な宗教的真理に由来すると考えているからであり、この点からも、宗教政党が存在しうる意味があると思います。
「宗教同士が戦争をするから、宗教などない方がよい」という意見もあります。
しかし、だからと言って宗教を否定すれば、行き着く先は、旧ソ連や北朝鮮、中国などの唯物論国家と同じ結末になります。
唯物論からは、人権を尊重する思想も、人を思いやる心も、生まれようが無いのです。
そして、宗教の違いを超えて、地球を一つにする宗教思想が必要なのです。
その理由の詳細は省きますが、日本はその思想の発信地となりうるのです。
イスラム教文明とキリスト教(およびユダヤ教徒の合体文明)との激突を仲裁するのは、どう考えても日本しかありません。
その意味で、日本は、アジア、ひいては世界のリーダーとなる覚悟と自覚が必要な時期に来ていると思います。
私たちが発信している思想やそれに基づく政策は、今は、「独特な世界観」と感じられるかもしれませんが、これがやがて地球の「普遍的な世界観」と思われるようになることと思います。
その日まで、精進を続けてまいります。




政府は2021年3月から原則すべての病院でマイナンバーカードを健康保険証として使えるようにする。カードは制度開始から3年たっても普及率は1割にとどまる。
マイナンバーカード、全病院で保険証に 21年3月から :日本経済新聞
どれだけ政府が力を入れても、3年たっても普及率が1割にとどまる、ということは、そもそもニーズにあっていないということ。
国民はなんとなく個人情報が一元管理されるという、危ない感じを感じ取っているのではないか。
1億総管理社会となれば、中国や北朝鮮と変わらない体制。
便利かもしれないけど、全部ひも付けしようという発想、変えませんか?




本日も、昨日に引き続き、南北首脳会談を受けての緊急街宣を行ないました。
やはり、「南北融和」にダマされてはいけない、ということです。
予想通り、というべきか、世間では「融和ムード」一色で、たまに日本の危機を訴える人が(私たち以外でも)いたとしても、「そんなに平和が嫌いなのか」的な意見が出たりしてます。
平和が嫌いなわけはありません。
人が死んだり(寿命がきて亡くなるのは仕方ありませんが)、殺されたりするのは本当に嫌なものです。
だけど、冷徹に歴史の法則から見ると、平和的手段が良いように見えて、結果は最悪になることが多い。
第2次世界大戦前のヨーロッパがそうでした。第1次世界大戦後、あんな悲惨な戦争は二度とごめんだ、とヨーロッパ中に反戦平和主義が蔓延しました。そうしたムードを受けて、ヨーロッパの指導者たちは宥和政策をとり、戦争したくないばかりに、どんどんヒトラーに譲歩していきます。チェコスロバキア、ポーランドなど、当事国の許可もなく列強同士の思惑で勝手にヒトラーに領土の割譲を許していきます。そして悲惨な第2次世界大戦を迎えます。
ヒトラーを打ち破るには、”戦争屋”と言われたチャーチルの登場を待つしかありませんでした。
平和はあくまでも目的であって、手段ではありません。また、平和といっても、“奴隷の平和”では意味がありません。
人間は本質的に自由を求めるものだから。
真の平和を勝ち取るためには、「北朝鮮の完全武装解除」。これ以外の選択はありません。
そのためには、断固譲歩してはいけないのです。
日本が“蚊帳の外”にならないためにも、「自分の国は自分で守る」という覚悟が必要です。
そろそろ腹を括りましょう。
戦後失われた「武士道精神」、大義のために命を懸けることは素晴らしいことです。
こうした価値観の大切さを取り戻しましょう。
そのバックボーンには、「死んだら終わり」ではなく、あの世があって、神仏がおられるという世界観を認めることが必要でしょう。
こうした世界観を持たない限り、すなわち唯物論的世界観が科学的であり正しいものであるという考えならば、そこから導き出される結論は、「自分さえ良ければいい」「いまさえ楽しければいい」という人生観になり、利己主義、自己保身に走る人ばかりになります。
自分を超えた大いなる存在を認め、帰依する心が大切ではないでしょうか。

JR金沢駅東口にて




「先日、石川県の能登に行きました。小木漁港という漁港では、大和堆と言われる好漁場で毎日、操業していたわけですけれども、ここで集魚灯を焚くと、北朝鮮の船も一緒に集まってきて、イカをどんどん脇から獲っていくということでした。
(中略)そちらの皆様の話を聴きましたところ、この大和堆が、このままだと第二の尖閣になると非常に危機感を持っておられました。
石垣市で「尖閣諸島開拓の日」式典 幸福実現党の釈党首が来賓として出席 | ザ・リバティweb
1月14日、沖縄県石垣市「尖閣諸島開拓の日」式典に来賓として招かれた、幸福実現党・釈量子党首の「尖閣諸島開拓の日を祝う宴」での挨拶より。
不肖私も、微力ながら日本海を第二の尖閣になど絶対にしない、という強い決意でございます。
北朝鮮だけではなく、日本にとっての脅威の本丸・その最強・最大・最悪なるもの・中華帝国も、日本海の現実的な脅威となりつつあります。
北朝鮮から漁業権を買った中国の漁船が日本海にやってきている。
北朝鮮の木造船は、本来、沿海用の10トンばかりの、筏かタライ船のような貧弱な船だが、中国のイカ釣り船は、日本の中型船の数倍の300〜500トンもあるような大型で、しかも「かぶせ網」で根こそぎ獲っていく。
地元の漁師さんによると、これで獲られては大和堆でのイカ釣り漁は、3年と持たないそう。
日本という国は、古来より、争いを好まない、和を以て貴しと為す、大和(やまと)の国でありますが、他国の悪を正すとき、正義の剣を抜くことがあります。
日本古来の伝統・国是に則って、世界正義に悖る行為をする国に対しては、断固として正義を貫かなければなりません。
「平和と調和を愛する国」「正義を尊ぶ国」「神仏を尊ぶ国」・日本の誇りを取り戻しましょう。
2018年が、そのための重要な一年となることを祈って。




2018年が明けました。元旦は過ぎ、もう2日になった深夜にこれを書いています。
旧年中は多くの皆さまに大変お世話になりました。4度目の国政選、衆院選としては2度目の挑戦となる選挙も出させていただき、痛烈に努力不足、徳力のなさを感じた年でありました。また、多くの皆さまのご厚情も深く味わわせていただきました。
感謝を学んだ一年でありました。
これまでも様々なことがありました。
これからも様々なことがあるでしょう。
間違いなく言えることは、ここ数十年の時代、人類は大きな転換点に立っているということ。
今年、幸福の科学グループは創立以来32年、幸福実現党は立党9年となります。
私たちは、この人類史上稀有なる転換点に、人類がよりよき選択をすることを願って活動を展開してきました。
このことの真意は、同時代人にはなかなか理解されないことかもしれません。
同時代人に理解されないことの難しさは、吉田松陰先生然り、イエス・キリスト然り、ソクラテス然り。
私の友人たちに接していても、あるいは親族に接していても、そのことは痛切に感じます。それは友人なるが故の、身内なるが故の、厳しさなのかもしれません。もとよりそうした偉人の方々と比べるべくもありません。自らの説得力の弱さ、徳のなさではあります。
「何が正しいか」の判断は、きわめて難しいものがあります。
たとえば、アメリカ合衆国が北朝鮮を軍事攻撃する可能性は高いと思うのですが、このことが現実に起きた場合、その是非をめぐって、世論は沸騰するでありましょう。いわんや日本が直接被害を被る事態となっては。
しかし、確かに言えることは、戦争を嫌うあまり、軍事攻撃を躊躇することがあれば、そしてその状態が今後も続いて行くようであれば、唯一のスーパーパワーの地位をかろうじて保っているアメリカの威信は失墜し(つまり、誰も言うことを聞かなくなる)、やがて北朝鮮は、アメリカ大陸に届く核弾頭を積んだ大陸弾道ミサイルを完成させるであろうということです。そうなったら、もはやチェックメイトです。北朝鮮の核暴走は止められなくなり、アメリカが日本を守ってくれるという幻想は脆くも崩れ去るでありましょう。これは、いわゆる「吉田ドクトリン」―日本は、国防は最小限にしてアメリカを番犬代わりに使い、経済繁栄のみに専念すればよいという考え―の崩壊を意味するものでもあります。
一番よいシナリオは、アメリカの軍事攻撃も辞さない、という本気さに屈して、金正恩が政権を投げ出し、平和裡に北朝鮮が民主化することですが、なかなかそうはいかないでしょう。
となると、アメリカが北朝鮮を軍事攻撃し、完膚なきまで叩きのめす(すなわち短時日で圧勝する)ことによって金正恩体制が崩壊し、北朝鮮が民主化する、というシナリオが次善となります。ベトナム戦争のように泥沼化することは避けなければならないことは言うまでもありません。
単純に、戦争は悪で、(ただ争わないだけの)平和が善とは言い切れないところがあります。
戦争を忌避するあまり、より大きな悪を招来することもあることは、ナチスドイツのヨーロッパ各地への侵攻しかり、歴史上幾つも事例があります。
これは人類にとって厳しい選択ではありますが、より大きな真・愛・善の実現のために、必要なことでもあります。
信仰者としては、「人類を導き、見守っている神は、何を正義とされるか」ということを探究しつつ、活動することが必要でしょう。
77億人にならんとする地球人類は生き延び、さらに繁栄することが許されているのか、それとも過去何度も繰り返し起きていたように、文明の衰退・滅亡という現実を目の当たりにすることになるのか。
神は、それを人類自らが選び取って行く、「人類の選択」に委ねられたのだと思います。
願わくは、前者となることを願いつつ、今年もいっそう強く活動を推し進めたいと決意いたします。
新年からやや暗い、怖い話のように思われたかもしれませんが、苦難困難は、ただ苦しみのためにあるのではなく、それを乗り越える過程で得られる智慧と、乗り越えたあとに訪れる達成感、たとえ乗り越えられなかったとしても、真実一路に努力したことは、永遠の生命の中で、努力は決して裏切らないということを実感する充実感、こうしたものが得がたい幸福となるのだと信じます。
浅学菲才の身ではありますが、熱意だけは誰にも負けないと言いきれるようになりたいと願っております。
「全員幸福」の理想を目指して、日々、これ決戦。「一日一生」の心を大切に、精進いたします。
今年一年、皆様のご多幸とご発展を心より祈念いたします。



