Posts Tagged ‘信仰’

今朝は白山市徳丸交差点にて辻立ちをいたしました。

北朝鮮「無血開城」後は、対中国戦略を。

14億人が、監視下に置かれているような全体主義体制ではなく、自由を。

一人が全てを取り仕切る独裁制ではなく、一人ひとりがその個性や能力、才能を開花させ、繁栄を実現できる民主制を。

人々を弾圧し、迫害し、洗脳し、人権を侵害するような唯物論・無神論ではなく、神仏を認める信仰を。

中国が自由・民主・信仰という価値観を受け入れ、北朝鮮同様こちらも平和裡に改革が進むことを祈念したいと思います。

日本がアジアのリーダーとしてそれを促すためには、圧倒的な国力ー経済力・軍事力・文化力(ソフトパワー)ーが必要です。
日本のさらなる繁栄を願って止みません。

2018年7月6日 白山市徳丸交叉点にて


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5月9日夕方、JR金沢駅前にて緊急街宣を致しました。
幸福実現NEWS号外を配布する間、1時間ぐらい訴えさせていただきました。
緊急の活動にも関わらず、街に飛び出して活動に参加してくださいました支援者の皆様には、本当に頭が下がります。

それぞれお仕事や、ご家庭のご事情もおありでしょうに。

自己保身を捨てて、この国や国民のためにと活動に参加してくださる皆様に、心から感謝!


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ヒトラー政権下でのカトリック教会の変節
中国政府公認の司教をバチカンが認定 ローマ法王は中国に教会を売るのか | ザ・リバティweb

歴史を振り返れば、ナチス政権下でもカトリックは変節した。ナチスが第一党を取るまで、宗教政党のカトリック中央党は議席を伸ばし、カトリック教会は、ナチス党の民族崇拝や反ユダヤ主義的態度がカトリックの教えに反するものであると考え、カトリック教徒がナチスに入党することを断固として拒否する姿勢を貫いていた。

しかし、ナチス・ドイツが教皇庁に「聖職者が政党政治に口を出さないかわりに、カトリック教会の宣教活動などの宗教活動を保護する」という帝国政教条約(コンコルダート)を持ちかけると、宗教活動を守ってもらえるということで、政治活動を放棄。当時、この条約は熱狂的に歓迎された。

そして、カトリック中央党は、ヒトラー内閣に無制限の立法権を付与する悪名高き授権法の成立を支援。同時に党を解散した。これによって、1933年7月上旬にナチスは独裁を固めることができた。

さらに、第二次大戦がはじまると、反共だった教皇ピウス12世は、ナチスを黙認。反ユダヤ主義について批判を手控えるようになった。

その結果、カトリックは次第に教義的にも変節し、カトリックが運営する病院では、アーリア人優位の優生思想のもと、不妊手術も行われるようになっていった。つまり、「ナチス的キリスト教」に変節していったのである。

後に、イギリスの歴史家イアン・カーショウは、「ナチの最終解決(ユダヤ人の虐殺)は、教会の指導者層の沈黙なしに起こり得なかった」と当時の教会の態度を批判している。

習近平の中国共産党は、ヒトラーのナチスドイツか、それ以上に狡猾で、暴虐だと思った方が良い。これがおそらく正しい認識でしょう。

「歩み寄り」と言えば聞こえは良いが、要するに「妥協」です。

かつて、イエスの弟子たちは、少なくともイエスの死後、復活を見、その愛を知ってからは、現実に妥協しませんでした。

数多の弟子たちが、伝道の旅の途中で迫害に遭い、殉教しました。初代教皇ペテロがその代表の一人です。

ただただ争いを避けるだけの平和では悪を助長することになり、最も悲惨な結末を迎えることになります。

人類はすでに第2次世界大戦でそのことを経験し、またぞろ中国・北朝鮮問題で同じ過ちを繰り返そうとしています。

真理と正義のために「妥協しない」ということの美徳を人々が知るのは、おそらくかなりのちの時代になってからのことで、その当時は、非難囂々でしょう。

今のトランプ大統領を見ていると、そう感じます。

少なくとも日本のメディアの報道を見る限り、こんなにこき下ろされるアメリカ大統領はかつてなかったのではないでしょうか。

しかし、冷静にその実績を見れば、なかなか頑張っているということが見て取れます。

あたかもマスコミが善悪の判断を決める”神”のごとき振る舞いをすることは改める必要があるでしょう。

閑話休題。

その動機は善意であっても、結果として悪を助長してしまっているということは数多くあります。

そのことを教訓として、たとえ人々から轟々たる非難を浴びたとしても、断固として貫く、妥協しない精神が危機の時代のリーダーには必要でしょう。

ヒトラーは、教会による国際的包囲網を恐れていたといいます。

習近平もまた、これだけ弾圧するというのは、ある意味で宗教を恐れていると言えます。ならば、習近平に対しても、信仰者による国際的包囲網を敷くべきです。

この期に及んで、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教などと、争っている時ではありません。

イエスが「天なる父」と呼び、ムハンマドが「アッラー」と呼び、ユダヤ教で「エローヒム」と呼ばれている神は皆同じ神です。

全世界の信仰者よ、この唯一の地球神の下に団結せよ。そして、信仰の下に強くあれ。

様々な宗教に分かれて争っている人々を仲裁し、和解させ、世界平和を実現することは、実は歴史的に宗教的寛容の精神を持っている日本の使命であると思っています。

だから、日本は世界のリーダーにならなければならないのです。

 

2月2日、雪もようやく融けてきたタイミングを見計らって、久しぶりに辻に立ちました。

それ以前は歩道が雪で埋もれ、歩くのも困難な状況が続いていました。

2月2日、辻立ちの動画です。
↓  ↓  ↓

今日また激しく雪が降り出しました。今週も雪が続くようです。

皆様の安全と健康と幸福をお祈りいたします。


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9月3日、北朝鮮が6回目の核実験を強行しました。
8月29日には弾道ミサイルが襟裳岬東方の太平洋に落下したばかりです。

4日と5日には、金沢市内と白山市内で緊急街宣、
5日には県知事と金沢市長に「北朝鮮のミサイルに備えた避難訓練等の実施を求める」要望書、県議会議長に同陳情書を提出いたしました。
幸福実現党立党8年、ひたすらに国防の大切さ、国防の強化を訴えてまいりましたが、残念ながら私たちが怖れた通りの“国難”が着々と進行しております。
何とかこの国難を逆転させたいものです。

この期に及んで、警報や避難訓練が国民の不安を煽るとか、同盟国との合同演習が北朝鮮を刺激するとか、米軍基地があるから北朝鮮に狙われるとかいう方が一部にいらっしゃるのは不思議です。
地震や火災や洪水でも警報が鳴らされたりしますが、あれも不安を煽るからやめとけというのでしょうか?
避難訓練をするから台風や地震や火災を引き寄せるのだとでもいうのでしょうか?

これは、日米を分断させる、「離間の策」と見てよく、国民の生命を危険に晒す「悪魔の論理」です。

日本は、お金だけ持っていて自分の国を自分で守ることもしない、なんとも情けない「最弱国家」に成り果てたのか?

「神国」と言われたに日本が、神の言葉を聴こうとしなくなったことが、悪魔に攻め込まれ、日本没落の原因と言えるのではないでしょうか?

無神論・唯物論国家に成り果てた、かつての神国・日本が、唯物論・共産主義・全体主義国家の独裁者に為す術なく振り回され(それすら気付かず能天気に平和ボケしているかもしれませんが)、滅んでいくのを見るに忍びなく、何とか日本の誇りを取り戻し、日本人としての矜恃を取り戻し、神国・日本を真の意味で立て直したいと志しております。

いざ、国難大逆転へ-。

4日、5日の街宣映像です(抜粋)。
↓ ↓ ↓


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安倍晋三首相が14日に閣議決定する戦後70年の談話(安倍談話)で、戦後50年の村山談話や戦後60年の小泉談話に盛り込まれたアジア諸国への「おわび」の文言を入れる方向で調整していることがわかった。政権幹部が10日、明らかにした。

戦後70年談話「おわび」に言及へ 安倍政権幹部が明言:朝日新聞デジタル

安倍政権は、安保法制や普天間基地の辺野古移設問題など、山積している問題を、野党やマスコミの追及をかわし、少しでもスムースに進めたい、という「名を捨てて実を取る」作戦なのかもしれない。
しかし、この「戦後70年」という節目に、由々しき罪悪感と、自虐史観を、英霊とそのご遺族、国民に押し付け、遺し続けられるのかと思うと、将来に禍根を残す、という点では「村山談話」より悪いかもしれない。

政府として反省すべきは、英霊とそのご遺族に対して、「由々しき罪悪感」と、その後の国民に対して「いわれなき自虐史観」を押し付けたことであり、おわびすべきは、戦後の唯物論的風潮の中で、本来最も尊いものである神仏を尊ぶ心、信仰心や宗教を、裏側の世界の押し込め、信仰を持つことが何か後ろめたいことであるかのような空気を助長してきたことである。

さらに言えば、先の大戦は、「民主主義国家」=連合国 vs. 「全体主義国家」=枢軸国の戦いであり、民主主義国家である連合国側が正義であり、勝利した、という史観に基づき戦後体制が構築されている。しかし、その後の旧ソ連邦と中華人民共和国で行われた侵略と粛清、弾圧などを見れば、共産主義国家こそが全体主義国家であったことが明らかである。
中国とソ連を味方に引き入れ、日本を悪者にして徹底的に叩いたことが結果として、共産主義国家の伸張を助長したと言える。アメリカの見立てが相当甘かったことを意味している。
このことは、いかに同盟国であり、友好国であったとしても、毅然としてアメリカに反省を求めるべきである。
一時期、嫌われたり無視されたり圧力がかけられたりすることがあったとしても、恐れるには当たらない。
日本は、決して「悪魔の国」などではなく、正直さと誠実さに溢れた、素晴らしい国であった。
何しろ、あの大悪魔・スターリンでさえ認めるほど、日本は、律儀に(健気に、といったほうがいいかもしれない)国際法や条約を守り、人種差別をせず、同盟国であったはずのドイツが迫害しているユダヤ人でさえ助けた国である[注.スターリンは霊言で、「日本はドイツを最後まで裏切らんかったからな。だから、ドイツ国民は、いまだに日本に対して、尊敬の念を持っとるんだよ。
日本だけなんだよ、ドイツを裏切らなかったのは。みんな、裏切り合いだからな。」と語っている。(大川隆法『赤い皇帝 スターリンの霊言』)]。

「宗教立国」を標榜する私たちとしては、「自虐史観」を一掃し、日本の誇りを取り戻すために、それにふさわしい談話を出されることを、安倍総理に強く求めていきたい。
「因果の理法」(原因−結果の法則)は昧(くら)ませないものである。正直さや誠実さは必ず天に通じるものであり、またそうした世界にしていかなければならない。

昨日は、金沢市東長江で朝のご挨拶をさせていただきました。

金沢市東長江交差点にて

金沢市東長江交差点にて

下記をクリックすると、動画をご覧になれます。
↓  ↓  ↓
2015年8月10日 金沢市東長江交差点


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「霊言」をいかがわしいもの、そんなものを学問として学ぶなどということは、トンデモないもの、などと考えている方々もまだ多いと思います。
考えてみれば、僅か数百年前の「科学」に対する態度は、まさしくいま、宗教が置かれている立場そのものだったのではないでしょうか?
現代の視点で考えれば信じがたいことですが、わずか400年前のガリレオ裁判で、当時、この世の最大の権威であったローマ教皇庁は、「地動説」を否定したのですから。

人間は、自分が理解不能なものは認めたがらない傾向があるようですが、理解できないから「ない」とか「偽物」とか「インチキだ」とか決めつけるのは、極めて非論理的・非科学的な態度だと思いませんか?
霊が来たりて、語る、ということは、「恐山のイタコ」や沖縄の「ユタ」を見ればわかる通り、昔からあったことです。
それらの霊の言葉を語ったイタコやユタたちは普遍的な思想を語ったわけではありませんが、大本教の出口ナオさんとか天理教の中山みきさんとかも、神が乗り移って語ったり、書いたりしたものが教えとして伝えられ、広がったものです。

さらに遡れば、イエス・キリストは、天なる父の声を聞き、悪魔とも激しくディベートをしました。
釈尊もしかり、「神々との対話」「悪魔との対話」が仏典として遺っている通り、霊的存在と対話をし、教えを説かれた方です。
ムハンマドは、最初アッラーの声を聞き[のちにジブリール(ガブリエル)からの通信と修正]、コーランに遺しました。

神から悪魔まで、この世ならざる霊的存在の言葉をすべて「霊言」と言います。
さらに言えば、古来より日本においては、卑弥呼に代表されるように、神の声を聴いて政(まつりごと)を執り行っておりました。
「祭政一致」が、わが国における正統な政治のあり方でありました。
「民主主義が絶対に正しい」という現代の「常識」に染まっている人々にとっては理解不能かもしれませんが。

神ならぬ、それゆえに完璧ではない、人々が集まって多数決で決めたことが常に正しいとは限らない、ということは虚心坦懐に知っておいたほうが良いのではないでしょうか。
何しろ私たち日本国民は、5年前の総選挙で、多数決で間違った政党を選択してしまった”前科”があるのですから。

いま、「神の声」が地に臨んでいる奇跡の時代です。
あまりの驚天動地の奇跡ゆえに、そう簡単に受け入れられない人が大半とは思いますが、謙虚に耳を傾けようとする態度が大切だと思います。
私は、民主主義を否定するものではありませんが、神なき時代の民主主義はポピュリズムに陥り、衆愚制への道であることは自戒したいと思います。

私たちが持つべき根本的な「神観」は、「我以外に神なし」という偏狭な神ではなく、多くの神々(聖霊)もまた存在し、地球の中で至高なる存在が、それらの神々を統べておられる。またその至高なる神とは裁き罰する神ではなく、人々を幸福にしたくてしょうがない愛の神であるということです。

「霊言」を通して知ることは、神格を持つ存在にも個性があり、考え方の違いがあるということであり、至高なる存在は、それを許容しておられるということです。
つまり、神々の世界においても「民主主義」的世界が展開しているということです。
ここに、「祭政一致」と「民主主義」とは矛盾しないという可能性を観て取ることができます。

至高なる神の言葉を伝え、多様な個性・複数性を認める寛容な宗教こそが、宗教間の争いを無くし、邪悪なる唯物論・無神論の闇から人々を幸福と平和と繁栄の彼岸へと渡すことができるものと信じます。


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8月に入りました。
各地で台風等の被害が出ております。被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
きょうは、金沢市も大雨警報が発表されております。

近年よく見られる異常気象、天変地異と言ってもよいと思いますが、単なる自然現象と見ると、本質を見誤ります。
神仏の存在を信じない人は、「非科学的だ」と一笑に付すかもしれませんが、古来より、日本神道系の神々は、警告を発するときに、雨と風をよく使う傾向があると言われています。
天意を素直に読み取るならば、近年世界規模で起きている様々な天変地異や大きな事件は、人類に何らかの悔い改めを迫っている、と見るのが自然なことではないでしょうか。

その「悔い改め」とは、何でしょうか。
まず、人類は、あまりにも、神仏とか、天国地獄とか、この世ならざるものを否定することに慣れてしまった、ということがあげられます。
内心では信じていても、表立って表明することが非常にはばかられます。
信仰や宗教、霊的世界のことや、超常現象などを話題にすると、「知的ではない」とか、「迷信だ」とか「洗脳されている」とか言った言葉で一蹴されることがまだまだ多いのではないでしょうか。
しかし、日本人の精神的底流には、しっかりと信仰心が根付いており、神仏を敬う心が脈々と流れていると信じたいものです。
それを想い起こさせてくれるのが、毎年のお盆やお彼岸の「お墓参り」です。
お盆には、先祖や故人の供養にかこつけて、親戚一同や、同窓生が一同に会し、親睦を深めるという面もありますが、やはりそれだけではないでしょう。
そうした感情が近年薄くなっていたとしても、故人の徳を偲んだり、先祖に感謝したり、という面はやはりあると思います。
戦後の唯物論教育のせいで、表立って信仰や宗教について語ることがはばかられるような“空気”がつくられてはしまいましたが、日本人は心の底ではそうしたものを信じる心があり、故にこそ、大震災時にも暴動も略奪も起こさない、ワールドカップの試合後に、サポーターの皆さんが粛々と観客席のゴミを拾ったりするような、世界から称賛を受けるような高い道徳心を持っていると言えるのではないでしょうか。
これは、日本人の素晴らしい精神性であり、後世にも継承していかなければならないものであると思います。

唯物論・無神論は、結局、神仏の存在も、霊的世界の存在も認めない、ということですから、そうした思想が行き着くところは「誰も見ていないところでは、何をやっても構わない」となり、「自分さえよければよい」「いまさえよければよい」となってしまうのではないでしょうか。
共産主義国家の最大の問題点の一つは、この「唯物論・無神論」に基づいて国家が造られているという点にあると思います。
「この世しかない」という思想の行き着くところは、前述のように、「自分(たち・の国)さえよければいい」となって、隣国の領土や資源を奪いに入ります。「今さえよければいい」となって、安全基準を満たさない製品を作って平気でいたり、強大な軍事力にものをいわせて、自分たちのエゴを押し通そうとしたりします。
もちろん、唯物論者であっても、高い倫理観を持って生きている方がいることは認めます。しかし、その道徳的根拠を追究した時、どうしても”あの世”の存在を認めなければ、答えきれないのです。
すると、意志の弱い一般の人たちは、どうしてもこの世で生き易い方向に流されがちになります。
「よいことをすればよい結果が得られ、悪いことをすれば、悪い結果が得られる」という、ごく普通に成り立ちそうなことが、この世では必ずしもそうではない、いうことを我々は数多く経験します。
この「原因結果の法則」は、過去世―現世ー来世という三世を貫いて初めて完結します。
ごく簡単な、「あの世」の存在さえ認めれば、一瞬に解決がつく問題を、唯物論に凝り固まっている人は、なぜか、頑なに認めようとしません。
私には、どうにも不思議に思えてなりません。

しかし、一方で、唯物論を気取ってはいますが、ほとんどの人にとってそれは本心ではないのではないか、と思います。
徹底して唯物論で通している人はいざ知らず、それほどではない人は、「自分は無神論者だ」「唯物論者だ」と言いつつ、ちゃんとお墓参りもするし、新年には、神社・仏閣に初詣でに行く、という人を何人も知っています。
伊勢神宮の式年遷宮には、何千万人も参拝する国民がいる国が、真から唯物論国家になることなどあり得ないと思うのです。

お盆には、「地獄の釜の蓋が開く」(あまりいい言葉ではないですね)などと言われますが、霊界とこの世との境目が緩やかになる時期でもあります。
この世の人も、あの世の故人や先祖に思いを向けますし、あの世の霊も、子孫が祀ってくれていると思うと、地上に思いが向きます。
相互に作用し合って、交流し易くなる季節です。つまり、こちらの意思が伝わりやすくなる季節です。ご先祖や故人、多くの方々のご縁を受けて、地上に生を受けている私たちです。
お盆の季節には、そうしたご先祖や故人への報恩として、地上世界をより繁栄した、平和で幸福な世界にすべく、努力することが大切ではないでしょうか。

また、15日には終戦記念日を迎えます。
先の戦争でなくなった方は、日本の国を、愛する家族や同胞を守るために勇敢に戦った、まさしく「英霊」です。
2発の原爆投下や東京大空襲で、30万人以上もの民間人を虐殺した罪を正当化するために、日本を侵略国家・犯罪国家にしておきたいアメリカと、国内の不平不満を、すべて日本のせいにして自らを正当化し、さらにアジア・アフリカの覇権を握るために、日本を弱体化させたい中国共産党政府とが、その点において利害が一致するために、いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」を既成事実にしておきたいのです。
しかし、これらいわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」は、歴史の捏造です。
戦後の唯物論教育の中でさえ、その精神性の高さを維持している日本人が、そのような悪逆非道なことをやるはずもないのです。
明治維新後、日本国政府は、大急ぎで世界の一等国への道を駆け上っていく中で、世界が驚倒するほど国際法を遵守するべく努力をしておりましたし、日本軍は、世界有数の軍律厳しい軍隊でした。
英霊たちのいわれなき汚名をそそがなければなりません。

あろうことか、習近平は、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」、この2つの事件を、ユネスコ記憶遺産に登録せんと企んでおります。
こうした悪行は、何としても粉砕せねばなりません。
天意に基づいて、真実の歴史観に目覚めなければなりません。
アメリカに対しても、言うべきことは言い、歴史観の見直しを求めなければなりません。
原爆投下は、「人類に対する罪」ではなかったのか。
東京都民10数万人を焼夷弾で焼き殺したのは、虐殺ではなかったのか。
こうしたことを問わなければなりません。

戦争前夜、アメリカに石油を止められ、アメリカ在住の日本人・日系人は差別され排斥され、そして事実上の最後通牒とも言うべき「ハル・ノート」を突きつけられました。
先の大戦は、止むに止まれず自衛のために立ち上がった戦いであり、欧米列強により植民地支配されていたアジア諸国を解放し、人種差別政策を撤廃するという、日本神道系の神々の意を体した聖戦でもありました。
にもかかわらず、侵略国家・犯罪国家であるという烙印を押され、永遠に反省と謝罪を続けなければならないとしたならば、300万人とも言われる英霊の犠牲は何だったのか。
「後に続く者を信ず」と言って散って行った方々の死を無駄にしないためにも、彼らの汚名をそそがなければなりません。
いつまでも「自虐史観」を引きずり、「贖罪意識」を持ったままでいては、日本はもとより、世界の未来のためにもいいことは全くありません。
真に世界の繁栄と平和に貢献できる国となるために、我が国は、自信と誇りを取り戻さなければなりません。
間違った歴史観は、正さなければなりません。

「悪を押し止め、善を推し進める」といえばシンプルですが、仏教に限らず、およそ正しい宗教ならば当然の、普遍的な教えです。
いろんな人々や、いろんな国に配慮しなければならないのは当然のことですが、だからといって、真実をねじ曲げ、迎合することは慫慂されるべきことではありません。
それは、悪を助長することになるからです。
「正しいものは正しい」「真実は真実」と訴え続けて節を曲げないのが真なる宗教の使命であり、宗教をバックボーンに持つ幸福実現党の役割は、ここにこそあると信ずるものです。

昨日、白山市徳丸交差点にて、辻立ちをさせていただきました。

img_28331

img_2835

下記をクリックすると、動画をご覧いただけます。

↓ ↓ ↓

2014年08月08日 白山市徳丸交差点での辻立ち(前半)
2014 08 08 白山市徳丸交差点での辻立ち(後半)


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幸福実現党は、宗教政党です。しかも、いわゆる「新興宗教」を支持母体として。
この一事を持って、わが国では大変なハンディキャップを背負って戦わなくてはなりません。
(この日本は確か唯物論国家ではないはずなのですが。また、どんな世界的な大宗教であっても、はじめは新興宗教であったはずですが)
しかしそれでもなお、宗教政党である、ということを背負って戦う意義、大義はどこにあるのでしょうか。
それについて考えてみたいと思います。

いわゆる「政教分離」の根っこには、宗教イコール悪、と見る見方があるように思えます。
日本的常識の中では、「政教分離」が普遍の真理であるかのようにも見えますが、日本、いや、世界の歴史を眺めてみても、決して普遍的な真理でもなんでもないことが分かります。
古来、日本においては、祭政一致であったし、イスラム教国は言うも更なり。アメリカ合衆国も、大統領が聖書に手をおいて宣誓することからも明らかな通り、実質的にはキリスト教国、もっと言えば指導者層は、WASPとも呼ばれる、プロテスタントが主流であります。さらに深いところでは、ユダヤ教の影響も強く流れています。キリスト・ユダヤ合体文明と見ることができます。

厳密な意味で、政教分離を実践しようと思ったら、それは唯物論国家になるしかありません。
しかし唯物論国家の実態が悲惨であることは、ここ100年ほどの文明実験で明らかです。

本稿は、宗教イコール悪と見做す唯物論的常識に対する宗教からの反論です。

唯物論者は、宗教はアヘンである、と言います。
しかし、宗教の側から言えば、宗教は人々を救済し、悟りに到らしめ、幸福に導くものであります。

唯物論者は言います。あの世に行って帰って来たという人などいないではないか。存在もしない神や仏やあの世などがさも存在するようにいい、人々を惑わし、地獄に堕ちるなどと脅して布施をさせて金品を巻き上げるのが宗教の常套手段だと。
信仰者は反論します。神が存在しないなどと証明できた人はひとりもいない。なぜあなたはここに存在するのか。万物が存在するのは、第一原因者たる神(創造主)が存在するからである。また、ごく限られた、特殊な能力を持つものに限られるにしても、霊界探訪をしたという人は存在する(例。スウェーデンボルグ、出口王仁三郎など)し、近年では、臨死体験などを体験する人も少なからずいる。彼らが見て来た世界は、ほぼ、一致する。これを幻覚や脳の作用とは必ずしも言い切れない、と。

また、唯物論者は言います。宗教があるから戦争や紛争が起きるのだ、と。
宗教者は言います。自動車があるから交通事故が起きるのだという論理に似て、では自動車をなくせばすべてが良くなるかと言うと、たちまち現代文明は成り立たなくなる。
宗教を否定した唯物論国家においては「人権」など壊れた機械のように踏みにじられ、前述のようにさらに悲惨な状況になる(未だに“楽園”などと信じている洗脳されている人もごく少数だがいないことはないが)。
「宗教があるから」ではなく、「教派の違いを理解できない人間の認識力の不足」つまり人間の側の未熟さ故に争いが起きるのだ、と。

他にもいろいろな論点があります。この論争は延々と続いて行くであろうものでもありますが、また稿を改めて論じて行きたいと思います。


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故ピーター・F・ドラッカー教授夫人のドリス・ドラッカー氏は、「生涯現役人生」のお手本のような方です。
ピーター・ドラッカー教授自身が、95歳で亡くなるまで、著述もされ、現役のコンサルタントでもあられた、「生涯現役人生」を全うされた方であるのですが、奥様はさらに上手のようです。
100歳を超えた今でも、自分で車を運転し、会社を経営し、テニスを楽しんでおられる。
彼女いわく、「ピーターは、本ばかり読んでいて、運動しなかったから、早死にしたのよ」。…
ドラッカー教授とて、登山がお好きだったので、運動と全く無関係だったわけではありません。

全く脱帽ですが、そんなドリス・ドラッカー氏から、「生涯現役」の秘訣を探ってみたいと思います。
参照:「100歳を迎えたドラッカー夫人が語る人生を楽しむ秘訣」(DIAMOND online) http://diamond.jp/articles/-/13029

彼女のようなスーパーウーマンと全く同じとはいきませんが、何らかの参考にはなると思います。

  • 適度な運動

もちろん、適度な運動は大切でしょう。
ドリスのようにはなかなかいかないかもしれませんが、ストレッチや体操など、日常使う筋肉とは違う部位の筋肉を使うことや、散歩などの有酸素運動は、その気になれば、何とかできるのではないかと思います。

  • 目標を持つ

「まだ登っていない山頂がたくさんある」「でも来年はきっと」。
登山家ファミリーであるドラッカー家は、ロッキー山脈に別荘を持っているそうですが、そこで夏を過ごして帰路につくとき、 「まだ登っていない山頂がたくさんある」「でも来年はきっと」と、ドリスは自分に言い聞かせていたそうです。

このように、登山に限らず、毎年毎年、自分なりの希望と目標を持ち続けることだと思います。

  • 信仰

そして、何らかの信仰が大切だと思います。
この記事では、彼女がインターネットで見つけたと言う、スコットランドの作家、ミラー・H・カルドウェル氏による次のような「祈り」が紹介されています。

神よ。
汝は、私が年老いていることを、そしていつの日か本当の年寄りになることを、私よりもよくご存知だ。
いかなる機会にも、ひとこと口出しせねばと考える、私の致命的な癖を遠ざけたまえ。
他人の煩いごとを、ことごとく正したくなる性癖から、私を解放したまえ。
思慮深く、しかし気分屋でなく、役立つが、専横でない人間たらんことを。
広大な知恵を蓄えながら、残念なことに、それを少しも使うことがなかった。

神よ。
私は最期には、ほんの一握りの友人だけが欲しい。
終わらぬディテールの独唱から、心を解き放たせたまえ。
そして要点に着地する翼を与えたまえ。
疼きや痛みが漏れる口をふさぎたまえ。
それらは増すばかりで、歳を重ねるにつれ、口にすることが甘美になるばかりだ。
代わりに、他人の痛みに耳を傾ける優美さを与えたまえ。
がまん強く、それに耐える力を与えたまえ。
時には自分が間違っていると悟る、輝かしい教訓を与えたまえ。
適度に素敵な人間であらんことを。
聖人になろうとは思わないが、他人が楽しめるような聖なる性質を与えたまえ。
人生からできるだけ長く楽しみを抽出し続けられるよう、助けたまえ。
私の人生の周りには、おかしなことがたくさんある。
みなとそれを分け合いたいのだ。

祈りは免疫力を高め、病気の治癒にも有効であるという報告もあります。
何らかの信仰を持つことは、「生涯現役」で、充実した人生を送る上で、とても重要なことのように思えます。
神仏を信じることは、神仏を自分の味方にすることでもあります。
「神仏が自分の味方であるならば、誰も自分を不幸にすることはできない」と信じることが、光明の人生を生きる秘訣でもあります。


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本日(6/2)より公開の映画「ファイナル・ジャッジメント」。
私は、シネマサンシャインかほくで観ました。

「平和国家ニッポンが、ある日突然、他国の軍隊によって蹂躙され、独立とすべての自由を奪われた。
これは『あり得ない現実』と、あなたは言いきれるか。
国防の危機の先にある近未来の姿が、いま、全国民に問いかける。この映画はフィクションではないのだ、と。」
(http://www.the-liberty.com/fj/)というストーリーの映画ですが、ネタバレになるといけないので、詳細はぜひ実際にご覧になって、感動を味わってください。

私の最も印象に残ったシーンは・・・、

  • 拘束され、連行されようとする正悟に、極東省総督・ラオ・ポルトが、「死ぬのが怖くて、言葉が出ないか?」と問われた時、「真実は死なない」「真実のために死ぬことは、怖くない」と言うシーン。(セリフは、うろ覚えなので正確ではありません。念のため)
  • また、オウラン国のスパイだったリンが、絞首刑直前の正悟を逃がし、一緒に逃亡中、ラオ・ポルトから電話が入り、「反逆者には制裁を。裏切り者には粛清を。忘れたのか」と問われた時、「死は恐れません。死ぬことよりももっと怖いものがあると知ったから。それは、死んでからも後悔することです」と答えるシーン。
  • 「人にはそれぞれのロール(役割)があるんだろ」と父に言って、親友の正悟を守るために出かける憲三。(その後、憲三は自らおとりとなって正悟の命を救った)

他にも、たくさん感動のシーンはありましたが、

死を賭してでも、role(ロール)を果たそうとする人たち。
その真意は、唯物論者たちにはわからないだろうな、と一瞬、思いました。
否、本当は唯物論を自称する人たちも、心の奥底では分かっていると思うのです。

宗教とか、信仰とかに偏見がある人も、虚心坦懐に、この映画に描かれているものを観れば、自然と涙がこみ上げてくるのではないでしょうか。

人類が共通して、感動するものには感動する。
その事実そのものが、人間は偶然に、物質が進化してできたものではないことを証明していると思うのです。

私も、今回の人生で、果たすべきroleを、命の限り、果たしていこうと決意させていただいた映画でした。
http://www.fj2012.com/?from=hs-news

シネマサンシャインかほく

シネマサンシャインかほくにて


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