古代中国の国体について
中国が統一国家となったのは、秦帝国以降である。
それまでは、いくつかの国が分立していた。
夏→殷(商)→周と王朝が続いたが、これらの王朝は、諸侯を統べる盟主であり、中国全体が統一国家だったわけではない。
周末~春秋・戦国時代を経て、秦の始皇帝により、統一国家が誕生したわけだが、諸侯が王を名乗り始めたのは、戦国時代からである。
つまり、緩やかな連邦制であったと言ってよい。

その後、秦帝国の崩壊、楚漢戦争を経て、漢帝国が誕生したが、後漢王朝の後には、三国志時代が到来した。
すなわち、魏・呉・蜀という3つの王朝が存在した。

何が言いたいかというと、中国という国は、必ずしも統一国家が常態ではない、ということだ。
そして、統一された状態が、必ずしも国民にとって、幸福な状態ではなかったということだ。

例えば、秦帝国においては、法家思想による法治国家(現代的な意味での法治国家とは異なる)であった。
法の適用があまりにも厳しく、人々の怨嗟の声が満ち、それがわずか10数年で秦帝国崩壊の原因となった。

一方、春秋・戦国時代は、戦いもあり、厳しい時代のように思われるが、孟嘗君のように、斉人(せいひと)でありながら、魏や秦の宰相に招聘された人もいる。
楽毅などもそうであるが、実力や才覚次第で自由に世を渡っていけた、自由主義的な面がある。
孔子の儒教をはじめ、百家争鳴といわれるくらい、多数の思想家・言論家も生まれた。
夏王朝~春秋・戦国時代にかけて、まさしく古代文明と呼ぶにふさわしい、文明が花開いた、といえるだろう。

真に中国人民の幸福のために
中国はいま、かつての大唐帝国を復活させようと言うかのような、いや、それ以上の覇権主義的拡大を目指している。
なにしろ目指すところは、東は太平洋はハワイから西はアフリカ沖、というのが国家戦略だろうから、恐るべき大帝国だ。
そして着々とその歩武を進めている。

しかし、13億以上もの民を、一つの国家体制のもとで押し込めておくことは、さぞや大変だろうと思う。
それにはやはり、一党独裁により、統制的に統治したほうが、統治しやすい、という事情があるのだろう。
それはそうだろう。13億の民が、それぞれ、自由に、勝手気ままにやれば、収拾がつかなくなる、というのが当局の予想であり恐れだろう。
当然のことながら、いろんな個性ある人がいろんなことを考える中で一つにまとめようとするためには、大変な力量、マネジメント能力が必要となる。
しかし、それぞれの個性を最大限に(百花繚乱のごとく)開花させる、ということが民主主義の最大の美点であるし、民主主義が繁栄主義であるということの理由でもある。

したがって、本当に中国政府が、人民の幸福を願うならば、全体主義的統一ではなく、もっと自由を認める方向に舵を切るべきだろう。
その結果、国が分裂したとしても、人民の幸福のためならば、以って瞑すべし、ではないだろうか。

かつての大唐帝国の復活を目指すより、より自由主義的な国家を目指す中で、かつての三国志や、戦国七雄のような時代になったとしてもよいではないだろうか。

あるいは、周王朝のように、中華の中の一つの国が、他の中華の国々を総攬する、連邦制のような形でもいいのかもしれない。

この点は、われわれが日本に対して主張している点と異なる。
日本国自体が、中国の省ぐらいの大きさしかないのだから、地方分権、ではなく、中央集権で行くべきであるが、中国のような巨大な国家ならばこそ、地方分権すべきだと考える。

日本は、そのように民主化し、自由化する中国を、決して敵とは思わないであろうし、むしろ、同じアジアの同胞として、世界平和と繁栄に貢献するよう、手を携えていきたいとさえ思う。

中国が真の大国として脱皮する道は、共産党独裁による全体主義体制の強化などではなく、より自由と民主主義の方向へと勇気ある舵を切ることであると思う。


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