‘携帯からの投稿’

今日は、維新の志士、坂本龍馬の生まれた日であり、帰天した日でもある(生まれた日については異説あり)。 

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、何度読んだだろう。  

 竜馬は、外科医のような冷静さで自分の頭をおさえ、そこから流れる体液を掌につけてながめている。白い脳漿がまじっていた。
 竜馬は突如、中岡をみて笑った。澄んだ、太虚のようにあかるい微笑が、中岡の網膜にひろがった。
 「慎ノ字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ」
 それが、竜馬の最後のことばになった。言いおわると最後の息をつき、倒れ、なんの未練もなげに、その霊は天にむかって駆けのぼった。
 天に意思がある。
 としか、この若者の場合、おもえない。
 天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。
 この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。
 しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。(『竜馬がゆく』(八)文春文庫版)

何度も繰り返し読み、そのたびに涙を流した最後の場面である。

いま、この国の歴史始まって以来の混乱の時代といえる。
この混乱を収拾するために、天はだれを地上に下しているのだろう。
それは、この国と、世界の混乱の大きさを思うとき、ただ一人とは思われない。
そのような使命を果たすために、生まれてきた人たちが大勢いるはずだ。
司馬氏によれば、明治維新は、3千人ぐらいの人で起こしたという。
名前が残っていない、草莽の志士たちも含めて3千人。
今の人口比なら、1万人ぐらいだろうか。
名を遺した人はごく僅か。命も名もいらぬ、無私なる念いで、日本の夜明けのために、戦った若者が3千人もいたのだ。

日本人であって、日本が国防を強化することに対してヒステリックに反対を唱え、頑なに憲法9条を護ろうとする人たちは、この世の生命をかけても、守り抜かなければならないものがあるということが理解できない、結局のところ、唯物論者なのだろう。

この世の生存のみを願い、戦うことを拒絶すれば、全体主義国家の隷属下におかれて生きるしかなくなるかもしれない。
たとえ奴隷となっても戦争は嫌だというような、卑怯な国民にはなりたくない。

「幸福維新」の志士たちよ、共に目覚めよう。
新しい日本の夜明けのために、共に戦おう。

私が坂本竜馬のような活躍が出来るかというと、それはおそらく妄想に過ぎないだろうが、
少なくともその気概は学びたい。
心はいつまでも、青臭く、理想を追究し続けたい。

日本と、日本の国民を護るために、この国の未来を拓くために、微力なりといえども、この命をを燃焼しつくしたい。
龍馬の命日に、そう誓わせていただきます。


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「天・地・人」で有名になった直江兼続。上杉家の家老であり、文武兼備の智将といわれる。
私も尊敬する武将(政治家)の一人である。

原作もテレビも残念ながら見ていないので、紹介されているかどうかわからないが、伊達政宗に対して、次のような逸話がある。

政宗が、天正大判を諸将に見せびらかし、それが兼続のところに回ってきたとき、兼続は扇子で受けた。政宗は兼続が陪臣のため遠慮しいてるのかと思って、「手にとってかまわぬぞ」と言うと、「この手は軍配を握る手。このような不浄なものは触れない」と言って、扇子でポンポンと羽根突きのように付いて、政宗に返した、という話。

また、城中の廊下ですれ違ったのに挨拶をしなかった兼続を政宗が無礼であると注意すると、兼続「おお、これは伊達殿。戦場では(逃げる)後姿しか見たことがないので、つい気づきませんでした」と。
弁舌爽やかに切り返す。奥州の雄、独眼竜も形無しである。

彼は、禅僧との交流を深め、中国の史書や古典などを積極的に集めたり、文禄元(1598)年、朝鮮の役の際には、貴重な書物を持ち帰ったり、仏教とも縁が深い。兜の前立ての「愛」の字は、愛染明王か愛宕権現をあらわしたものとされる。

陪臣の兼続に比べ、政宗は大名であり、現代でも人気はある。仙台市の基礎を築いた、有能な大名であっただろうが、ようやく戦国時代が終わりを迎え、日本が平和に向かおうとしているときに、東北で暴れて時代を逆戻りさせようとした、ぶっ壊し屋の一面もあったと思う。
結局、その先の日本のビジョンが見えず、ただむき出しの自我のままに暴れていた面があるのは否めない。
なんとなく、現代日本の東北地方で、王国を築いている「あのお方」に似ているような気がするが、きっと気のせいだろう。

人権擁護法や、永住外国人への地方参政権付与などの、全体主義政策、売国政策を通そうとしている政権の、陰の実力者、まさに日本をぶっ壊そうとしている「あのお方」を向こうに回して一歩も引かない、むしろ過ちを指摘して鮮やかに切り返すことができるような、兼続のような智勇兼備の政治家の出現が望まれる。


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以下、産経ニュースより。

河村・名古屋市長が減税案を発表 高所得者ほど恩恵、成立は微妙
2009.11.13 13:24
 名古屋市は13日、20日開会の11月市議会に提出する市民税10%減税の条例案を発表した。河村たかし市長の公約で、成立すれば自治体が独自に住民税を減税する全国でも珍しい例となる。ただ、減税の恩恵を受けない非課税世帯への対応や、財源確保の見通しが不明確なため市議会は反発、市長と対立しており、成立は微妙な情勢だ。
 条例案は市民の生活支援と地域経済の活性化を目的に、個人と法人の両市民税を一律10%削減する。個人市民税は「均等割」を年3千円から2700円に、「所得割」の税率を6%から5・4%に引き下げる。初年度の減税規模は総額161億円となる見込み。
 市が示したモデルケースでは、給与所得者の夫婦と子ども2人の世帯の場合、年収300万円だと減税額は年1400円。年収500万円で同9500円、年収1千万円では同3万2900円となり、高額所得者ほど恩恵が大きい。

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/091113/lcl0911131325003-n1.htm

少なくともこの政策に関する限り、河村市長の方向性は正しいと思います。
補助金を出すとかいうバラマキよりはよほどまともでしょう。
「減税の恩恵を受けない非課税世帯」と言うが、「非課税」ということで既に恩恵を受けているのではないでしょうか。
「高額所得者ほど恩恵が大きい」というのはあたらないでしょう。高額所得者は既にたくさん税金を収めているから、取り過ぎないようにしますよ、ということでしょう。
成功者やお金持ちに嫉妬しないことが繁栄する上で大切です。
成功者やお金持ちに嫉妬するのは、社会主義、共産主義です。
「お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちにならない」とはサッチャーの有名な言葉です。

必要なことは、減税によって増えた可処分所得を、市場に回してもらう工夫をすることでしょう。
そのままタンス預金になっては何にもならないですから。
名古屋の企業家の皆さまに、いろんなアイデアを出して頂き、創意工夫し、自由に経済活動が出来るようにすることが大切だと思います。
行政は、そのための規制緩和や、下支えをすればいいでしょう。
名古屋市の景気がよくなれば、税収自体も増えるはず。

河村市長は民主党ですが、新政権に対しても減税を提言しています。
河村市長には、「減税によって、景気が回復し、税収も却って増える」ということを、ぜひ実証してもらいたいものです。

徳川吉宗による享保の改革は、緊縮財政でうまくゆかなかったが、尾張の徳川宗春は、自由経済政策で大盤振る舞いをして景気を良くし、一時は京をもしのぐ繁華といわれました(治世の晩年は、財政が悪化し、規制緩和を縮小せざるを得なかった。今と違い、景気がよくなってもすぐには税収増に繋がる税体制ではなかったし、国債発行ともいかなかったでしょうから、時代を先取りしすぎていたかもしれませんね)。

たとえ、鳩山×小沢10年不況が来ても(来ないことを望みますが)、名古屋経済は元気だ!日本の経済は名古屋が引っ張る!というふうになっていただければ幸いです。
そして、名古屋が減税で成功すれば、他の都市も真似て、日本中みんな景気がよくなるかも知れませんね。
そう期待したいものです。


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あなたに宗教を論じてほしくない。
あなたに、諸宗教を評価する資格があるのだろうか?

以下、産経ニュースより引用。↓
「キリスト教は独善的」と小沢氏、仏教は称賛
2009.11.10 21:21
松長有慶座主と会談する小沢幹事長
 民主党の小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で全日本仏教会の松長有慶会長と会談後、記者団に宗教観を披露した。この中で小沢氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。
 国政に影響力を持つ与党の実力者による批判発言だけに、波紋を広げる可能性がある。
 一方、仏教に関しては「現代社会は日本人の心を忘れたり見失っている。仏教は人間としての生きざまや心の持ちようを原点から教えてくれる」と称賛した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091110/stt0911102121020-n1.htm
(引用以上)

キリスト教徒も、イスラム教徒も、怒りますよ!

仏教徒にすり寄り、ゴマをすり、票を得ようとされるのでしょうか。
永住外国人にすり寄り、地方参政権を付与し、彼らの票を得ようとするのと同じ発想でしょうか。
選挙に勝つこと、権力を握ることしか考えておられないのでしょうか。
まともな仏教者、まともな宗教者は決してごまかされません。

この日本を、どうしたいのでしょう。
あなたは、かつて自由主義者だったのではないですか。
いつの間にか、国家社会主義者のようになってしまわれた。

あなたには、信仰を持つ者の心情、純粋な信仰心というものがわからないのでしょう。
強大な権力を握るあなたが、特定の宗教を迫害することがないよう、祈ります。

「仏教は人間としての生きざまや心の持ちようを原点から教えてくれる」と、本当に思っておられるならば、虚心坦懐に、真実の仏陀の教えを学ぶべきです。
かつて、提婆達多と共謀して、仏陀を暗殺しようとした阿闍世が、その後、仏陀の教えに触れて廻心したように。


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総選挙後、9月に石川県羽咋市にある幸福の科学の北陸正心館から金沢南支部に異動になり、はや2ヶ月。
久しぶりに所用があって北陸正心館を訪れた。
帰りに、能登有料道路から眺める海と太陽。夕日には少し早いが、えもいわれぬ美しさ。
「時よ止まれ。地球は美しい」。

しかし、写メを撮るためにしばし車を停止しただけで、私はすぐに走り出さなければならなかった。

もし、このまま、日本が、社会主義的な方向に走っていったら・・・。
もし、最悪、全体主義国家なんかになったら・・・。
じっとしていられないのであるが、もどかしい。

私たちの未来ビジョンは、2020年ごろから日本はゴールデン・エイジを迎え、世界の繁栄と平和に貢献するというものだ。
そのために、自由の大国にならねばならない。
大国として、世界にノブレス・オブリッジを発揮しなければならないときであるのに。

折りしも、永住外国人への地方参政権付与法案提出の動き。
亡国への道をひた走るのか。

同じ景色でも、自由と繁栄を謳歌した状態で眺めるのと、全体主義体制下で鎖に繋がれて眺めるのとでは、天国と地獄の差がある。
この美しい空と海と太陽を、人々がいつまでも幸福な心境で眺められる、豊かで平和な国を創りたい。


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こんにちは!みやもとさとしです。

白山市白山町南交差点。
ここで辻立ちするときは、なぜかいつもすばらしい天気だ。

白山市。白山連峰から日本海沿岸まで、その面積は755km2 であり(石川県全域の18%、県内最大の広さ)、東京23区(621km2)より広い。
広大な地域に、人口は約11万人。
東京23区の人口880万とは比べるべくもないが、山岳地帯が多い(73%を占める)とはいえ、まだまだたくさんの人口は受け入れ可能だ。
東京23区は、千代田区の4万6千人から世田谷区の86万人まで、幅広いが、20万〜40万人といった区が多い。
30〜40万ぐらいの都市にする構想を持っていてもいいのでは。

特に、白山麓5か村と呼ばれた旧白峰・尾口・吉野谷・河内・鳥越のエリアは、人口減少が著しい。
白山市自体は漸増しているが、旧5か村は、最近5年間で約7700人から7100人と
600人も減少している。
その主な原因は、「不便だ」と言うことだろう。大きな産業も無い、ショッピング、通勤、通学、病院、書店、コンビニ、その他諸々、都市部には普通にあるような利便性、快適性が、「豊かな自然」などと言う価値観よりはるかに優先された結果だろうと思う。

それは、この地域で最奥にある、私が辻立ちしている場所の向いのコンビニが、ここより奥に住む人たちによって、夜でも買い物に来られるということで、大変にぎわっていることでも推察できる。

解決策のひとつとして思いつくことは、ファミール鳥越、瀬音などで成功しているように、都市部よりも安くて広い宅地を提供すること、そしてそれに加えて、公共の、便利で安価な交通網を充実させることだと思う。

いくら車社会と言っても、高齢者や子供は車が無ければ動けないというのは辛い。
それに、片町や香林坊(金沢の繁華街)でお酒を飲んだら帰って来れなくなる。
今なら、片町で宴会があっても、ホテルに泊まるか、タクシーか代行運転で帰ってくるしかない。

金沢でお酒を飲んでも、ホテルに泊まる必要もない、タクシーや代行運転でなくても帰ってこれるとなれば、消費はもっと拡大し、景気はよくなるだろう。
かつて80年代は、富山や福井からでもお客さんが来ていた片町や香林坊の衰退ぶりは目を覆うものがある。
これは、片町・香林坊復興策でもある。

そういう交通網を作る財源はどうするのかということになるが、それは、能登半島との連携、新たな産業興隆策も含めて、改めて別の機会に提案したい。


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昨日の辻立ちは霰交じりの中であったが、今朝は、昨日とは打って変わって、快晴!

一昨晩からの冷え込みで、白山は白く雪化粧していた。

白い山の、その清らかな、凛とした姿を見て、自分もまた、あのように気高く、毅然とした生き方をしたいものだと思う。


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こんにちは!みやもとさとしです。

幸福の科学グループ総裁・大川隆法著『幸福の科学興国論―宗教立国への挑戦』
を、久しぶりに読み返してみる。

同書は、1994年4月に発刊された『理想国家日本の条件―宗教立国のすすめ』をテキストにして、同年開催されたセミナーを基に書籍化されたものだ(1994年12月刊行)。

15年前に発刊された書籍だが、現在のマスコミの問題点について、予言的に警鐘が鳴らされている。

同書から一部を紹介させて頂く。

 「絶対権力は絶対に腐敗する」というアクトン卿の言葉がありますが、その言葉どおり、一本化した権力は腐敗するという理由から、制度的に三つの権力を立てて、相互に牽制し合う関係をつくったわけです。ですから、ある意味においては、これは権力に対する不信感から出来上がっていて、権力を三つに分解して牽制させるというかたちになっているわけです。しかし、成功した面はかなり大きいと思います。

 ただ、日本国憲法が出来てすでに半世紀近くが経ち、憲法が予想していない事態も現われてきているように思います。憲法は、政治権力としては、立法・行政・司法の三権の牽制だけがあればよいと考えていたのですが、現実には、みなさんがご存じのとおり、現在、第四権力として「マスコミ権力」というものが立ち上がってきており、かなり大きな力を持っているということです。

 そして、このマスコミ権力の法的根拠はいったいどこにあるかというと、憲法でいう「言論・出版の自由」に基づいていると言ってよいでしょう。それは、立法・行政・司法のような制度的な規定ではなく、精神的な自由権を認めた、「保護する」という規定です。しかし、制度的な規定とは違ったものが、現在、一つの権力として明確に立ち上がってきているのです。しかも、それは日本国憲法が本来は予定していなかったものです。法律用語でいうと「法の欠缺」、つまり憲法に欠けているものがあるのです。「憲法においては、マスコミという第四権力を予想していなかったので、これをチェックする機能がない」ということが、明確に言えると思います。

 では、なぜマスコミが第四権力なのか、ということを考えてみたいと思います。

 国政においては、本来は国会が最高の権限を持っているわけであり、立法府が第一権力であるべきなのです。しかし、国会議員が選ばれるためには、選挙という洗礼を経なければなりません。そして、選挙で選ばれるためには、多くの人の票を集めなければいけません。

 そうすると、多くの人の票が、集まる方向に行くか、減る方向に行くかということに関して、影響力を持っているものがもしあるとすれば、それが立法府よりも上に立つ可能性があることは、充分にわかるはずです。これが、みなさんがいま見ている新聞やテレビなどのマスコミです。

 要するにマスコミは、国会議員を、選挙で落とすこともできれば、当選させることもできるのです。したがって、国会議員のパトロン(後援者)となることもできれば、国会議員を葬り去ることもできるわけです。そうしたマスコミという権力が、いま生まれているのです。選挙型民主主義が、これほどマスコミの支配下に置かれるということは、五十年前の憲法制定時には予想されていなかった事態です。

 行政に関しても同じことが言えると思います。マスコミは、政治家に対して、毎日のように真向から批判を加えています。これも、国会議員としての身分と連動していますので、政治家はマスコミの批判には非常に弱い体質があります。

 そして、内閣総理大臣であっても、内閣の支持率を世論調査されて、「内閣支持率が二〇パーセントを割り込んだら、内閣総理大臣はだいたい引退しなければいけない」というようなことにもなっています。しかし、その調査自体がほんとうに正しいものであるかどうかは、わかりません。その調査の時期と方法が正しいかどうかに関しては、誰もチェックすることはできないので、マスコミが恣意的にやっていることも充分にありえるわけです。

 むしろ、行政権のなかでマスコミにとっては最も手強かったのが、官僚組織です。この官僚組織対マスコミの戦いが、いま始まっています。みなさんご存知のとおり、官僚は受験秀才たちの牙城です。この受験秀才の牙城が、野獣のごとき、あるいは群がってくる白蟻のごときマスコミ権力に、太刀打ちできるかどう
か――。私は今それを静観しているのですが、結果は官僚にとって悲観的なものになるのではないかと思っています。官僚はたぶん勝てません。その結果、官僚組織はまもなく崩壊することになるだろうと思います。

 第三権力の司法権はどうでしょうか。裁判所は、独立した権力を完全に持っているのかというと、残念ながら、裁判所はいまマスコミの植民地と化しています。なぜならば、裁判官が判断する材料となる国民世論なるものが、これまた新聞やテレビによってつくられたものだからです。マスコミにおいては、一定の立場の管理職にある人が、ある方向に誘導しようとすれば、いくらでもそうすることができます。裁判官などは、まだそういうことを充分に知らないので、新聞の読者欄にある投書などを見て、これを世論だと思っているのです。しかし、投書のうち何を載せて何を載せないかを決めている人は、明確な意図を持って操作をしています。

 また、週刊誌等には捏造記事が多いことは、みなさんも本能的には感じていると思います。しかし、どの部分が捏造で、どの部分が事実なのかということについて、取材する力がマスコミ以外にはないので、これをチェックすることはできません。

 すなわち、司法権である裁判の領域も、情報源を活字メディアにほとんど委ねているので、まったく判断ができず、マスコミに踊らされている状態に近いと言えます。

 結局、この三権とも、第四権力であるマスコミに、事実上、もはや支配されかかっていると言ってよいと思います。

 同じことは、警察等に関しても言えます。警察もまた、すでにマスコミの支配下に置かれているように、私の目には映ります。その理由を説明します。

 たとえば、みなさんに恋人がいたとして、その恋人の許可を得て、恋人の写真、それもヘア・ヌード写真を撮らせてもらったとします。そして、それを週刊誌大に拡大し、駅前で何百枚かを有料で売ったとすると、どうなるでしょうか。
間違いなく警察が来て、みなさんは逮捕され、起訴され、たいていの場合には懲役刑になります。

 ところが、このヘア・ヌード写真を、何十ページか印刷し、その表紙に『フライデー』や『週刊現代』という名前をつけ、発行元を「講談社」とすればどうなるかというと、警察はまったく動きません。なぜ動かないのでしょうか。

 全国の数十万人の警察官は、実際、あちこちで不祥事を起こしています。もちろん、それだけの数の人間がいたら、いろいろなところで不祥事が起きるのは、やむをえないでしょう。そして、そうした不祥事を情報としてつかんでいるのがマスコミなのです。

 いざとなれば、「〇〇警察署の不祥事」といったスクープ記事として雑誌等に載せると、そこの警察署長のクビが飛びます。それで済めばいいのですが、県警本部長のクビが飛ぶこともあります。さらには、多くのマスコミがそれにたかった場合には、警察庁長官のクビも飛ぶのです。これが怖くて、警察はマスコミに手が出せないのです。

 ですから、みなさん個人で犯したことであれば、すぐに逮捕され、起訴されるようなことであっても、マスコミの名のもとに行なえば、お咎めなしであって、しかも数億、数十億円の利益を上げ、それを山わけできるということになっているのです。これが実態です。

 すなわち、職業選択によって、「法の下の平等」はすでに破られているのです。現在、マスコミ的職業に就いた場合には、非常に有利な立場にあるように見えます。

 これは、学問界にも原因があります。学者たちは、自分が研究したことを読者が読んでくれないことには、力の発揮のしようがありません。ですから、マスコミに対してはきわめて弱く、そのご機嫌とりをしています。しかも彼らは、「言論・出版の自由」というものを、権力と戦うために非常に大事だということで肯定し、無制限に賛美しています。しかし、これは自分たちの論文や意見を世に出したいからです。結局、大学もまたマスコミの植民地と化しています。

(『幸福の科学興国論』pp14‐24)

 日本国憲法が制定されて60数年。当時憲法が想定していなかった諸問題はいくつかあるが、そのひとつが、このマスコミ権力の問題だ。

 マスコミ諸氏には、在野の精神に帰り、社会の木鐸としての役割を果たされることを期待したい。
 また、マスコミによる暴政を未然に防ぐためには憲法のなかに権力の濫用を戒める規定を盛り込むことも検討すべきだろう。
 この観点から見ても、またマスコミ以外にも憲法が想定していなかった諸問題があるという点からも、憲法改正議論は避けて通れない、重要な争点だ。


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こんにちは!みやもとさとしです。

「ふくのいお」って、ごぞんじでしょうか。
これを読んですぐ意味が分った人は、そうとう雅びた、古典の教養溢れる方に違いない。

20数年前、寝たきりになった祖母(当時92歳)が亡くなる少し前に、「何か食べたいものないか?」と聞いたときの答えだ。
当然、意味が分らなかった私は、また聞き返した。が、また、「ふくのいお」(より正確には、「ふくのいを」だろう)と返ってきた。
そばにいた母だったか叔母だったかが翻訳してくれた。
「ふぐのことやろ」。「ふく」は「ふぐ」、また、「いを」は「うお(魚)」のことだ。
たぶん、ふぐの糠漬けか粕漬けを食べたいといったのだろう、と。
石川の珍味である。

私の実家は、白山市旧鳥越村のなかでも、一番奥の集落だ。
その奥地に、こうした雅びた響きの言葉が残っていたことに、驚いた。
食欲もほとんどなくなっていた祖母は、今生の名残りに、珍味を食べて旅立ちたいと思ったのか。

なぜ、「ふくのいを」のことを急に想い出したのかわからない。

祖母は、明治28年生まれ。
日清戦争が終わった年に生まれたことになる。
明治維新後、「坂の上の雲」を目指して富国強兵・殖産興業の道を歩んでいった祖国の姿を見、太平洋戦争後の日本の復興の姿も見てきたはずだ。
また、浄土真宗の熱心な信者でもあった。
朝晩必ず、仏壇の前に座って、『正心偈』を誦んでいた。
家に訪ねて来た人が帰るとき、見送りの際に、「うらら、『南無阿弥陀仏』しかないげし」と今生の別れを惜しむかのように名残惜しげに念仏の道を訴えていたのが記憶に残っている。
夫(私の祖父)に先立たれ、息子(私の父)にも先立たれ、周りの人たちがだんだんあの世へと旅立ち、祖母にとっては南無阿弥陀仏だけが安心立命の道だったのだろう。
純粋で素朴な信仰者だった。

なぜ、こんなことを想い出したのか、わからない。

ふと、思う。
明治・大正・昭和の三代を見てきた祖母の目から、現代の日本はどう見えるだろうか。
政治に関心を持ったとも思われない、貧しい山村に生まれ、ほとんど自分の生まれた村から出ずに一生を送った人ではあるが。
こんなに科学文明が進んだ世の中を見て目を回すに違いない。

しかし、世の中が便利になったということと、良い世の中になったということとは、当然ながらイコールではない。
かといって、古きよき時代を懐かしんで、その時代に回帰していくわけにも行くまい。
科学文明の進歩と、人類の幸福とを融合させていくことが必要だ。
さらにいえば、科学の進歩は、人類の幸福に奉仕するものでなければならないだろう。

私は、科学の進歩と、人間の幸福を架橋するものとして、「信仰」というものがどうしても必要だという気がしてならない。
唐突に聞こえるかもしれない。
ここで言う信仰とは、古色蒼然としたアニミズムのような信仰、または摩訶不思議な、カルト宗教のことを言っているのではない。

人間が、人間として当然守るべき道徳律とでもいうべきもの、その根本には、宗教的価値観がある。
「人殺しはいけない」と言う。しかし、その根本的な理由は、道徳では説明しきれない。
例えば、努力は必ず報われるという。
古典的な因果律だが、この世では必ずしも成り立たない。
しかし、あの世があると仮定すれば、成り立つことになる。
この世の努力が、例え、今世で報われることが無くても、あの世も含めた人生の中では、必ず報われる。
その逆も真なり。この世で悪いことをして、例え逃げおおせたとしても、来世必ずその報いが来る。
因果の理法はくらますことができない。
もちろん完全な証明は不可能だが、長い風雪に耐えてきた世界的な諸宗教は、あの世の存在、またあの世の階層性(程度の差こそあれ)を認めている。
ここに、宗派を超えた普遍的な宗教的真理がある。

あの世があると信じて生きた方が、悔いの無い、幸福な人生を送れるだろう。
少なくとも、他人を害することなく、安心して、正しい生き方が出来るに違いない。

信仰深く正直に生きた祖母は、あの世で「ふくのいを」を食べているかはわからないが、きっと幸福に暮らしているに違いない。合掌。


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こんにちは!

今日は、同郷(白山市旧鳥越村)の先輩でもある、高校時代の柔道の恩師にお会いしてきた。
衆院選後、ようやくご挨拶に伺うことができた。
「後期高齢者になった」と謙遜されるが、矍鑠とされている。
高校を定年退職後、今年の3月まで、某専門学校の校長をされていた方だ。
「(生徒を、柔道で)投げて、絞めていただけだが、『お世話になった』と教え子に言われる。教えて頂いたのはこちらの方だ」としみじみ語られた。
今月28日に、長年教鞭をとられた地元の高校で講演をされるそうだ。
「伝説の熱血教師」であられる。

私の高校の諸先輩の武勇伝などを、楽しく聞かせていただいた。
某先輩についてのお話。
一浪して高校に入ったものの、途中で東京のラーメン屋に就職し、先生が説得して連れ戻して来られたとのこと。
しかし、医学部の教授である父上に反発して、家に帰りたくないとのことで、先生が家に匿った(?)とのこと。
その後1ヶ月ほどして復学し、卒業も危なかったが、先生の強力な後押しで何とか卒業し、それからプロスキーヤーを目指して長野で過ごし、3年後に一念発起して「北大を受験するので政経の教科書を送ってほしい」と連絡があった。
3年のブランクにもかかわらず無事合格、卒業後は国際ビジネスマンになったが、40代後半で東洋医学に興味を持ち、某大医学部に入りなおし、東洋医学の医師になられた(医学部で教鞭をとっておられる?)とのこと(メモを取らずに聴いていたので、記憶が不確かです)。

う〜ん。波乱万丈の生涯だ。
なかなかできることではない。
しかし、こんな生き方もすばらしい!
決して現在の地位に安住しない。
いつからでも、どこからでも挑戦していく、すばらしいチャレンジングな人生ではないか!

しかし、先生から見たら、私もなかなか波乱万丈に見えるらしい。
確かに、教員を目指していたのが、いつの間にか新興宗教の職員になって、今度は国政選に出た教え子は、やはり、平凡な生き方をしているようには見えないだろうなあ。

今はご自宅で悠々自適の生活を送っておられるが、時々訪ねてくる教え子たちとお話しをするのがとても楽しみなご様子。
先生、いつまでもお元気でお過ごし下さい。そして、また時々訪ねて参りますので、楽しいお話を聞かせてください。

(写真は、大日川から臨む白山。奥にかすんでいるので、写メでははっきり見えませんね)


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