Posts Tagged ‘仏教’

優れたリーダーは、自己を客観視することができる。
自分に何ができて、何ができないかを知っている。
何をなすべきであり、何をなすべきでないかを知っている。

おそらくそれは、リーダーという立場についてから身に着けた能力ではなく、
リーダーになる以前から、リーダーになるべく自らを磨いてきた結果獲得した能力だと言えるだろう。

「リーダーとは、もともといたものではない。
作られてなったものでもない。
自らをリーダーとして訓練したものが、リーダーとなるのだ」
というような意味のことを、故ピーター・F・ドラッカー博士は言っていたように思うが、
この言葉に、どれだけ勇気づけられたことだろう。

リーダーの資質とは何か、を考える時に、このドラッカー博士の言葉は深い。
自らリーダーを志し、自らをリーダーとして磨いていくことによって、
誰もがリーダーになれる可能性が開かれているのだ。

また、これもドラッカーに依れば、リーダーには、高潔さ(integrity)、誠実さ(sincerity)が要請される。

これらのことは、国家や会社党の組織における、自然人としてのリーダーだけでなく、
おそらく、世界における「国家」という法人においても妥当するだろう。

つまり、日本が世界のリーダー国家となるためには、
自らをリーダー、あるいはリーダー to be として自覚し、自らの意志で自らを磨いていく必要がある。
そして、国際社会において、「何ができるか」「何をなすべきか」を知らなければならない。

少なくともリーダーは、自分のことだけ考えていればよいというものではない。
サラリーマンであれば、自分の給料分だけ働きます、ということでは、平社員以上にはなれないのは当然のことであり、
この厳しい時世では、即リストラ対象であろう。

日本もまた、自分の置かれている客観情勢を見る時、やはり大国としての責務を果たさなければならない。
日本は「大国」であるということは、どんなに否定してみても、客観的事実として否定できない。
GDPが中国に抜かれたと言っても、人口は中国が10倍ある。
日本の1人当たりGDPは中国の10倍であり、単純に言えば、日本の生産性は10倍あるということだ。
経済力はもちろん、国力のすべてではないが、重要な指標であろう。

日本がもし、今まで通り平和で、少し貧しくなるかもしれないが、まあまあ現状維持をキープできればいいな、と思っているならば、残念ながら、現状維持すらできない。
これだけ変化の激しい時代にあっては、常に発展を目指し、創意工夫し、イノベーションし続けなければ、時代に取り残され、衰退してゆくしかない。
これは、いい悪いの問題ではなく、事実であり、現実なのだ。

「昔はよかった」と言っても、一部の人を除けば、誰も、江戸時代や、平安時代や、縄文時代に戻りたいとは思わないだろう。
「それは極論だ。『3丁目の夕日』ぐらいの時代が良いと言っているのだ」という人もいるかもしれないが、残念ながら、そんな都合の良いところでは下げ止まらないだろう。

キリスト・ユダヤ合体文明と言ってよい米欧と、イスラム教圏を中心としたアジア・アフリカ諸国との仲立ちをできる可能性のある国と言ったら、日本しかあるまい。
日本が衰退してゆくことは、世界に対して罪悪である、とさえ言ってよい。

経済的な側面のみならず、安全保障・軍事的な側面でも、日本の果たすべき役割は大きい。
アメリカ軍の世界におけるプレゼンスは、間違いなく低下していくだろう。
方や全体主義大国・中国の凄まじい軍事的台頭。
軍事に対しては、日本国内に強力なアレルギーが存在するが、日本はもとより、アジア・アフリカにおける中国の軍事的脅威をけん制するには、日本も軍事力を強化せざるを得ないだろう。
それは、戦争をするためではなく、戦争を抑止するためであることを、われわれ日本国民は強く認識しなければならない。

そして、国家における高潔さ(integrity)、誠実さ(sincerity)であるが、これには当然(世界的には当然。唯物論国家・日本においては当然と思われないかもしれないが)、宗教的バックボーンがどうしても必要である。
神仏を否定し、人生を、この世限りと見る思想からは、根本的に、どうしても高潔さ、誠実さという理念は生まれてこない。
かつては日本神道、あるいは武士道がその役割を果たしていた。
いまもその意義や価値を否定するものではないが、それだけでは世界を救うだけの崇高な理想のバックボーンとしては足りざるものがあると言わざるを得ない。
かつて聖徳太子の時代に、日本神道と融合した形で「仏教立国」を成し遂げ、隋との対等外交をやり、日本を当時の一流国に押し上げたように、新しい宗教理念がどうしても必要である。
当時もちろん仏教は世界宗教であったが、現代では、仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教・日本神道・ヒンズー教など、世界の主要な宗教を統合する世界宗教の出現が要請される。

私たちが「宗教立国」を目指すゆえんである。
これは、伝統的な仏教、神道、その他を否定するものではなく、むしろその逆に、様々な宗教が切磋琢磨することによって、百花繚乱、民主主義的繁栄を願っているのだ。
「民主主義が繁栄する時代は、宗教が繁栄する時代でもある」。

そして、幸福の科学は、その任に堪えうる宗教として成長したいと願っている。
つまり、世界の宗教界のリーダーとして、自らを磨いていこうと決意しているということだ。


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「除霊の滝行」と称して身動きできない状態にした女子中学生の顔に水をかけ続けて死亡させた疑いで逮捕した父親と僧侶を警察はきょう、熊本地検に送検しました。

TKUテレビ熊本

激しい憤りを感じます。

14歳で今世の魂修行の機会をいきなり断ち切られた無念さ。

間違った宗教の犠牲となられたことは、あまりに哀れです。

ただただご冥福を祈るばかりです。

 今回事件を起こしたようなものは、宗教の名に値しません。

一応仏教系新宗教とみなされているのでしょうが、

そもそも仏道修行においては、心を磨くことを本務であり、滝に打たれたり回峰したりという肉体行は仏道修行の本質とは何の関係もありません。

副次的な修行としてあり得ても、それが修行の本道ならば、よほど肉体が頑強な人しか悟れないことになります。

嫌がる少女を無理やり抑え付け、滝に打たせた一人が父親とあっては、やりきれない気持ちになります。

これほど間違った宗教知識が蔓延しているならば、それを啓蒙し糺すのも、正しい宗教の使命だと思います。

滝行や回峰行そのものは全面的に否定するものではありませんが、それは飛び込みの選手やマラソンの選手が専門的な訓練を経ているように、特殊な修行であり、それが仏教の一般的な修行方法だったとしたら、仏教は世界宗教にならなかったでしょう。

仏道修行においては、教学・禅定(精神統一)によって智慧を得て悟りに到ることを目的とします。

だからこそ、万人が可能な修行方法であり、万人が悟りを得る可能性を有するとされたのです(悟りの階梯はもちろん、人により差はありますが)。

悪霊憑依は現実としてありうることではありますが、それは基本的に滝行で除霊できるようなものではありません。

心のマイナス部分や悪想念に引き寄せられてくるものですから、心を明るく、正しい方向に向け、悪霊と波長が合わなくすることが王道です。

さらに言えば、仏神を強く信じ、仏神の光と慈悲を受けることにより、そうした他力を受けて悪霊を撃退するということも可能でしょう。

今回の事件を機に、宗教全体が怪しげなもの、悪しきものとみなす風潮が強化されないように願うばかりです。

あくまでも、宗教界は自らの自浄作用によって、悪しき宗教を駆逐し、真に人々に幸福と平安をもたらす役割を果たしていかなければならないと思います。

国家や、私企業であるマスコミが宗教を監視したり管理したりするようなことがあってはなりません。

それは、聖なるものの中に、俗世の穢れが入ってくることを意味します。

人間知を超えた、聖なるものを受け入れ、帰依をするからこそ、人間は傲慢にならず、謙虚に精進の道を歩み、仏性相等しき同胞として、愛を与えあって生きることができるのです。

聖なるものは聖なるものとしてあくまで守り抜かなければなりません。

国家や公的機関による宗教の管理のようなことがもし万一行われれば、それはすなわち、信教の自由の侵害となり、宗教弾圧に直結します。

全体主義国家、共産主義国家のごとく、宗教弾圧が行われれば、それは必ず言論・出版・表現・結社その他の自由の制限・抑圧へと進みます。

かくして自由は死を迎えます。

宗教は聖なるものであります。

そして宗教こそが、自由を守り抜く防波堤になるものであります。

かつての唯物論国家・共産主義国家同様、宗教をないがしろにする国家は、滅びに到ることを明言しておきましょう。

この事件を機に、まともな宗教まで悪しざまに言われるようならば、断固としてプロテストしてゆく覚悟です。


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東日本大震災での犠牲者の追悼や被災者の支援に、多くの僧侶らも奔走している。「宗教者の果たすべき役割とは何か」「祈りで人は救えるのか」。死者行方不明者2万6千人超という現実に、宗教者も悩み、苦しむ毎日が続く。28日は「四十九日」。寺には葬儀の読経を求める人たちがいまも訪れている。

【東日本大震災】「祈りで人は救えるのか…」宗教者も悩み、苦しむ毎日続く+(1/2ページ) – MSN産経ニュース

「祈りで人は救えるのか…」
宗教家としては、これに対して、明確に答えなければならないでしょう。

まず、宗教としては当然のことながら、「あの世がある」ということが前提となります。
不幸なことに、不慮の災害で亡くなった方々が、迷うことなく、あの世の天国へと還るためには、死後の世界への導きを与えなければなりません。
それが、「引導を渡す」ということの本当の意味です。
ですから、引導を渡せる人は、それなりの宗教修行をした人である必要があります。
したがって、あの世の世界を信じていない人は論外として(それは宗教家とは言えないでしょう)、あの世があるかどうか半信半疑の人であっては、引導を渡せないのは当然のことです。

一部には、仏教を「唯物論」と見る向きもありますが、皮相な解釈あるいは曲解すればそのように見えなくもないものもありますが(例.「無我の思想」の唯物論的解釈=死ねば何もかもなくなる)、釈尊が「三世(過去世・現世・来世)の因果」を説かれたり、「神々との対話」「悪魔との対話」、次第説法などを説かれているのを見れば、あの世がなければ成り立たない教えであることが明確です。
(ちなみに「神々との対話」「悪魔との対話」の現代版(現代的証明)として、大川隆法総裁は、数々の神々とも言われる高級諸霊や守護霊、悪魔との対話を行い、「霊言現象」として収録、各支部や精舎等でDVDにて上映、書籍として出版もしています)

未曽有の大災害で亡くなった多数の方々に対しては、「鎮魂」こそが、宗教家としてなすべき最大の責務でしょう。

この世を去った魂たちに対しては、「祈り」によってあの世の真理を伝えることができます。

人間は、もともと天国から地上に生まれ変わってきます。
その目的は、地上で様々な経験を積み、魂の糧となして、一層の成長を期すためです。
そしてこの地上を理想郷に近づけるために、努力することが地上生活の意味であり使命です。
この地上での死は、決して終わりではありません。
運拙く、人生修行を全うすることなくこの世を去ったとしても、それですべてが終わりではありません。
あの世で幸福に暮らすことはできますし、また地上に生まれ変わってくることもできます。

こうした、正しい真理を、祈りを通して、亡くなった方々に伝え、安らぎを与えること、すなわち「鎮魂」が宗教者の使命です。

もちろん、宗教者として事後的な「鎮魂」だけでなく、事前に死後の世界について「啓蒙」しておくことも大切な仕事でしょう。
また、すべての人々が幸福に生きる理想世界の未来のビジョンを示していくことも大切でしょう。

しかし、実際に現実社会での「救済」、この世でも魂修行を全うさせるための環境づくりは、政治の大きな仕事であると思います。

地震や津波などの自然災害もそうですが、「他国侵逼(しんぴつ)難」(他国との戦争や侵略の危機)にも備え、防災・防衛体制をしっかりと整え、すべての国民が幸福に暮らし、それぞれの魂修行を全うできる国家(仏国土)を建設すること、最大幸福社会を目指す未来ビジョンを示すこと、それが宗教政党・幸福実現党の使命でもあると考えます。


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The Rev. Tesshu Shaku, chief priest of Nyoraiji Temple, a Jodo Shinshu (True Pure Land sect of Buddhism) temple in Ikeda City, Japan

Buddhism is called a religion with no god. So we don’t think God caused this, according to the Buddhist way of thinking. We think of the law of cause and effect, searching for a cause. It is the same approach as science. The cause of this earthquake is the friction between the North American plate and the Pacific plate.

Finding faith amid disaster – CNN Belief Blog – CNN.com Blogs

仏教は無神論とは驚きです。
このご住職は、この世を超えたあの世(霊界)があることは信じているのでしょうか。
もし信じていないのならば、宗教としては自殺でしょう。それで死者を慰める葬儀や法事などをしているのならば、詐欺罪に当たるのではないでしょうか(もっとも、それは遺族の慰めのためにやっているのだと強弁するかもしれませんが)。

それともあの世は信じるが、神や仏は信じないというなら、あの世に還られた仏陀・釈尊やイエス・キリストは、どこで何をしているとお考えなのでしょうか。
これまた宗教、ないし仏教としては自殺行為でしょう。

仏教僧侶で無神論やあの世はないと説く方は意外と多いようです。
宗教家、仏教の僧侶が無神論を説くなどということは、日本の戦後の宗教を軽んずる態度、唯物論の蔓延はここに極まれり、という感があります。

”原因結果の法則”(the laws of cause and effect)を重視する立場をとるといい、科学と同じアプローチをとる(the same approach as science)といい、今回の地震の原因を単に北アメリカのプレートと太平洋プレートとの摩擦(The cause of this earthquake is the friction between the North American plate and the Pacific plate)だとするならば、唯物論的な科学と変わらりません。

神仏や霊界、心の世界も含めての”原因結果の法則”に依れば(これこそが真に科学的アプローチだと思うのですが)、地震のもととなったプレートの摩擦だとして、そのプレートを動かした主体があるはずです。
その主体こそが神仏の意志であり、神仏にそうした判断をさせるのが、地上の人間たちの過てる想念の集合と考えられます。

その責任の大半は、為政者、国家のリーダーにあります。
為政者の過った考え方、判断によって、天変地異や外冦などの国難が招来されるということは古来より言われていることではありますが、現代では迷信のように考えられています。
しかし、これこそが、戦後、宗教排除してきた考えの極致ではないでしょうか。

仏教にしてもキリスト教にしてもあるいは日本神道にしても2000年以上続いています。
単なる迷信が、そんなに続くものでしょうか?

少なくとも人知を超えた大災害を通して、人は謙虚になり、人間を超えた超越的存在に対して心を開くようになります。

被災された方々の苦しみ・悲しみは察するに余りあり、心からお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興を祈念するものでありますが、改めて宗教、あるいは宗教政党の意義を訴えておきたいと思います。

宗教としては、物質的な復興の手助けだけでなく、精神的な側面からも復興をサポートすることができます。

死は永遠の別れではありません。
この世は魂の学校であり、この世での修行を終えた魂はまた本来の住処である霊界へと還っていきます。
また、この世で経験したことは万に一つの無駄もありません。すべて魂の糧とすることができます。

葬儀や法事は、決して生者への慰めのためにだけ行うものではなく、亡くなった霊をあの世へと渡らせ、さらには極楽浄土へと昇らせる導きのために行うものであることを改めて確認させていただきたいと思います。


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(CNN) — The giant Buddhas of Bamiyan, once painted in bright colors, remained silent sentinels as they reacquired the hues of the sandstone cliffs from which they were carved.

Will one of two destroyed Buddha statues be reconstructed? – CNN.com

小さい方だけとはいえ、再建される可能性があるとは、喜ばしいことだ。

「宗教があるから、世界で戦争や紛争が起きるのだ」と唯物論者たちは言う。

しかし、それは宗教による。また、その宗教を信じる信者たちの教義の理解にもよる。

仏教は、心の平安とこの世の平和を説く。
また「不妄語」「不殺生」の戒律を厳格に守りすぎた故に、釈迦族は滅ぼされたし、
11世紀から12世紀にかけて、インドにイスラム教が入ってきたとき、事実上壊滅状態になったとも言われる。

また、イスラム教徒も、本来、「イスラム」とは「平和」を意味するように、自分たちは平和を愛しているというだろう。
ただ、自分たちの平和を妨げるものに対しては、断固として戦うという論理だと思う。

こうしてみると、宗教があるから争いが起きるのではなく、お互いの理解と宗教的寛容さがないから争いになると考えるべきだろう。

逆に、宗教がない世界はどうなるかというと、
それは、現代の北朝鮮や中国、かつてのソ連邦のような世界を想像してみればよい。

宗教的寛容性においては世界で類を見ない日本が、世界の宗教を融合する立場を鮮明にすれば、世界平和に大きく貢献できるだろう。

その意味でも、バーミヤンの仏像再建には、日本の技術力の総力を挙げて協力すべきだと思う。

日本は、単に経済的な繁栄や科学技術の高さのみを誇っているのではなく、宗教的文化を重んじる、文化的成熟度の高い国であるということを、世界中にアピールできる機会になると思う。

日本こそが、宗教的寛容の精神に基づいて、世界平和に貢献できる立場に立ちうるといえる。

そのためにも、日本は、唯物論を国是とするのではなく、宗教的バックボーンをしっかりと持つ国であるという意味で、「宗教立国」を国是とすべきであると考える。
(ここでいう「宗教立国」とは、特定の宗教ではなく、信教の自由に基づいて、宗教間の自由競争、切磋琢磨によって確立された(国民の多くに支持された)精神性をバックボーンとする、という意味であり、かつての武士道精神に代わるものとも言える)


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【北京時事】中国共産党の元幹部ら23人が12日までに、憲法で保障されている言論や出版の自由が厳しい統制を受けている現状を批判し、規定の履行を全国人民代表大会(全人代、国会に相当)に要求する公開書簡をインターネット上で発表した。

時事ドットコム:元党幹部ら、言論の自由要求=ノーベル平和賞に呼応か-中国

 

憲法で保障されているにもかかわらず、現実は厳しい統制がなされている言論・出版の自由。

同じく「信教の自由」も、保障されているにもかかわらず、厳しい統制があると聞く。

「信教の自由」という内面に関わる自由すら統制されていて、どうしてそれを表現する、言論・出版の自由が守られようか。

拙ブログでもたびたび指摘してきたように、まず信教の自由が優先される。これを否定されたら、人は死を選ぶことさえある。そしてそれを告白する、信仰告白の自由が認められ、信仰告白の自由を守るために、言論の自由が生まれたというのが英米法下の沿革である。

ところが、信教の自由は、唯物論・無神論に基づく共産主義思想とは相容れないものである。

ソ連邦の崩壊、そしてその後のロシアにおける宗教の復活を見れば、唯物論・無神論、共産主義というものが統治の原理としても、人間の個人の幸福という面においても、誤りであることが明らかになった。

中国は、ソ連の失敗の轍を踏むことを恐れていると思うが、壮大な文明実験であったこのソ連邦の失敗から素直に学ぶことが大切である。

統治に都合が良いからといって、共産主義・全体主義的国家体制のまま、13億以上もの民を抑圧し続けるのは、やはり中国にとっても、アジアにとっても、世界にとっても不幸である。

中国は、言論の自由を、そしてその基となっている信教の自由を保障することから、真の民主化は始まっていくと思う。

中国人民は、本来、宗教的な素養を持っているはずである。

儒教、道教の伝統もある。仏教もインドから中国、朝鮮半島を経由して我が国に入ってきた。もともと仏教国でもあった。

そして、国内外の批判を聴く耳を持つことである。古代から、中国には、「聴政」という言葉があった。

諫言もあえて受け入れる。そのような度量・雅量ある人が君子として尊敬されるのではないか。それが大国としての義務でもある。

中国が真に民主化し、覇権主義のもとではなく、真に世界の繁栄と平和に貢献する国家となることを心から願う。


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侵略の危機

歴史的にも、また国際法上も、わが国固有の領土であることは疑いのない尖閣諸島が、200年遅れてきた帝国主義国家・中国に、掠め取られようとしている。

このことは、今回の尖閣諸島での中国漁船による公務執行妨害、その事件に対する、中国側の高飛車な態度、そして拘束していた船長を、「今後の日中関係を配慮して」(那覇地検・鈴木亨次席検事)、釈放したことで、かなり現実的になった。

中国の言い分は、無茶苦茶である。
中国内においては、そのように洗脳し、通用する理屈であっても、国際的には通用しない。
そのような国に対して、弱みを見せては絶対にいけない。

結局、中国の脅迫に対して、日本政府が膝を屈したということか。

民主党政権の外交・安全保障政策のなさは、われわれ幸福実現党が、昨年の政権交代以前から警告していたことだが、そのことが普天間基地移設問題に続いて、さらに明らかになった。

毅然とした態度を

私たちは、日本政府に毅然とした態度を期待していた。
民主党・現政権にそれを期待するほうが、間違っていたというべきかも知れないが。

毅然とした態度とは、日本の領土と、国民の生命・安全・財産を守り抜くという、国家の強い決意を示すものでなければならない。
それには、一定の軍事力を含むところの強制力の行使も辞さない、という覚悟が(当たり前だけれども)必要だ、という当たり前の事実に気がついたというなら、この事件も、意義があったと見るべきかもしれない。

しかし、日本が植民地になってからでは遅すぎる。
取り返しがつかないのだ。

日本が毅然とした態度をとるということは、日本だけでなく、韓国や台湾などの東アジア諸国も日本に期待していたことだと思う。
覇権主義・軍拡路線をひた走る中国の横柄さには、他のアジア諸国も辟易としていることだろう。

安全神話からの脱却

日本人も、もうそろそろ、「空気と水と安全はタダ」(空気と水は、近年必ずしもそうではないかもしれない)、「自由と民主主義と平和はタダ」という迷妄から脱却しなければならないだろう。
これらは、不断の努力なしには、手に入れることも、維持することも困難なものである、という普通の、国際常識に目覚めなければならない。

現実にわが国の平和と安全が脅かされる状況において、かつ日本が直ちに自主防衛することが困難な現状では、どうしてもアメリカとの同盟関係、そしてそれをより強固なものにしてゆくことは不可欠である。
こんなときに、米軍基地は出て行ってほしい、などというのは、自殺行為である。

これから中国船が、大手を振って、大量に、頻繁に尖閣諸島沖に来る可能性は高いだろうから、海上保安庁の巡視艇や海上自衛隊の艦艇を増派し、領海侵犯に対処するとともに、南西諸島には陸上自衛隊を増強する必要があるだろう。

「地域主権」の危険性

また、「地域主権」を声高に叫ぶ菅政権だが、この考え方も注意しなければならない。
こと外交・安全保障に関する判断を、「民意」の名の下に、沖縄県民にゆだねるのは、中央政府としてあまりにも無責任である。
国家の指導者がリーダーシップを失っては、国家は解体してゆくしかない。

片務性の強い日米同盟

さらに、当面は日米同盟を強化することでしのいだとしても、片務性の強い現在の日米安全保障条約の下では、たとえば今回のように、尖閣諸島問題だけで、アメリカの軍事的プレゼンスを期待するのは益々難しくなるだろう。
アメリカの若者は、沖縄の基地に赴任するに際して、日本人のために命を賭けることを宣誓して来るという。
アメリカ兵が日本人のために血を流しても、日本の自衛隊は、アメリカ人のために血を流さない(流せない)では、どうして日本を守ってくれるのか。
これほど虫のいい話はないではないか。

避けられない集団的自衛権、憲法改正論議

この先、少なくとも集団的自衛権の行使、さらに言えば、憲法9条改正についても、どうしても避けて通れない議論になってくるだろう。

「自虐史観」の毒水

それにつけても、この一連の中国の態度、それに対するわが国の対応を見るに、「自虐史観」の流す毒水、害悪が、どれほど大きいことかと改めて感じざるを得ない。

中国においては、反日的教育によって、国内の不平不満の矛先を、日本に向けさせる、というのは国家戦略としてとりうるということは理解できる(そういうやり方は容認はできないが)。

しかし、日本がわざわざ自国を殊更に卑下し、自国民を貶めるような教育・洗脳をする必要がどこにあるのか。
これが、日本人の持つ、(ニセモノの)謙虚さカルチャーと一体となって、自国民の誇りと自信を奪い、自由と自助努力、そして繁栄の精神を損ねていると感じる。

もうそろそろ、この自虐史観からも脱却しなければいけない。

求められる「宗教立国」

日本が軍事力を持つと、必ず軍国主義国家となって、近隣諸国を侵略する、などということは、21年連続して10%以上の軍拡をやり、核ミサイルも何百発も持っており、実際に帝国主義的拡張路線をとっている国に言われるべき筋合いはまったくないのだ。

日本はそんな国ではない。サムライの国であり、正義や礼節を愛する国である。
もともとは仏教や神道、儒教が長く国の背骨となってきた宗教的精神にあふれた国であり、慈悲を具現化する国家である。
これぐらいのことはきっちりと言ってやるべきだ。

そして、日本は、真の意味での世界のリーダー国家となって、世界の平和と繁栄のために、主導的な役割を果たすべきだ。
そのためには、どうしても、宗教的精神が、国家の精神的支柱として必要だ。
これなくしては、どうしても唯物論的な価値観に流され、この世での生存のみを尊しとする思想になってしまう。
己の命を賭してでも守るべき、崇高なものは、やはりある。
これが、人間と動物とをわける、根源的なものだからだ。

「日本よ、世界のリーダーたれ」―。
日本のみが、世界の希望なのだ。


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民主党新人議員140数名を含む600名もの大人数で訪中し、胡錦涛主席に謁見を賜った。

天皇陛下を政治利用し、懸念を表明する宮内庁長官の発言に対し、「憲法、民主主義を理解していない」と激怒する。

民主主義を理解していないのはどっちだ!

日本の国益より、中国の国益を優先させ、言論弾圧、全体主義、独裁者への道をひた走る。

あなたは、だれに、あやつられているのか?

かつて、あなたは自由主義論者であったはずだ。

いまは、国家社会主義者になり果ててしまった。

ハッキリ言って、ヒトラーと同じ道を歩もうとしてますよ。

歴史に汚名を残すのか?

野党時代が長かったせいで、かつて自分より格下だった人たちが次々と総理になっていくのを見ているうちに、

その嫉妬心から、日本の自由と、民主主義をぶっ壊そうとしているのでしょう。

宗教者の立場から、あえて言わせていただく。

仏教の因果応報の理から見るならば、どうみても、あなたは、このままでは、地獄に堕ちる。

あなたは「死んだらみんな仏になる」などという妄説を信じて、ご自身も死後は仏になると妄想を抱いておられるのかもしれないが、

どんな悪いことをしても、死ねばみんな仏になれるというのだろうか?

そんな理屈が通るなら、この世は悪人ばかりが跋扈する世界になる。

悪を押し止め、善を推し進めるのが、仏教の根本精神の一つだ。

あなたひとりが地獄に堕ちて苦しむのは勝手だが、

大勢の人々を地獄の底に引きずり込み、無辜の民に塗炭の苦しみを味わわせ、この国そのものを崩壊させるようなまねは、決して許すことはできない。

心から勧める。

真実の仏陀の教えに帰依しなさい。

そして、生きているうちに反省しなさい。悔い改めよ。

あの世で地獄に堕ちて、魔王とならないために。


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