Posts Tagged ‘信仰’

9月3日、北朝鮮が6回目の核実験を強行しました。
8月29日には弾道ミサイルが襟裳岬東方の太平洋に落下したばかりです。

4日と5日には、金沢市内と白山市内で緊急街宣、
5日には県知事と金沢市長に「北朝鮮のミサイルに備えた避難訓練等の実施を求める」要望書、県議会議長に同陳情書を提出いたしました。
幸福実現党立党8年、ひたすらに国防の大切さ、国防の強化を訴えてまいりましたが、残念ながら私たちが怖れた通りの“国難”が着々と進行しております。
何とかこの国難を逆転させたいものです。

この期に及んで、警報や避難訓練が国民の不安を煽るとか、同盟国との合同演習が北朝鮮を刺激するとか、米軍基地があるから北朝鮮に狙われるとかいう方が一部にいらっしゃるのは不思議です。
地震や火災や洪水でも警報が鳴らされたりしますが、あれも不安を煽るからやめとけというのでしょうか?
避難訓練をするから台風や地震や火災を引き寄せるのだとでもいうのでしょうか?

これは、日米を分断させる、「離間の策」と見てよく、国民の生命を危険に晒す「悪魔の論理」です。

日本は、お金だけ持っていて自分の国を自分で守ることもしない、なんとも情けない「最弱国家」に成り果てたのか?

「神国」と言われたに日本が、神の言葉を聴こうとしなくなったことが、悪魔に攻め込まれ、日本没落の原因と言えるのではないでしょうか?

無神論・唯物論国家に成り果てた、かつての神国・日本が、唯物論・共産主義・全体主義国家の独裁者に為す術なく振り回され(それすら気付かず能天気に平和ボケしているかもしれませんが)、滅んでいくのを見るに忍びなく、何とか日本の誇りを取り戻し、日本人としての矜恃を取り戻し、神国・日本を真の意味で立て直したいと志しております。

いざ、国難大逆転へ-。

4日、5日の街宣映像です(抜粋)。
↓ ↓ ↓


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

安倍晋三首相が14日に閣議決定する戦後70年の談話(安倍談話)で、戦後50年の村山談話や戦後60年の小泉談話に盛り込まれたアジア諸国への「おわび」の文言を入れる方向で調整していることがわかった。政権幹部が10日、明らかにした。

戦後70年談話「おわび」に言及へ 安倍政権幹部が明言:朝日新聞デジタル

安倍政権は、安保法制や普天間基地の辺野古移設問題など、山積している問題を、野党やマスコミの追及をかわし、少しでもスムースに進めたい、という「名を捨てて実を取る」作戦なのかもしれない。
しかし、この「戦後70年」という節目に、由々しき罪悪感と、自虐史観を、英霊とそのご遺族、国民に押し付け、遺し続けられるのかと思うと、将来に禍根を残す、という点では「村山談話」より悪いかもしれない。

政府として反省すべきは、英霊とそのご遺族に対して、「由々しき罪悪感」と、その後の国民に対して「いわれなき自虐史観」を押し付けたことであり、おわびすべきは、戦後の唯物論的風潮の中で、本来最も尊いものである神仏を尊ぶ心、信仰心や宗教を、裏側の世界の押し込め、信仰を持つことが何か後ろめたいことであるかのような空気を助長してきたことである。

さらに言えば、先の大戦は、「民主主義国家」=連合国 vs. 「全体主義国家」=枢軸国の戦いであり、民主主義国家である連合国側が正義であり、勝利した、という史観に基づき戦後体制が構築されている。しかし、その後の旧ソ連邦と中華人民共和国で行われた侵略と粛清、弾圧などを見れば、共産主義国家こそが全体主義国家であったことが明らかである。
中国とソ連を味方に引き入れ、日本を悪者にして徹底的に叩いたことが結果として、共産主義国家の伸張を助長したと言える。アメリカの見立てが相当甘かったことを意味している。
このことは、いかに同盟国であり、友好国であったとしても、毅然としてアメリカに反省を求めるべきである。
一時期、嫌われたり無視されたり圧力がかけられたりすることがあったとしても、恐れるには当たらない。
日本は、決して「悪魔の国」などではなく、正直さと誠実さに溢れた、素晴らしい国であった。
何しろ、あの大悪魔・スターリンでさえ認めるほど、日本は、律儀に(健気に、といったほうがいいかもしれない)国際法や条約を守り、人種差別をせず、同盟国であったはずのドイツが迫害しているユダヤ人でさえ助けた国である[注.スターリンは霊言で、「日本はドイツを最後まで裏切らんかったからな。だから、ドイツ国民は、いまだに日本に対して、尊敬の念を持っとるんだよ。
日本だけなんだよ、ドイツを裏切らなかったのは。みんな、裏切り合いだからな。」と語っている。(大川隆法『赤い皇帝 スターリンの霊言』)]。

「宗教立国」を標榜する私たちとしては、「自虐史観」を一掃し、日本の誇りを取り戻すために、それにふさわしい談話を出されることを、安倍総理に強く求めていきたい。
「因果の理法」(原因−結果の法則)は昧(くら)ませないものである。正直さや誠実さは必ず天に通じるものであり、またそうした世界にしていかなければならない。

昨日は、金沢市東長江で朝のご挨拶をさせていただきました。

金沢市東長江交差点にて

金沢市東長江交差点にて

下記をクリックすると、動画をご覧になれます。
↓  ↓  ↓
2015年8月10日 金沢市東長江交差点


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

「霊言」をいかがわしいもの、そんなものを学問として学ぶなどということは、トンデモないもの、などと考えている方々もまだ多いと思います。
考えてみれば、僅か数百年前の「科学」に対する態度は、まさしくいま、宗教が置かれている立場そのものだったのではないでしょうか?
現代の視点で考えれば信じがたいことですが、わずか400年前のガリレオ裁判で、当時、この世の最大の権威であったローマ教皇庁は、「地動説」を否定したのですから。

人間は、自分が理解不能なものは認めたがらない傾向があるようですが、理解できないから「ない」とか「偽物」とか「インチキだ」とか決めつけるのは、極めて非論理的・非科学的な態度だと思いませんか?
霊が来たりて、語る、ということは、「恐山のイタコ」や沖縄の「ユタ」を見ればわかる通り、昔からあったことです。
それらの霊の言葉を語ったイタコやユタたちは普遍的な思想を語ったわけではありませんが、大本教の出口ナオさんとか天理教の中山みきさんとかも、神が乗り移って語ったり、書いたりしたものが教えとして伝えられ、広がったものです。

さらに遡れば、イエス・キリストは、天なる父の声を聞き、悪魔とも激しくディベートをしました。
釈尊もしかり、「神々との対話」「悪魔との対話」が仏典として遺っている通り、霊的存在と対話をし、教えを説かれた方です。
ムハンマドは、最初アッラーの声を聞き[のちにジブリール(ガブリエル)からの通信と修正]、コーランに遺しました。

神から悪魔まで、この世ならざる霊的存在の言葉をすべて「霊言」と言います。
さらに言えば、古来より日本においては、卑弥呼に代表されるように、神の声を聴いて政(まつりごと)を執り行っておりました。
「祭政一致」が、わが国における正統な政治のあり方でありました。
「民主主義が絶対に正しい」という現代の「常識」に染まっている人々にとっては理解不能かもしれませんが。

神ならぬ、それゆえに完璧ではない、人々が集まって多数決で決めたことが常に正しいとは限らない、ということは虚心坦懐に知っておいたほうが良いのではないでしょうか。
何しろ私たち日本国民は、5年前の総選挙で、多数決で間違った政党を選択してしまった”前科”があるのですから。

いま、「神の声」が地に臨んでいる奇跡の時代です。
あまりの驚天動地の奇跡ゆえに、そう簡単に受け入れられない人が大半とは思いますが、謙虚に耳を傾けようとする態度が大切だと思います。
私は、民主主義を否定するものではありませんが、神なき時代の民主主義はポピュリズムに陥り、衆愚制への道であることは自戒したいと思います。

私たちが持つべき根本的な「神観」は、「我以外に神なし」という偏狭な神ではなく、多くの神々(聖霊)もまた存在し、地球の中で至高なる存在が、それらの神々を統べておられる。またその至高なる神とは裁き罰する神ではなく、人々を幸福にしたくてしょうがない愛の神であるということです。

「霊言」を通して知ることは、神格を持つ存在にも個性があり、考え方の違いがあるということであり、至高なる存在は、それを許容しておられるということです。
つまり、神々の世界においても「民主主義」的世界が展開しているということです。
ここに、「祭政一致」と「民主主義」とは矛盾しないという可能性を観て取ることができます。

至高なる神の言葉を伝え、多様な個性・複数性を認める寛容な宗教こそが、宗教間の争いを無くし、邪悪なる唯物論・無神論の闇から人々を幸福と平和と繁栄の彼岸へと渡すことができるものと信じます。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

8月に入りました。
各地で台風等の被害が出ております。被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
きょうは、金沢市も大雨警報が発表されております。

近年よく見られる異常気象、天変地異と言ってもよいと思いますが、単なる自然現象と見ると、本質を見誤ります。
神仏の存在を信じない人は、「非科学的だ」と一笑に付すかもしれませんが、古来より、日本神道系の神々は、警告を発するときに、雨と風をよく使う傾向があると言われています。
天意を素直に読み取るならば、近年世界規模で起きている様々な天変地異や大きな事件は、人類に何らかの悔い改めを迫っている、と見るのが自然なことではないでしょうか。

その「悔い改め」とは、何でしょうか。
まず、人類は、あまりにも、神仏とか、天国地獄とか、この世ならざるものを否定することに慣れてしまった、ということがあげられます。
内心では信じていても、表立って表明することが非常にはばかられます。
信仰や宗教、霊的世界のことや、超常現象などを話題にすると、「知的ではない」とか、「迷信だ」とか「洗脳されている」とか言った言葉で一蹴されることがまだまだ多いのではないでしょうか。
しかし、日本人の精神的底流には、しっかりと信仰心が根付いており、神仏を敬う心が脈々と流れていると信じたいものです。
それを想い起こさせてくれるのが、毎年のお盆やお彼岸の「お墓参り」です。
お盆には、先祖や故人の供養にかこつけて、親戚一同や、同窓生が一同に会し、親睦を深めるという面もありますが、やはりそれだけではないでしょう。
そうした感情が近年薄くなっていたとしても、故人の徳を偲んだり、先祖に感謝したり、という面はやはりあると思います。
戦後の唯物論教育のせいで、表立って信仰や宗教について語ることがはばかられるような“空気”がつくられてはしまいましたが、日本人は心の底ではそうしたものを信じる心があり、故にこそ、大震災時にも暴動も略奪も起こさない、ワールドカップの試合後に、サポーターの皆さんが粛々と観客席のゴミを拾ったりするような、世界から称賛を受けるような高い道徳心を持っていると言えるのではないでしょうか。
これは、日本人の素晴らしい精神性であり、後世にも継承していかなければならないものであると思います。

唯物論・無神論は、結局、神仏の存在も、霊的世界の存在も認めない、ということですから、そうした思想が行き着くところは「誰も見ていないところでは、何をやっても構わない」となり、「自分さえよければよい」「いまさえよければよい」となってしまうのではないでしょうか。
共産主義国家の最大の問題点の一つは、この「唯物論・無神論」に基づいて国家が造られているという点にあると思います。
「この世しかない」という思想の行き着くところは、前述のように、「自分(たち・の国)さえよければいい」となって、隣国の領土や資源を奪いに入ります。「今さえよければいい」となって、安全基準を満たさない製品を作って平気でいたり、強大な軍事力にものをいわせて、自分たちのエゴを押し通そうとしたりします。
もちろん、唯物論者であっても、高い倫理観を持って生きている方がいることは認めます。しかし、その道徳的根拠を追究した時、どうしても”あの世”の存在を認めなければ、答えきれないのです。
すると、意志の弱い一般の人たちは、どうしてもこの世で生き易い方向に流されがちになります。
「よいことをすればよい結果が得られ、悪いことをすれば、悪い結果が得られる」という、ごく普通に成り立ちそうなことが、この世では必ずしもそうではない、いうことを我々は数多く経験します。
この「原因結果の法則」は、過去世―現世ー来世という三世を貫いて初めて完結します。
ごく簡単な、「あの世」の存在さえ認めれば、一瞬に解決がつく問題を、唯物論に凝り固まっている人は、なぜか、頑なに認めようとしません。
私には、どうにも不思議に思えてなりません。

しかし、一方で、唯物論を気取ってはいますが、ほとんどの人にとってそれは本心ではないのではないか、と思います。
徹底して唯物論で通している人はいざ知らず、それほどではない人は、「自分は無神論者だ」「唯物論者だ」と言いつつ、ちゃんとお墓参りもするし、新年には、神社・仏閣に初詣でに行く、という人を何人も知っています。
伊勢神宮の式年遷宮には、何千万人も参拝する国民がいる国が、真から唯物論国家になることなどあり得ないと思うのです。

お盆には、「地獄の釜の蓋が開く」(あまりいい言葉ではないですね)などと言われますが、霊界とこの世との境目が緩やかになる時期でもあります。
この世の人も、あの世の故人や先祖に思いを向けますし、あの世の霊も、子孫が祀ってくれていると思うと、地上に思いが向きます。
相互に作用し合って、交流し易くなる季節です。つまり、こちらの意思が伝わりやすくなる季節です。ご先祖や故人、多くの方々のご縁を受けて、地上に生を受けている私たちです。
お盆の季節には、そうしたご先祖や故人への報恩として、地上世界をより繁栄した、平和で幸福な世界にすべく、努力することが大切ではないでしょうか。

また、15日には終戦記念日を迎えます。
先の戦争でなくなった方は、日本の国を、愛する家族や同胞を守るために勇敢に戦った、まさしく「英霊」です。
2発の原爆投下や東京大空襲で、30万人以上もの民間人を虐殺した罪を正当化するために、日本を侵略国家・犯罪国家にしておきたいアメリカと、国内の不平不満を、すべて日本のせいにして自らを正当化し、さらにアジア・アフリカの覇権を握るために、日本を弱体化させたい中国共産党政府とが、その点において利害が一致するために、いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」を既成事実にしておきたいのです。
しかし、これらいわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」は、歴史の捏造です。
戦後の唯物論教育の中でさえ、その精神性の高さを維持している日本人が、そのような悪逆非道なことをやるはずもないのです。
明治維新後、日本国政府は、大急ぎで世界の一等国への道を駆け上っていく中で、世界が驚倒するほど国際法を遵守するべく努力をしておりましたし、日本軍は、世界有数の軍律厳しい軍隊でした。
英霊たちのいわれなき汚名をそそがなければなりません。

あろうことか、習近平は、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」、この2つの事件を、ユネスコ記憶遺産に登録せんと企んでおります。
こうした悪行は、何としても粉砕せねばなりません。
天意に基づいて、真実の歴史観に目覚めなければなりません。
アメリカに対しても、言うべきことは言い、歴史観の見直しを求めなければなりません。
原爆投下は、「人類に対する罪」ではなかったのか。
東京都民10数万人を焼夷弾で焼き殺したのは、虐殺ではなかったのか。
こうしたことを問わなければなりません。

戦争前夜、アメリカに石油を止められ、アメリカ在住の日本人・日系人は差別され排斥され、そして事実上の最後通牒とも言うべき「ハル・ノート」を突きつけられました。
先の大戦は、止むに止まれず自衛のために立ち上がった戦いであり、欧米列強により植民地支配されていたアジア諸国を解放し、人種差別政策を撤廃するという、日本神道系の神々の意を体した聖戦でもありました。
にもかかわらず、侵略国家・犯罪国家であるという烙印を押され、永遠に反省と謝罪を続けなければならないとしたならば、300万人とも言われる英霊の犠牲は何だったのか。
「後に続く者を信ず」と言って散って行った方々の死を無駄にしないためにも、彼らの汚名をそそがなければなりません。
いつまでも「自虐史観」を引きずり、「贖罪意識」を持ったままでいては、日本はもとより、世界の未来のためにもいいことは全くありません。
真に世界の繁栄と平和に貢献できる国となるために、我が国は、自信と誇りを取り戻さなければなりません。
間違った歴史観は、正さなければなりません。

「悪を押し止め、善を推し進める」といえばシンプルですが、仏教に限らず、およそ正しい宗教ならば当然の、普遍的な教えです。
いろんな人々や、いろんな国に配慮しなければならないのは当然のことですが、だからといって、真実をねじ曲げ、迎合することは慫慂されるべきことではありません。
それは、悪を助長することになるからです。
「正しいものは正しい」「真実は真実」と訴え続けて節を曲げないのが真なる宗教の使命であり、宗教をバックボーンに持つ幸福実現党の役割は、ここにこそあると信ずるものです。

昨日、白山市徳丸交差点にて、辻立ちをさせていただきました。

img_28331

img_2835

下記をクリックすると、動画をご覧いただけます。

↓ ↓ ↓

2014年08月08日 白山市徳丸交差点での辻立ち(前半)
2014 08 08 白山市徳丸交差点での辻立ち(後半)


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

幸福実現党は、宗教政党です。しかも、いわゆる「新興宗教」を支持母体として。
この一事を持って、わが国では大変なハンディキャップを背負って戦わなくてはなりません。
(この日本は確か唯物論国家ではないはずなのですが。また、どんな世界的な大宗教であっても、はじめは新興宗教であったはずですが)
しかしそれでもなお、宗教政党である、ということを背負って戦う意義、大義はどこにあるのでしょうか。
それについて考えてみたいと思います。

いわゆる「政教分離」の根っこには、宗教イコール悪、と見る見方があるように思えます。
日本的常識の中では、「政教分離」が普遍の真理であるかのようにも見えますが、日本、いや、世界の歴史を眺めてみても、決して普遍的な真理でもなんでもないことが分かります。
古来、日本においては、祭政一致であったし、イスラム教国は言うも更なり。アメリカ合衆国も、大統領が聖書に手をおいて宣誓することからも明らかな通り、実質的にはキリスト教国、もっと言えば指導者層は、WASPとも呼ばれる、プロテスタントが主流であります。さらに深いところでは、ユダヤ教の影響も強く流れています。キリスト・ユダヤ合体文明と見ることができます。

厳密な意味で、政教分離を実践しようと思ったら、それは唯物論国家になるしかありません。
しかし唯物論国家の実態が悲惨であることは、ここ100年ほどの文明実験で明らかです。

本稿は、宗教イコール悪と見做す唯物論的常識に対する宗教からの反論です。

唯物論者は、宗教はアヘンである、と言います。
しかし、宗教の側から言えば、宗教は人々を救済し、悟りに到らしめ、幸福に導くものであります。

唯物論者は言います。あの世に行って帰って来たという人などいないではないか。存在もしない神や仏やあの世などがさも存在するようにいい、人々を惑わし、地獄に堕ちるなどと脅して布施をさせて金品を巻き上げるのが宗教の常套手段だと。
信仰者は反論します。神が存在しないなどと証明できた人はひとりもいない。なぜあなたはここに存在するのか。万物が存在するのは、第一原因者たる神(創造主)が存在するからである。また、ごく限られた、特殊な能力を持つものに限られるにしても、霊界探訪をしたという人は存在する(例。スウェーデンボルグ、出口王仁三郎など)し、近年では、臨死体験などを体験する人も少なからずいる。彼らが見て来た世界は、ほぼ、一致する。これを幻覚や脳の作用とは必ずしも言い切れない、と。

また、唯物論者は言います。宗教があるから戦争や紛争が起きるのだ、と。
宗教者は言います。自動車があるから交通事故が起きるのだという論理に似て、では自動車をなくせばすべてが良くなるかと言うと、たちまち現代文明は成り立たなくなる。
宗教を否定した唯物論国家においては「人権」など壊れた機械のように踏みにじられ、前述のようにさらに悲惨な状況になる(未だに“楽園”などと信じている洗脳されている人もごく少数だがいないことはないが)。
「宗教があるから」ではなく、「教派の違いを理解できない人間の認識力の不足」つまり人間の側の未熟さ故に争いが起きるのだ、と。

他にもいろいろな論点があります。この論争は延々と続いて行くであろうものでもありますが、また稿を改めて論じて行きたいと思います。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

故ピーター・F・ドラッカー教授夫人のドリス・ドラッカー氏は、「生涯現役人生」のお手本のような方です。
ピーター・ドラッカー教授自身が、95歳で亡くなるまで、著述もされ、現役のコンサルタントでもあられた、「生涯現役人生」を全うされた方であるのですが、奥様はさらに上手のようです。
100歳を超えた今でも、自分で車を運転し、会社を経営し、テニスを楽しんでおられる。
彼女いわく、「ピーターは、本ばかり読んでいて、運動しなかったから、早死にしたのよ」。…
ドラッカー教授とて、登山がお好きだったので、運動と全く無関係だったわけではありません。

全く脱帽ですが、そんなドリス・ドラッカー氏から、「生涯現役」の秘訣を探ってみたいと思います。
参照:「100歳を迎えたドラッカー夫人が語る人生を楽しむ秘訣」(DIAMOND online) http://diamond.jp/articles/-/13029

彼女のようなスーパーウーマンと全く同じとはいきませんが、何らかの参考にはなると思います。

  • 適度な運動

もちろん、適度な運動は大切でしょう。
ドリスのようにはなかなかいかないかもしれませんが、ストレッチや体操など、日常使う筋肉とは違う部位の筋肉を使うことや、散歩などの有酸素運動は、その気になれば、何とかできるのではないかと思います。

  • 目標を持つ

「まだ登っていない山頂がたくさんある」「でも来年はきっと」。
登山家ファミリーであるドラッカー家は、ロッキー山脈に別荘を持っているそうですが、そこで夏を過ごして帰路につくとき、 「まだ登っていない山頂がたくさんある」「でも来年はきっと」と、ドリスは自分に言い聞かせていたそうです。

このように、登山に限らず、毎年毎年、自分なりの希望と目標を持ち続けることだと思います。

  • 信仰

そして、何らかの信仰が大切だと思います。
この記事では、彼女がインターネットで見つけたと言う、スコットランドの作家、ミラー・H・カルドウェル氏による次のような「祈り」が紹介されています。

神よ。
汝は、私が年老いていることを、そしていつの日か本当の年寄りになることを、私よりもよくご存知だ。
いかなる機会にも、ひとこと口出しせねばと考える、私の致命的な癖を遠ざけたまえ。
他人の煩いごとを、ことごとく正したくなる性癖から、私を解放したまえ。
思慮深く、しかし気分屋でなく、役立つが、専横でない人間たらんことを。
広大な知恵を蓄えながら、残念なことに、それを少しも使うことがなかった。

神よ。
私は最期には、ほんの一握りの友人だけが欲しい。
終わらぬディテールの独唱から、心を解き放たせたまえ。
そして要点に着地する翼を与えたまえ。
疼きや痛みが漏れる口をふさぎたまえ。
それらは増すばかりで、歳を重ねるにつれ、口にすることが甘美になるばかりだ。
代わりに、他人の痛みに耳を傾ける優美さを与えたまえ。
がまん強く、それに耐える力を与えたまえ。
時には自分が間違っていると悟る、輝かしい教訓を与えたまえ。
適度に素敵な人間であらんことを。
聖人になろうとは思わないが、他人が楽しめるような聖なる性質を与えたまえ。
人生からできるだけ長く楽しみを抽出し続けられるよう、助けたまえ。
私の人生の周りには、おかしなことがたくさんある。
みなとそれを分け合いたいのだ。

祈りは免疫力を高め、病気の治癒にも有効であるという報告もあります。
何らかの信仰を持つことは、「生涯現役」で、充実した人生を送る上で、とても重要なことのように思えます。
神仏を信じることは、神仏を自分の味方にすることでもあります。
「神仏が自分の味方であるならば、誰も自分を不幸にすることはできない」と信じることが、光明の人生を生きる秘訣でもあります。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

本日(6/2)より公開の映画「ファイナル・ジャッジメント」。
私は、シネマサンシャインかほくで観ました。

「平和国家ニッポンが、ある日突然、他国の軍隊によって蹂躙され、独立とすべての自由を奪われた。
これは『あり得ない現実』と、あなたは言いきれるか。
国防の危機の先にある近未来の姿が、いま、全国民に問いかける。この映画はフィクションではないのだ、と。」
(http://www.the-liberty.com/fj/)というストーリーの映画ですが、ネタバレになるといけないので、詳細はぜひ実際にご覧になって、感動を味わってください。

私の最も印象に残ったシーンは・・・、

  • 拘束され、連行されようとする正悟に、極東省総督・ラオ・ポルトが、「死ぬのが怖くて、言葉が出ないか?」と問われた時、「真実は死なない」「真実のために死ぬことは、怖くない」と言うシーン。(セリフは、うろ覚えなので正確ではありません。念のため)
  • また、オウラン国のスパイだったリンが、絞首刑直前の正悟を逃がし、一緒に逃亡中、ラオ・ポルトから電話が入り、「反逆者には制裁を。裏切り者には粛清を。忘れたのか」と問われた時、「死は恐れません。死ぬことよりももっと怖いものがあると知ったから。それは、死んでからも後悔することです」と答えるシーン。
  • 「人にはそれぞれのロール(役割)があるんだろ」と父に言って、親友の正悟を守るために出かける憲三。(その後、憲三は自らおとりとなって正悟の命を救った)

他にも、たくさん感動のシーンはありましたが、

死を賭してでも、role(ロール)を果たそうとする人たち。
その真意は、唯物論者たちにはわからないだろうな、と一瞬、思いました。
否、本当は唯物論を自称する人たちも、心の奥底では分かっていると思うのです。

宗教とか、信仰とかに偏見がある人も、虚心坦懐に、この映画に描かれているものを観れば、自然と涙がこみ上げてくるのではないでしょうか。

人類が共通して、感動するものには感動する。
その事実そのものが、人間は偶然に、物質が進化してできたものではないことを証明していると思うのです。

私も、今回の人生で、果たすべきroleを、命の限り、果たしていこうと決意させていただいた映画でした。
http://www.fj2012.com/?from=hs-news

シネマサンシャインかほく

シネマサンシャインかほくにて


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

マルクスは、宗教はアヘンだといった。
これほど、偏見に満ちた言葉はない。
そして、これほど、世界に害悪を流した思想はない。
彼の流した思想によって、どれだけ多くの人々が苦しみ、
そして今も苦しんでいることか。

自らを唯物論者だと名告る人は、
自らが唯物論という名の宗教を信じていることを表明しているに過ぎない。

あの世があることを信じず、神も仏も霊も信じない生き方が、
なぜそんなに良いことだと思うのだろうか。
それは、誰も幸福にしない生き方だと、なぜ、気づかないのだろうか。
おそらくは、それを考え出すと言い知れぬ不安な気持ちに陥るから、
考えないでおこうというのが多くの人々の考えではないだろうか。

悲しいことに、現代の、多くの宗教家たちも、
あの世があることを確信をもって言えないでいる。

しかし、宗教心を失ったことから、日本人の堕落が始まったのではないだろうか。
自分を超えたる尊い存在を信じることがなければ、人は謙虚さを失い、傲慢となる。

信仰心なく、あの世の存在を信じることなく、
ただこの世での栄達を求め、この世での生存を求め、
この世での生き易さのみを求める人生など、
獣と変わらない生き方だと思わないだろうか。

そう、人間と動物とを分ける、最大のものの一つが、
信仰心があるかないかということなのだ。
ゆえに、人間には、信仰の本能がある、と言われる。

信仰の尊さを忘れて久しい多くの日本人に、
そして、本来、優れて霊性の高い日本人に、
そのことを想い起こしていただくために、
宗教政党・幸福実現党の存在意義はあるのだと思う。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

世界的に著名な理論物理学者であるスティーブン・ホーキング博士は、英ガーディアン紙のインタビューに応じ、「天国はない、死後の世界は作り話である」と述べた。科学者と信仰者の間隙が改めて露わとなる見解が示されることとなった。

ホーキング博士「天国はない、作り話である」-科学者と信仰者の間隙 – キリスト教インターネット新聞クリスチャントゥデイ

ホーキング博士のかつての偉大な業績には賞賛を惜しまない。
しかしこの発言の裏には、唯物論・無神論を広めようとする悪意さえ感じる。
あえて善意に解釈すれば、研究するうちに唯物論の袋小路に入ってしまったと同情を禁じえない。

かつては「神というアイデアは宇宙に対する科学理解と必ずしも相いれないものではない」としていたが、「もし宇宙人がいたとしたら、白人に滅ぼされたインディアンのようになるから、宇宙人の存在は信じたくない」という発言は、正直な心情としては理解できなくはないが、一流の科学者としての立場からの論理的な発言ではない。
信じたかろうが信じたくなかろうが、存在するものは存在し、存在しないものは存在しない。それを探究するのが、科学的態度だと思うのだが。

「宇宙の創造に神は必要ない」と発言したあたりから、どうも怪しい感じがしていた。

いかに高名な宇宙物理科学者といえども、事実は事実、真実は真実。
釈尊もキリストもムハンマドも、明確に神仏や霊界の存在を説いていた。
それら聖人たちの言説を否定し去るだけの科学的知見をお持ちなのか。
真理を知らないことを無明・無知・迷いという。
如何にこの世的な学問に通暁していようとも無神論・唯物論者よりも、単純に、素朴に神を信じて生きている一般市民のほうが、人間として尊いのだ。

「アインシュタインの再来」とも評されるが、その精神性はまったく違う。
アインシュタインも、そしてニュートンも明確に神を信じていた。

かつてアインシュタインは「自分の研究など、神から流れ出る真理の大河に、スプーン一杯の水を注ぐほどでしかないと痛感した」と述べた。その謙虚さに学ぶべきだろう。

いまさら唯物論・無神論が世界に広がらないことを祈る。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 

中国メディアや中国人が報道やネット上のコメントで、震災下の日本人のマナーを絶賛していることを先ごろ本欄で書いたが、他の国にもそれが広がっている。

日本人の「質の高さ」に感動 各国メディア | ザ・リバティweb – The Liberty Web | ニュースの真実がわかる「ザ・リバティ ウェブ」

近江聖人・中江藤樹の逸話に「馬子の正直」と言われるものがあります。

藩主の命を受け聖人を探す旅にあった熊沢蕃山が近江の国の旅館に泊まった時、知り合いになった人が隣の部屋で話し合っている声が聞こえた。
その一人は武士で、主君から預かった数百両の金を届ける途中、馬に乗り、大事な金を落とさぬよう鞍に括り付けておいた。しかし、旅館に着いた時、うっかりそのことを忘れ、金をそのままに、馬を帰してしまった。
やがてそのことに気が付いたが、どうしようもなく、これはもう切腹しかないかと思っていた時、真夜中に旅館の戸口を叩くものがあり、それは何と昼の馬を引いていた馬子だった。
彼は鞍の金を見つけ、それをはるばる夜中に四里の道を歩いて返しに来たのだった。
武士はお礼をしようと四分の一の金を渡そうとするが、馬子は頑として受け取らない。
けんか腰で談判の末、ようやく4里の道を歩いてきたわらじ代として4文だけ受け取ることとなった。
(現代で考えても、例えばタクシーやバスの中に忘れた現金が、そのまま帰ってくるということは稀だろう)
なぜそんなことができるのかと武士が問うと、馬子は、中江藤樹という先生がいて、正直に生きよと教えているのです、と答えた。
こういう話を聞いた熊沢蕃山は、藤樹の許へ行き入門を乞うが断られ、その家の軒先で三日三晩座り込み、藤樹の母のとりなしにより、ようやく入門を許された、という逸話です(詳細異説あり)。

先の阪神大震災の時もそうでしたが、今回の震災に際しても、暴動も略奪も起こさない日本人のとった行動は驚嘆に値するし、日本人が誇りにすべきことだと思います。
「馬子の正直」に象徴されるような日本人の精神性の高さが脈々と世代を超えて受け継がれていると言えましょう。

そして、こうした高い道徳性・精神性の底流には、マスコミや左翼史観の方々は否定したいでしょうけれども、 宗教性が脈々と地下水脈のように流れていると確信いたします。

戦後の教育やマスコミの宗教を貶めるような情報操作によって、あまり表だって宗教や信仰について語れないような風潮がつくられているのに過ぎないのであって、本心では、そうした目に見えない神仏の働きを信じている、もしくは信じたいという人は数多いのではないでしょうか。

そうでなければ、ほとんどすべての日本人が、神社仏閣に初詣に行ったり、お盆に墓参りに帰省するという現象が説明できません。

以前にも言いましたが、日本ではバリバリの唯物論者が、オバケが怖い、ということがあるのです。

今回の震災の復興にあたっては、単に仮設住宅を建てるというような場当たり的な救済措置だけではなく、あるいはお金をばらまいて終わり、というだけでなく、長期的ビジョンを立て、ピンチをチャンスとして今以上の発展を目指すべきだと前のエントリーでも述べましたが、単に物質的な復興だけでなく、精神面でも復興を支援することが大切だと考えます。

かけがえのない家族を失った悲しみは、たとえどんな豪邸を立て直そうとも、大きな心の傷として残るでしょう。

そういう意味で、死は永遠の別れではないということ、あの世があるということ、目に見えない世界(霊界)には、神や仏や天使という存在がいて、迷える人々を救おうとしているという事実を教える宗教は、とても重要な役割を担うことになると思います。


◆◆◆よろしければクリックお願いします!!◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 
Search
アーカイブ
サイト内検索
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 小松情報へ  にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 白山情報へ 
QuickLinks:
Blog
コンタクト


Site Resources:
RSS Feeds
Privacy Policy
幸福実現党:
公式ページ
お問い合わせ先:
お問合せフォーム
Conversatio: 辻立ちマップ

同時に党員も募集しています。