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昨日(19日)、石川県庁にて、次期衆院選出馬表明記者会見をさせていただきました。
いつもご支援くださいます皆さまに、心より感謝申し上げます。
共産党独裁の全体主義国家・中華人民共和国への“忖度”が、国防の危機を招いたり、中国発・新型コロナウィルスの大流行を助長したりしております。国内では、チベット、ウイグル、内モンゴル、さらには香港に苛烈な弾圧を加えている最大の人権弾圧国家に対し、沈黙しているのみならず、その国の国家主席を国賓として招こうとしている(延期にはなっているが)。何と愚かで、情けないことでしょうか。
強大な権力、邪悪な思想に妥協し迎合し、忖度するような政治とはおさらばしましょう。
世界中のすべての人が、弾圧されたり、迫害されたり、殺されたりすることなく、幸福に人生を全うできるような世界を創りたい。それが私の願う理想世界です。
動画は、記者会見でのご挨拶全編です。ご笑覧ください。




決意、と言ってもそんな大げさな話ではないのですが。
春!私は春が好きです。
もちろん、夏も、秋も、冬も、それぞれに好きなのですが、
長い冬を経て、生きものたちが息を吹き返し、活力に溢れてくる感じが好きです。
寒くて寒くて、朝起きるのも顔を洗うのも着替えるのも億劫だった冬が去り、春が来た!
なんとも言えないワクワク感が好きです。穏やかで暖かい感じが好きです。
そうはいっても花冷えの、寒い日もあるのですが。
温かい日も寒い日もある春。そんなこんなを引っくるめて、春が好きです。
ふれあい訪問の時に、野に出て採ってきたアサツキをザルに上げて根を切っているおばあちゃんを見ると、懐かしい故郷の土の香りとともに、「春だなあー!」と実感します。
しかし駘蕩たる春の雰囲気に浸っているだけではいけません。
こうしている間にも刻一刻と人類の選択の時は迫っています。
まずは北朝鮮問題をなんとかしなければいけません。
今、宥和ムードが漂っているだけに、選択を間違えるようなことがあっては取り返しがつきません。
はっきり言えることは、北朝鮮は何十年もかかって開発を続けてきた核を捨てる気はない、ということです。
そして、文在寅大統領は、日本を仮想敵国にし、共通の敵として南北を統一しようとしており、核放棄を求めるどころか、核を持つ南北統一朝鮮ができればそれを良しとしているということ。
日本政府も、米国政府も、この人の公式発言を信じてはならない。誰に対しても耳ざわりのいい言葉で語りつつ、顔の皮の厚さは城壁の如く、腹の黒さは炭の如しである。
(大川隆法『文在寅 韓国新大統領守護霊インタビュー』まえがきより)
やはり、幻想を抱いてはいけないのです。
日本の、そしてアメリカのやるべきことを見失ってはいけない。
こちらをご参考に。↓ ↓ ↓
http://www.irhpress.co.jp/recommend_detail.php?product_id=2012
日本は、やはりサムライ精神を復興させなければいけませんね。
元寇の時、毅然として、元の使者を斬った北条時宗に倣って。
穏やかな春の日にふさわしからぬお話になりました。
今月の街頭演説の動画です。
4月。心機一転、愛する石川県内を、一生懸命回ります。




9月3日、北朝鮮が6回目の核実験を強行しました。
8月29日には弾道ミサイルが襟裳岬東方の太平洋に落下したばかりです。
4日と5日には、金沢市内と白山市内で緊急街宣、
5日には県知事と金沢市長に「北朝鮮のミサイルに備えた避難訓練等の実施を求める」要望書、県議会議長に同陳情書を提出いたしました。
幸福実現党立党8年、ひたすらに国防の大切さ、国防の強化を訴えてまいりましたが、残念ながら私たちが怖れた通りの“国難”が着々と進行しております。
何とかこの国難を逆転させたいものです。
この期に及んで、警報や避難訓練が国民の不安を煽るとか、同盟国との合同演習が北朝鮮を刺激するとか、米軍基地があるから北朝鮮に狙われるとかいう方が一部にいらっしゃるのは不思議です。
地震や火災や洪水でも警報が鳴らされたりしますが、あれも不安を煽るからやめとけというのでしょうか?
避難訓練をするから台風や地震や火災を引き寄せるのだとでもいうのでしょうか?
これは、日米を分断させる、「離間の策」と見てよく、国民の生命を危険に晒す「悪魔の論理」です。
日本は、お金だけ持っていて自分の国を自分で守ることもしない、なんとも情けない「最弱国家」に成り果てたのか?
「神国」と言われたに日本が、神の言葉を聴こうとしなくなったことが、悪魔に攻め込まれ、日本没落の原因と言えるのではないでしょうか?
無神論・唯物論国家に成り果てた、かつての神国・日本が、唯物論・共産主義・全体主義国家の独裁者に為す術なく振り回され(それすら気付かず能天気に平和ボケしているかもしれませんが)、滅んでいくのを見るに忍びなく、何とか日本の誇りを取り戻し、日本人としての矜恃を取り戻し、神国・日本を真の意味で立て直したいと志しております。
いざ、国難大逆転へ-。
4日、5日の街宣映像です(抜粋)。
↓ ↓ ↓




日本人よ、日本人としての誇りを持とう。
心の底に罪悪感を持ち、「自分は悪人だ」「悪人の子だ」と思っている人が幸福になるとは思えない。
自虐的で「自分なんか大したことない」と思っている人が成功するとは思えない。
謙虚さは大切な徳目だが、自己憐憫という袋小路に迷い込むと道が開けることはない。
戦後、日本には「自虐史観」が広く深く蔓延しているが、しかし、日本人よ、少しも恥じることはない。
天に対しても人に対しても。
正々堂々と、日本の正義を語ろう。
日本は、「和を以て貴しとなす」を国是とする国だ。
日本には世界を平和にする使命があるのだ。
日本よ、もっと繁栄せよ。
日本には世界を豊かにする使命があるのだ。
日本よ、正義を貫け。
邪悪なる国家に負けてはならない。
天が祝福され、天から使命を降ろされた国、日本。
日本よ、使命を果たせ。
世界のリーダーとなって、地球を救え。
そのために、幸福実現党は創られたのだ。
そのために、あなたがたは地上に降りたのだ。
今朝は、野々市市新庄2丁目交差点にて、街頭演説をいたしました。
以下はその抜粋です。




タイトルは、新年の決意です(笑)。いや、笑い事ではありません。本気です。
これからの時代、「努力」「根性」「忍耐」が道を切り拓き、成功を生み出す原動力になります。
古臭い価値観と思われるかもしれませんが、普遍的な真理ではないでしょうか。
国家レベルにおいても、個人においても、まずは他者を頼るのではなく、自らの自助努力によって道を切り拓こうとすることが大切です。
J.F ケネディの「国家があなたがたに何をしてくれるかを問うなかれ。あなたがたが国家に対して何ができるかを問おうではないか」は、けだし名言と思うのです。
補助金や社会保障バラマキばかりやってるような国ではなかなか言うのも行なうのも難しいことですが。
でももう年金など頼れない時代に来ています。
「変革」を恐れてはいけません。
今朝は、白山市安養寺北交差点で辻立ちを致しました。
3日連続の辻立ちで、今週は少々寝不足気味で道中ちょっと眠かったですが、目を醒ますような寒風でした。
下記をクリックすると、動画をご覧いただけます。
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8月5日の辻立ちの動画をアップいたしました。
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2016年8月5日 北朝鮮の脅威に備えよ(白山市徳丸交差点)
と書いているうちに、昨日は尖閣海域に中国海警局の公船6隻含め、240隻もの中国戦が来たことが報じられていました。
口頭や文書で抗議しても通用しない国。
まず正義を明らかにしなければなりません。
そして、正義を実現するためには、相応の力が必要です。
「自分の国は自分で守る」-この気概が必要です。




ご報告が遅れましたが、5月27日、みやもとさとし後援会事務所開きを執り行わせていただきました。
いつもいつも、お支え下さっている皆さま、
そして事務所開きを迎えるにあたり、ご尽力くださいました方々に、心より感謝申し上げます。
新しい時代を拓く道のりは、厳しく険しいものですが、
怯むことなく前進を続けます。
心強い同志が大勢おります。
千里の道も一歩から。
初めの志を忘れることなく、
一歩一歩、毎日毎日、前進を続けてまいります。
- 久徳県代表挨拶
- 中村県幹事長挨拶
- 七海ひろこ党広報本部長 兼 財務局長 挨拶
- 七海ひろこ広報本部長 兼 財務局長 挨拶(2)
- 井上新太郎津幡町議会議員 祝辞
- 伊藤元俊さん 激励の言葉
- みやもとさとし決意表明
- みやもとさとし決意表明(2)
- 鬨の声!
- 井上新太郎津幡町議と。
- マスコミ各社さんと談笑する七海ひろこ広報本部長
下記をクリックすると動画をご覧いただけます。
↓ ↓ ↓
みやもとさとし決意表明




靖国参拝を自ら封印し、小笠原の密漁にも打つ手なし。
(200隻もの船でやってこられては、そもそも「密漁」などとは言えないだろうが。)
「尖閣諸島など東シナ海の海域で近年緊張状態が生じていることに異なる見解を有していると認識し、…」などと、領土問題が存在すると取られても仕方がないような合意をしてしまうし。
彼らが尖閣諸島や小笠原諸島に上陸し、占領し、あるいは海保や自衛隊を攻撃するような事態が発生しても、現政権に断固たる対応ができるだろうか?
「私には判断できない」「遺憾です」ぐらいしか言えないかもしれない。
これは幸福の科学が製作し、一昨年公開した映画「ファイナル・ジャッジメント」や「神秘の法」で見たシーンではないか。
現政権は、信仰心を捨て、唯物論国家に擦り寄り、妥協する道を選んだかのように見える。
確かに言えることは、その道は滅亡への道であることだ。
一昨日、私が勤めている宗教法人幸福の科学の支部に、金沢市在住の一般の方からお電話をいただいた。
国防に大変関心がおありのようで、沖縄県知事選のことも大変心配しておられ、「日本は戦争になるのでしょうか?」など、さまざま尋ねられた。
私自身の見解を交えてお答えし、最後に、「戦争にならないように私ども幸福の科学グループも微力ながら努力しているところです」と、悔しいが、未だ国政に直接かかわっているわけではない当方としては、そうお答えするのが精一杯だった。
この国の行く末を心配されている方が、現政権の与党ではなく、他の政党でもなく、宗教法人である私どもの支部に電話をかけてこられるとは、どのようなお気持ちなのか、わからなかったが、当グループが発信している内容に一定のご信頼をいただいている方がいらっしゃる一つの証左であろうと思う。
私たちは、滅亡への道を決して甘受しはしない。
滅亡ではなく、繁栄への道を選ぶことをここに誓おう。
それは、「内なる革命」から始まっていく。
これまで、「常識」とされていたことを、逆転させていくことから始まる。
信仰心と、サムライ精神の復興が必要だ。




「鬼手仏心」という言葉があります。
集団的自衛権の行使を容認することは「国民が戦争に巻き込まれる!」という恐れを抱かせる鬼かヒトラーかというような怖いことのようにも見えます。しかし結果として国民を守ることになるなら、それは仏の心のごとき慈悲であると言えます。
これとは逆に、「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉もあります。
一見優しく、耳に聞こえのいいことであっても、堕落へとつながる場合もあります。
保護や補助も過ぎれば怠け者や努力せずして結果だけを手に入れようとする人々を生み出し、 結果として不幸な人々を多数生み出すのみならず、国家そのものを傾けてしまうこともあります。
集団的自衛権については、憲法の解釈変更ではなく、「憲法改正から入るべきだ」というマナーの問題をあげつらう方もおられます。
それはその通りかもしれませんが、結局、行使を容認したくない勢力の先延ばしのための言い訳に使われるようならば、やはり国民を守れないことになります。
また、ローメーカーたる国会議員が、裁判所のようにあまりにも細かいことを審議し続ける状況が続けば、ますます国民には何が大事なのか、その本質が見えにくく、分かりにくくなりますし、結局、国防の備えが後れることになります。
法律を定める場合、「すでに起きた(悪しき)こと」を規制するためのものが多く、未来に起こりうることを想定して法律を作ることは極めて難しいように思えます。ここは行政府がリーダーシップをとって、リスクを背負って、創造的に未来に備えた方がよいでしょう。
総じて、反対派や(改憲から入るべし、とする)慎重派は、中国の脅威をあまりにも軽く見すぎている傾向があるように思いますし、脅威は感じながらも、そんなに急なことはあるまいと高を括っているようにも思います。
しかし、現在進行形で中国の侵略の歩武は進められており、侵略され自治区になった地域に住む少数民族は大変な迫害や弾圧を受け、根絶やしにされようとしております。
そんな国に、日本の70年以上前の(ありもしなかった)侵略や虐殺をあげつらう資格はありません。
もし日本が前非を悔いるとするならば、戦後70年の武士道精神を忘れて町人国家と化し、隣国の不幸を見て見ぬふりをしてきた(見ようともしなかった)腰抜けぶりを悔いるべきであり、その反省の下に、アジアの平和と自由を守るためにアジアの盟主として立ち上がるべきでしょう。
安倍政権による、「集団的自衛権の行使容認」という閣議決定は、「勇断」と言ってよく、少なくともここ20年はなかった、チャレンジングかつリスクテイキングで創造的な政治だとは思います。
しかし、それでもまだ「中華帝国主義」の野望に対する備えとしては、十分なものではなく、次の(いつになるかは予断を許しませんが)総選挙においては今度こそ、ぜひとも「憲法改正」を最重要課題として掲げていただきたいものです。
平和を守るためには、守るために戦う人が要る、というのも歴史の鉄則と言っていいかもしれません。
そういう使命を担う人々は、国民から尊敬されて当然であり、それこそ“グローバルスタンダード”でありましょう。
命を賭けてわが国を守っておられる自衛隊員の皆さんが、いつまでも鬼子扱いされていいわけはありません。




ようやく、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されましたね。
一つの記念すべき日とはなりました。
幸福実現党からもプレスリリースが発表されました。→http://info.hr-party.jp/press-release/2014/3171/
私ももちろん、賛成して来た立場なので、まずは良かったと思います。
それにつけても、集団的自衛権の行使容認を巡っての騒動は、日本においては、憲法の改正が困難であることはいうまでもなく、 憲法の解釈すら、「不磨の大典」と化していて、容易に変えることができないものだったということを実感させるものではありました。
その点から見ても、今回の閣議決定は、歴史的と言えるかもしれません。
現行日本国憲法を素直に読めば、個別的自衛権だってほんとうは持てないでしょう。
第9条の、いわゆる「芦田修正」によって、「前項の目的を達するため」でなければ戦力を持っても良い、という十分怪しい解釈になっています。
「解釈改憲」などという大げさなものではなく、「変えるべきでない」と一部左翼陣営が言っている現在の憲法解釈も、別に国民投票によって決定したものではありません。
時代も環境も変わっているのですから、国民の生命・安全・財産を守るために必要とあれば、時代や環境に合わせて解釈を変えることは、何の問題もないではありませんか。
もちろん、憲法改正は時間がかかるから変えなくてよい、いつまでも解釈を変えるだけで対応していけば良い、というわけでもありません。やはり改正を急ぐ必要はあると思います。
「奴隷の平和」でも構わない、人権蹂躙や弾圧を甘受してでも、絶対に戦争は避けるべきだ、という選択肢もあるでしょうが、それではあまりにも情けないではありませんか。
とはいえ、「戦争したいですか、したくないですか」、あるいは「自分の息子(娘、あるいは自分自身その他の家族など)を戦争に送り出すことに賛成しますか」 などという質問の仕方をしたら、大多数は反対するでしょう。
主権国家としての誇りと主体性を守る気概があるか。
それ以前に、個人としての生き方においても、自らの運命を主体的に選び取って人生を生き抜きたいという意志があるならば、私たちは、ある程度の犠牲も覚悟の上で、「自分の国を守るためには、武力の行使も辞せず」と腹をくくらなければならない。
その覚悟があるか否か。それが問われている時代なのだと思います。
今朝は、野々市市新庄2丁目で、朝の辻立ちを致しました。
久しぶりに、サポーターのKさん、Tさんも 応援に駆けつけて下さいました。
ご支援くださる皆様方には、本当に感謝・感謝でいっぱいです。

2014-07-01-野々市市新庄2丁目交差点にて
下記をクリックすると、動画をご覧いただけます。
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