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こんにちは!
元気のみやもとです
「日本を守り抜く!国民集会」参加しました!
日比谷野外大音楽堂にて
実行委員長は惠隆之介先生。
来賓に、国会新聞社編集次長の宇田川敬介さん、元海上保安庁SST隊長の住本祐寿さん、
われらが幸福実現党ついき秀学党首、
そして慶應義塾大学の小林節先生も駆け付けて下さいました。
集会の後は、
7つの梯団で、
日比谷公園〜虎ノ門〜銀座へデモンストレーション。
時々雨が降るお天気でしたが、さわやかに行進致しました。
平日のお昼にも関わらず、沖縄から北海道まで、全国から集った同志たちを見て、とても頼もしく思いました。
「日本を守り抜く!」のは、志ある私たちしかいません!
今後ともがんばって参ります。
写真1:「君が代」斉唱
写真2:挨拶される惠隆之介先生
写真3:来賓挨拶・ついき党首
写真4:来賓挨拶・小林節先生
写真5:「沖縄の自由を守る会」の皆さま
こんにちは!
みやもとさとしです。
本日、朝8時より白山市内で辻立ちし、菅直人首相に対し、即時退陣と浜岡原発停止要請の撤回を求めました。
去る6日、菅直人首相は中部電力浜岡原子力発電所の「運転停止要請」を唐突に発表しました。
まさに「唐突」です。
従来のエネルギー・原子力政策を真っ向から否定するものであり、菅首相の「反原発」の心象風景をそのまま具現化するものです。
菅首相は国家のエネルギー戦略、夏場の電力供給、地元や日本全体の経済活動、国民の生活に及ぼす影響など、全く考えることなく、議論も手続きも一切放擲しています。
こんな「政治主導」ならぬ「政治の暴走」を放置しておくわけにはいきません。
このままであれば菅首相は、「独裁者」への道をひた走るのみです。
日本経済を沈没させるつもりなのでしょうか!
はっきりいえば、天変地異発生の根本原因は、時の政権が神仏の御心に適っていないということの天の意志表示、警告です。
「国民の生活が第一」と言っていたはずなのに、国民の生活を破壊するようなことを繰り返し、てんとして恥じない態度を続けるならば、天の警告はまだまだ続くでしょう。
その被害を被るのは外ならぬ国民です。
このような責任逃れの、人気取りのパフォーマンスは決して許さない!
「千年に一度」と言われる大震災が起こったいま、現政権においては誰一人、責任を取っていません。
震災の根本原因である菅直人首相本人が辞職することこそ、最大の防災対策です。
菅首相は、浜岡原発の運転を止めさせる代わりに、まず、自らが即刻、退陣せよ!
以上を、強く訴え続けて参ります。
きょうから沖縄県知事選のお手伝いのため、沖縄に来ています。
10月3日のデモ以来、再び沖縄の地を踏みました。
沖縄の明るく、豊かで大らかな雰囲気が大好きです。
主として八重瀬町と糸満市の後援会の皆さまのお手伝いをさせていただきます。
那覇市内の金城タツロー後援会事務所を訪ねた後、八重瀬町と糸満市の後援会の皆さまにご挨拶させていただきました。
マスメディアの不公平な報道により、唯一、普天間基地の県内移設を訴える金城タツローが、立候補を予定していることすら知らない方々がほとんどです。
後援会の方々は、そうした県民の皆さまに、丁寧に膝詰めでお伝えしておられ、本当に頭が下がります。
こうした真摯で誠実な皆さまと一緒に活動できることを嬉しく、また誇りに思います。
今回の沖縄県知事選が、沖縄県はもちろん、日本の未来が明るく拓けてゆくターニングポイントとなることを祈念致します。
まずはご決意に敬意を表したい。
国家のトップは、我々が想像もできない激しいプレッシャーを受けながら執務されていたと思うからである。
遅きに失したとはいえ、重大なご決意をされ、8ヶ月間お疲れ様でしたと申し上げたい。
内容の是非はともかく、わかりやすい演説だった。
首相就任されてから、最もよい(あくまで内容の是非ではなく、論点が明確という点で)演説の一つなのではないか。
辞任する理由を2点簡潔に述べておられて、わかりやすかった。
一つは普天間問題での迷走。
もう一つは、政治とカネの問題。
これらはこれでわかりやすい説明だったと思う。
ただ、内容を検討すると、
政権交代、政治主導、さらに子供手当や高校授業料無償化など、(国家)社会主義的政策を「間違ってなかった」と確信されている。
「国民が聞く耳を持たなくなってしまった」と、「不徳の致すところ」とは言いつつも、やや責任転嫁なさっているように思える。
政権離脱した社民党への気の使い様にも違和感を感じる。
「社民党より日米関係を重視した」と批判されたとおっしゃるが、それは当然。特定の政党より国家の方が大事だろう。
安全保障についての考え方は、未だに米軍基地の県外移設に未練がおありのようだ。
米軍依存だけでなく将来的に米軍に頼らず「日本の平和は日本の手で」とおっしゃるが、このまま米軍のプレゼンスを排除すれば、中国の覇権下に入ってしまう危険性が極めて高い。
李明博大統領、温家宝首相との会談に触れ、”We are the One.”と…これは国境をなくし、属領化を認めるように捉えられかねない。
総じて、「この8ヶ月間、一生懸命がんばったことを認めてほしい」ということだろうか。
しかし、極めて社会主義的傾向の強い政策、さらにアメリカと距離をとり、中国の覇権下に入っていくような流れは、断じて受け入れることはできない。
首相辞任により、また首をすげ替えるだけだったら批判していた自民党政治と変わらない。
安全保障、経済問題など、昨年来私たちが「国難」と訴えてきたことは、現政権下で現実化してきた。
これは首相が替わって解決する問題ではなく、民主党自体が持っている問題なのだ。
また、小沢幹事長も辞任とのことだが、引き続き闇将軍として権力を振るうならば、それこそ民主主義の危機であり、益々この国は危うくなる。
このうえは、改めて解散総選挙をし、民意を問うべきであると考える。
ただ、いまのままでは、野党が内閣不信任案を提出しても、否決されるだろう。
民主党のなかの、健全な保守思想を持つ皆さまにぜひ立ち上がって頂きたいものだ。
皆さま、あけましておめでとうございます。
ほとんどの国民の皆さまは、神社仏閣に初詣でに行かれた(これから行かれる)ことと思います。
皆さまは、神仏の御前でどのような願いや誓いをなされました(これからなされます)でしょうか。
自我の思いから離れ、虚心坦懐に神仏に祈るという行為はとても清々しいものですね。
私も、幸福の科学の支部に詣で、今年一年の決意と、「幸福維新」の成就を誓わせて頂きました。
私たちは、「幸福維新」を掲げております。
それは、私流に解釈すれば、この地上から一切の不幸を追放する、永久革命です。
現首相は、昨年の政権交代を、「平成維新」、無血革命とうたっておりますが、政権交代の結果、国民が不幸になるなら、そんなものは革命、維新の名に値しない。
バラマキ政策によってもたらされる重税不可避の流れ、巨大な政府、社会主義的国家への道。
日米同盟を捨て、全体主義国家・中国にすりよるかのような外交姿勢。共産主義国家への隷従への道。
日本と世界の未来を暗黒化するような、現政権の誤りを糾し、真なる革命、真なる維新、「幸福維新」を成就するため、不惜身命の精進を、全能の主の御前で誓わせて頂いたと同様、国民の皆さまにも誓うものであります。
本年一年の、皆さま方のご多幸を、心からお祈り申し上げます。
以下、アサヒ・コムより引用。
「成仏するのは仏教だけ」小沢幹事長、改めて文明観披露
民主党の小沢一郎幹事長が16日の記者会見で、仏教観と文明観を改めて披露した。
10日に和歌山県の高野山金剛峯寺を訪れた際に、キリスト教を「排他的」「独善的」と指摘。これに対し、「日本キリスト教連合会」が「キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ『排他的』で『独善的』な発言」と抗議文を送っている。
これを受けて小沢氏は16日、「(仏教の世界観では)生きながら仏にもなれるし、死ねば皆、仏様。ほかの宗教で、みんな神様になれるところがあるか。根本的な宗教哲学と人生観の違いを述べた」と説明。さらに、エベレストに挑んだ登山家の「そこに山があるから」という発言を引用し「西洋文明は自然も人間のために存在する考え方。(エベレストの)地元では霊峰としてあがめられて、征服しようという考え方はアジア人にはほとんどない」と語り、西洋思想は人間中心だが、東洋思想は人間が自然の一部だと強調。最後は「僕も君も、死にゃ仏になれるんだ、だから」と締めくくった。
http://www.asahi.com/politics/update/1116/TKY200911160351.html
なんという酷い(底の浅い)仏教観と文明観だろうか。
宗教家でもないあなたが、宗教観などを披瀝してどうするのか。
伝統仏教では、「天台本覚思想」が主流になっているから、「死ねばみんな仏様」という思想は、人口に膾炙しているが、もともとはあなたがお話になられた高野山金剛峰寺の教義ではそうではない。
空海は日本初の総合的思想体系と言われる「十住心論」において、人間精神の発展段階を10段階に分けて論じている。
仏教の開祖・釈尊は、悟りの段階として、預流、一来、不還、阿羅漢いう段階を説かれている(それぞれに、それに向かっている途中、その心境を得た段階として、向・果という段階があある。阿羅漢向、阿羅漢果という具合に)。
当時新興宗教として教勢を伸ばしてきた天台宗の最澄と、南都六宗の徳一との間で、三一権実論争(簡単にいえば、「死ねばみんな仏様になる」とした最澄の一乗思想と、悟りには声聞・縁覚・菩薩の三段階があるとした徳一の三乗思想の論争)が起き、結果的にその後隆盛した天台宗の一乗思想が主流となった。
しかし普通に考えれば、「死ねばみんな仏様」なら、努力する必要がないではないか。
お釈迦様のように悟りを求めて修行する必要もない。
なるほど、農家への個別所得補償なる、努力した人も努力しない人も平等に補償するという結果平等・悪平等政策の思想的背景にはこのような偏った仏教観があったのかと妙に納得した。
「日本キリスト教連合会」が「キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ『排他的』で『独善的』な発言」と抗議したのは正鵠を得ている。仏教理解についても、独善的な解釈だ。
このような浅薄で偏った宗教観・文明観を持っている方が、その強大な権力を背景に、自分の気に食わない宗教を迫害するなどといったことのないように祈りたい。
以前のブログでも触れたが、それはまるで、かつてインドのアジャセ王子が、ダイバダッタと共謀して、仏陀を暗殺しようとしたことを髣髴させる。
せっかくの政治的力量を持っておられるのだから、真実の仏陀の教えを、虚心坦懐に学び、真に宗教的寛容の精神を身に付けられ、正しい方向へと政治的力量を発揮し、この国を導いていっていただきたいものだ。
誤った宗教観・文明観に基づいて、人々を誤った方向に導いていったならば、死後、残念ながら仏様になるどころではなく、その真逆の世界へ行ってしまうのだから。
以上、宗教家でもある筆者からご忠告申し上げます。
今日は、維新の志士、坂本龍馬の生まれた日であり、帰天した日でもある(生まれた日については異説あり)。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、何度読んだだろう。
竜馬は、外科医のような冷静さで自分の頭をおさえ、そこから流れる体液を掌につけてながめている。白い脳漿がまじっていた。
竜馬は突如、中岡をみて笑った。澄んだ、太虚のようにあかるい微笑が、中岡の網膜にひろがった。
「慎ノ字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ」
それが、竜馬の最後のことばになった。言いおわると最後の息をつき、倒れ、なんの未練もなげに、その霊は天にむかって駆けのぼった。
天に意思がある。
としか、この若者の場合、おもえない。
天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。
この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。
しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。(『竜馬がゆく』(八)文春文庫版)
何度も繰り返し読み、そのたびに涙を流した最後の場面である。
いま、この国の歴史始まって以来の混乱の時代といえる。
この混乱を収拾するために、天はだれを地上に下しているのだろう。
それは、この国と、世界の混乱の大きさを思うとき、ただ一人とは思われない。
そのような使命を果たすために、生まれてきた人たちが大勢いるはずだ。
司馬氏によれば、明治維新は、3千人ぐらいの人で起こしたという。
名前が残っていない、草莽の志士たちも含めて3千人。
今の人口比なら、1万人ぐらいだろうか。
名を遺した人はごく僅か。命も名もいらぬ、無私なる念いで、日本の夜明けのために、戦った若者が3千人もいたのだ。
日本人であって、日本が国防を強化することに対してヒステリックに反対を唱え、頑なに憲法9条を護ろうとする人たちは、この世の生命をかけても、守り抜かなければならないものがあるということが理解できない、結局のところ、唯物論者なのだろう。
この世の生存のみを願い、戦うことを拒絶すれば、全体主義国家の隷属下におかれて生きるしかなくなるかもしれない。
たとえ奴隷となっても戦争は嫌だというような、卑怯な国民にはなりたくない。
「幸福維新」の志士たちよ、共に目覚めよう。
新しい日本の夜明けのために、共に戦おう。
私が坂本竜馬のような活躍が出来るかというと、それはおそらく妄想に過ぎないだろうが、
少なくともその気概は学びたい。
心はいつまでも、青臭く、理想を追究し続けたい。
日本と、日本の国民を護るために、この国の未来を拓くために、微力なりといえども、この命をを燃焼しつくしたい。
龍馬の命日に、そう誓わせていただきます。












