唯物論者・無神論者には言論の自由が十分に与えられており、
神仏を信じる者にはそれが十分に与えられてない世界はおかしい。

唯物論者・無神論者には政治参加の自由が認められており、
神仏を信じる者にはそれが十分に認められていない世界はおかしい。

神仏を信じない人々が、神仏を信じる人々よりも尊敬される世界はおかしい。

世界の紛争の本になっているのは、宗教ではないか、と言う人がいる。
しかし、もし宗教がなければ、この世はもっと混沌としていたのではないだろうか。
というよりも有史以来、地上に宗教がなかった時代はない。

宗教はアヘンであるとしたマルクス主義に基づく国家は、
「マルクス主義」という宗教を国教としていたということもできるが、
結局、神仏を否定した国家は、時代の徒花だったともいえる。

私たち人類は、この世を超えた世界からこの世に来たり、
この世において数十年の人生を送り、そしてあの世へと還っていく存在である。
そして人類を導く、神仏、菩薩や天使、高級霊という存在がある。
これが、ごく一般的な、普遍的な宗教的真理だと思う。

このことを認めることがどれほどの困難を伴うのか。
どれほどの不利益をもたらすというのだろうか。

むしろ、これからの人生に、希望の灯を点すものだと思えないだろうか。

神も仏もあの世も信じない、という考えからは、
結局のところ、努力することが何ゆえに尊いのか、
他の人のために尽くすことが何ゆえに尊いのか、
そもそも何ゆえにこの世に生まれてきたのか、
これらの問いに対する答えがない。

このような思想が蔓延することは、
利己主義的な人や、刹那的な人生を送る人が数多く現れてくることを意味するだろう。

人は言うかも知れない、
道徳があればいいだろう、と。

しかし、何ゆえにそこまでして神仏やあの世の存在を否定しようとするのかわからない。

道徳は、この世のことしか扱わない。
道徳的に正しいとされることの本には宗教がある。
この世を超えた、あの世の存在を認めなくては、「努力は必ず報われる」という縁起が成り立たないではないか。

なんとしても神仏を否定せんとする洗脳圧力を感じるのはわたしだけだろうか。

わたしたちが「宗教政党」と名乗っているのは、
神仏を信じている者、宗教者が肩身の狭い思いをせず、
堂々と信仰告白をし、信教の自由や言論の自由、政治参加の自由が守られるようにしたいということがひとつ、
そして、宗教的精神が国家の背骨にあってこそ、国民が真に幸福に生きることができ、国家繁栄の基であるということがひとつ。
こうしたことを訴えたいと思っているのです。


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