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昨日(もう一昨日になってしまいました)、小学生の皆さんにお話をする機会があり、小さい頃から夢や目標を持って、それに向かって努力をすることは、大切なことですね、というお話をさせていただきました。
もちろん、目標通りにならないことはありますが(その方が多いかも知れません)、努力したことは決して無駄にはなりません、というような、珍しくまじめな話を致しておりました。
そんな中で、ふと、自分が同じような年代の頃を思い出していました。
夢や目標を掲げて努力することは大切です、というのは当たり前のことではありますが、小さい頃は、なかなか夢を絞り込めないものです。
単に私が気が多かったか移り気だったか、妄想家だっただけかも知れませんが、科学者というか、発明家というか、エンジニアという職業にも憧れましたし、 政治家というか、戦国武将にも憧れておりましたし、武道家というか、格闘家というか、にも憧れておりましたし、スキー選手になりたい、と考えてみたりもしました。
画家か漫画家、という線も考えていました。
宗教家になるとは、なぜか思ってもみませんでしたが。
小学校5、6年の頃だったでしょうか(1970年代)、やがて30年もすれば石油が枯渇すると聞かされ 、幼い頭で、今で言う「再生可能エネルギー」について考えていたんです。
そこは鳥越村の山の中で生まれ育った少年です。木炭はどうだろうか。山にいっぱい木があるぞ、炭を焼いて液化して石油代わりにするような発明はできないだろうか、と考え、自分で木を焼いて、炭をつくってみたりもしました(液化するだけの理論も、知識も、技術も、装置も、もちろんありませんでしたので、炭もどきの炭を作っただけでしたが)。
その頃、日本の原子力エネルギー政策も進みつつあったと思いますが、原子力は夢のエネルギーのように言われていたように思います。
もちろん、放射線対策で、分厚い格納容器に入れる必要はあるという認識はありました。
原子力船、原子力潜水艦、原子力飛行機と空想し、原子力自動車まで考えてみましたが、学校の先生からは、「さすがに、自動車に原子炉は重いだろ」と言われたように記憶しています。
鉄やその他の鉱物も、掘り尽くせばやがて無くなるから、 マジに木製飛行機や、竹製の車輪、などというものも考えておりました。
今から思うと、本当にお笑いですが。
幸い、あれから40年以上たった今も、石油は枯渇しておらず、今後もそう簡単に枯渇しないどころか、メタンハイドレートとか、シェールオイルとか、新たな燃料が発見されたりしています。
石油のような油類は、地球という生命体が出す脂のようなもの、という説もあり、地球が生きている限り(少なくともたいへんな高齢にならない限り)、枯渇することがないかもしれない、と思って、少し安心したりしています。
ただ、100億になりなんとする地球人口にうまく配分することは、なかなか難しいことです。




こんばんは!
みやもとさとしです。
このままでは、もうほんとうに日本がメルトダウンしてしまいそうです。
居ても立ってもいられず、夕方、小松市内に向かいました。
小松市の某図書館に新聞を閲覧に行かれた方が、
他の全国紙は置いてあるのに、産経新聞だけなく、
問い合わせたところ、
「経費節減のため購読していない。
読みたければ、市役所に行ってください」
と言われたと憤慨しておられたそうです。
5大紙と言われる他の4紙は置いてあるのに、
産経新聞だけ取りやめるというのは、
何か隠れた意図があると思うのは私だけでしょうか?
「小松市がんばれ!」という思いを込めて、
辻に立ちました。
辻立ちでは、引き続き見苦しい延命を図る菅首相を徹底糾弾いたしました。
「脱原発」は一見、よさそうに聞こえ、賛同する人々が多いと思いますが、
確実に国家衰退へとミスリードいたします。
国民の皆様が一番恐れていることは、放射能だと思います。
これに関しては、The Liberty webに、札幌医大の高田純教授の調査レポートが掲載されています。
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=2274
札幌医大教授・高田純先生は放射線防護学がご専門で、
このたび福島県内で、放射性のヨウ素とセシウムについて、
住民の外部被曝と内部被曝の線量を調査されました。
高田教授はこれまで、チェルノブイリ事故後の周辺3カ国や、
ソ連のセミパラチンスク核実験場とその周辺、
マーシャル諸島・ビキニ環礁での核爆発の影響を受けたマーシャル諸島などを訪れ、
住民の健康被害について調査して来られた方だそうです。
その高田教授が、今回の福島について、安全宣言をされています。
エネルギー、電力の安定供給と経済繁栄の観点からも、
また、安全保障上の観点からも、
日本は決して原子力発電およびその技術を捨ててはいけません。
必要以上に核を恐れることは、核兵器を持っている危険な隣国に、アドバンテージを与えることになります。
また、原発の存在自体が、「いつでも核兵器に転用できるぞ」というメッセージを送ることになり、
(実際は核兵器を作らなくても)それ自体が抑止力になります。
今回の事故を機に世界一の原発技術でさらに安全な原発を開発し、
世界のエネルギーの安定供給と世界平和へと貢献するチャンスです。
耳に聞こえの好い政策を振りかざし、
亡国へと導こうとしている菅首相には、
強い反省を促すとともに、即時退陣を要求いたします。




玄葉国家戦略担当相は23日、福島市内で記者団に対し、2030年までに新しい原子炉を14基以上増設するとした国の基本計画は「あり得ない」として、福島第1原発の事故を受け、見直しが必要との認識を示した。
「国家戦略担当相」とは字義通りならば、国家の戦略を担当する大臣でしょう。
しかし、14基の原子炉増設という基本計画をあっさり「あり得ない」と言い切るとは、見識と責任感のなさを露呈しているのではないでしょうか。
「福島県を太陽光、風力、水力など、新エネルギー、再生可能エネルギーの基地にするぐらいの意気込みが必要だ」という「意気込み」はそれはそれで結構かと思いますが、それらで十分な発電量を賄えるようになるまで、一体どれだけの新エネルギー発電所が必要で、その建設には何年かかるのか、それまでの間、電力供給をどうするのか、具体的な案が必要でしょう。
既に4月1日に、福井県敦賀市の河瀬市長は、菅首相のげ発増設見直し発言に対し、全国原子力発電所所在市町村協議会の会長として、「事故の収束と既存の原発に対する安全対策を議論すべき」と要請し、事故を収束させることで新たな知見が得られるとし、「冷静になってからエネルギー全体を見つめ直すならいいが、今はそんなことを言っている場合ではない」「国策はぶれないことが重要。環境問題や資源などを考えると、原発は安全性を徹底すればいいのではないか」と述べていますが、その通りだと思います。
被災者の方々の感情には十分配慮しなければなりませんが、ある意味で国家戦略とは、極めて理性的に考えを詰めていかなければ、国家百年の大計を立てることはできないでしょう。




金沢経済同友会の理事・常任理事・幹事会は23日、金沢市の金沢ニューグランドホテ ルで開かれた。席上、東日本大震災に関して、過度な自粛を慎むとともに、政府に対し被 災地支援のため20~30兆円規模の大型補正予算を早急に組むよう求めていく、との会員向け緊急アピールを決議した。
約40人が出席し、冒頭、東日本大震災の犠牲者に黙とうをささげた。飛田秀一代表幹 事は、日本の将来にとって福島第1原発事故の処理を含めた原発の安定運用が重要だとの 認識を示した。その上で「義援金やボランティアなどで被災地の復旧・復興を支援してい くことは大変大事だ。同時に、過度な自粛は慎むべきであり、被災しなかった地域まで過 度な自粛をすれば日本経済全体が停電してしまう」と強調した。
補正予算の編成については「財源は国債を充てればよい。短期的に日本はまだ国債を発 行する余力がある。震災後も円高になったのは、欧米に比べ日本は相対的に余力があると みられている証拠である。消費増税は中長期の課題であり、いまは大型補正を組んで復興 に取り組んでいかなければならない」と指摘した。また、「補正に伴う公共事業の中で、 東日本と西日本の周波数変換所を国の力で増やしていくことも検討すべきだ。東京一極集 中をあらためるために、地方に本社、工場を移転した場合の税制上の優遇措置も必要にな る」と述べた。
「飛田秀一代表幹事は、日本の将来にとって福島第1原発の処理を含めた原発の安定運用が重要だとの認識を示した」。
今回の事故は、原発そのものが原因で起こった事故ではない点、スリーマイル島やチェルノブイリとは決定的に違うということを認識しておく必要があると思います。
日本人が原発や放射能に対して過度にナイーブになる事情は理解できますが、原発に替わるだけのエネルギー量を賄える十分な代替エネルギーが開発されるのはまだまだ先の話になるでしょうから、ただ不安をあおり、だから原発はいけない、という主張は結局、エネルギー消費を抑える方向に行き、経済をさらに押し下げることになります。
先人たちが今まで築いてきた繁栄への道を捨てて、明治時代や江戸時代に逆行していく方向にも思えます。そういう方向を選択することは為政者として無責任でしょう。
放射線も「人体に影響はない」と言いながらも出荷停止しなければいけない基準であるということはある意味ダブルスタンダードであり、基準値が実態に即していない厳しすぎるものであると言えます。
政府が「人体に影響はない」ということと「出荷停止」ということの矛盾するようなことを言い続ければ、「やはり危ないのではないか」と疑心暗鬼になる人が多いのではないでしょうか。
今回の震災で、今後、自治体が新規に原発建設を受け入れることは難しくなるかもしれませんが、マグニチュード9以上の地震や、20m以上の津波をも想定した安全対策と、さらに万一の空爆等にも安全確保できるだけの防衛対策を講じた上で、地域と日本の繁栄にとってますます重要になる原子力エネルギーの重要性を粘り強く説得してゆく必要があると思います。
「『…同時に、過度な自粛は慎むべきであり、被災しなかった地域まで過度な自粛をすれば日本経済全体が停電してしまう」と強調した。」
全くその通りだと思います。
東日本、太平洋側が厳しい状況にあるときこそ、日本海側が頑張って復興を支え、日本の繁栄を牽引する、ぐらいの気概を持ちたいものだと思います。
「補正予算の編成については『財源は国債を充てればよい。短期的に日本はまだ国債を発 行する余力がある。震災後も円高になったのは、欧米に比べ日本は相対的に余力があると みられている証拠である。消費増税は中長期の課題であり、いまは大型補正を組んで復興 に取り組んでいかなければならない』と指摘した。」
これもその通りと思います。
増税はただでさえ不況下にある日本の経済力をますます押し下げ、ますます復興を遅らせます。
さらに言えば、国債もちまちました額でなく、また逐次投入になることなく、100兆円以上、できれば500兆円でもいいと私は思います。
おそらく高橋是清や田中角栄クラスの国家リーダーならば、そうした決断をすると思います。
これで最大の被害をこうむった東北の復興はもちろんですが、少なくとも東京・大阪・名古屋、できれば日本全体の都市を改造し、最強の防災都市・防災国家にすべきです。
かつて関東大震災の直後、当時の東京市長・後藤新平氏や本多静六博士が中心となって、当時の国家予算の倍以上の40億円の予算で、帝都復興を計画しました。100m道路の建設など、今考えても画期的な計画でしたが、残念ながら予算が縮小され、100m道路も漸次縮小され20m幅とかになってしまいました。
歴史にifはないといわれますが、もし、当時100m道路をはじめとする近代的な都市家拙に成功していたら、東京大空襲による被害は、もっと少なかったであろうといわれています。
世界一安全で繁栄した都市・国家を目指すという決然とした意思を示すことで、全世界の投資家の富を集めることができます。
なぜか震災後にもかかわらず「有事の円買い」が進み、円高になっている現象は、日本経済の底堅さを物語っていますし、”消去法”で円が選ばれているとするならば、だからこそ、日本が世界の繁栄を牽引する使命があると思うべきです。
日本が間違いなく復興し、不死鳥のごとく甦り、かつて以上の繁栄を実現する姿を見せてこそ、世界の希望となります。
そして、それが単なる経済的な復興、経済的な繁栄の再現だけでは、かつて”エコノミック・アニマル”と揶揄されたことの再現になりますから、やはりきちっとした精神的支柱を立てる必要があります。
精神性のバックボーンには、”宗教”が存在します。
日本では宗教というと、日陰者のような存在として扱われがちですが、これは世界標準ではありません。アメリカでもかつて唯物論国家だったロシアでも、大統領の宣誓式にはキリスト教の聖職者が立ち会います。
本当に神仏がいるかどうかという激しい内面の葛藤を経て、しかしどうしても神を信じることができない、と叫ぶ人のために、そうした人にも「無神論」という名の”信仰告白”は許されていると解するべきであって、単に空気に流され、信仰を持つことがかっこ悪いことのように勘違いして「無神論」を名乗るのは恥ずかしいことです。
神仏を信じていないということは、一般的に言って、欧米でもイスラム教国でも人間とみなされません。
聖徳太子以来、日本は、仏教・神道・儒教等を融合した宗教立国を国是としてきました。
”政教分離”は、政治権力によって自由な宗教活動が阻害されたり弾圧されたりすることを防ぐための規定であると解するべきです。
宗教が政治的な活動が許されないとするならば、”信教の自由”もまたないことを意味します。
私は、”復興”の鍵は、実は日本人の精神性の高さ、宗教性にあるとさえ思います。
日本が、世界に誇るべき高い精神性を持っているということを、堂々と言える国家にしていきたいものだと切に願います。



